孫は所有物ではない | 結婚生活のリアル。子育て世代取扱説明書

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1女2男の3人育児に奮闘中!
我が家はステップファミリー。見栄なんかいらない。
育児、ママ友、親戚付き合い、夫婦のこと等、子育て世代が避けては通れぬ問題にリアリティー溢れる痛快な切り口で言及。
試行錯誤しながら、前向きに生きていきたい!

孫は自分の所有物くらいに
勘違いしている老人がいる。


歴(れっき)とした他人が産んだ
子どもであるという、
認識の境界線が
あまりにも薄すぎる

私の孫だから!という主張以前に、
その子どもの親がまず主体であることが
前提にないと
すべてが食い違う。


子どもが好きな人には、
血縁者の子どもは格好の遊び道具
なのかもしれないが。


「~を買ってやる」
「〇〇に連れて行ってやる」

という感覚自体が
自分本位ではないか。


孫が未成年のうちは
まず、その親に承諾を得るのが筋だ

その手順を踏まずに
当然とばかりの発言をするから
角が立つのではないか。


孫と関わることで
昔を懐かしむのも、
色々手出しをしてやりたいのも
勝手だが、

まずは、
手順を踏みなさい。

私はそう思う。


息子の子どもだから
嫁の意見はどうでもいい。

逆も然り。
娘の子どもだから
婿意見はどうでもいい。

(調べたら嫁の対義語は婿。らしい)

その発想自体が
脳がいかれている。

誰かが、産まなければ
関わりたい「孫」は
存在しないのだから。

そして、
当然ながら、一般的に
祖父母は両親のように
子どもの親権者ではない

教育基本法の冒頭、

第10条 父母その他の保護者は,子の教育について第一義的責任を有するものであって,生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに,自立心を育成し,心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

とあるように、
第一義的責任は親にある。
(教育基本法以外も。)

それを差し置いて
祖父母の権力を振りかざすから
軋轢を生むのだ。

産前産後のガルガル期は
実在する。

ないとしたら、
よほど環境が心身共に適しているか
本人が神のような人だと思う。

私は第一子は、
自分以外に子どもを触らせることすら許せない状態だった。

二子、三子を産んで
妥協点は変わったが、
動物の本能的な反応はものすごくあった。

今思い返せば、
過剰反応と認識できるものが
渦中はそうではない。

それが子どもを産むと言うことだ。

どうしても
自分本位に孫という存在を
扱いたいのなら
養子でも別にとり
育てるべきだ。

老齢になっても尚、
養子が成人するまで責任を負える
体力と環境を備えられているならば。