だいぶ空いちゃってすいません。

 

続きです。

 

 

 

 

 

痺れが増してるから、手足、指先はやはりうまく使えない、だけど大まかな動きならまだ大丈夫だし多少なりとも腕に力は入る

車椅子を漕ぐくらいならいける。立ち上がって歩くという苦痛から解放されて、少しは快適に過ごせるかな、なんて本当に舐めた考えだった。

 

 

試運転がてら近所、家から2〜300mの所にあるコンビニへ行ってみた。

これから、これ乗り回して色んなとこ行けるかなと思ってたのに。

あまりの難しさにこの先が不安になった。

 

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車椅子での遠出デビュー戦は、帝京大学病院へ行っての再度精密検査だった。

 

もう一度大きい病院でちゃんと調べ直し、ここでも手術と言われたらもうやるしかない。

これ以上は無理だ。効きそうな治療法が見つからないし、先延ばしにしても悪化するのみ。

喉がどうなっても普段の生活をまず取り戻さないと。喉だけ守った所で普段の生活がこのまんまじゃ、歌うどころかマイクさえ手から落としてしまう。

もう背に腹は変えられぬ思いだ。

 

 

 

自宅の前の道、今までは平らな普通の道と思ってた。

 

車椅子に乗り、小学生ぶりくらいの目線で地面をよく見ると、緩やか〜な登り坂になっていた。

道路両端の白線から外側に向かっては少〜し斜めになってる。雨が降った時にちゃんと流れるようにだろう。

今までは気にもせずにいた本当ちょっとしたことが、ものすごい壁となっていた。

道路は微妙にガタガタしてるし、気づけばタイヤは下りに流され、真っ直ぐに進むのも簡単ではない。

駅までたかだか3〜400m。駅前に着く頃には汗ダクダク、腕はパンパンになってた。

 

それでも何とか駅前に着いた。

 

エレベーターに乗ろうと思ったが、乗るまでのスロープが大きく立ちはだかる。

まだ慣れていないせいかもしれないが、バリアフリーとは言え、1人ではとてもじゃないが上れない。

かと言って、誰になんて声かけて手伝ってもらえばいいか。。。

駅にいる人々はみんな忙しない。

 

なんとか力づくで上ろうとする。

途中でどうにも出来ずズルズルとバックで下がってしまう。

危ねーっ!!

 

そんな時に後ろから見知らぬお兄さんが助けてくれた。

危険だ。

助けがなくてバックしたまんま、どこかに突っ込んでたらと思うとまた変な汗が出た。

サラッと手を差し伸べてくれたお兄さんが最高にクールで助かった

 

車椅子で電車に乗るのも初めてだ。

まず駅員さんに言って一緒についてきてもらう。

電車の何両目かは指定があるみたい。(俺が降りる駅と連絡を取っているから)

電車とホームの間に引っ掛けるスロープを持って、その指定車両が停車する場所まで誘導してくれるのだが、先にスタスタ行かれてしまって追うのが大変だった。

 

ホームは混み合っているし、俺は車椅子の扱いにもまだ慣れていない。

操作ミスしたら線路に落ちると思うと緊張さえする。それなのにその指定の場所が遠い。

あんな時は駅員さんも押して連れてってくれた方が安心だな。とは思ったが、そう言う甘え方がまた難しいし、俺には、いや、車椅子利用者は簡単には言えなかったり、頼めなかったりする部分があると思う。

 

電車に乗ってたら乗ってたで変な目で見られたり、邪魔くさそうにされたり。。。

こっちの被害妄想的な部分もあるかもしれないが、どうみても温かい目で見守ってくれてる。とは程遠く、どちらかと言えば冷たさの方が感じられる。

 

 

 

この国の車椅子ユーザー総数というのは統計がないらしいです。

今現在、日本の人口における身体障害者の数は3%を超えてる?そうです。

期間的な利用だったり、度合いも違うと思うので測れないかもしれませんが、相当数いるのは確か。

 

 

なのになぜ街や駅でそれほどユーザーを見かけないのか?

 

色んな所でバリアフリー化されてきているのはすごい事だけど、結局バリアフリーにしたところで、1人で生きていく事は難しい。誰かのサポートが必要になる事が多い。

ただお金をかけて段差なくしました。緩い坂にしました。

お金をつぎ込んだだけではどうにもならない部分もあるし。。。

じゃあ隅から隅まで工事し直す?

 

それも大事なんだが、気軽に声かけができる雰囲気こそが一番バリアフリーになるというか、きっとお互い気持ちもハッピーになれるんじゃないかな、とは思う。

そういう雰囲気づくりが大事かなと。

例えばオリンピック、パラリンピック、最近知ったデフリンピックなども、やる順序や注目すべきことを考え直すだけでも色々変わるかな。とか。。。

 

 

 

 

 

障害を持つと、もちろんそれを乗り越えたい。乗り越えようとかそう言う気持ちもあるにはあるんだが、出来ない事や、体に負担がかかる事は上手く避けたり、対処法を覚えていく。

治ったわけじゃないが何となくやり過ごせる自分の方法などを見つけて負担をなくしていく。

ある程度の慣れや我慢、諦め、無理のないよう柔軟に対応してるだけのこと。

 

 

つまり、バリアフリーになっていてもキツかったり、利用しづらい部分はそれぞれなんですよ。人と人の関わり、支えはやはり必要。

それが見知らぬ人では頼みづらく、声もかけにくい今のこの日本ってハイテクなわりになかなか住み辛いんだな〜。

息切らしてクッタクタになって、そんな事を考えながらやっとの事で帝京の大学病院に着いた。

 

 

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頚椎のスペシャリスト的な先生がいると聞いていて来たんだが。。

 

 

 

診察してもらうだけで4年待ちらしい。

 

 

 

そこまで待ってたら多分もう動けなくなってるわw!!

なので違う先生に診察してもらった。

 

やはり診断結果は頚椎症性脊髄症だった。

 

重度の。

早急に手を打たないと。。。

 

 

俺には時間がないみたい

 

 

もう一回派手にでも転んだりして、患部をさらに傷つけるような事があれば、完全な麻痺になって2度と歩けなくなる。その後に手術しても手遅れになる。

それほど脊髄に傷がついてしまっている。

素人の俺が診てもレントゲンにはハッキリと白く傷が写ってる。

 

物腰の柔らかいいい雰囲気の先生だった。

でも意見は厳しく、ここでも少し叱られる。

 

「何でここまで放っておいたの?

ここまでくる前に色々前兆はあったでしょう?

とにかく早く対処しないとずっと危険な状態だから。

月末にでも早急に手術を受けるべきです。」

 

 

歌う事、声を扱ってる仕事だということも相談した。

 

 

「そういうお仕事されてる人への手術は行ったことないので、なんとも言えませんが

声に全く支障なくというのは約束できません。稀にですが、普段の生活にそんなに支障は出ませんが、後遺症で掠れたままの声になってしまっている人もいます。」

 

 

『それじゃ困るんです。。。』

 

 

「まず歩ける歩けない、普段の生活を無理なく過ごせるかどうか。がかかってるレベルの状態です。術後、前と全く同じように声を使った仕事ができるかはハッキリ言って難しいです。」

 

 

他の病院の先生よりかは親身になってくれてる感もあり、優しさの中にも危機感をちゃんと含めて伝えてくれた先生で、妙に説得力もあった。

声を取るか、普通の生活を取るか。。。

 

 

 

 

 

究極の選択を迫られる事になっちまった。

 

 

 

でも、もう道はない。

 

やってもらうならこの先生なのかな。。。?

 

 

 

 

 

 

もう考え、悩むのにも疲れた。

 

 

 

『わかりました。。。手術受けます。』

 

 

 

「そうしましょう。では、8月〇〇日〜の入院、検査、翌日手術でその後5〜7日程の入院。の予定でいきましょう。」

 

 

 

『よ、よろしくお願いします。』

 

 

 

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