
「もう一度、走る」・・・
ナイキのヴィンテージシリーズの広告だ。
この一連の製品は非常に良くできている。
「ナイロンコルテッツ」も「LD-1000」も本当に当時のまま、
と言っていいくらいちゃんと商品企画している。
こういう復刻品の場合、多くはバッタモンで失望させられる。
何にもわかっていない商品企画のスタッフが、ネタがないから
ヴィンテージの名を冠しては、適当に今あるパーツやラストで
都合のいいものを作り上げる。
復刻って、実は大変な作業のはず。
クラシック音楽を例に取ればよくわかる。
譜面があるのに、モーツアルトやベートーヴェンの再現には
さまざまな解釈あり、命を削るような再現性の技量が問われる。
復刻なんて企画のひとつ、なんて思ったら大間違い。
まず時代を知らなきゃダメ、素材をしらなきゃダメ。
そしてすべてのものには理由があるように、なぜ当時はそうしたかの理由を
理解していないとダメなのだ。
そういう意味で、ナイキのヴィンテージには拍手を送りたい。
なにしろ、広告もロゴもウェブ表現も、まるで当時の空気感を寸分違わず再現している。
かつて、75年頃、六本木にあった平凡出版の近所のビルにスニーカー屋さんがあった。
そこでは、ナイキの「コルテッツナイロン」、「ブルックス」、「アディダスカントリー」など
当時ではまず手に入らないランニングシューズを売っていた。
アメ横でコンバースが6千円の時代、そのお店で件のシューズが約1万8千円。
手に汗握って、買った思い出がある。
ところで、自分の人生もそろそろ「Re-RUN.」の時期を迎えつつある。
しばらく走っていないが、走れるだろうか心配だ。
「ヒットラーに腹一杯の地獄を味あわせてやれ!」。
戦時中のウィリス・ジープの広告。
いかにも米軍の物量のすごさをこのイラストから感じる。
広告コピーの通り、本当にヒットラーは地獄を味わったわけだ。
戦後しばらくして、このウィルス・ジープはクライスラーの傘下に入る。
そのクライスラーは、引き取り先を探している。
フィアットが貰い受けるとの報道もあるが、二転三転していて結論は出ていない。
ジープに話を戻すが、このクルマの4WD機構は当時世界一だった。
堅牢・丈夫はもちろん、整備性もよく、単純な仕様なので部品供給も簡単。
米軍を勝利に導いた立役者だった。
日本では、このジープを三菱がライセンス生産していた時期があり、
そのノウハウを活かして、自社製4WD車を開発し、
国内のRVブームを牽引した。
日本だけでなく、ヨーロッパでもこのジープの4WDシステムから
学んだクルマが後年、次々と登場している。
いまでもアメリカという国は、戦争の道具を作らせたら世界一。
その戦争への情熱を、これからは民生品に活かしてもらいたいものだ。
この広告が掲載された頃はもう日本は劣勢で、
南方の島々で玉砕が続く。アメリカの兵士は誰でもクルマの運転ぐらいはできた。
一方、日本の兵隊で自動車免許を持つ者は少なく、
ごく限られた者しか運転などできなかった。
なんと完成した飛行機を運ぶのに、再度分解して牛車を使っていたそうだ。
世界一の4WD技術に対し、こちらは数千キロを歩行して行軍。
勝てるわけがない。
クリント・イーストウッドの新作映画「GRAN TORINO」。
題名は、60年代後半~70年代半ばまで
販売されたフォードの2ドアクーペから取っている。
おとなしいセダン&ワゴン「フェアレーン」の車台を利用した
トリノのマッスルバージョンとして7リッターのV8エンジンを搭載して
72年にデビューしている。
車名はイタリア車のようだが、
典型的なアメ車で、メジャー車種ではない。
ちょっと通好みのアメ車ってない?と言うときに名前がよく挙がる。
映画には、ヴィンテージカーとして登場しているようだ。
アメリカの自動車産業がガタガタの今、
こうして往年の名車の車名が映画になる背景には理由がある。
映画の主人公は長年フォードの組立工として働いてきた老人(イーストウッド)だ。
彼の誇りは自らが製造に係わった「GRAN TORINO」であり、
それを眺めることを至福の時間としていた。
しかし、彼の住むデトロイトはかつての夢と希望にあふれた街ではなくなってた。
閉鎖された工場、すさんだ街並み、失業者はあふれ、非白人の街へと変わっている。
「GRAN TORINO」は、まさにそんな今にあって、古き佳きアメリカの象徴として
映画タイトルを飾る名前というわけだ。かつて燦然と輝いていたアメリカは、
これからどこへ行くのだろうか。





