Des prières à St Paul -15ページ目

Des prières à St Paul

都会で労働 海辺で生活

昨日のこと。

長女のインフルエンザとは別の風邪の症状が悪化した為、朝一番で近所の小児科の予約をしてから、次女を保育園へ連れて行き、それから出勤。

始業時間開始前に、保育園から次女発熱による早退指令の電話。夫に電話して、長女の小児科受診を終えたら次女を保育園から引き取り小児科へ連れていくようにと依頼。

長女には、チペピジンヒベンズ酸塩(アスベリン散10%)とカルボシステインドライシロップ5%とセチリジン塩酸塩ドライシロップ1.25%を混ぜたものと、ツロブテロールテープ1mgが処方される。次女には、オセルタミビルリン酸塩ドライシロップ(タミフルドライシロップ3%)と、チペピジンヒベンズ酸塩(アスベリンシロップ0.5%)とカルボシステインドライシロップ5%を混ぜたものと、アセトアミノフェン坐剤(アンビバ坐剤小児用100mg)が処方される。2人共、早く良くなりますように。

長女インフルエンザのため、週4日を夫婦で2日ずつ担当したのだが。インフルエンザ疑惑の体調で、2日で4日分の仕事を片付けることはできずに残業し、しかも帰宅後に別室に隔離された長女に付き添って座布団で寝るのは、私。

いい加減背中の痛みが耐え難くなり、仕事明けに整体に行くはずが、フェイタス5.0温感を貼って残業まで。痛みはまだ残るが、2枚で予想外に良く効いた。身体を温めようと昼食にピビンバを選んだら、食後にトイレに駆け込む破目に。夕方になると、インフルエンザ発症1〜2日目のような尋常ではない悪寒に襲われ始め 、もうボロボロ。
週末、夫が娘達を寒空の下で遊ばせようとしたのだが、長女は震えているばかり。その晩、長女は入浴も夕飯も拒否して就寝。

私自身も、夕食後に急速に体調が悪化。早々に就寝するが、悪寒、高熱、関節痛で数時間おきに目を覚ましてしまう。朝までに治るかなあ。

昨日、長女39.8℃、咳による嘔吐あり。朝一番で近所の小児科へ行き、インフルエンザと診断され、今週一杯保育園を休むことに。オセルタミビルリン酸塩ドライシロップ(タミフルドライシロップ3%)と、チペピジンヒベンズ酸塩(アスベリン散10%)とカルボシステインドライシロップ5%を混ぜたものが処方される。早く良くなりますように。

悪寒、高熱、関節痛に嫌な咳に苦しむ私も恐らくインフルエンザなのだろうが、そう診断される訳にはいかない。体調不良を隠して次女の保育園の送り迎えをして、体調不良を隠して長女を小児科へ連れて行き、体調不良を隠して有休取得をして、体調不良に耐えてパンと果物とジュースを買ってローテーブルの上に並べ、あとは自由に食べさせる。

親子同日発症、辛すぎる。
去る週末、B兄一家と待ち合わせて、東京ディズニーランドへ行ってきた。高校の遠足以来だから、25年ぶりか。

It’s a small world
私達8人で計6ヶ国のバックグラウンドがあるのだが、It’s a small worldにはその6ヶ国全てはなかった。おーい。

Splash mountain
身長90cm以上、ということで、靴を履いて90cm弱の次女も搭乗を許される。最前列はずぶ濡れとなり、2歳6ヶ月の次女は未知なる体験に放心。

Monsters Inc
Fの強い希望で行ったのだが、80分待ちだった割には……

Thunder mountain
身長102cm以上、靴を履いて101.5cmの長女は搭乗を許されず。Splash mountainに比べて、Thunder mountainとSpace mountainは審査が厳しい。B兄と夫に姉妹を託し、J姉とFとIと私の4人で行列に並ぶ。健康のためにも思い切り叫ぼう、と互いに言っていたのだが、絶叫マシンが苦手なIは、列車が止まった途端に必死の形相で「もう終わった???」と聞いてきた。

9歳のIは、幼少期に両親が離別して以来、父親に反発していた(カトリックのB兄とJ姉は離婚せず離別した)。その後、彼女なりに心の中で折り合いを付け、「私は常にパパっ子な訳ではない」と言いながらも、きちんと父娘関係を築いている模様。良かった。

11歳のFは、身長も体重も私を超えたが、反抗期はまだ始まっていない。母親を抱っこして自身の力持ちぶりを披露したり、Thunder mountainで叔母である私の隣に座りたいのを渋々Iに譲ったり。

細々里人のJ姉は、会う度に一層好きになる。家族だからこそ、遠慮なく本音で話す。ちなみにフランス人の悪意なき文化的率直さに対し、私やJ姉は善意も悪意もひとまとめに家族だからと無遠慮な率直さを貫いている為、夫や夫の家族達に恐れられている。

「夫にイライラしているでしょ???」
「人柄は良いのだけれどね」
「ちょっと馬鹿だしね」
「この前、長女を海辺に忘れてきたくらい」
「私なら殺すわね」
「先週は、次女の処方薬を落としてきた」
「本当の馬鹿だ」
「次はいつ帰省するの???」
「9月、それまでEママ生きているかしら???」
「私達は2年後よ……(もう居ないだろう)」

こう書くとJ姉は性格がきつそうだが、大家族で育ち、誰もが金銭的に余裕があったり健康だったり賢い訳ではなく、助け合って生きる必要があることを知っている。生活力にも家事力にも乏しい我が夫が20代の頃には、無償で半年自宅に住まわせていたくらいに、愛情深く優しい。

B兄は相変わらずの仕事人間。時々私は、出産前の自分自身を見るような気がするくらい。そんなB兄の超現実的な思考回路の影響を受け、好きな本は経済、歴史、防衛だと言う11歳のFは、居住地区で1番のカトリック私立中学校への入学が決まった。


次にディズニーランドへ行くのも、25年後か。
先月末の週末、私が高校時代の友達の家で過ごしている間、夫は娘達を連れて公園へ。

その間に次女が、指を扉に挟んで負傷したらしい。しかし長女や次女が言うには、うさぎに噛まれた、ねずみに噛まれた、果ては羊に噛まれた。

その指を放置していたら、腫れて痛みも出てしまった為、去る金曜日に夫が皮膚科へ連れて行ったのだが。薬局で処方された塗り薬(リドメックスコーワ軟膏0.3%(プレドニゾロン吉草酸エステル酢酸エステル製剤)とサトウザルべ軟膏10%(亜鉛華単軟膏製剤)を混ぜたもの)を、何と帰宅中に紛失。

有り得ない。こんな頼りない夫はもう嫌だ。
長女
母親である私と一緒に過ごす時間が少ないので、甘えん坊かつ天邪鬼に。毎朝の登園時に、自力で靴や靴下やコートやタオルやコップを所定の位置に置くのを拒否したり。集団行動中に、もう嫌になっちゃったと離脱して周囲の気を引こうとしたり。やる気スイッチが入ると、自力でできるのだが。

高校時代の友達から出産祝いに貰った木製積み木や、大学時代の友達の息子から引き継いだブロックや、パンパースのポイントで買ったマグフォーマーで、複雑な立体や建物を作成するように。今後、プラレールにもレゴにも熱中しそうな気配。縫いぐるみや人形よりも、ブロックやパズルやボール遊びが好き。誕生日プレゼントには、ヨドバシでプラレールの線路を買い足すことにした(Amazonよりも安い)。

大きくなったらサッカーボールになるらしい。サッカー選手でないところが3歳児。

映画「Bohemian Rhapsody」がヒットして、TV番組でもQueen特集と打ってBohemian Rhapsody等のヒット曲が流れている。その度に70年代生まれの夫と私が一緒に歌っていると、不思議そうに「何で一緒に歌えるの??? 知っているの???」と尋ねてくる。但し本人の音楽の好みは、Queenよりもサルサ。音楽につられて思わず踊り出す。

次女とお喋り中、ロボットになったつもりで、意図的に棒読みするような話し方もできるように。

次女
豪快。動物との触れ合い場では、躊躇なくウサギやモルモットやハムスターを捕まえて、持ち去ろうとする。山羊や羊に付いて行って触る。道で見掛けた凶暴そうな犬に手持ちの物(手袋等)を与えようとする。そんな次女の姿を見て、長女がようやく自力で小動物を捕まえられるようになったくらい。

帰省時にロンドンの空港内を歩きながら、保育園で覚えた「Come on baby America, USA, USA」と歌い、周囲に居合わせた人々を苦笑させていた。最近は、従姉に教えてもらったBaby Sharkがお気に入り。それと姉妹共々、ラジオ体操を競うようにする。


一方で長女はサルサ好きだが、次女はロックが好きらしい。Guns n Rosesの“Sweet child o’ mine”や“Welcome to the jungle”に合わせて、激しく踊る。

相変わらず気が強い。公園に居合わせた子供と目が合っただけで攻撃する。即座に止めて謝りなさいと言い聞かせても、嫌だと断固拒否。歌を歌ったり本を読んでいる時に一緒に声を出すと、怒る。

一方で外出時には、縫いぐるみを持って行きたがる、2歳児らしさも。小さいウサギなら兎も角、大きめの犬や熊の時もあり。なるべく小さいのにしてくれい。

帰省して和らぐと期待した乾癬は酷いままだし、増悪傾向にあるし、それ以外にも免疫機能の暴走で急にアレルギー症状が出たり収まったり。いい加減、断酒しなくてはなあ。原因は家庭と仕事の両立によるストレスだから、どうしようもない。

皮膚にアレルギー症状が出るかドキドキしながらもセール時に買ってみた、UNIQLOのフリースのパジャマ。2週間が経過したが、今のところ肌荒れは発現せず。
今日は、高校時代の友達Tの家へ遊びに行ってきた。

Tの自宅からの最寄駅でT、K嬢、A嬢、Y、Nと待ち合わせることになったのだが、道中早速、Nから電車乗り間違えのLINEメッセージ。そこで最寄駅に到着後は、近所のお寺へ散歩しながらNの到着を待つことに。

そしてTの自宅へ行き、Tの妻のAちゃんと、昨夏生まれたばかりのSちゃんに会う。2年前、我が家の次女もSちゃんみたいだった筈なのに。年子育児や失業や転職で目まぐるしい日々だった為か、あっと言う間に1歳、2歳となった気がする。K嬢とYが絶賛する、Leonidasのチョコレートを食べながらお喋り。Godivaよりも日本人向けで美味しい。

そして皆で、TとAちゃん夫妻のお気に入りのスペイン料理屋で昼食。美味しかったー。そして久しぶりの、夫とも娘達とも離れての自由時間は終了。
今月、別部署にいる1回り年下の同僚にランチに誘われ、付き合ったところ。予想通り、仕事の悩みと転職活動と将来設計についての話だった。

私が彼女の年齢の頃と今では色々と価値観が違うので、参考程度にと私自身の話をして、結婚予定者と話し合うように促した。

30歳前後なら、仕事の遣り甲斐を覚え、経験を積むことに喜びを見出すのは自然だし、転職先で活躍できるかも知れない。今の仕事場は日本企業だから、語学力を生かしにくいのは確か。外資企業勤務が長かった私自身、入社して、皆が日本語だけで仕事をしていることに驚いたくらい。

転職して、仕事に夢中になり、語学力も生かせて、将来設計や家族計画を後回しにするかも知れない。私みたいに仕事を優先して、遅くに結婚して、高齢妊娠して、流産して、不妊治療するかも知れない。

転職すると、1年間は育休を取得できない。転職先で、現在の日本企業と同等の福利厚生を受けられないかも知れない。どうしても子供が欲しい時に、不妊治療をするかも知れない。高齢にならなくても、日本の子供の20人に1人が不妊治療の結果として生まれているのが現実。

何を優先したいのか、結婚相手としっかり話して、賢い選択をすること。どのような状況でも、休暇の取りやすさと、仕事時間の調整のしやすさは確保すること。職種を考えれば、経済的に余裕があっても極力働き続けること、専業主婦になるにしてもいつでも復職できるような意識を持つこと。

私は某専門職をしているのだが、某専門職で現役で複数育児をする女性とは、過去15年、直接に出会ったことがない。同僚に話をしながら、複雑な気分になった。
午前3時半に起床して、シャワーを浴びて、娘達もシャワーを浴びさせ、午前5時前に予約していたタクシーに乗り、空港へ向かう。

毎回帰省する度に、抱き合ってキスする度に、これがEママと過ごす最後になるのではと恐れてしまう。本当に怖い。

85歳のEママは、私が知るペースメーカー植込み患者の中でも最高齢である。今夏もクルーズ旅行に出る予定だが、酸素吸入が欠かせない。病院勤務時代からの親友Eは体調を崩して数年が経過するし、親友Mは前回のクルーズ旅行時に痴呆症状を示した後にEママのことを忘れてしまった。

Eママの夫であり私の夫の父であるJは、四半世紀前に亡くなっている上に、親友達に会う機会も減り、兄弟姉妹も減り、子供と甥っ子姪っ子達が居るとは言え、日本でいう後期高齢者になるまで長生きすることについて、考えさせられる。

まずはLondonを目指し、それから羽田を目指す。3歳児と2歳児にとって、12時間超のフライトは厳しく、夫も私も、娘達をあやしてなだめて疲労困憊しながら、殆ど眠ることができず。
F姉の妹Bの新居での、四十路五十路の宴は午前3時頃まで続いた。最後はPurple Rain (Prince) を大音量で流して踊り、それからA Little Bit More (Dr. Hook) を8人全員で大合唱してお開き。幼少期から洋楽を聴いて育ったと言え、Dr. Hookを歌える日本人は世界でも100人居ないはず。

実家への帰り道、F姉はずっと私の両手を握ったまま。誰に対しても母親のように接するのは、性格によるのか職業病なのか。そんなF姉は大学時代からの恋人S兄と一緒に島を出て、米国に移住して結婚し、次に豪州に移住して家を買い、そこでPとOを育てていたのだが。当時豪州で暮らしていた妹Bが島に戻ると、妹恋しさにS兄を説得し、一家で島に戻った。その後Bは離婚すると、即座にF姉の近所のアパートに引っ越した。年子姉妹を育てる身として、F姉とBの姉妹関係には、圧倒される。

午前4時前に帰宅して、即座に就寝したものの、娘達はいつも通り6時に起床。つまり私達夫婦も起床して、娘達を入浴させ、朝食を準備しなくてはならない。

朝食後に喫茶店へ行き、夫に話す。
「四十路半ばにもなって、お酒で吐いたなんて恥ずかしすぎる」
「島では年齢にかかわらず誰もが飲んで吐く文化だからこそ、飲んで吐いた人のことを“島人”と呼ぶだろう」

それから夫の父と祖父母のお墓参りへ。夫の父のお墓は直ぐに見つかったものの、夫の祖父母のたお墓は見つけることができず。あれえ、どこだっけ??? 次回島に戻るまでに、甥っ子達にお墓の位置が分かる写真を撮っておいて貰おう。

夕方、S兄、姪っ子O、Oの恋人Nが訪ねてくる。Oに「パパのビデオ見たわ、昨夜楽しんだようね」と言われ、OがS兄とF姉の娘で本当に良かったと思った。「変な両親に変な叔母を持って、誇らしいでしょう」と返す。

Oがレズビアンであることをカミングアウトしたことは、帰省初日に知らされた。個人的には、年頃になっても男子とのデイト話が無かったことよりも、Oの食事制限の厳格さから、ああやっぱりといった感じ。あの厳格さに合わせられる男子はまず居ないだろう。

島は非常に保守的で、LGBTQIが住みにくい環境である。今回の帰省中、私自身、何度か夫や夫の家族に対して、Oは昔よりも自尊心と自信を持って美しく成長しているのだから、歓迎して欲しいと言ったほど。ビデオには、前夜の四十路五十路の宴で、S兄がOのカミングアウト時のEママの反応を真似するのと、それに笑い転げる私が映っている筈だ。
(今年85歳のEママは、Oがレズビアンであることを聞いて、驚きながらもその場で受け入れた。)

Oの恋人Nは、私が好きなタイプの女子ではなかったが(刺青もピアスも垢抜けない)、私の愛するゴージャス感No.1の姪っ子Oが幸せなら、私も嬉しい。
普段、私は月〜金曜日が仕事日。夫は月〜木曜日と土曜日が仕事日。夫は日曜日に単発の仕事やオーケストラのリハーサルで居なくなることも多いので、私が日中にひとり時間を過ごせる機会は殆ど無いに等しい。そこで、帰省8日目にして、夫に娘達を任せ、ひとりで街を散策することに。

まずは、一家で街のマックへ。夫が、子供の頃に食べていたと言うチョコレートを娘達に与えるのに文句を言っていたら、向かいに座る女性が話し掛けてきた。
「私、香港の幼稚園で教えていたのだけど、3歳児クラスに甘い食べ物について聞いたら、誰もチョコレートを知らなくて驚いたわ。アジアではチョコレートを小さな子供には与えないみたいね。」

夫達と別れてからは、久しぶりに自分自身の歩行速度で歩きながら気になった店に入ったり、興味を持ったものを見たり、好きな時間に休憩したり、周囲の人間を観察するのを楽しんだり。

21世紀になっても、この島の人々は相変わらず控えめな暮らしを続けている。子供以外にバックパックやスニーカーの人はほぼ居ない。大多数が黒、灰、紺、茶、カーキ色のウールコートを着て、皮革製のショルダーバッグを持ち、革靴を履いている。軽くて温かく機能的なダウンジャケットを着ているのは僅かで、色はやはり黒や灰や紺や茶やカーキ色。他国による侵略や内戦があった為か、家の外では目立たず地味にする習慣が根強く残っている模様。

確かスウェーデンの不妊治療事業で、精子も卵子もドナーが金髪碧眼に偏りすぎてバラエティに乏しいのが課題、と報じられたことがあったけれども、この島も同様。移民等の異邦人は容姿が異なるし、留学生の大学生は服装が異なるので、直ぐに見分けられる。

その一方で、いくら日本から離れた北欧の島とは言え、私にとって夫の故郷は夫の故郷でしかなく、島の言語を話せなくても、街中を独りで歩いていても、外国に居るという意識は皆無。以前、イタリア人の義姉も似たようなことを言っていたような。地元人しか乗らないバスや乗り合いタクシーを利用して、地元人しか行かない店で食料品を買い、家族の家か地元人しか行かないバーで飲んでいるので、当然か。

以前仕事で行ったフランスの村では、何度通っても、片言のフランス語を話しても、地元人の行く店に顔を出しても、外国に居ると感じていたのになあ。

夕方に帰宅して、J姉が作ってくれたご馳走を食べ、赤ワインでいい加減酔っ払っていたところ、S兄が迎えにきた。娘達をベッドに寝かせてから、F姉の妹Bの家へ。

私の大好きなBの新居にはB、F姉、F姉やBの姉J、兄C夫妻も来ていて、四十路と五十路のどんちゃん騒ぎとなる。私は赤ワインを飲みすぎて吐き、スッキリしたらまた飲み、Bとお喋りしたり歌ったり一緒に踊ったり。

島の人々は欲しいものがある時に「お菓子ちょうだい」ではなく「お菓子貸して」、家族に頼み事をする時すら「〜して欲しいのだけれども」ではなく「大切な友達に接するように弟に助けを差し伸べてくれる気持ちはある???」と遠回しに言う文化がある。私自身は中欧の会社で英語を母語としない者同士で働いた経験が長いので、極めて率直な英語を話す癖が身に付いており、島の基準では遠慮を知らない無礼者となる。これはしばし、夫婦喧嘩の原因になる。
「何が言いたいの??? 要点を先に言って!!!」

外国生活が長かったBは、そんな私の英語の話し方をいつも笑って好いてくれる。同級生だったら、喧嘩しながら親友になったと思う。

そして夜は更ける。