本当は一つ | 松ちゃんのアイデアのブログ 

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いろんな洞察や気付き、発想や考え方などを紹介しています。考え方の載ったカタログ的なものになればと思い、多くの考え方などを紹介していければと思います。それを生きるかどうかは自分で決めてみてください。

こんにちは。


今日のテーマは本当は一つです。



私達は生きていく中で、選択すると言う事をしていると思います。



どちらかを選び、どちらかに決める。



その事は素晴らしい事だと思いますが、



実はその過程で本来一つのものを二つに分けてしまっている。



本当は一つのものを片方だけを生きようとしている。


自分が選ばなかったものの事を忘れている。


自分の選んだものだけに意識が向きすぎて、


本来一つのものであった事を忘れてしまっている。



そんな状況が生まれているのではないかと思うのです。



例えば豊かさと言う事一つをとってみても



一般的には多くの人が豊かである事を望んだり、豊かな人生を自分で求めたり欲していると思います。



でも、そうする事で、結果的に、貧しさを避けたり、貧しさを忌み嫌ったり、貧しさを遠ざけようとする状況が生まれてくると思います。



本当は豊かさと貧しさと言うのは、本来一つのものであり、分ける事は出来ないものではないかと思うのです。


あくまでも暮らしなどの二つの対極の状態にある状態のものを、豊かさ、貧しさ、と呼んでいるだけであり、


本来、二つの明確な境目はないのではないかと思うのです。


豊かさだけを体験したい。


豊かさだけを維持したい。


豊かさだけに属したい。


豊かさだけを所持したい。


そんな思いがあると、豊かさと貧しさは本来一つのものである事を忘れてしまうのではないかと思うのです。


二つはセットであり、同じものの別の呼び方であり、


どちらも程度の違いや



同じルールや基準の上に成り立っている一時的な状態であるだけで、



同じ種類のものだと思うのです。



それに、貧しさは誰と比べると貧しくなり、誰と比べると豊かになり、比べる人によって同じ状態であっても、評価は変えることが出来るものだと思うのです。



つまり、どんなに豊かでも、それ以上の豊かな人や状態と比べれば、貧しくなったり、


どんなに貧しいと思っていたとしても、それよりも貧しい人と比べれば、実は豊かになると思うのです。


何と比べるかで立場が変わってしまうと言う事です。


それに、今ある豊かさ貧しさよりももっと豊かさや貧しさは作れるし、



豊かさや貧しさと言うものに、限界などなく、今後、無限に作ることも出来ると思います。



例え実際に豊かになり、人生で豊かさだけを体験したいと思ったとしても、


他人の貧しさからは目を背ける事は出来ないと思いますし、


心の何処かでは、再び来る貧しさに怯えて生きているのかも知れません。



では、どうしたら良いのでしょうか。



こんな風に思います。


二つのものは本当は一つのものなのだと言う意識で、相対する対極にあるものを、一つのものであると言う視点で捉えて、


どちらも受け入れる時に、


その二つは争う事なく、自分の中に収めることが出来るのではないか。


豊かさとは貧しさであり、貧しさは豊かさでもあり、


豊かさの利点と欠点、貧しさの利点と欠点、


そのどちらも素晴らしく、


人生を豊かにしてくれる経験ではないのか。


そう言う意味では私達は豊かにしかなることが出来ない存在でもあり、


貧しさも一つの経験として、人生を豊かにしてくれる素晴らしい体験だと思うのです。


貧しさをなくす必要はなく、豊かさと貧しさを共に大切にして、どちらも受け入れ、一つにつないで、一つのものとして扱う。


そうする事で二つを本来一つのものであった状態に戻す事が出来るように思うのです。


どちらも自分の中にあって良く、どちらも自分を作ってくれているものとして合体させる。


これは決して、貧しさと豊かさだけに限った事ではないと思います。


二つに見えるけど、本当は一つのもので、この世は溢れているように感じるのです。


二つになったものを、もう一度一つにして、二つを含んだ全体的な視点を持つ事で、


分離してしまったものをもう一度一つにする事が出来るのではないかと思います。


対立する二つを仲直りさせ、争う必要や戦う必要はなく、どちらも存在してよく、どちらも本来、同じ一つのものなのだと言う視点を持つ事で、



二つを統合させ、合体させ、同じ仲間として、和解させ、どちらも必要で素晴らしいものであると言う視点が持つ事で、新しい生き方が出来るのではないかと思います。



二つに分けられたものは他にも様々なものがあると思います。



少し、思いつくままに見てみたいと思います。



善悪

善悪は本来一つのもの。分類する前は一つのものであり、人間の生態や行動には全てが含まれている。時代と共に変化し、片方だけを生きる努力は二つを別のものに分けてしまう。二つを分けない視点を持ち、どちらも尊重していいと思います。


正邪

正邪は一つのもの。癒し、正し、清める力は邪なものによって育まれる。どちらも役割があり、どちらにも意味があると思います。二つを分けない視点を持ってよく、二つは支え合っていると思うからです。


優劣

優劣は一つのもの。どちらも経験してよく、分ける必要はないし、どちらも自分の中にあり、持ち続けて良いと思います。


成功と失敗

成功と失敗は一つのもの。時に失敗し、時に成功するもの。どちらも通過点にする事が出来るし、深い部分では、支え合っていると思いますし、協力し合っていると思います。


豊かさと貧しさ

豊かさと貧しさは一つのもの。どちらにも学びがあり、喜びと苦しみがある分けることのできない経験で、二つを分けない視点を持ち、同じものとして扱っても良いと思います。


ある事とない事

ある事とない事は一つのもの。存在のあり方の違いであり、ないから出来ることやあるから出来ることもあり、お互いに支え合っている関係て、どちらも必要で素晴らしい状態だと思います。


ないはあるを際立たせ、あるはないを見抜かせます。


目覚めと眠り

目覚めると眠りは一つのもの。目覚めるためには眠りの期間が必要であり、目覚めの喜びは眠りのお陰になり得るし、目覚めは眠りの時点から既に始まっていると思います。


自立と従属

二つは一つのもの。自立は所属を通して在り方を学び、自立は何から自立するのかと言う意味で自分に従うのか、自分以外に従うのか従うものが違うだけで、自分の意志に従うのか、他人の意志に従うのかを自由に選んでいるだけなのかも知れません。


自信と自己卑下や疑い

それらは一つのもの。自己卑下があるから、自信の大切さが分かり、自信も固定ではなく、移り変わるもの。変化するものだと思います。


信じると疑い

二つは一つのもの。ポジティブに信じるのかネガティヴに信じるのかが違うだけで、信じる事も疑う事も何かを信じると言う能力を使っている。


獲得と損失

二つは一つのもの。獲得したものは失えるし、失ったものは再び獲得できる。何かを得ると言う事は、何かを失っていると言う事でもある。


才能と無能

二つは一つのもの。能力があるかないかは程度の違いであり、新しい才能は無能から始める事が出来る。どちらも能力と言う舞台の一員であり、美しさは無能さの中にもある。



誇りと侮辱

二つは一つのもの。どちらも持っていて、支え合っている。


理解と無理解

許可と禁止

学びと無知

得意と不得意

幸運と不運

幸せと不幸

喜びと失意

希望と絶望

達成と挫折

合格と不合格

達成と未達成

出来ると出来ない

分かると分からない

勇敢さと臆病さ

勝ち組と負け組

差別と平等

危険と安全

安心と警戒心

自分の選んだものと選ばなかったもの

好きと嫌い

大きいと小さい

長いと短い

快と不快


二つのものは一つのもの。


いかがでしょうか。



どちらも必要で、


どちらも素晴らしい。


支え合い、分ける事は出来ない一つのもの。



相手がいるから、成立していて、お陰様の関係。



どちらも自分の中にあり、どちらにも変わる事ができる。


どちらも居てよく、どちらも自分。


本当は同じものの別の名前。


同じ舞台の同じ所属。


同じ概念上の違う立場。


どっちもどっち。


どっちも一つ。


同じ種類。



どちらも無くさなくて良い。



どちらも持っていて良い。



二つを合わせて、



合体させて、



一つのものとして大切にする。



片方だけじゃなくて良くて、



両方いて良い。



どっちもある。



あえて分けようとしなくても良いもの。



そんなどちらも含んだ新しい視点を持ってみると


また違った視野が広がって、面白いかも知れませんね。


最後まで読んで頂いて

ありがとうございました。