龍のスピリチュアル・ライフ in 京都 -5ページ目

龍のスピリチュアル・ライフ in 京都

Spiritual Life of Ryu in Kyoto
時々 堂禅庵かも?!

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今日のお昼は、コストコで買ったもち麦うどんの明太子バター味。 トッピングは、レタス、のりフレーク、発芽大豆もコストコ。 コストコ以外の食材はおあげと豆苗だけ。 炊飯器を開けると、ごはん一膳分しかない。 しかたなく、備蓄で買ったもち麦うどんを嫁さん()が作ってくれました。 そういえば、3日ほど前に久しぶりに白米を炊いて食べたのですが、すぐおなかが減る。 なんでかなと思っていたんですが、昨日玄米を食べて答えがわかりました。 (うちは普段発芽玄米なんです) 白米はおなかに溜まらない。 玄米を食べた時とは全く違うのがわかりました。 思い出したのが、完全栄養食(やったかな?) 例えば、普通みかんは皮を剥いて食べますよね。 それを皮ごと食べる。 魚なら、まぐろやはまちではなく、ししゃもやめざしなど、頭からしっぽまで全部食べられるものにする。 全部を食べることで、栄養が偏らずに取れるということだったと記憶してます。 だから、白米でなく玄米になるのかと一人納得した次第です。 食も突き詰めていくと小食になり、最後は不食になるのだろうか。 不食になると楽だろうなとよく嫁さんと話してます。 まず、食べる時間が必要無い。 買物する時間、調理する時間、何を食べようかと考える時間などが無くなる。 トイレの回数も少なくなる (完全にトイレに行かないことはないようです) など、使える時間が増える、食に対して考える時間が無くなるなど、自分の使える時間が増えるようです。 実際に不食の弁護士の先生ほ話しで聴きました。 意外に食に関係して使う時間が多いことに気づいて驚きました。 本来は食べなくても生きることができるならば、私は食ずに生きていきたいと思います。 不食が達成できるように探究を進めていきます。 #コストコ #もち麦うどん #レタス #のりフレーク #発芽大豆 #おあげ #豆苗 #炊飯器 #備蓄 #白米 #玄米 #発芽玄米 #完全栄養食 #みかん #まぐろ #はまち #ししゃも #めざし #栄養 #小食 #不食 #買物 #調理 #料理 #考える #トイレ #食 #弁護士 #探究 #LoveSpiritualPeace

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昨日、仕事が終わってから嫁の縁さんと、探究者のトリン親子を連れて70Bというアンティーク家具の店に行ってきました。 目的はダイニングテーブル。 縁さんが自分たちの仕事をやりやすくするために、10人ぐらい座れるダイニングテーブルが欲しいと。 縁さんが料理を作りながら、探究者と話しをしたり、ゆっくり座って一緒に食事やお茶をしながら探究の話しをしたりするためにが主な目的。 しかし、10人掛けのテーブルって無いですね。 しかも、アンティークなので、常に一品もの。 時間を掛けて探していくしかないですね。 しかし、探究話しとなると時間がいくらあっても足りないぐらい話しがあります。 なんせ日常からのエッセンスなんで、一人ひとり色々持ってるんですよね。 同じ具現でも、人が変わればエッセンスが変わる。 おもしろいぐらい各々の視点の違いがありますね。 そんな時間を少しでも充実させるためのダイニングテーブル探しです。 いつ見つかるのか、【引き寄せの法則】を使ってみましょう(笑 #仕事 #探究 #探求 #アンティーク #家具 #アンティーク家具 #店 #ショップ #ダイニング #テーブル #ダイニングテーブル #料理 #話し #座って #食事 #お茶 #目的 #時間 #足りない #日常 #エッセンス #一人 #具現 #視点 #充実 #探す #引き寄せ #引き寄せの法則 #使う #LoveSpiritualPeace

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昨日、久しぶりに嵐山を車で通ることがあったのですが、さすがに人が増えてますね。 Go To トラベルの影響でしょうか。 コロナの件もあり、人が増えるのはどうがとも思いますが、 観光都市の京都としては、観光に人が来てもらわないと成り立たないというのもあります。 でも、コロナは本当のところ、どうなんでしょうね? コロナでの死亡率はインフルエンザに比べて低いけど、感染してから亜種に変わるのが早いとか言われてますよね。 そのコロナの陰で何かしら不穏な空気が流れているようにも思います。 様々な情報が飛び交っていて、ほんとのところの情報はどれなのか、振り回されないように気を付けないといけないですね。 特に生活するのにどうやってお金を稼ぐかとか、備蓄はどれぐらい必要かなど、最低限の衣食住は必要ですし、それにプラスして自分の身をどうやって守れるかというもの考えないといけません。 ワクチンの危険性が叫ばれていたり、ネット環境の変化による人体への影響であったりと時代の流れが早いので、取り残されないようにしながらも、今まで以上にいろんなことを考えなければならない時代に突入してます。 だからこそ、時代の本質を見抜くために、真実を見抜く目を養うために探究が必要と思っています。 探究は日常の流れの中からメッセージや合図が現れます。 そのメッセージや合図を受け取り、自分の探究に取り入れ、消化したものを身に付けたり体現したりしていきます。 なので、日常で真実を見せられることが多々あります。 強調が必要なメッセージであれば、何度も現れますし、間違っていれば是正が入ります。 本当は、おもしろいほどにメッセージが現れているのですが、日常に忙殺されて受け取り切れない私たちいるのが事実です。 探究を深め、より多くのメッセージを消化し、自分のものとして今の時代を生き抜く。 探究をしてこそ本来の生き方なのではないでしょうか。 探究を15年やり続けて想うことです。 あなたも本当の自分に出会いませんか? #京都 #嵐山 #車 #Go To トラベル #コロナ #観光 #インフルエンザ #情報 #振り回されない #生活 #備蓄 #衣食住 #身を守る #ワクチン #お金を稼ぐ #ネット環境 #時代の流れ #本質 #真実 #探究 #探求 #日常 #メッセージ #合図 #見抜く目 #養う #消化 #体現 #自分 #LoveSpiritualPeace

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10月の頭に、久しぶりに伏見稲荷に行ってきました。 探究者を連れてのお仕事ではあるのですが、久しぶりもあって、ちょっと観光気分(笑 参拝に来てはる人も意外に少なく、日曜日なのに境内の駐車場に停めることができました。 伏見稲荷近くのお店でまずは食事。 昼を過ぎてたので、店の中にはお客さんがおらず貸し切り状態。 いつものごとく探究話しに花が咲き、ちょっと長居したかも… 😅 目的の場所に行き、その流れでもう一か所、別の場所に行くことになったものの 数年前の記憶のため、辿り着くのにあっちに行ったり、こっちに行ったりとしてる間にすでに午後の3時半。 日が暮れる前には、なんとか辿り着けました。 今の探究に関わるところなので、行っておいてよかった。 神主さんからも大変面白い話しと、貴重なものを見せていただきました。 ありがとうございました。 帰りに、狛犬の足元のところにどんぐりが置いてある。 行きにはなかったはずのもの、撮った画像をチェックしてもやはりなかった。 我々が滞在している間に、人が通ったのはわずか数名。 しかも、両方の狛犬の足元に置かれてるのは奇跡としか言いようがない。 何故どんぐりでここまでになるかと言うと、 どんぐりは、ラブスピース(LoveSpiritualPeace)では高次元からの印なのです。 何の印かと言うと、この場所を訪れたことは「正解!」というものです。 なので、置いてあることが奇跡に思える出来事なんです。 そんなこともあり、久しぶりの伏見稲荷を堪能してきた一日でした。 #伏見稲荷 #伏見 #稲荷 #探究 #仕事 #観光気分 #観光 #参拝 #食事 #境内 #花が咲く #長居 #神主 #貴重なもの #貴重 #狛犬 #足元 #どんぐり #撮った画像 #画像 #滞在 #奇跡 #高次元 #印 #正解 #出来事 #堪能 #久しぶり #スピリチュアル #LoveSpiritualPeace

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昨日、寝ようと布団に入ったとたん、

【赦し(許し)は与える】

といきなり頭の中に浮かんだ。


よく考えてみると、なるほどと思える。

例えば、赦す(許す)対象となるのは、自分に対して何かしら害を及ぼした人になるので、両親や親族などの血縁関係者か友人・知人に対してが比率としては多いと考えられる。
見知らぬ人相手が対象となる場合もあるとは思うけど、考えるにおいてややこしいので今回は除外。

赦す(許す)必要があるということは、ケンカをしているとか、嫌ってるとか感情的に受け入れておらず、その人、もしくはその人の考え方などを排他している状態。
そんな風に思っている人に、わざわざ何かを与えようとは思わないのが人ではないかと思う。
私ならば、そんな人にできれば接触をしたくないし、しようとも思わない。

そこから考えると、与えるという行為は、まず相手と接触を自分からすることになるので、赦し(許し)てない人への態度と反対のことをしなければならなくなる。
与えることをするということは、排他的にならず、相手を受け入れないを止めることになる。

つまり、相手への赦し(許し)が始まらなければ【与える】ということはできない行為になる。

となると、

【赦し(許し)=与える】

になるってことか?


赦し(許し)は、愛を他者へ【与える】行為なのか・・・。
今、気づきました。

ただ、間違ってはいけないのが、赦す(許す)こと、与えることの動機が純粋でないといけないと思う。

例えば

夫婦ケンカを前日にしていたとしましょう。
次の日の朝、嫁さんがお弁当を作ってくれました。
嫁さんがお弁当を作ってくれた動機はどこにあるのか?

家計を気にして、仕方なく作った。
むかついているのをわからせるために、お弁当箱にご飯だけを詰めた。
自分のを作るついでに作った。
など

お弁当を作る理由もいろいろでしょうけど、動機ひとつで愛にも毒にも変わるのではないかと思う。

だから相手を赦す(許す)ときは、きちんと愛をもって誠実に赦す(許す)でないといけないのだなと新たな気づきをもらいました。

内なる根源に感謝です。