小説指原莉乃リライト 第五章 「おばあちゃんの文春」〜神が舞い降りる京の夏 | 散り急ぐ桜の花びらたち~The story of AKB.Keyaki.Nogizaka

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小説家を目指しています。ゆいぱる推し 京都地元大好き 鴨川のせせらぎと清水寺の鐘の音の聞こえるところに住んでいます。







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京都の初夏の風は祇園囃子とともにやってくる。

長い梅雨を抜け、待ちかねたように顔を出す古都のお日さんは、

もうすっかり夏の色。 


街角に響く、「暑おすな~」の声も何かうれしそうに聞こえてくる。

 打ち水された石畳を駆け抜ける子供たちも、この時期だけは勉強しろとは言われない。

 神が舞い降りる京の七月 

人は自然に従順であれ、京の人々は生きとし生けるものに祈りをささげる。 





「神さんに逆ろうたらあかんえ、由依。 あんたが辛いとか苦しいとか、もうどうしようもなくなったら、そんなときはじっとしてたらよろしい。神さんがもうええ言うまで、いのいたら(動いたら)あきまへんえ 」 

そんなおばぁちゃんの言葉に私は子供の頃、罰当たりにも反論を試みる。

「どうしようもない時にじっとしてたら余計にどうしようもなくなれへん、おばぁちゃん」

その時に返ってきたおばぁちゃんの言葉は今でも忘れない。

「慌ててバタバタしたら、立ち上がる時の元気まで失のうてまう。最後に力振り絞るためにじぃっとしとくんや。それで、あんたがしっかりと生きてたら誰かが最後にきっと助けに来てくれはる。それがあんたの神さんなんやえ、由依」


他力本願を自分の孫にここぞと説く私のおばぁちゃん。

「苦しいときこそ心を平らに、そうすれば神さんは微笑むさかい」

その時その言葉は私の胸の奥に永遠のバイブルとして仕舞われた。


「それで、おばあちゃんは元気なん?」
今年のお正月は由依は実家には帰れなかった。AKBに入って7年、お盆もお正月も祖母の顔を見れなかったのは今年が初めて。
京都府城陽市、そこが私が生まれ育ったところ。(城陽市?京都やない奈良やん)京都の人はみんな口を揃えてそういうほど、ほぼ奈良県。

〈出身地詐欺師〉そう指原莉乃から揶揄されるほど近くて遠い城陽市。
けどそんなことは言い訳に過ぎないことは由依は良く分かっている。

「忙しいのはわかるけど、顔ぐらい見せれるやろ、由依ちゃん」
母の顔が曇る。
母とはこうやって仕事で京都に来た時、三条のスタバで待ち合わせることはできる。けれど足元がおぼつかない祖母は会いたくても出てこれない。

「最近は朝から晩まであんたのこと考えてはるみたいえ、おばあちゃん」
初夏の風に吹かれながら溜息を落とす。祖母の顔が浮かんでは消える。

彼女の部屋にあった週刊文春、表紙が抜け落ちるほどボロボロになっていた、と母は言う。

会いたくても会えない、由依の心の葛藤がそこにあった。

センテンス・スプリング それが私の旅路の果てに見た景色

京の三条河原町、三条大橋沿いのスターバックス、そこから見える鴨川の水は悠久千年の時の流れを刻む。
新しいものが古いものを踏襲するのは世の常。けれど由依の故郷、京都
だけは両者の融合を計る姿勢は崩さない。
歴史を造り変えてきた先人達は、どれほどの幾多の苦難と葛藤をこの鴨川の水面(みなも)に映してきたのだろう。

──先輩たちの遺産を受け継ぎながら、新しいAKBを造りあげていく
そんな由依の想いと夢が今、鴨川の流れに消えようとしていた。

   


      

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