門人の審査を予定している。それぞれ審査に向けて稽古に励んでいるようである。

本来は審査のための稽古ではなく、普段の実力を見るのが目的であります。

しかし、何らかの目標がないと中々と稽古に身が入らない人も多い。

そこで審査の日程を決めて、審査を行う事にしましたが、どうも審査の為に稽古をしているという感じが私としてはどうか?と感じてしまう。

逆の立場なら私も審査に向けて稽古に励んでいるのだろう。

いや、かつて私が審査を受けた時代は、あまり審査を意識した事がなかった。

あえて言うなら、受かって当然ものたりない、さらに上の段の実力があるなどと自惚れていたものである。


しかし、その自惚れの裏にはそれだけの稽古を常にしていたからであります。

稽古とは習うではなく、自分が工夫するである。

従って、道場ばかりではなく、日常の所作や考え、思いなどを弛まなく続けることが出来る。

道場に行く時間がない、稽古の時間がないというのは、本来は本末転倒であり、道場はただ確認と課題を得るためにあり、その普段の心構えを審査で見るだけなのである。

武道の稽古は常に日常と関係しているものである。仕事と武道、家庭と武道と分けて趣味の一つに挙げるならば、武道ほどつまらぬ趣味はないだろう。

暮らしの中に生かされこそ、真の楽しさがあり、学びがある。

他の習い事との違いを論ずるわけではないが、私の稽古に参加する方もどうも分けて考えて方が多いように思う。それでは本当に楽しい稽古ができないのになぁと思う。


稽古場に立った時は、普段の生活の中で実証、または創造した、心境を道場に表せる楽しさに足を運び、帰る時には新たな課題を得て、ウキウキして帰る。そんな稽古がよいのだが。