夢や願いを想い描く時間と熱量について。 | ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

ラーメンの人がノートを通して自己対話を始めた結果。

幼少期からラーメンと共に育った人が、大人になって生きづらい人生をどうにかしようと悪戦苦闘した結果、ノートで自己対話を始めたら、少しずつ生きやすい環境へと変化していったという話。

久々にマーフィー博士の本を読んだのですが。

日本の文化と異なる考えなので、

そういった意味でやっぱりちょっと理解しにくいというか・・・。

表現がくどくて・・・

英語を訳しているが故にそういう日本語の単語になるのは理解できるんですが、

どうもそこですんなり受け入れられないんですよね(苦笑)

 

そもそも、読書は苦手でして・・・

特に文学的作品はどうも世界観が理解できず・・・

国語は苦手でした。

「傍線部で作者が伝えたいことを説明しなさい」みたいなのは

本当に分からず、記述式の問題はいつも点数が取れないタイプです。

 

 

どうでもいい話をしてしまいました。

 

 

最近は、潜在意識に夢や願いを沈めるためのことを書いておりますが。

 

 

私も過去、

まだ潜在意識ということは知らなかったときの話ですが。

 

第一志望の会社への就職という夢を叶えたことがありました。

(正直、ハードルはめちゃくちゃ高かったと思います・・・)

他にも、

母が末期ガンで亡くなる直前に、花嫁姿を病院に見せに行けたとか・・・

(半年後には離婚していたけど・・・w)

 

その時のことを思い出していたんですけどね。

 

今との違いを考えると、

想いの純度というか・・・

時間もそうだし、

熱量もそうですが・・・、

最近、そこまで熱くなるモノがないなと思いまして。

 

何が何でもという「執着」がないんですよね・・・。

 

だから、今。

自分の夢や願いが叶わないのは。

努力が全然足りていないからだとか、

自分には才能がないからだとか、

こんなラクをして手に入れられるわけがないとか。

 

言い訳をして、

諦めるクセが身に付いているのかなと。

 

というのも、30前後にかなり大きな挫折をして。

自力でなんとかしようとして、うまくいかず。

結果、どんどん自己肯定感が低くなり、

どうしていいか分からず、とりあえず動きまくって、

状況を悪化させる・・・

ということを延々と繰り返してしまい。

 

そのときのことがトラウマとなって、

「自分は何をやってもうまくいかない」

と思うようになってしまいました。

 

”何をやっても”という表現は正確に言うと、

自分が決めたこと、始めたこと、

つまり、自分が起点となって不特定多数に向けてやることというか。
(分かりやすく言うと、ビジネスみたいなやつ)

 

だから、誰かに依頼されてだとか、

報酬の発生しない知人とのやりとりとかは割とうまくいくんですね。

 

 

「自分は何をやってもうまくいかない」という思考により、

夢や願いを想い描くことが無駄だと思ってしまいがちで、

必然的に熱量が足りていない原因になっているのかな・・・

と思ったりもしています。
 

 

次のテーマは

「自分は何をやってもうまくいかない」
の解決というところでしょうか。

なんとなくですが・・・

これをさらに掘り下げる必要があると思います。

 

これを解決しないと、

潜在意識はずっとこの状態を引き寄せ続けてくれますからね(笑)

 

今日の脳内ミュージック

 

 

閣下Ver.の熱くなれが好きです。

閣下の目元は聖飢魔Ⅱのときだけ青いんですよー。