娘達の時差呆け対応による疲労から回復し、怒涛の洗濯も一段落したので、早速転職活動を開始した。
今日は某I社との電話カウンセリング。職務経歴書を更新したり、送られてきた求人票の内容を確認したり、エージェント話すうちに私の希望条件が具体化したり。K氏曰く、条件に合う企業は20数社あるが、勤務地をもう少し広げて欲しいとのこと。うーん。
勤務地
→上野東京ライン沿いか湘南新宿ライン沿いを希望
→通勤は片道1.5時間まで
勤務先
→日本企業でも外資企業でも可
→フレックス有りが好ましい
業種
→どの診療領域でも構わない
→できれば整形外科、放射線科、眼科、歯科は避けたい
職種
→専門職希望
→乳幼児を育てているので非管理職を希望
年収
→従来と同等レベルを希望
→100万円減までは受け入れる
残業
→少ないほど好ましい(保育所でのお迎えは基本的に夫が担当だが)
勤務開始
→3月以降
→保育所の一時預かりサービスの利用予約済み
求人票9件への回答は1週間後。保育所の一時預かりサービスは2月末日より予約済みだが、もうしばらく企業の選り好みをしていたら、3月1日からの就業は厳しいかも。
帰省13日目の記録
20年以上前に亡くなった義父の墓参り。夫や私が小学生の頃に、某政治家の暗殺未遂事件で銃撃戦の現場となった墓地も、現在は平静が保たれている。
夫の出身の島は、別国に侵略され併合された歴史を持つ。帰属国変更を経験した他国の島や地域の人々同様、島民は英語が上手で、帰属国問題は今だに解決されておらず、島民がオリンピック競技に出場する際は近代オリンピック初回開催当時の帰属国の代表となる決まりがある。
墓石に刻まれた苗字を見れば、それが島の民族なのか、隣の島から移住した同じ民族なのか、侵略併合した国の出身者なのか、日本人の私ですら8割くらいは識別できる。勿論、相手側に寝返った人々も多々居るのだろうが。
音楽家のChopinが、かつてポーランド的な苗字を欲しがったという話も理解できる。
次に会えるのはいつだろう
帰省12日目の記録
夜中に目覚めた次女がベビーベッドの中でグズグズしていたので、夫と私の間に次女を置いて、初めて一緒に寝てみた。我が家では長女も次女も各々のベッドで寝かせているので、夫も私も子供の真横で寝た経験はない。押し潰して圧死させないかが心配で、眠りが浅くなってしまった。
義母の家に一緒に滞在していた2番目の義兄+元義姉+甥っ子+姪っ子が帰路に就く。寂しくなるなあ。
2番目の義兄と元義姉が離婚したにもかかわらず、我が家の帰省に合わせて共に帰省して、共に義母の家に滞在すると知った時には、びっくり仰天。元義姉にしてみれば、元夫の実家だもの(彼女達の子供にしてみれば、単に祖母の家だけれども)。
離婚後も友好的な関係を維持して、協力し合いながら育児するだなんて、どこかの外人セレブくらいだろうと考えていた。
義母も当初は気を遣って、息子と元妻の座席が隣り合わないようにしていたのだが。部屋に元夫婦2人きりでいても無言で空気が凍てつく訳でもなく、外食先で隣同士に座ることもあれば、子供を挟んで笑顔で写真に納まる。感情の湿度の高い日本人の私には、凄いとしか言いようが無い元夫婦であった。
2番目の義兄を見送った後は、夫のお気に入りの公園へ。
Uniqloのジャケットでは寒さに耐えられず
帰省11日目の記録
元日。義兄が5時に起床して、近所の食料品店で買い込んだ食材を美味しい料理にしていく。元義姉が、義兄のサラダ作りを手伝っていたのだが。さすが料理上手なイタリア人、あっと言う間に色鮮やかで美しいサラダを何種類も仕上げてくれた。凄い。
午後になってから、次女の洗礼式の為、義母の家の近所にある教会へ。長女の時と同じ神父様が、次女に洗礼を授けて下さった。代母には1番目の義姉、代父には2番目の義兄になってもらった。こういう家族総出のイベントの時は、夫と結婚して良かったと思う。
義母宅に戻ってからは、義母、義姉や義兄達、甥っ子や姪っ子達、それに夫達の従姉やそのパートナーと共に、昼食会。
皆がお喋りする姿を見て、夫の出身の島の人々に特有の言動を色濃く残すのは、もう60代前後かそれ以上だなあと痛感する。出生率は決して低くないのだが、異文化の受容や混血が進み、独自文化は滅びつつある。異民族の立場ながら、悲しくなる。
2番目の義兄が買い足した分を含め、ワイン15瓶以上あったのが、全部消えた。
公式にカトリック教徒となる
帰省9日目の記録
元日の次女の洗礼式と昼食会に備え、義母の家では朝からワイワイガヤガヤ。
ワイワイガヤガヤの原因は、洗礼式後の昼食会の為に、何を作るか。このような場合、日本では女性が料理することを期待されるが、夫の出身の島では、実家に帰省した者が料理することを期待される。
ところが我が夫は、料理らしい料理が全くできない。夫の母も姉も兄も、我が夫が料理に関しては全くの戦力外であることを承知している。
結局、大家族の出身で大人数向けの料理に慣れているイタリア人の元義姉が献立を決め、夫が食材を購入し、義兄(夫の実兄)が調理することになった。
そこで朝から近所の食料品店へ買物に行く。料理に関しては全くの戦力外である夫と共に、日本では余り馴染みのない食材(ビートルートやロケットやタイトー等)を見つける以上に、ワイン12瓶を運ぶ方が大変だった。近距離ながら、帰路はタクシー。
帰宅すると、義母宅は全員が出払っており、しかも手持ちの鍵ではドアを開けることができず。仕方なく食材をガレージに置いてから、市の中心部へ行き食事をして、それからお気に入りの植物園へ。
閉園15分前だったので、私が個人的に気になっている植物には再会することができず。また次回。
次女の離乳食時間






