高齢者の免許証返納、うちの場合。

 

1号ちんの出産時に

夫ちゃんが母と同乗している時

・右折する時にウィンカーを出さなかった。

・信号赤だったのに、進んだ。

なんてこともあったし

私が、産院に通う間

母に送り迎えして貰ったけど

まぁ、同じような現象がちょいちょいあった。

 

でも、10年も前だし

まだまだ高齢者の交通事故も

ここまで多くなくって

「ちゃんと気をつけて運転してよね。」

で終わってました。

 

その時、母は、65歳。

 

その後、認知症と診断されたのは66歳の時。

多分、診断されてからも数年くらいは

自分で運転して、

買い物とか習いごとには行ってたな。

だって、私がいつもいつも

足になれるわけでもなかったしね。

 

それでも、やっぱり

認知症って診断されているんだし

何かあってからじゃ遅いから

運転を控えるように言い始めました。

 

ちょうどその頃

私と車を共用していた夫ちゃんが

単独で使うことも増え始めたので

同居していた私達は、まず

「母の車を借りる。」

ということを始めました。

 

その借りる回数を徐々に増やして行き

段々と、母を車の運転から遠ざける作戦ね。

 

それでも、母は

私達の意図を察したのか

「なんで、私に運転させんとねムキー」とか

「私から車ば奪ってからどういうつもりムキー

と、何度も何度も、食い下がって来ました。

 

それでも、

「認知症のお母さんが

車を運転して、何か事故とか起こしたら

お母さんだけじゃなくて

私が責任取らなきゃいけなくなるし

弟にも、迷惑がかかるとよ。」

と、何度も何度も伝えるしかない。

 

それに加えて、母が外出したい時は

私が送り迎えをする。

と決めることもしたなぁ。

 

自転車に乗ればいいやん。とか

バス使えばいいやん。とか

提案してみるものの

全部さ、便利さから遠ざかるからさ

絶対に納得してくれなかったなぁ。

 

 

それに加えて、認知症の初期で

まだまだ、はっきりしている時間が

多かった母にとっては

とても苦痛だっただろうし

自分が唯一自由になる「行動」を

抑制された気がして、たまらなかったと思う。

 

 

ただ、たった一度だけ

車の鍵のことで喧嘩しまくったあと

「じゃあ、運転してみればいいやん。」

と鍵を渡したことがあるけれど

結局、エンジンはかけられたものの

その時には、

すでに運転の仕方を忘れていたのか

やっぱり怖くなったのかは

私には、分からないけれど

そのままエンジン切って、

帰って来たことはある。

 

母自身、父が亡くなってから

父の車を運転してて、

自損事故を起こしてから

車の運転自体を怖がっていた。

という背景は、元々あって

その事故の後、車を買い換えた時も

乗用車だけど、小さめの車にした。

 

そうやって、自分の運転の腕に

自信がなくても、やっぱりどうしても

これまでの移動距離とは格段に変わるし

遠くに出かけるには、誰かの手を借りないと

出かけられなくなるのは

母にとっては、苦痛だっただろうな。

とは思います。

 

なので、本当は、本人が納得した上で

免許証を返納できれば1番いいけど

多分、実際にそれは不可能に近くて

別に運転できないからって

その人自身が

何もできなくなるわけじゃないのに

「お前は、もう何もできないんだ」

って言われてる気がするみたいで

そんな烙印は、誰しも受け入れたくないから

どうしても、それはしたくないことになるしね。

 

 

認知症でなければ、

何度も何度も話し合いながら

少しずつ、理解を求めていくしか

方法はないのかもしれないけれど

時には「嘘も方便」で

本人が、しぶしぶでもいいので

それなら仕方ないか。

と運転を手放せるように

試行錯誤するしかないかなぁ。

なんて思ったりします。

 

私の老後は、駅前のマンションで

運転しなくてもいいようになってたいなぁ。

 

 

 

 

いつかの朝ドラのセリフ
「幸せになっていいんだよ。」

介護をしていると、自分の肉親
もしくは、義理の両親とかさ
まぁ、自分にすんごい近い人が
大変な状況だったりするわけじゃない?

そしたらさ、何故かさ
自分が、幸せになることに対して
禁止したり、

ブレーキをかけたりするんだよね。


それは、世間の印象もそうなんだけど
一般的に、大変だったり不幸なことが
その家族に起きた時、起きている時に

その家族が楽しかったり
幸せだったりすることが
いけないことかのように思っていたり
「そんなのけしからんむぅぅぅ
って、怒ってる人とかいるんだよね。


もうさ、そう言う人、ごめんね

「大変かもしれない」
「悲しいかもしれない」
「苦しいかもしれない」

でもね、

「幸せじゃない」
「楽しくない」
「面白くない」
ワケじゃないですから〜ブタ 


苦しい悲しい大変。
なんて、私が感じている
1部の感情ですから。
それが全てではないし、
それが全てである必要はない。

だからね、ダブルケアで大変だろうが
子育てて大変だろうが
介護で大変だろうが
不幸である必要は、まったくない。
幸せで楽しく、朗らかであっていいんです。


父が亡くなって
火葬場に行く準備をしながら
空の骨壺持って、玄関から出ようとした時

ちょうど、母と私と弟だけになって
母が、草履を履こうと一段降りた瞬間
「ぶっ!」
って、母がおならしたんだよね〜。

そしたら、3人でさ思わず爆笑しちゃって。
その時にね、あ、大丈夫だ。
って思ったの。
うちら家族らしいなぁ。ってもね。

何も知らない人たちからしたら
家族が亡くなったのに!
って思う方もいると思うけど
そうやって、変わらない日々

確かにいなくなったけど
生きている私たちは、これから先も
家族として生きて行くんだし
楽しくてもいいし、悲しくてもいいし
面白くてもいいし、ホッとしてもいいし
どんな感情であろうと
それでいいんです。

いいんですよ〜。

 

 

こうやって、子ども達と

楽しく過ごしていると

必ず、母のことを思い出す。

ここに母が居たら

どんな風に過ごすだろうかはてなマーク

「きっと、子ども達と一緒に

きゃっきゃ言いながら

楽しむんだろうな。」

とか

「自分の興味の赴くままに

歩いて行っちゃって

また、私、1人でプンプン怒るかな。」

とか

「2号ちんと2人で

ズンズン歩いて行っちゃうかな。」

とか、もーさ、ちょいちょい母を思い出す。

多分、一緒に出かけようと思ったら

まだ出掛けられるのに

って、どっかで分かってるのに

また、イライラして

母に怒ってしまうかもな。

とか考えると、足がすくむ。

 

2号ちんの運動会では

「やっぱり連れてくれば良かったかな。」

と思うし

卒園式では

「一瞬だけでも、連れて来て貰えば

良かったかな。」

と思うし

桜の時期には

「かあしゃんも、

花見に誘えば良かったかな。」

って、頭の隅から離れない。

 

ただ、やっぱり

母を連れて来るのには

付きっ切りで1人

母のことを見守る人が必要で

運動会も、卒園式も

それが難しいのはわかってて。

 

いやもしかしたら何か方法は

あったのかもしれないね。

でも、それを考えるだけの余力がない。

ってのも確かなんだよな。

 

あー、何度も何度も思うけど

この「一緒に過ごせない」

という切なさと

預けてしまった。という

小さな後悔は、ずっとなくならない。

 

それでも、私は

家族の時間を大事にしながら

母との時間も大事にする方法を

模索していくしかないんだな。

とも思う。

 

今度、みんなで会いに行こう車

 

先日、半年ぶりに

かあしゃんに会いに行った。

 

ずっと頭の片隅で

「会いに行かないとなぁ。」

という思いはあったけど

なんだか足が向かない。

 

離れたら、もっと今よりも

大事に出来るはず。

と思ってたけど、そうじゃなかった。

 

東京で家族で住んでいた時と

同じ感じで

母がいない生活は、そのまま普通に

流れていくようになっていた。

 

でもね、なんかずっと頭の隅に

「お母さんに会いに行かない自分」

に対する罪悪感が、いるんだよね〜。

いや、どうして会いに来なかったのはてなマーク

って、誰が責めるわけでもないのに

責められるような気がして怖かった。

 

別に、週に1回は絶対に

会いに行かないといけない。

なんて決まってないのにね。

 

それでも、どっかで

施設に預けたことに対する

罪悪感みたいなものが

私の中にあるんだな。

「親の面倒は、子どもがみるもの。」

っていう価値観が、染み付いている。

 

そしてね、

ちゃんと育てて貰ったんだから

恩返ししないと、怒られる。

って思ってるんだなぁ。

 

あとね、私がもっと娘っ子達を連れて

頻繁に会いにいったら

母の病状の進行は、少しは緩くなるかもしれないのに。

っていう、そんな気持ちもある。

 

入所してから、段々と

症状が進んでいるのも

目に見えて、分かるからね。

 

この罪悪感と自責の念と

どんな風に、折り合いをつけて行くのかはてなマーク

感じたくないから、無理矢理にでも会いに行くのかはてなマーク

 

いや、違うな。

多分、母の病状が進行していって

母が母でなくなって行くのを

直視したくないだけなんだな。

 

一緒に住んでて、介護してたって

やっぱり母が、段々と色んなことを

出来なくなっていくことを

受け入れられてたわけじゃなかったしね。

 

でも、そんな躊躇している私の背中を押すのは

2号ちんの一言で。

「かあしゃんに、会いに行こう。」

って彼女が言うと、会いに行こうって気になる。

 

きっと、2号ちんにとって

かあしゃんは、とっても大切なんだなぁ。

一緒に住んでた期間は短いけど

きっと、彼女が1番

かあしゃんのことを心配している気がする。

 

一緒に住まなくなったからって

介護が終わるわけではないし

家族としての関係がなくなるわけじゃない。

 

 

母の自宅にいたいと言う願いを叶えたかったこと

それを、一所懸命にやろうとしたことは

全然、無駄なことではなかったけど

もしかしたら、どっかで意固地になって

無理してたのかもなぁ。なんて

今振り返ると思うのです。

 

 

夢を見た。

 

かあしゃんに

「4月からさ、2号ちんが

小学校に上がるけん

帰って来た時に家にいて欲しいんだよね〜。」

と言いかけて

「あ、お母さん認知症で

家に居ることが出来なかったんや。」

と思い出した。

 

「あ、やっぱりいいや。」

って、全部言うのをやめた。

 

夢の中の母は

「なんね、なんかあるなら言わんね。」

って言ったけど

言っても、それは叶えられないから

言わなかった。

「いや、やっぱりいいや。

どうにかするけん。」

って、夢の中でも言ってた。

 

本当は、もっともっと

お母さんにやって貰いたかったことが

たくさんたくさんあって

きっと母も、したかったことがあって

そんなんを考えてたら

なんか悔しくて悲しくて

なんとも言えんくなった。

 

在宅介護してる時

朝方、母が仏壇の前で泣いてることがあった。

「なんでーなんでーお父さん。」

って父が自分を置いて亡くなったこと

自分がどんどん出来なくなっていくこと

多分そういうのが

嫌で嫌でしょうがなかったんだと思う。

 

でも私は

朝から母の泣いてる声なんか

聞きたくなかった。

気分が落ち込むから。

 

でもきっと、あれが母の本音。

もっと色んなことを

やりたかったし、やってあげたかった。

人に迷惑かけて生きていくなんて

絶対にしたくなかったんだろうな。

と、思う。

 

私も、もっと甘えたかったなぁ。

もっと、娘っ子達の成長を

一緒に楽しみたかったなぁ。

 

って、おじいちゃんおばあちゃんと

一緒にいる子ども達の姿を見て

羨ましいなぁ。って思うんだ。

「いーなー。いーなー。」

って思うんだ。

 

でも、母はもう

自宅では暮らせない。

そう決断したのは私だもんね。

だって、そうしないと

もう、家族が安心して暮らすことが

出来ない。って判断したんだもん。

 

あー、でも本当は

悲しいんだよな。

 

ほんと、出来たらね

親への色んな気持ちがあるから

やってもやらなくても

どっちでもいいんだけど

もし、関係性が良好な方だったら

親と一緒に出来ること

してあげられること

してもらえること

存分に、味わっておいてね。

と思うのです。

 

2号ちんの卒園式には

連れて行ってあげられないけど

終わったら、報告しに行こう。

あなたが出産に立ち会ってくれた

あの赤ちゃんが、もう卒園して

小学生になるよ。って。