現在、新しいスタイルの武道を計画している中でセルフディフェンスというテーマがパートナー事業者から持ち上がった。つまり、護身術としての武道である。


武道=護身術という考えは当たり前の様に思われる方もおりますが、そうではないと私は考えます。正しくは現代武道は護身術という側面ではなくスポーツとして発展してきております。


競技の安全性という事を前提に工夫がされております。

また、素手と言う概念はスポーツという事においての環境で活かされるものでもあると考えます。


日本国内では銃規制もありますが、海外では銃を合法的に所持する事が認められて国もあります。また、犯罪は非合法に行われるものである以上、凶器が使用される事は当たり前と考えてもよいかと思います。


そうした凶器と狂気による暴力から身を守る、また友人や家族を守るという事になると並大抵のことではなく、少し学んだぐらいの技術は到底役に立たないと考えてよいと思います。

銃以外にも自動車も凶器になりますし、集団である場合、そうした暴力以外にも経済的暴力、法の逆手をとった暴力、人間だけとは限りません、病気や災害、そうした事を全て含めた事から身を守る、大切な人を守るという事を個人が全て対応する事は不可能であります。


ですから、曖昧な事や技術の方向性をビジネスとする事は私は好みません。

しかし、必要としている人がいて、それに対して私が出来る事は何かという事を考えるよい機会であると思ってます。


武道が行き着くところは、心の安定であると思います。

心というよりも、思考が危機に直面したときに現状を把握して、自分の出来る最善の方法を判断する事です。その判断とて絶対ではありません。しかし、自分の持てる力、考えを尽くしたとして後は天命に任せるなら悔いる事も少なくて済むものでありましょう。


外に出れば危険とビクビク内にこもる事無く、また、自ら危険に飛び込む事無く、危険を知らずに踏む事無く、悠々と自分の目的や生活の楽しみを味わい活動が出来る様にするための稽古であれば、私は武道の本当の価値がそこにあると考えます。


そこで、護身として、大切な事を定めて稽古方針を考え直しました。

一つは健康であるための心身の修正と強化。リラクゼーションとフィットネスという言葉に置き換えます。

流行のスタイルになるために無理をしてダイエットしたり、筋肉をつける為のフィットネスではなく、自分の身体が正常に機能し、更に人間の身体能力を十分に発揮できる体を作る、修正する。そういう武道フィットネス。また、一時的にストレスを和らげたり、現状の環境から逃避するためのリラクゼショーンではなく、心が如何なる状況に於いても柔軟に対応対処でき、また自己の於かれている環境を自身が変える事が出来る、心の働きを身につける為のリラクゼーション武道、そして、あらゆる災難に対して身体と精神の持てる力を発揮して対処できるセルフディフェンス。


そうした方向を目指すためのシステムとしての稽古方法を考えております。

その一つの方法として、素手ではなく物を持つ、使う、使いこなす、武道トレーニングを取り入れる事にしました。

人は他の動物に対して身体を直接武器とする点で劣っております。小さな蜂などの昆虫でも毒や針を持ちます。ネズミの歯にも人は怯えます。

しかし、人間は道具をつくり、道具を使うという点では他の生物よりも優れております。

人間の進化、文明の発展は物を作り使うという事と共にありました。

また、人間の恐ろしさも、そこにあります。


物と人、この関係なくして人は心や身体を見つめて行くことは自然の摂理に反すると私は考えます。

そこで、私の武道の基盤である合気道の技術を全て、分解して小太刀という小さな道具を組み込んで再び組み立て直した稽古方法をスタートさせました。


稽古の目的は3方向です。一つは呼吸と動作の関連性の原理を身体操作に活かすトレーニング

2つ目は、その母体となる、身体の修正と強化トレーニング。トレーニングは主に身体の不随意的にコントロールしている部分と随意的にコントロールする部分の中間に位置する呼吸の活用により、無意識部分の調整と意識のコントロールトレーニングです。つまり心身を一つにしたトレーニングです。

そして3つ目はその身体操作と心身基盤を活用した武道技術のトレーニングです。


この3つの方向を三位一体とする事が重要です。


具体的には

①小太刀を持って、様々な動作を呼吸の方向原理に矛盾なく繰り返すトレーニング

②小太刀を使って、トレーニングパートナーが負荷をかけて、その負荷に対して動作と呼吸を一致させてトレーニングするシステム。

③小太刀を使って武術的技術を行うトレーニング

④小太刀を使った武術的トレーニングを素手で再現するトレーニング

小太刀を用いるのは、操作しやすく女性や高齢者も稽古しやすいため、そして、武術として、具体的に現代で身を守る道具。危険を回避して逃げるチャンスを得たり、使い慣れた物を持つ事で安心できる事、女性など、バックに小さな木の棒を持っていても良いでしょう。やがて、棒を手放しても安心を崩さないような心を得る事が目的ですが、心の杖として使い慣れた小道具を持つことも夜道での安心お守りにもなるでしょう。

道具を正しく使う、大切にする、その事も人が自分を戒めて、危険に近づかず、危険を冒さず、危険を更に恐れず。の杖となると思います。


これは武道がかつて、人を殺す、敵を倒す技から、人を傷つけず共存する剣道、その剣を最終的には頼らない無手に至る道、この進歩発展を再現するプログラムでもありますが、古人の悟りには到底及ばないでしょう。しかし及ばずとも人が武道の足跡の一部を今の暮らしに役立てる方向としては一つの提案にはなると考えます。


正直、まだ試行錯誤の中です。


ただ、物を持つ、物を活かす、物から手を離した状態を目指す。その歩みの中で人は災難を受け止め勇気を持って自分の可能性を発揮して、人生を切り開く自由を手に入れるお手伝いが出来れば思います。


はたして、この新しい武道とトレーニングhは光を得るか、世に必要とされるか、わかりませんが、私は私の力を尽くしてゆく他にないと思います。


昨日は鹿児島で菊野選手対帯谷選手のタイトルマッチを衛生放送で観戦した。

アミュプラザのシネマで放映された生中継の迫力もさることながら、会場は満席。菊野選手を愛する方々の努力と想いに感服した。菊野選手が入場すると会場では拍手が上がり、頑張れ!のコールが上がった。


帯谷選手も素晴らしい選手であった。無言無心の迫力を腹に込めた凄まじい気迫が伝わって来た。


まさに、上杉謙信と武田信玄の戦いを感じた。

菊野選手が上杉謙信ならば、帯谷選手は武田信玄というイメージが私にはした。


試合の中で拳で殴りあう姿を通じて、どちらが勝ってもおかしくない、結果は既に出ていた。

この試合を実現したDEEPが勝ったのだ。

DEEPが何を目指しているのか、それがこのメインイベントの表現されていたが、メインイベント以外の試合にも十分に顕れていた。


それは戦う事の純粋さである。

純粋に戦いを通じて、自分の夢を拓くゲートとして仕事、その場を輝かせていた。

その夫々の夢は、もはや一個人の夢ではなく、夫々の戦いの純粋な力の中で、観戦する全ての人に希望を見せてくれた。


その純粋で熱い想いが今のこの国には必要だ。

真正面から真っ向から命を張る純粋さがこの国の今に必要なのだ。


菊野選手の試合の前に霧島神宮へ戦勝祈願に参拝へ行った。

この霧島神宮にはさざれ岩がある。

さざれ岩とは小さな石が集まって大きな岩となった姿である。

民が一つに心を合わせて大きな不動の岩となる姿こそ、この日本の真の姿がある。

参拝に行くと激しい雨が降り出し、傘も雨漏りするほどの大雨となった。

その大雨の中、若い方や多くの参拝者が訪れていた。


幾千年時が移ろっても、変らぬ命がある。


歴史を超えて、今もここにある。

その心の思いが、試合の中で見事に咲いていた。

激しい戦いと汗の雨の中、菊野選手と帯谷選手の肉体は一つのさざれ岩となって神相撲を行った。

勝敗は菊野選手の防衛として軍配が上がったが、帯谷選手もまさしく天晴れであった。


本当に素晴らしい試合を見せて頂いた。

感謝のほかに言葉が無い。

明日24日は総合格闘技DEEPの菊野選手の初防衛戦、DEEPの10周年のメインイベントだ。

試合は東京で行われ、放送はスカパーで放映される。チケットは立ち見を含めて完売だそうだ。すごい人気だ。


私の方は彼の出身地である鹿児島の後援会が企画した映画館での実況放映で応援する事にした。

地元の応援者と一緒に声援を送る。

その前に身を清めて霧島神宮で必勝j祈願を行う。




佐世保 温故知新の合気道 合気新道

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