川に投げキッス【自分と仲良くなる術を確立する】 | 日々是好日

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幸せは『在る』

こちらのブログ、去年の5月、子どもが発達障がいの診断を受け、

暗闇に彷徨いこみ、きつかった頃にたまたま目にしたブログ記事。

http://www.evernote.com/l/AOdeKX6bKmRIjr4As44PNIaAnu-G2C_L3GA/

 

 

「発達障害」につく「しょう害」という言葉のダメージも大きく、

 

 

「ない」ことばかりに目が向き、よその子と比べ、

未来への不安にかられていた頃に

「発達障がい」だからこその「ある」を書いてあって、

悲観的になっていた私に、光が差した記事でした。

 

 

【自分と仲良くなる術を確立する】

とブログの途中に書いてあるけど、これって心屋にも通じるし、

人生を楽しく生きて行くうえで、誰にでも共通するのでは?

と、改めて読んで、新鮮に感じてます。

 

 

ふとこの記事を書いたきっかけは・・・。

この前、娘と川におにぎりもって

遊びに行った時の事がすごく心に残ったから。

 

彼女は公園に行きたいと言い出し、

お弁当だけ食べて、川から公園に移動することになったんだけど、

 

その時にね、

川にそっと両手でふれて、

「川さん、ばいばーい」

って言って、川にむかって投げキッスしたの目

 

なんかねー、その姿をみて、

なんて純粋で美しいんだろうって思った。

 

以前の私なら、

そんなことして・・・。

恥ずかしいからやめてくれないかなぁ、

やっぱり変わってる・・・。

 

とか思ってた。

うん、私、かなり偏った見方してたよね。

偏見の塊だし、ほんとひどいやつ。

 

これって、しかも心屋を学んだから気付いちゃったけど、

私が私の事をそう思ってるってことだよね?

 

私は偏見の塊です

私はひどいやつです

私は私の事を恥ずかしい人

私は私の事を変わっている人

 

だけど、そうだとダメって思っちゃって、

必死にバツして隠して隠して、

そういう私も自分の一部なのに、私が認めてあげてなかったってこと。

 

娘のおかげで、わたしが小さいころにもらっちゃった偏見の根っこに気付いたり、

娘の目を通してみる、私一人じゃ気付かないような

日常のふとしたところに転がっている幸せにも気付かせてもらってる。

 

娘にとっては、ヒトも自然もモノも同じかんじで、

ヒトに接するように、たまたま川にも愛いっぱいに接しただけ。

ただそれだけなんだと思う。

 

なんか書いてて、娘のピュアさに涙が出てくるよー。

これは、以前に流していた悲観的な涙じゃないのは確か。

 

 

どんな自分も認めて、

ありのままの自分でいられるように、

自分と仲良くすることを心がけなきゃね。

すぐ今までの癖で、人の目を気にしがちで、

自分ファーストを忘れちゃうから。

 

娘を通して、沢山の「ある」に気付かせてもらってる。

心から、ありがとう。