☆幼馴染みの中山隆仁氏とようやくのご対面!! | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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 ↑  ↑  ↑ ※右の写りの悪い方が私です。。。

  

  
☆幼馴染みの中山隆仁氏とようやくのご対面!!
先日、
何十年ぶりかで、
幼馴染みで同級生の、
中山隆仁氏とようやくご対面できました。
何十年ぶりどころか、
半世紀近くなるのではないかと思います。
メール等でやり取りを始めたのも、
十年近く前になり、
やっとご対面できた次第です・・・。
十年一昔というように、
あっという間に過ぎてしまいましたが、
長過ぎるといえば長過ぎました。。。
 
 
☆要は出不精・・・
日々はあっという間に過ぎ、
年月もあっという間・・・。
常々行こう行こうと思っていたのに、
あれやこれやと行きそこねていました。
体調がよくなかったり、
精神的に乗らなかったり、
風が強かったり、
日射しが強かったり、
雨が続いたり、
暑かったり寒かったり、
いろいろな障害があります。
大したことでもないようなことでも、
私には障害になります・・・。
睡眠不足で、
やる気スイッチが入らないことも多いです。
先日などは、
ようやく別の知り合いの所に行こうと思い、
いろいろ準備して、
いざ出ようとしたら雨が降ってきて、
そのうち止むだろうと思っていたら、
夜まで降っていました・・・。
天気予報では難しい局地的なものでしたが、
準備までしていてもそういうことがあるものです・・・。
そうこうしているうちに、
一週間、一月と、
あっという間に過ぎてしまいます。
要は出不精なのですが。。。
 
 
☆幼馴染み
以前、記事にも書きましたが、
中山隆仁氏とは、
小学校に上がる前に知り合いました。
まだ松江五中はできていませんでしたが、
西一之江小と松江五中の間の所に、
どちらも引っ越して来て、
向かい合わせの家でした。
お互いの窓から相手の窓の中が見えました。
 
中山隆仁氏は、
常に新しいものを取り入れたり、
流行の先端にいました。
小さいときからマンガが得意で、
ミッキーマウスなどの描き方を、
私に教えてくれました。
ポパイなんかも描いていたのかな・・・。
遊ぶときはほとんどいっしょでした。
同じ同級生の吹沢茂氏とも、
よく遊んでいました・・・。
 
中山隆仁氏の中学が私立になって、
ほとんど会うことがなくなりました。
それでも中1のときは、
小松川警察署の道場に、
柔道を習いに行くということで、
いっしょに自転車で通いましたが、
1年行ったかどうかで、
行かなくなりました・・・。
あとは、
出会い頭に会うとか、
社会人になってからは、
洗車していて出会う程度になっていました・・・。
目の前に住んでいても、
なかなか会うことはなくなりました。
そのうち、
住む場所もお互い変わって、
まったく会う機会がなくなりました。。。
 
そうして数十年が、
あっという間に過ぎ、
中山隆仁氏が江戸川区区会議員選挙に出、
ホームページを開設したのを見つけ、
メールでやり取りが始まりました・・・。
また、
そこからも長い年月が、
あっという間に過ぎ、
本格的に会いに行こうと決心したと思えば、
今度はコロナ禍で1年半以上足止めを食らって、
ようやく先日、再会できたというわけです。。。
 
 
☆帰路変更・・・
その日は、
中山隆仁氏の所に寄る予定は、
まったくありませんでした。
亀戸の親戚の所に、
ようやく新型コロナの感染が、
下火になってきましたので、
次の波が来る合間にと出かけた帰りのことでした。
列車とかの人混みを、
少しでも避けるため、
久々に自転車を整備して、
チャリで出かけていました。
秋の日はつるべ落としで、
めっきり日暮れが早くなっていますので、
できるだけ明るいうちに帰ろうと思っていました。
思ったより用事が早く済み、
小松川の橋の上辺りで、
まだ陽があり、
ふと中山隆仁氏のことが頭に浮かびました。
いるかどうかわからないけど、
思い切って行ってみようか、
こういうときでもないと、
またいつ出かけられなくなるかもしれないと思い、
方向を少し右に切ることにしました。
真っ直ぐ京葉道路を進まず、
昔、小松川警察署の道場に通ったように、
今井のバス通りの方に入って行きました・・・。
京葉道路の方はたまに通っていましたが、
今井のバス通りの方は伯母が亡くなったとき以来で、
5年位経っていました・・・。
ストリートビューなどではたまに見ていて、
行ったような気持ちにはなっていましたが、
西一之江や一之江の辺りは、
本当に久しぶりでした・・・。
最近は、自転車に乗るのも久しぶりで、
以前は小松川橋の坂も何とかこいで上がったものでしたが、
今回は、筋肉痛にならないように、
階段で上りました・・・。
 
 
☆今井のバス通り
今井のバス通りは、
変わっているようで、変わっていない所も、
けっこうあります・・・。
新しい造りにはなっているものの、
昔からの商店があったり、
廃業し昔そのままで残っている店もあります。
懐かしさでいっぱいのバス通りです・・・。
吉野さんのうちのクリーニング店や、
並びの『松江ストア』の文字の残った建物、
同級生のうちの『芦田書店』、
廃業してしまったお好み焼きの『紅屋』、
しばらく感慨深く見ていました・・・。
芦田書店は、
たぶんお父さんがやっていたと思うのですが、
誰が店番をしているのかと覗いてみました。
白髪混じりで少しボサボサ頭の人が、
向こうを向いて座っていました。
声をかけてみようかとも思いましたが、
長居はできないので、やめました・・・。
中山隆仁氏に話すと、
芦田恵司君のお兄さんがやっているのではとのこと・・・。
 
 
☆世紀の対面!!
いよいよ、
世紀のご対面!!!
インターホンを押すと、
奥さんの応答・・・。
「ちょっとお待ち下さい・・・」
と言って切れた。
しばらく待って、
奥さんが出て来るのかと思ったら、
本人がひょっこり出て来た・・・。
 
何年も前から、
会ったときの感激って、
どうなのかと想像していた。
男同士だからハグまではないだろうとか、
固く握手し合うとか思い描いていた・・・。
ところが、
本人が出て来た瞬間、
コロナのことが頭に浮かんで、
近づくどころか距離を取らなければと、
無意識に間隔をつくっていました。
何十年ぶりかにもかかわらず、
ちょっと冷めた感のご対面になりました。
ハグや握手はともかく、
少し大声で感情を表すことさえできませんでした・・・。
 
いないかもしれないと思っていましたが、
たまたま早く帰って来て、
ゆっくりしていたよう・・・。
会えてよかった。。。
 
 
☆ツーショット
突然の訪問でしたし、
明るいうちに帰るつもりでしたので、
長居しないよう、
ほどほどのところで帰りました。
その帰ろうと思ったとき、
ふっと写真を撮ることを思いつきました。
中山隆仁氏はよく自撮りして、
Facebookに載せていましたので、
それを思い出し、
帰り間際に、
ツーショットで撮りました・・・。
 
中山隆仁氏はさすが、撮り慣れていて、
実物と写真はあまり変わりがありませんでした。
それに比べ、私は元が悪いのに、
写りはもっと悪くなってしまいました。。。
あとで思ったのですが、
下からのアングルでアゴが強調され、
よけい悪く写っていましたので、
いくつかのアングルで撮っておけばよかったと思いました。
これまで写真を投稿するときは、
少なくともできるだけいい写りのを、
選んでいましたが、
今回は1枚だけでしたので、
選びようもありませんでした。
 
私はヒゲを剃ったときにクリームを塗る程度ですので、
肌の荒れも目立ち、
もう少し手入れしたほうがいいのかなとも思いました。
さらに、
ここ2ヶ月位で体重が5kg位減って、
頬がコケたり、ほうれい線等のミゾが深まって、
老いた感じが強まっていました・・・。
実態がよくないのですからしようがないのですが、
少しでも写りがいいほうがいいですね。。。
 
また、
彼の身長は、やはり想像してたように、
170cmちょっとではないかと思いました。
私は何でも中位で、身長も平均でしたが、
彼は少し高いほうだと思っていました。
高いほうではありましたが、
それほどは高くないと思っていました。
Facebookなどに載せている写真から推測しても、
そう思っていました・・・。
でも、私達の年齢からすれば、
高いほうで、羨ましいほうですね。。。
 
 
☆丸山昇君・・・
まず、
今井のバス通りを通って来て、
懐かしいかったとか、
変わった所もあり、
昔ながらの所もあり、
というようなことを話しました・・・。
吉野由美子さんの話になり、
丸山昇君とのことは意外だったとのこと。
本当に意外でした・・・。
その丸山君と、
中山隆仁氏が進学等の勉強を、
いっしょにしていたと聞いたことがあり、
そう話してみると、
私の思い違いで、
いっしょに勉強はしていないとのことでした。
他の人のことと混同したり、
勘違いしていたようです・・・。
同じ日大でも、
丸山君のほうは芸術学部のほうでしたし、
中学も松江五中でした・・・。
丸山君は私と同じクラスにもなって、
当時流行っていたグループ・サウンズのように、
バンドを組んで、教室で演奏してたことを話ました。
 
 
☆吉野由美子さん・・・
吉野由美子さんが1歳上だったとのことを、
教えてくれましたが、
たぶん初めて聞きました・・・。
小学校に上がる前にお兄さんとふざけてか、
箸か何かを目に刺してしまい、
それで1年、入学がずれてしまったとのこと。
片目があまり開いていなかったのですが、
それが弘田三枝子さんのデビュー頃のようで、
愛らしく見えていたのですが・・・。
私も子供の頃、病気やケガとかではなく、
片目があまり開いていなかったので、
まさかそういうことがあったとは、
思いもしませんでした。
棺桶に片足突っ込んだようなこの歳になって、
いろいろ初めて知ることも多いものです・・・。
しかし、
もしかしたら、
子供の頃は聞いたことがあったような気もします。
少なくとも、目の原因は、担任の先生か、
本人に聞いたことがあったのかもしれません。
遠ざかるにつれ、
だんだん忘れ去ってしまったのかもしれません。
 
 
☆坂上博文君・熊田洋子さん・・・
中山隆仁氏は、
「坂上君がまだ同じ所に住んでいるよう」
とも言っていました・・・。
以前、メール等のやり取りでも、
聞いていましたので、
そのときは、
そういえばそうらしいね、
という程度でしたが、
あとになって、
是非行ってみたいと思うようになりました。
もしかしたらいっしょに遊んでいた、
熊田洋子さんのことを、
聞くことができるかもとも思います。
 
私はいくつかの『謎』を持っています。
そのうちの一つが熊田洋子さんのことです、
小学校低学年のときには熊田洋子さんはいましたが、
いつの間にか私の記憶からいなくなっていました。
いつ頃、どうしたのか、どこへ行ったのか?
そもそも熊田洋子さんっていたよね、
というのが謎の一つとしてあります。
「熊田製作所」という工場があって、
その中にあった家に住んでいて、
時々遊びに行きました・・・。
坂上博文君や山口とく江さんは並びの家で、
いっしょに遊んでいました。
「熊田製作所」は、
いつの間にか「野口株式会社」になっていました。
昔の航空写真等からすると、
「野口株式会社」になったのは、
かなり早い時期だったようですが・・・。
尋ねたことのある、
山口とく江さんは連絡をくれないので、
坂上博文君は、熊田洋子さんのことを聞ける、
最後の鍵になるかもしれません。
いや、
もう何年も前からそう思っていて、
昔の同級生の家を回るつもりでいましたが、
ずっと「つもり」のままになっていました・・・。
 
 
☆『遠い日』・・・
日光のお土産屋の前で、
いっしょに撮った写真が懐かしいとのことでしたが、
自分は持っていないので、
今度見せてほしいと言ったら、
昔の物などすべて処分してしまい、
アルバムとかもほとんど処分してしまったとのこと。
記憶には残っているが、
現物のない写真がいっぱいあるとのこと・・・。
『終活』で、残してもしようがないと、
貴重な写真まで処分してしまう人も多いようです。
個人的には残してもしようがないのかもしれませんが、
中には社会的な価値のある映像もあるはずで、
もったいない感じもします・・・。
自分が持っていなく、
自分の写っている写真があったら、
撮影させてもらおうと思いましたが、
残念ながら、
期待に沿うことは難しいようです。。。
 
 
平日なら事務室を開いていて、
接客ができるようになっているようですが、
当日は、
休日で事務室も閉めていて、
コロナのこともありましたし、
何より突然でしたので、
しばしの立ち話になってしまいました・・・。
美人の奥さんを見られなかったのは、
残念。。。
 
幼馴染みや同級生は、
実際に同じ時間、
同じ事柄を経験しているのは、
間違いないのですが、
子供の頃、
一緒に遊んでいたことが、
すべて夢の中の出来事で、
本当にあったのかと思うぐらい、
『遠い日』になってしまった。。。。。。。