小学生のひろゆきブーム。
ホント勘弁して欲しい。
「それはあなたの感想(意見バージョンもある)ですよね?」
「はい、論破!」
何かを言う度に、語彙力の無い子が言い返すこのやり方に
毎回、毎回、帰宅すると号泣する長男。
我が長男、小2とは思えない語彙力で話すので、相手の子が言い返せない!となったときに必ずこのひろゆき節が発動され、
長男は自分の気持ちが伝わらない、意図しない返し方をされて心が折れる。
ひろゆき節を発動されても
言い返せばいいのだが、心が折れて何も言えなくなり、モヤモヤしたまま帰宅し、泣く。
毎度の流れにいい加減長男も学習せい!とさすがになり、長男と本気出して対策を考えた。
あなたの意見ですよね!と言われたら、
「そうです。僕の意見です。異論がありますか」
で済まないのか。
「異議があるならエビデンスに乗っ取りあなたの意見を述べてください」
これで終了すると思うのだがどうか。
長男的には、
「エビデンスなんて相手は意味を理解しない」という。
「じゃあ、科学的根拠と事象を述べよ」は。
それならいいそう。
「根拠なんてねーよ!」ときたら
それは論外。
論破ですらない。
もう一つ、言われるのが
めちゃくちゃ昭和感溢れるのだが
「はぁ?それいつ言った? 何時何分何秒? 地球が何回まわったとき」
これが来る。
「1日まで厳密計算を求めるならするが、
地球が誕生したとされる45.5億年前は1日は約5時間、六億年前は22時間と変化しているので概算で
365日×4600000000年=1679000000000回転だ」
としか答えようが無い。
これで文句があるならお手上げ。
で、今日、別件で
騒いでるグループに勘違いされて
人生初、廊下に五人まとめて担任に出され
、怒鳴り散らされたことがショックだったらしい長男。
ここも「廊下に出された」という衝撃で泣く。
しかしながら
冷静に考えてみろ。と。
廊下と教室の壁の厚さを考えたら
数㎝も無くて、その数㎝、外に出されるが傷つくらしい。(具体的過ぎるが)
なぜ、のび太をはじめ、考えの古い先生は廊下に出したがるのか。
現状、廊下に立たせるのは体罰に該当する可能性あり。
なので、そこに抵触する可能性を踏んでも尚、毎回、担任がそうしたいわけだから
「廊下に立たせる意味」を担任に聞いてみるしか無いよね。という話になった。
意味もわからず廊下に出され
子どもたちはそこから何か得たわけではないそうなので。
・担任はなぜ廊下を選んだのか
・廊下に立たせて何を学ばせたいのか
・廊下に立つことで問題解決になるのか
・ その後はどういう流れにしたいのか
ここは当人(担任)ではないと憶測の域を出ない。
まず、明日、長男が直接、担任に聞いてみよう。となった。
毎回毎回、意味もわからず廊下に出されるより担任の意図がわかった方が双方メリットしかない。
今回は、廊下に立たされた長男の主観だが
・廊下は声が響きやすく怒鳴り声が増して迫力が出る
・担任は暑がりなので1度、廊下で頭を冷やしたいのかもしれない
・担任は狭いところが好きなので、廊下が安心するのかもしれない
・差別化してみんなに見世物にしたい
・パブロフの犬のごとく、廊下=怒られる場所という刷り込みをしたいのかもしれない
と言う。
担任が教室より廊下でブチ切れることに、
なんらか魅力を感じての行動なら先に理由を述べて欲しいところ。
声が響きやすい。に関して言えば
廊下に出る意味はあまりない。
威圧をかけて解決するか。というのもある。
根本理解を得られないなら
ただ怒鳴る人、怒鳴られた人で終わり、なにも学ばない。
怒られている子を1度、隔離したいのであれば
壁の厚さを考えたら意味なし。
両サイドにドア、上下に窓があるので。
当然、見に来る子もいる。
怒られている子、そうじゃない子を分けて、担任一人でやりくりしなきゃならんのはわかるが
一方を見ていたら、一方は見えないわけで
教室側の子どもは廊下で怒鳴り散らしている声をひたすら聞いているのも苦痛。
片手間にブチ切れてなにか伝わるのか。と言うのは正直ある。
なんでも体罰だ!と糾弾する気はないが、
約1年、廊下で特定児を怒鳴り続けてきているのは事実で、なんら改善されていない時点でやり方を変える。これは必要だと思う。
一番大事なのは、長男が「平常心」で対処出来ること。
なぜ、論破!と言われなければならないのか。
なぜ、廊下で見世物のように怒鳴られ、そこから何を得るのか。
ここを「泣く」ではなく、そこに何の意味があるかを考えていかないと相手に振り回されて疲れてしまう。
これ、すごい。倒れないブックスタンド。
構造がおもしろい。