先週、伊万里の刀匠、西村氏のところへ門人を伴ってお伺いした。若き刀匠である。30歳にして道場と工場に一人住み込んで、最高の一振りを探求されている。
そういう人と出会う事、そこから学びえるもの、それを私自身が、そして門人が知る事が目的であった。
前回、全ての武道を志す人に日本刀の真剣をぜひ持って頂きたいと書いた。
それは日本刀は日本武道の最高峰の美であるからだ。美と共にある真の強さがそこにある。
日本の武道はただ強いだけではなく、美しく強いのである。
いや、一歩進んで、美しさは強さであると実証する道である。
美しさとは何か。
真ん中を知る事である。
不動心というものがある。
それはけして、心を固めて動かないようにすることではない。
自由に動ける事である。
自由に動ける事は大安心があってこそ、動けるものである。
その大安心は帰れる場所があるから生まれるものである。
丁度、振り子の様に如何に左右に揺れようとも、必ず真ん中に戻れればこそ、大きく左右にも前後にも自由自在に動けるものである。
この自由で、伸びやかな姿こそ美である。
その美を産み出す土台が真ん中であり、それを愛と呼ぶ。
愛を真ん中に据えるのではない。
真ん中が愛というものなのだ。
ゆえに、自由自在と愛は一対であり、美は強さとなる。
その姿を叩き上げ、磨き上げ、伝え続け来たものが日本の武の技と魂であり、
その実物が日本刀である。
だからこそ、日本刀は武を映し出す鏡であり、この鏡を持って始めて己の行く道を知る事が出来るものである。
その事を言葉ではなく、我々が武道を鍛錬練磨するように、最高の日本刀を打ち出すことを目標に鍛錬練磨している刀匠と出会う事、それがどれだけ大きな実感を伴うか、それを私自身に門人に問う事が伊万里へ行く目的であった。
その目的に私以上に応えてくれたのが門人であった。
私と刀匠の会話を2時間ほど聞いた後に、工房を見せて頂いた。
その工房で最初に見たものは、砂鉄から産み出された玉鋼の塊であった。
それを手にしたとき、門人は衝撃を受けたという。
こんな塊から、あんなに美しい日本刀が生まれるのかと。
それが全てであった。
絶対に自分も日本刀の様に磨き上げる。叩きあげる。そのために、それを誓うために、一振りの刀を得たいと、門人は思った。
その門人に必要な刀が見えていた。私もその門人を導く道が見えていた。
一人の門人には同年代の、訪問した刀匠の刀。
もう一人の門人は世界最高峰の技を探求する真の武道家を通じて。
翌日、その門人、菊美さんに町井 勲先生のお店である刀心のホームペイジを見せた。
町井先生がわが子の様に、己の魂として大切にされている刀がずらりと並んでいる。
それを見せた。
そして、菊美さんは、そのズラリと並んだ刀から見事に、これしかない。という一振りを選びぬいた。
一瞬で決まったのである。
これしかないという出逢い。
それは既に心の中にあったのだ。
そして、直ぐに、町井先生のご親友であり、我らが同志であるロンさんを介して町井先生へご連絡を申し上げ、その一振りを購入する事になった。
ほぼ全財産。勤めながら、稽古を続け、道場運営を行い、食を削り、欲しいものも我慢して、貯めていた貯金を惜しみなく叩いて、一振りの日本刀を得た。
ものすごい覚悟である。
しかし、躊躇無く、恐れることなく、大きく高く飛んだのだ。
それは真ん中を得たからである。
真ん中があるから自由自在に動ける。その真ん中が愛と呼び、その自由自在な姿を美という。
菊美さんの姿はそれであった。
私はもとより、町井先生、ロンさん、そのほか経緯を知る多くの方は惜しみなく拍手と今後のエールを送った。
正しく、天晴れである。