★油壺マリンパーク閉館★岬めぐり・思い出 | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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★油壺マリンパーク閉館★岬めぐり・思い出

2021年9月30日で、
神奈川県の、
京急油壺マリンパークが、
老朽化と経営不振で閉館しました・・・。
一度しか行っていませんが、
私にとっても思い出の場所でした。
そういう場所が無くなることは、
さみしいものですね。
そういうことが多くなり、
「毎度、毎度」、
さみしいものですね。。。
 
 
☆三浦半島・岬めぐり
家内と結婚する前に、
房総半島一周とか、
あちこち行きましたが、
三浦半島も一周したことがありました。
車で行くことが多く、
あまり高い車は買えませんでしたが、
当時はトヨタ・マークⅡとチェイサーの姉妹車の、
クレスタに乗っていました。
父は早いうちから自営業で、
何台か乗り継いでいましたが、
それ以外に初めて買ったのが、
ニッサン・サニー・クーペでした。
サニーとかトヨタ・カローラやコロナは大衆車でしたが、
3ドア・ハッチバックのクーペ・タイプは、
あまりなかったと思います。
買うつもりはなかったのですが、
友達が買ったばかりで乗らなくなったので、
格安で譲り受けたものでした。
色はメタリック・ブルーで、
あまり好みではありませんでしたが、
スタイルはスポーティーで、
もう少しノーズが長ければカッコ良かったのですが・・・。
そのクーペを何年か乗って、
次に買ったのがクレスタでした。
サニー・クーペもあちこち行きましたが、
クレスタも家内と京都まで行ったりで、
思い出深いです。。。
 

   

三浦半島めぐりは、
どういうコースだったか、
よく思い出せなくなってしまいました。
横浜の山下公園に寄ってから行ったのか、
定かではなくなってしまいました。
高校からの友人の斎藤君とは、
電車や車であちこち行っていました。
前年頃に斎藤君と車で、
三浦半島の先端の、
剱埼(つるぎざき)灯台と、
城ヶ島に行ったことがありました・・・。
 
 
☆剱埼灯台
それがリハーサルのようになったわけです。
結婚する前の家内と行ったのも、
たぶん、
ほぼ剱埼灯台まで直行だったように思います。
剱埼灯台は、数え切れないほど、
かなりTVドラマのロケ地になっています。
ドラマを見ていて、
何か見覚えあるなと思うことが、
何度かありました・・・。
 

   
車を駐車場に止めて、
細い道をしばらく歩くと、
少し開けて畑などがあります。
その少し下った向こうに、
白い灯台が見えます。
その先のゆるやかな丘と空との間にあって、
何ともいえない空間になっています。
当時は駐車場代を払った記憶がありませんが、
今は取られるようです・・・。
 
 
☆城ヶ島・『城ヶ島の雨』
剱埼灯台から6・7kmで城ヶ島に着きます。
最近は知っている人もいなくなっているかもしれませんが、
作詞:北原白秋、作曲:梁田貞の、
『城ヶ島の雨』という歌を思い出します・・・。
白秋の詩に初めて曲がつけられたものだったそうです。
そんなに古いとは思っていませんでしたが、
1913年の大正初期の歌になります。
 

雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の雨がふる
雨は眞珠か 夜明の霧か
それともわたしの忍び泣き♪

 
テノール歌手の奥田良三が歌って、
全国的なヒットになったそうです。
叙情的な詩と曲に誘われて、
たくさんの観光客が訪れるようになったそうです。
 
しかし、
白秋の詩の多くに曲をつけた、
山田耕筰も、
1923年・大正12年に、
この詩に曲をつけていて、
梁田貞の曲と混同されやすくなっているようです。
馴染みのあるのは梁田貞作のほうで、
私的にもそちらが好きです。
山田耕筰の曲はすばらしいものばかりですが・・・。
梁田貞作のほうの、
「雨はふるふる・・・♪」
のところのフレーズが印象的だと思います。
 
 
☆城ヶ島・要塞
城ヶ島はロマンチックなイメージが強いですが、
歴史的にはそうでもなかったようです。
古くは、
源頼朝がたくさんの桜の木を植え、
舟の上で宴を催したと言われ、
ここまででは優雅な感じもあります。
ところが、
1516年、三浦氏の三浦水軍の本拠地となり、
北条早雲に攻められ城ヶ島に立て篭もって抵抗したり、
1562年、里見水軍が城ヶ島に上陸し、
北条氏康の軍と交戦したりと、
血生臭さくなっています・・・。
さらに、
江戸時代末期の1808年には、
外国船に対抗するために砲台がつくられ、
いわゆるお台場(要塞)になっていたそうです。
第二次大戦の終戦まで要塞化されていたようです。
風情とかより、
物々しい軍事基地になっていました。。。
 
 
☆城ヶ島の記憶
城ヶ島は島ですので、
1960年に城ヶ島大橋ができるまでは、
渡し船でしか渡れませんでした。
城ヶ島大橋は有料でしたが、
2020年ようやく無料開放されたそうです。
私が行ったときは有料だったのですが、
はっきり思い出せません。
言われてみればそうだったと思うのですが、
その光景が浮かんできません。
そういう料金所はたくさんありますから、
いちいち覚えていないのだと思います。
長い橋を渡ったのは忘れられないのですが・・・。
城ヶ島大橋はけっこう高架で、
橋の上からは、
城ヶ島の全体や海原まで見えたのかもしれません。
左側は見た記憶があるのですが、
右側は思い出せません。
その長い橋を渡って下りていくと、
島の中ほどでT字路になっていて、
島の西側と東側に行く道があったと、
記憶していましたが、
地図や当時の航空写真を見てみると、
全然違っていました・・・。
T字路というよりY字路で、
二股になっていました。
右へ行くと、
左カーブで流され、結局左方向の島の東側に向います。
左へ行くと、
ループ状になっていて、
結局右方向の島の西側に向ってました・・・。
 
島の両端には灯台があり、
『恋する灯台』と呼ばれているそうです。
島の西端には城ヶ島灯台があり、
島の東端には安房埼灯台があります。
城ヶ島灯台は、
1678年、
安房埼の烽火台(のろし台)を、
移設したことからはじまります。
1870年、
諸外国の求めに応じた灯台がつくられましたが、
関東大震災で倒壊し、
1925年再建されています。
標高約30mの崖上に建つ、高さ11.5mのもの。
 

    
安房埼灯台は、
1648年、烽火台として設置されました。
1962年、東端の標高13mの岩場に灯台設置。
2020年、老朽化により、高波で電線が切れたりして、
少し西寄りの城ケ島公園内に移転新築され、
稼働されています。
デザインも変わって、
灯台としては珍しく色付けされて、
三浦大根を表しているとのことです・・・。
安房埼というのは、
南房総である安房国が見えることが、
由来だそうです。
こちらも高さ11.5mだったとのこと。
 

   
私は友達の斎藤君と行き、
あまり間を置かず家内と行っていますが、
その割には記憶に残っていませんでした。
もっとよく覚えていると思っていましたが、
かなり忘れているし、
位置関係なども間違って覚えていました。
西の海岸を見て、
最後に東端の灯台を見ていると思っていましたが、
西端の城ヶ島灯台の記憶が出て来ません。
城ヶ島灯台の形は一般的ですので、
記憶に残りづらかったのかもしれません。
 
『馬ノ背洞門』というのが、
島の中央南岸にあります。
小山のような岩地が、
侵食で穴が空いてアーチ状になっています。
1923年の関東大震災で隆起するまでは、
小舟で通り抜けできたそうです。
その馬ノ背洞門は見た覚えがあるのですが、
城ヶ島西端だと思っていました。
ところが、
今回調べ直してみたら中央南岸でした・・・。
2回とも車で行っていますが、
どこに止めてたかもわからなくなっていました。
 

 ↑『馬ノ背洞門』  京急のCMでも映ってますね♪↑

   
安房埼灯台は、間違いなく覚えていました。
当時はまさに東端の岩場の所にありました。
車で城ケ島公園の外れの所まで行き、
小さい広場に車を止め、
道はつくられていましたが、
岩場を歩きました。
堤防のような所もあったように思います。
安房埼灯台は、灯台のようなイメージではなく、
トーチというような感じで、
11.5mといいますが、
そんなに高くはないように記憶していました。
実際、一般的な灯台の形とは違っていました・・・。
そういうこともあり、
思い出深い灯台でしたが、
昨年、老朽化等で、
移転・新築になってしまいました。。。
 
当時は、
城ヶ島大橋は有料で、
2020年に無料になりましたが、
逆に、
2009年から駐車場が有料化になっているそうです。
きちんとした駐車場があったか覚えていませんが、
橋で取られるか、
駐車場でとられるかということですね。。。
 
 
☆京急油壺マリンパーク
城ヶ島から油壺マリンパークまではすぐで、
直線で3km、道なりでも5km位しかありません。
今回の記事のメインになるのですが、
ここでも記憶の壁が立ちはだかって、
わずかな記憶しか出て来ません・・・。
 
たぶん中に入る前に、
すぐ脇の海岸に行ったような気がします。
油壺マリンパークは斎藤君とは行っていませんので、
家内と二人だけの思い出ですが、
だいぶ記憶が薄れてしまいました。
それだけ年月が経ち、
年を取ったということですね・・・。
 

     
私が行った1985年の時点では、
水族館本館と、
屋内大海洋劇場「ファンタジアム」しかなく、
他の施設はなかったようです。
入り口も、
駐車場の所の玄関はなく、
本館脇の外階段を上がった所にありました。
階段を上がって入って行ったのを、
思い出しました・・・。
水族館の中に入ってすぐの辺りか、
その辺りの光景が目に浮かぶのですが、
その他の所の記憶がないのです・・・。
左カーブの曲面で、
明るく広い通路のような所が思い出されます。
そこから奥に行って、
奥からまたそこへ戻ったような記憶があります。
これは、
水族館本館の外階段から中に入り、
円形の空間を、
左カーブの曲面で行ったのだと思います。
そこから奥に行ったというのも、
屋内大海洋劇場「ファンタジアム」のほうへ、
行ったのだと思います。
そう考えると、
まんざら忘れてもいなかったことになります。
当時、あるいは当日、
ショーとかをやっていたのかわかりませんが、
ショーも見た記憶がありません。
油壺のあとは、海岸沿いを走って、
どこも寄らないつもりでいましたが、
急に鎌倉に行きたいと家内が言い出しました。
それが、
マリンパークに入る前だったかは忘れてしまいましたが、
入る前だったとすると時間的に無理があって、
マリンパークを簡単に済ませた可能性があります。
 
油壺マリンパークの私の思い出は、
そんな程度でしたが、
ほどなく印象を強くするできごとがありました。
行ったのが1985年の初夏だったか、
それも思い出せなくなりましたが、
私達は10月13日に結婚し、
その12月に、
秋篠宮文仁親王が、
皇太子夫妻(平成天皇)と、
油壺マリンパークに行っていて、
そこで紀子さんを両親に紹介したとのこと。
その後結婚前の1989年、
二人で訪れたとき、
『ロイヤルデート』と、
マスコミ各社が大々的に報道。
そのニュースをテレビで見た記憶があり、
感慨深いものになりましたが、
秋篠宮夫妻にとって、
私以上に思い出深い所だったようですね。。。
 
 
☆鎌倉・夜の鶴岡八幡宮
油壺を出ると夕方に近かったと思います。
急ぐように三浦半島の西側の海岸を、
走り抜けて行きました。
途中、葉山には、
伯母の別荘があり、
中学生の頃、何度か行きましたが、
その後外人等に貸してしまい、
行くことはありませんでした。
親戚も多いようです。
その別荘の所を抜け、
『葉山の御用邸』の所を抜けて、
いざ鎌倉・・・。
 
鎌倉に着いたときはもう暗くなっていました。
由比ヶ浜から若宮大路に入り、
鶴岡八幡宮の参道を、
どこに車を止めようかと探しながら、
八幡宮の先まで行ってしまいました。
が、
カーブを曲がったそこに蕎麦屋があり、
ちょうど駐車場もありましたので、
まずは蕎麦屋で食事し、
車をそこに止めたまま、
鶴岡八幡宮に行くことにしました。
 

   
八幡宮の左奥の場所になります。
『舞殿』まで500m位でした。
正面からは入らず、
八幡宮の左側面から入って行きました。
たぶん『流鏑馬馬場』の道だったと思います。
脇からは、2・3ヶ所、入れる所があるようですが、
林を抜けたりするので、
夜ですので広い道にしました。
夜、鎌倉に来るのも、
鶴岡八幡宮に来るのも初めてでした。
八幡宮自体、小学校の遠足以来、
1度位しか行っていませんでした。
さすが夜でも人はけっこういました。
参道を少し行くと、
『舞殿』がありました。
ライトアップというほどではありませんでしたが、
ライトは少し点いていて、
夜の『舞殿』も印象的でした・・・。
蕎麦屋の駐車場とはいえ、
長くは止めて置けませんので、
その辺までにしました・・・。
これで鎌倉に来たことになるのか。
これで彼女が満足してくれたのだろうか、
そう思いながらでしたが、
しかたなく帰路につくことにしました。。。
 
 
☆締めの『すかいらーく』
私達は、
特に結婚前の付き合っているときは、
よくファミレスの『すかいらーく』に行っていました。
当時はまだカタカナの、
『スカイラーク』だったかもしれません。
南行徳の、現在、
『メガネスーパー』になっている所です。
最近まで、
『すかいらーく』の系列店だったと思っていましたが、
いつの間にか『メガネスーパー』になっていました。
そういう時間感覚もおかしくなってきたようです。
いっときは毎日のように行っていましたし、
行けば何時間も入り浸っていましたので、
そういう所が無くなってしまったのは残念です・・・。
しかも家内と付き合う前に、
付き合っていた2人の人も、
偶然、そこを使っていました。
当時、近場にそういった店舗が少なかったせいか、
南行徳の『スカイラーク』はよく行っていました。
店員さんとも顔見知りになるくらい、
何かというとそこに寄り、
食事とお茶をしていました・・・。
 
で、
三浦半島を回った日も、
夜更けのコーヒーを飲みながら、
べちゃくっていました・・・。
コーヒーと言ってもアメリカンで、
ミルクをたっぷり入れて、
ミルクコーヒーみたいになっていましたが。
何を話していたか覚えていませんが、
よく何時間も話していたと思います。
電話も、よく数時間話していました。。。
その日も、
チーズケーキなんかを食べながら、
遅くまで話していたのではないかと思います。
懐かしい思い出、
今は遠くなってしまった、
キラキラしていた過去の日々。。。