母に愛されていた・・・がやっと腑に落ちた日。 | 日々是好日

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幸せは『在る』

1か月前の8月16日。

わたしにとって忘れられない日となりました。

 

わたしには3人の母がいます。

生みの母、育ての母、結婚してからの義母。

育ての母のもとには、小学校にあがる時にいき、

それから結婚するまで、ずっと一緒に暮らしてました。

 

血のつながった母との記憶がほとんどなく、

実母以上に、ありのままの私で喧嘩したり、甘えたりと

いろいろな記憶がいっぱい残っている母です。

そこの家の母の実子で17歳年の離れた姉と、

なんの差別なく接してくれて、

姉にはむしろすごく気を使っていて、

私とのほうが実の親子のように綺麗ごとだけじゃない、

ぶつかりあいやいろんな話も一杯したように思います。

 

そんな育ての母に高校生の時だったかなぁ・・・。

「わたしはあなたの事を信用しているから」

と言われたことがあります。

 

その時、とっても嬉しかったし、

そんな風に言ってくれる母を裏切るような事はしないでおこう。

そう思ったことを鮮明に覚えています。

 

結婚後も数年は行き来していたのですが、

いろいろな事情で育ての母と連絡をとりづらい状況になっていき、

ここ数年はまったく連絡をとってなかったし、

生きているのかさえもわからなくなっていました。

 

育ての母は大正8年生まれ。

今年数えで99歳。

 

母に万が一があっても、わたしには連絡すらないだろう。

そんな覚悟もしてました・・・。

 

 

でもでも、今年1月から

ジェニマスに通い始めたのを機に、

勇気を出して、母の消息を探してみようと思い立ち、

行動にうつしたら、生きているという事がわかりました。

 

5月の母の日翌日に、母との対面をはたしました。

この時は、夫と息子も一緒でした。

 

認知症が進んでいて、最初、私の事もわからないし、

いろいろな事がわからなくなっていたけど、

 

段々、私の事を思い出してくれました。

すぐ忘れちゃうのかもしれないけど。

 

 

 

それからの8月16日。

父のお墓参りに行ってから、母のもとを訪れました。

この時は、私一人っきりで。

 

会うなりに、

「まぁ、べっぴんさんになってー!」

から始まり、

「小さいころ、本当に可愛らしかった」

「○○ちゃん(私の事)と暮らして、本当に楽しかった」

等々。

 

何だろうなぁ・・・。

人が喜ぶようなことを心から言ってくれてるかんじ。

認知症になったことで、母本来の姿が如実に現れ、

本当に嫌味がなくて、人に好かれる母そのものが

さらにパワーアップしてるかんじ。


でね、
母に会って絶対にしようと思ってたことを実行にうつしてみた。

言うのが恥ずかしいとか、
嫌って言われたらどうしようとか、

 

そんなことも思いつつ、

 

 

それでも、わたし、かなりひどい奴で、

認知症だし、すぐ忘れるだろうし・・・、

って思ったりもして、自分を奮い立たせたり。

 

「お母さん、ハグしてー」

って、言ってみたと。

 

この日は、体調がイマイチで、ベッドに寝たり起きたりで、

ちょうど座ってる時に、母の横に私も座って言ってみたと。

 

「いいよー」

って言ってくれてね、

母に体重かけないように抱き着いたら、

 

「○○ちゃんがそんなこと言ってくれて、嬉しい・・・」

って、涙声になって気持ちを伝えてくれた・・・。

 

あとね、勢いで頑張って、

「わたしのこと、愛してた?」

って聞いたら、

 

ジーッと私の目をみて、

「愛しとった」

って言ってくれた。:゚(。ノω\。)゚・。

 

母の言葉には、これっぽっちも偽りがないのが伝わったし、

改めて言葉で聞けて、私の体中からあたたかくなる。

小さい私が嬉しくて反応してる。

そんな感じを味わった。

 

そんなピュアで天使により近づいた、

大好きな大好きな美しい母の手。

 

この日、何回か

「そろそろ帰ろうかなぁ」

と私が言うと、

「まだええやん。もう少しおりぃよ。」

(母は京都出身。わたし、うまく書けないけどこんな口調)

 

このやりとりを3回位繰り返して、

後ろ髪ひかれつつ、母のいる場所を後にしました。

 

 

 

母が生きててくれて、本当に良かった。

 

 

母がおばあちゃん位、高齢だったことを恥ずかしく思っていたこと。

そんな自分を責めていたこと。

 

育ての母に育てられた自分の境遇を恥ずかしく思っていたこと。

自分の生い立ちに劣等感をいっぱい持ってること。

 

そんな私は可哀想な人。と自分で思っていたこと。

 

母に抱きしめてもらって、

いろいろ本音で話して、本音を聞けて、

そんなこと、前よりはどうでもよくなった。

まだ気にする自分もいるけども・・・。

 

わたしは、母にこんなに愛されてたんだって

やっとやっと腑に落ちた。

 

いっぱい、いっぱい、ありがとう。