義母とマザコン夫が犯した代償 | 非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

過干渉・非常識・お姫様勘違い義母と、マザコン夫に追い詰めらた妻のブログ。絶縁したのは私だけ。
育児、ママ友、親戚付き合い等、子育て世代が避けては通れぬ問題にも言及。
伏線だらけの内容。回収するもしないもあなた次第。

完母だったので、私が入院の付き添いに
なった。

個室を取ると家族は一緒にいられる
病院だった。


なるべく長女とも一緒にいたかったので、

夫は長女を小学校に送り出してから
出勤し、

私の父が放課後、娘を迎えに行き
病院に送り届け

仕事帰りの夫が娘と帰宅する
生活を送ることになった。


小さな体をグルグル巻きにされ
レントゲンを撮られたり、

細い血管に点滴を打たれ
ぐったりする息子。


40℃近くの熱は
抱っこしていてかわいそうでならなかった。


義母も、夫も
よくこの現実を見て欲しい。

お前らが根拠もなく連れ回すことを
厭わなかった赤ちゃんが

どれほど弱く、
辛い思いをしているか。


この子は

切迫で安静の時も、移動を強要され、

新生児でもショッピングモールとファミレスに行かされそうになり

三ヶ月検診を受けてもいない状態で
2泊3日の義母の還暦祝いに参加させられそうになったのだ。

誰も守ってくれないどころか、
義母のやりたい放題で
危険な目にしかあってない。

頼りになるはずの夫は
自分の息子の体調を案じるより
義母の命令を遂行する。


産前産後の恨みが、怒りが
日増しに強くなる。


ふとした瞬間、思い出し、
苛立ちと、どこにぶつけていいのか
わからない悲しみが


義母の汚らしい笑顔と、
義母のことになると豹変し
無表情になり暴言を吐く夫が重なる。

数年経った今でも
当時のことは鮮明に覚えていて、

思い出すと今でも腸が煮えくりかえるほど

私のなかで

ヤツらの発した言葉や行動は
忘れられない記憶となって
刻み込まれてしまった。



何か義母のアクションが起こるたび

私の拒絶反応はどんどん強くなっていった。