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Elvis with Cadillac
その生い立ちは前にも書いたが、南部の貧しい家に生まれ、1950年代のアメリカン・ポップス界に彗星の如く現れるや、その強烈なロックのリズムと甘いマスクで瞬く間に時代の寵児となった男だ。
そんな彼がロックンロールと共に生涯愛し続けたモノをお教えしよう。
アメリカン・ドリームの象徴的存在「キャデラック」だ。
既存の大衆音楽をぶち壊し、独自のサウンドと演奏スタイルで全く新しい時代のアメリカン・カルチャーとポップ・カルチャーの先導役となった彼は、かつての白昼夢を現実のモノにした。
当時、アメリカン・ドリームを実現した成功者だけが持つコトを許された“大きく輝く"車、キャデラックを手に入れたんだ。
その彼が愛したという事実もまたアメリカ人のキャデラック神話をより崇高なモノにしているのかもしれない。
1955年、レコード会社との契約金を頭金に中古の1954年型のピンクとホワイトのキャデラックを購入したのがその始まりだ。
次に1954年型フリートウッド・リムジン。
57年に後半生を過ごすコトとなるグレースランドへ移った後、このリムジンはなんとアヒルや七面鳥を運ぶために使われたコトもあったというドワイルドな逸話もある。
また、この時一挙に14台のキャデラックを購入し、最後の1台をたまたま通りかかった黒人の老女にプレゼントしたという話も残っている。
しかし、彼が最も贈りたかった相手は最愛の母グラディスだった。事実、ピンクのキャデラックを贈ったのはとても有名な話だ。
エルビス自身が最も愛したのは1955年型キャデラックだ。
数え切れないほどのキャデラックを所有し、友人に譲り渡したり、オークションに出したりもしたが、そのピンクの1955年型フリートウッドだけは彼の最高のお気に入りで、生涯、誰にも売り渡さなかった1台と言われている。
“King of Rock'n Roll"と呼ばれた彼は、生涯で少なくとも100台以上は購入したといわれるドワイルドな“King of Cadillac buyers"でもあったんだ。
dowild.s
YES -HEART OF THE SUNRISE-
shigeの携帯電話が着信時にいつも流れるミュージック。
ドワイルドに過激で攻撃的なエレキギターのリフがいつも鳴る。
もう8年くらいshigeはこの着信音を愛用していて他には変えないんだ。
プログレッシブ・バンド”YES”の「HEART OF THE SUNRISE(燃える朝やけ)」である。
1972年発売ののアルバムFRAGILE(こわれもの)に収録されている、実にアバンギャルドで凄まじいテンションのこの曲。
ビンセント・ギャロの映画「バッファロー’66」の挿入歌としてもお馴染みじゃないかな?
’70年代のプログレ界を先導しつづけた、EL&P、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと並ぶ大御所”イエス”。
1968年にクリス・スクワイアーとジョン・アンダーソンがマーキーのオーナー、ジャック・バリーを通じて出会ったことに始まる。
当時、クリス・スクワイアーは、ピーター・バンクスらとメイベル・グリアーズ・トイ・ショップという名前のバンドを演っていたが、それにジョンが加わり、その後ビル・ブラッフォードとトニー・ケイを加えてイエスが誕生した。
当時のサウンドはフォーク色が強く、大仰に演奏される普通の曲という印象であったが、ギターがスティーブ・ハウに交代した3作目の「The Yes Album」では、クラシック、ブルース、カントリーまでを取り込んだYesサウンドの構築性とその後の大曲指向に至るアンサンブルの基礎が完成されている。
そして、続く4作目がこのアルバム「FRAGILE」である。
それぞれのメンバーが高度な音楽知識と卓越したプレイヤビリティをもつがゆえに、グループとしてのまとまりを欠いていた感のあったイエスが、その凄まじい潜在能力を開花させ、ひとつの作品へと帰結させたこの作品。
主に、技巧派ギタリストのスティーブ・ハウのギターテクを中心とした曲作りではあるものの、個々のパートのバランス的な潜在能力が一気にスパークし、このアルバムでついに花開く事になり、YES最大の大ヒットとなった。
現代のポップスミュージックと比べると少しばかり!?マニアックで奥が深いが、クラッシック音楽のように集中して聴いていくと風景が浮かび上がり、どこまでも広がっていく。
こういう楽曲もイイよね♪
さて、8年くらい着信音として愛用しているshigeの携帯電話は、その間に何モデルも機種変更されている。
機種が変わるたびにどんどんリアルなサウンドになっていくんだ。
素晴らしき文明の発達!
dowild.m
Farao Coat
映画「アメリカン・グラフィティー」で“ファラオ団"の連中が着てたコートを称して“ファラオ・コート"と呼ぶようになった。
不良の匂いプンプンなクールなコートを紹介しよう。
スタイルはスタジャンなんだけど、裾のリブが無く腰が隠れる長さの着丈が特徴的だ。
正式には“Car Club JACKET"って言うのがそのルーツらしい。
「BRENT」というブランドの、おそらく1960年代製。
コットン100%のマテリアルに中綿が入り、かなり厚手な仕上がりになっている。
しかも裏地は総ボア、ショールカラーの衿はダブルに折り返えせて、とても温かいコートなんだ。
よく見掛けるファラオコートはフロントがボタンフライなんだが、コイツは“TALON製"のジッパーフライを持つ。
胸のヨーク、そしてポケットにアクセントのウールリブがとてもキュートだ。
振り返れば高校生の時、ジーンズ素材のファラオコート着てイキがってたコトもあったよなぁ…と、思い出す(笑)
なんだかんだコイツも20年近く愛用しているコートなんだけど、そのディテールは“青臭く"なく“大人の不良"の顔を持ったスペシャルな一着なんだ。
dowild.s
Howard Hughes
古くは、20世紀映画史上最高傑作のひとつと言われる「市民ケーン」、最近ではレオナルド・ディカプリオ演じた「アビエイター」のモデルとなったこの若き億万長者は、その巨万の富を意の赴くがままに様々な自己の夢の実現に費やしたドワイルドな男だった。
1909年の夏、石油試掘者だったハワード・ロバート・ヒューズは、画期的なドリル・ビットを発明し、特許を取得した。
これは当時のアメリカの石油産業に革命を起こすほどのものだった。
この父親の下、1905年のクリスマス・イブにヒューストンで生まれたのが「ハワード・ヒューズ」だ。
幼い頃はシャイで内向的な、ごく平凡な子供だったという。
17歳のとき、母親が急死。2年を経ず、父親が心臓発作で亡くなった。
だが、この不幸が内気なヒューズを一瞬にして世界で最も裕福な若者にし、強固な決断力と洞察力を発揮する人間へと変えた。
19歳になった彼は、地元の名家の娘と結婚、翌年カリフォルニアへ移住し、夢の実現への第一歩を乗り出した。
映画制作をし、喜劇映画が大ヒット。その年のアカデミー監督賞を受賞したんだ。
26歳にして、ハリウッド有数の人気セレブになり、当時の美人女優と浮き名を流すようになった。ジーン・ハーロー、アイダ・ルピーノ、エバ・ガードナー、キャサリン・ヘップバーン……と。
映画が彼の夢だったとしたら、航空機開発は彼の執念だったろう。
自らパイロットとして、それまでリンドバーグが持っていた大西洋横断記録を破ったのも彼だった。
莫大な資金を注ぎこみ、新たな飛行機を開発、制作する。
スプルース・グース(木のがちょう)と呼ばれる世界最大の飛行艇や軍事偵察用のXF-11など、どれもが独創的なモノばかりだった。
美女と映画と飛行機を愛した伝説のPLAYBOY。
彼の本質は、映画であれ、航空機であれ、「自分が手掛ければ、既成のモノより素晴らしいモノを生み出してみせる」という絶対の自信と情熱で、果敢に挑戦したコトだ。
夢を抱けば、なんでも出来る。夢がなければ、生きる価値がない。
ハワード・ヒューズのそのドワイルドな人生は、そう問いかけているように思える。
dowild.s
RAY-BAN OLYMPIAN
Ray-Ban WAYFARER
1953年の発売以来、変わることない不滅の人気を誇るサングラス。
これを置いて“レイバン"は語れない(笑)
ボシュロム社“レイ・スティグマン"の手により、クラシカルでシンプルなデザインに仕上げられたサングラス“ウェイファーラー"を紹介しよう。
masayaも以前その歴史には触れていたが、もう少しだけ踏み込んでお話しよう。
1923年、アメリカ陸軍航空隊の“ジョン・マクレディ中尉"が北米大陸無着陸飛行に成功。
その体験をもとに、パイロットの眼を保護するサングラスをボシュロム社に依頼、米軍のパイロット用ゴーグルとして開発されたのが始まりだ。
6年の研究開発の末、世界で最も優れたサングラスレンズ“レイバン・グリーンレンズ"が完成。
“アビエイター・モデル"として米空軍に正式採用される。
そして1937年、光線(Ray)を遮断する(Ban)という意味の「Ray-ban」ブランドの誕生となった。
この時すでに俺もmasayaも愛用してるティアドロップ型の代表モデル“シューター"や“アウトドアーズマン"が発売されていたんだよな。
1952年、対象物が自然の色調に見える有名な“G-15"レンズの完成。
その翌年、G-15レンズを搭載した“ウェイファーラー"の発売となった。
発売当時、新しく魅力的なファッション・アイテムを欲していた若者たちの間で、爆発的な人気を得たんだ。
その勢いはハリウッドスターやミュージシャンたちも虜にした。
代表的なトコでは「ブルース・ブラザーズ」のジョン・ベルーシにダン・エイクロイドそしてジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、近年だとケビン・コスナーにトム・クルーズ、ドン・ジョンソンと……挙げればキリがないほどだ。
今日紹介したのはフレームNo.B&L5022、やっぱりの1950年代製(笑)
ホント、どの角度からみてもカッコいいサングラスだ。
なんといってもフレームの傾斜角がかなりドワイルドで魅力的だ。
これほどまでに愛される秘密は、クオリティの高さや一切のムダを省いた優れたデザインのせいだけではなく“ウェイファーラー"こそが自由と個性のシンボルだからほかならない。
dowild.s
Lee WORK JACKET
今でこそジーンズメーカーとして有名な「Lee」だが、その背景には労働者向け衣料、つまり“ワークウェア"を製造していたというノウハウがあったからこそジーンズの製造においてもその技術を応用出来たんだ。
ワークウェアがカジュアルウェアとして浸透したのはリーによるところが大きい。
スタイリッシュ、そしてマニアックなジャケットの一つに挙げられるワークウェア「LOT91-B」を紹介しよう。
白地にブルーの刺繍のタグがコイツの目印だ。
“91"の品番が、ワークウェアを示すNoで“91-J"だとカバーオール、“91-B"のコイツはショート丈のジャケットを意味する。ちなみに“91-LJ"となるとライナー付きとなる。
91という数字にどんな意味があるのかは実の所、不明なんだそうだ。
知ってるドワイルドな諸君がいたら教えてもらいたいモノだ。
タグの表記にある“JELT DENIM"とはライトオンスでありながら、ヘビーオンスのタフさを兼ね備えた“サンフォライズド加工"を施した生地、開発されたのは1928年と言われる。
R、MR表記のない“UNION MADE"の1960年代製。
要所には三針ミシンを使用して強度を上げている。
金属リベットは一切使用せず、スレッドリベット(マチによる補強)がテンションのかかる箇所に施してある。
フロント及び胸ポケットのジッパーは信頼の“TALON"製。
特にアパレル業界においても人気の高いコイツは様々なブランドからサンプリングされたモノが数多くリリースされている。
リーが開拓したワークウェアの歴史とは、まさにカウボーイに愛され育てられてきたトコがかなり大きい。
それらのデニムには、彼らの誇りと汗が染み込んでいる。
H.D.リーから、かつて“流浪の民"でありアメリカを拓いたドワイルドな者たちへのオマージュが織り込まれているんだ。
dowild.s
Snowboard
●一年前の「桜の花道」
2007-02-21 23:06:58
去年はどうだったろう?
って、dowildブログの前に「パソコンを覚えるべく!」半年間ほど続けていた自分のブログを見返してみた。
思えば去年はコンディション良かったな~・・・
なんてね。
2006-03-03 12:45
タイトル「桜の花道」
今日はアルツ磐梯でーす。
アルツは高速ゴンドラが有名だけど、朝一から猫魔ボールに登ってみた。
心配だったコンディションは・・・
最高~!
湿気の少ない雪質で滑りやすく、新雪もグー(^^)v
おまけに太陽さま登場!
まわりの木々に積もった雪が輝いて、まるで満開の桜のようで綺麗だ☆
自分の事ながら、羨ましい!
今年はどうだろう?
●出発!
2007-02-22 05:38:08
眠い、寒いと目を擦りながらも、今から出発。
外は真っ暗、先は長いぞ~!
ガラスが曇って・・・。
●トンネルを抜けると
2007-02-22 07:57:10
10kmに渡る関越トンネルを抜けても、例年のような雪は見当たらず2月の新潟らしからぬ風景が続く。
雲ひとつない晴天は清々しく早朝のドライブは気分がいい。
さて、期待はしていないがゲレンデのコンディションはいかがなものだろう?
●かぐらスキー場
2007-02-22 13:22:17
晴天のかぐらスキー場にて。
最高の眺めで気持ちいいよ~!
コンディションは思ったより悪くなく、楽しく滑る事ができる。
かぐら・みつまた・田代からなる広大なゲレンデはどこもガラ空き、ゲレンデ独り占め!
ランチは「かぐら定食」
美味しかったけど、1800円(高っ!)
●帰宅
2007-02-22 19:38:57
早めに切り上げて、まっすぐ帰ってきた。
風呂に入ってビール片手にコレをまとめている。
今日のかぐらスキー場はコンディションも良く楽しめたよ。
新雪はないにしろ湿気の少ない粉雪で、圧雪されたゲレンデはカービングを鋭く決めるスタイルがgood!
そんな感じだからフリースタイル(ソフトブーツ)から見て、スキーやアルペン・ボードが少し羨ましかった。
久しぶりにスキーをやりたいなって思ってしまったんだ。
きのう積雪情報を調べてみたら、暖冬の影響で豪雪地域の新潟(湯沢・石打・苗場)のスキー場はどこも150cm以下。
その中でかぐらスキー場だけが250cmと飛びぬけた積雪量であったから、久しぶりに行ってみることにしたんだ。
コースも広く、バラエティに富んで楽しく滑ることができ、大満足!
(景色も最高、雲ひとつない快晴も気持ちよかった!)
次回はスキーで挑戦してみようと思う。
dowild.m
明日
急に予定が変わり、明日”北方面”に行くことになった。
そう雪山である。
今年はホント暖かい冬である意味困ったものである。
雪も少なく、コンディションは・・・。
そうは言っても、毎年楽しみにしている雪山に行かないことには始まらない!
どこに行くのかまだ決めかねているんだけど、とりあえず北方面に向かうことになったんだ。
ここの所どこにも旅行に行ってなかったしね~、日帰りでも何だかワクワクする。
今日も明日も全国的に晴れて暖かいそうだ。
(期待外れ!?)
さてさて、どうなる事やら・・・。
明日の1日は、このブログに携帯から随時投稿していくつもりなので、お暇な方はどうぞヨロシク!
新スタッドレスタイヤとETCもようやくの出番だ。
準備は万端!明朝は早起き。
では、また明日。
p.s. 今日、金魚の水槽に水草を入れてみた。
やっぱり本物は良いね!水槽内が華やかになった!
食いしん坊のウチの金魚達が食い尽くさなければいいが・・・
dowild.m





































