だいぶ空いちゃってすいません。
続きです。
痺れが増してるから、手足、指先はやはりうまく使えない、
車椅子を漕ぐくらいならいける。
試運転がてら近所、家から2〜
これから、これ乗り回して色んなとこ行けるかなと思ってたのに。
あまりの難しさにこの先が不安になった。
車椅子での遠出デビュー戦は、
もう一度大きい病院でちゃんと調べ直し、
これ以上は無理だ。効きそうな治療法が見つからないし、
喉がどうなっても普段の生活をまず取り戻さないと。
もう背に腹は変えられぬ思いだ。
自宅の前の道、今までは平らな普通の道と思ってた。
車椅子に乗り、小学生ぶりくらいの目線で地面をよく見ると、
道路両端の白線から外側に向かっては少〜し斜めになってる。
今までは気にもせずにいた本当ちょっとしたことが、
道路は微妙にガタガタしてるし、気づけばタイヤは下りに流され、
駅までたかだか3〜400m。駅前に着く頃には汗ダクダク、
それでも何とか駅前に着いた。
エレベーターに乗ろうと思ったが、
まだ慣れていないせいかもしれないが、バリアフリーとは言え、
かと言って、誰になんて声かけて手伝ってもらえばいいか。。。
駅にいる人々はみんな忙しない。
なんとか力づくで上ろうとする。
途中でどうにも出来ずズルズルとバックで下がってしまう。
危ねーっ!!
そんな時に後ろから見知らぬお兄さんが助けてくれた。
危険だ。
助けがなくてバックしたまんま、
サラッと手を差し伸べてくれたお兄さんが最高にクールで助かった
車椅子で電車に乗るのも初めてだ。
まず駅員さんに言って一緒についてきてもらう。
電車の何両目かは指定があるみたい。(
電車とホームの間に引っ掛けるスロープを持って、
ホームは混み合っているし、
操作ミスしたら線路に落ちると思うと緊張さえする。
あんな時は駅員さんも押して連れてってくれた方が安心だな。
電車に乗ってたら乗ってたで変な目で見られたり、
こっちの被害妄想的な部分もあるかもしれないが、
この国の車椅子ユーザー総数というのは統計がないらしいです。
今現在、日本の人口における身体障害者の数は3%を超えてる?
期間的な利用だったり、
なのになぜ街や駅でそれほどユーザーを見かけないのか?
色んな所でバリアフリー化されてきているのはすごい事だけど、
ただお金をかけて段差なくしました。緩い坂にしました。
お金をつぎ込んだだけではどうにもならない部分もあるし。。。
じゃあ隅から隅まで工事し直す?
それも大事なんだが、
そういう雰囲気づくりが大事かなと。
例えばオリンピック、パラリンピック、
障害を持つと、もちろんそれを乗り越えたい。
治ったわけじゃないが何となくやり過ごせる自分の方法などを見つ
ある程度の慣れや我慢、諦め、
つまり、バリアフリーになっていてもキツかったり、
それが見知らぬ人では頼みづらく、
息切らしてクッタクタになって、
頚椎のスペシャリスト的な先生がいると聞いていて来たんだが。。
診察してもらうだけで4年待ちらしい。
そこまで待ってたら多分もう動けなくなってるわw!!
なので違う先生に診察してもらった。
やはり診断結果は頚椎症性脊髄症だった。
重度の。
早急に手を打たないと。。。
俺には時間がないみたい
もう一回派手にでも転んだりして、
それほど脊髄に傷がついてしまっている。
素人の俺が診てもレントゲンにはハッキリと白く傷が写ってる。
物腰の柔らかいいい雰囲気の先生だった。
でも意見は厳しく、ここでも少し叱られる。
「何でここまで放っておいたの?
ここまでくる前に色々前兆はあったでしょう?
とにかく早く対処しないとずっと危険な状態だから。
月末にでも早急に手術を受けるべきです。」
歌う事、声を扱ってる仕事だということも相談した。
「そういうお仕事されてる人への手術は行ったことないので、
声に全く支障なくというのは約束できません。稀にですが、
『それじゃ困るんです。。。』
「まず歩ける歩けない、普段の生活を無理なく過ごせるかどうか。
他の病院の先生よりかは親身になってくれてる感もあり、
声を取るか、普通の生活を取るか。。。
究極の選択を迫られる事になっちまった。
でも、もう道はない。
やってもらうならこの先生なのかな。。。?
もう考え、悩むのにも疲れた。
『わかりました。。。手術受けます。』
「そうしましょう。では、8月〇〇日〜の入院、検査、
『よ、よろしくお願いします。』
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導楽NEWアルバムに向け
新プロジェクトへの想い
よろしくお願いします!!