☆御嶽海☆優勝☆長野上松・文通の思い出 | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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☆御嶽海☆優勝☆長野上松・文通の思い出
関脇・御嶽海(出羽海部屋・29才)が、
大相撲初場所(両国国技館2022年1月9~23日)
で優勝!!!
関脇以下での3度目の優勝は、
照ノ富士以来2人目の快挙でした!!
 
 
☆大関昇進
大関昇進への目安となる、
直近3場所での33勝以上になりましたので、
大関昇進はほぼ確定と思われます。
大関に昇進すれば、
長野県出身では江戸時代の1795年の、
『雷電』以来、
227年ぶりとなります。
東洋大出身では、

初めてとなります。。。
→大関昇進確定!!!
 
 
☆長野県上松町の思い出
御嶽海は、
長野県木曽郡上松町(あげまつまち)の出身ですが、
私は上松町に思い出があります。
50年以上も前の、
高校生のときのことです・・・。
 
上松町に住む女子高生と、
文通をしていました。
昔は雑誌などに文通の募集欄とかがあって、
住所・氏名などがあからさまに載っていましたが、
そこからではなく、
私の生地の亀戸の幼馴染の女の子・康子さんから、
紹介されたものでした。
実は私はその女の子が好きで、
何度か彼女の部屋を訪れていましたが、
矛先を変えられたのでしょうか、
文通相手を紹介されてしまいました・・・。
結局、
彼女は未だに独身で、
一生そうなんだと思います・・・。
今さらどうにもなるものでもありませんし、
私には縁がなかったということなのでしょうね。。。
 
 
☆趣味
文通相手は、
律子さんといって、
山あいの町の、
清楚なお嬢さんという感じでした。
星や天文が好きということで、
私も天文のことを勉強し、
天文部にまで入るほどでした。
絵なども好きで、
描いて送ってくれました。
見ての通りとてもスジがよく、
才能がある人だと感心していました。
当時、私も多少絵を描いていましたが、
ぜんぜん比べ物にならないことを実感していました。
今でも敵わないレベルだと思います。
(※絵がすぐ出せる所にあると思って書きましたが、見つかりませんでした。見つかったら載せます。。。)
 
手紙ですので、
何日とか、何週間とか、
間が空くこともありましたが、
かくして手紙のやり取りは、
回数を重ねていき、
月日が流れていきました。。。
 
 
☆『夜明け前』藤村
島崎藤村の『夜明け前』には、
「木曽路はすべて山の中である・・・」
と書かれていて、
中山道の別名でもある木曽路は、
多くが山の中になります。
中山道は江戸時代、
約30もの諸大名の参勤交代などで、
多くの人が行き交っていました。
幕末には皇女和宮の降嫁行列も通っています。
特に木曽周辺には、
奈良井宿・妻籠宿・馬籠宿など、
古い宿場町が残っています。
上松宿もその一つです・・・。


上松には、
浦島太郎がここで目覚めたという伝説の残る、
『寝覚の床』という所があります。
花崗岩の岩盤が激流によって侵食されてできたもので、
国の史跡名勝天然記念物に指定されています。


 
松尾芭蕉も訪れていて、
「ひる顔に ひる寝せふもの 床の山」
と読んだそうで、
句碑が建てられています。
 
 
☆藤村記念館
島崎藤村の生家は馬籠宿の本陣で、
その本陣跡に
『藤村記念館』があります。
律子さんが学校で行ったのか、
お土産を買って送ってくれました。



血につながる ふるさと
心につながる ふるさと
言葉につながる ふるさと

と、
和紙に藤村の詩が書かれたもので、
自筆の書を印刷したものだと思います。


これは晩年、馬籠での講演会の時の言葉で、
『藤村記念館』の冠木門の扁額に、
書かれているようです。
せっかくもらったのに飾ることもなく、
ずっと中学の卒業アルバムの中に挟んでありました。
自分では、
アルバムに挟んで大事にしてたつもりなのでしょうけど。
 
『藤村記念館』といえば、
小諸の小諸城跡『懐古園』の中にもあり、
何度か行ったことがあります。
藤村は6年余小諸で過ごして、
『千曲川のスケッチ』などを書いています。
『千曲川旅情の歌』では、

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なす はこべ は萌えず
若草も藉くによしなし・・・

と、残しています・・・。
私の最も好きな詩の一つです。
 
藤村には縁があるのでしょうか、
『懐古園』は何度か行っています。
後述で因縁の平出君ともスキーに行った帰りかに、
寄ったことがありました。
家内と軽井沢に行ったときも寄りました。
偶然だったのか、
『千曲川旅情の歌』の、

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛・・・

のように、
草笛を吹いている人を、
見たこともありました。
のちに佐藤春夫も、
『佐久の草笛』という詩集を出しています。
風に乗って聞こえてきたかのように、
木陰の中から聞こえ、
僧のような雰囲気の人が吹いているのを見つけました。
古城の中でもの悲しい高い音色を響かせ、
奏でていたのが印象的でした。。。
 
 
☆御嶽山登山計画
高2の夏休みに、
中学の同級生の平出健二君と、
御嶽山の登山計画を立てました。
律子さんとは会う約束になり、
家族のかたが宿なども手配してくれました。
行き先を御嶽山にしたのは、
たぶん律子さんに会いたいからだったと思います。
手紙だけではなく、
いよいよ実際に会えるものと、
楽しみにしていました・・・。
ところが、
ある事情が生じ、
直前になって行けなくなってしまいました。
平出君にも、向こうのご家族にも、
多大な迷惑をかけてしまいました。。。
 
 
☆別れ・・・
そこから気まずくなり、
間が空くようになり、
自然消滅的だったのか、
受験を理由に遠ざかることになりました・・・。
 
私はなぜか気が多い性分でした。
誰でもいいというわけではないのですが、
ちょっといいとすぐに好きになってしまいました。
年が行って、
今はだいぶ好みが変わり、狭まってきましたが、
未だにそうなのかもしれません。
相手からすれば失礼なのかもしれませんが、
もちろんあちこち手を出すことはありませんし、
自慢ではありませんが、
結婚以来浮気はしていません。
浮気できるほど甲斐性もありませんが・・・。
お誘いは何度かありましたが、
誘いに乗ったことはありませんでした。
 
で、
当時も、
中学のときから忘れられない人がいましたし、
康子さんも忘れられていませんでした・・・。
心の底でそういう人達を思いながら、
つき合っていたわけです・・・。
そういう気持ちでいたら、
もしかしたらそれだけで、
いずれ決別するときがきても、
おかしくはなかったのかもしれませんね。。。
 
 
 
☆御嶽山スキー・寄り道
時は矢のように過ぎて、
十数年経って、
因縁の御嶽山にスキーに行くことになりました。
それも因縁の平出君とでした。
私はあちこちスキーに行っていましたが、
平出君とは数回目でした。
シーズンが終わりかけ、
5月の連休にどこか行こうということになり、
積雪が減って限られた所しかありませんでした。
その中に御嶽スキー場があったのでした。
妙高も遅いシーズンでも滑れるほうで、
そちらには連休前に行って来ました。
 
スキーの帰りに、
平出君にちょっと寄ってもいいか尋ねたら、
いいということで上松に寄ってみることにしました。
今ならストリートビューで見れますが、
当時は写真を探すしかありませんでした。
近くまで行ったついでに、
どんな所だったか見てみたくなったのでした。
というより行く前からそう思って、
地図などを調べておいたのでした。
律子さんの家はお店をやっていましたので、
比較的簡単に見つけることができました。
2階の窓から山々が見えると、
いつか書いてありましたが、
目の前は線路で、
あまり山々も見えなかったように思いました。
思い切って呼び鈴を押しました。
中に入るとお母さんが出てきました。
自分が誰かを伝え、
昔のことを陳謝しました・・・。
 
お店の看板や、中の造りはそのままでしたが、
もうお店はやっていないということでした。
私の母の姉が千曲市屋代に住んでいて、
夫が柄木田製粉という会社で管理職をやっていましたが、
律子さんの家のお店でも取り引きがあったと、
聞いたことがありました。
そういう縁は感じていたのですが・・・。
 
その後律子さんは保母さんになり、
名古屋のほうで結婚し、
子供もいるとのことでした・・・。
幸せになっているようでした。
こんな自分なんかと一緒にならなくて、
良かったのかもしれないと思いました。
そういう運命だったのだと・・・。
 
高校のとき一緒に行くはずだった平出君と、
十数年も経って、
二人で行くことになるとは・・・。
ズレているというか、
ズレ過ぎている・・・!
 
さらについでに、
奈良井宿も寄って帰りました。。。


 
 
 
☆2014年御嶽山噴火
それからだいぶ経って、
悲しいことが起きてしまいました。
2014年9月27日11:52頃、
御嶽山が噴火し、
63人もの犠牲者を出すという、
衝撃的で悲しい災害が発生してしまいました。
戦後最悪の火山災害でした・・・。
大きな噴石が、
火口列から約1kmの範囲に降り注いだとのこと。
火砕流も南西方向に約2.5km、
北西方向に約1.5kmまで流れたそうです。
降灰は下呂市や笛吹市、
甲府市などにも降ったようです。
御嶽スキー場は、中腹みたいな所にあり、
山頂の剣ヶ峰までは6km位、
上松からも17km位の直線距離があります。
噴火による大きな被害はなかったようです。
思い出のあるスキー場からは少し離れていましたが、
それにしてもいきなりの噴火で、
恐ろしい災害だったと思います。。。
 
 
 
 
 
 
 


☆懐かしい思い出
実りはしませんでしたが、
青春の数ページを埋めた、
懐かしさいっぱいの思い出が、
信州にはありました・・・。
とりわけ木曽の上松には、
青いリンゴのように甘酸っぱい、
未熟な恋の思い出がありました。
今、
考えてみると、
私にはもったいない人でした。。。
 
 
 
 
 
 
 
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