母がグループホームに

入所して、10日経ちました。


早速、11月分の

請求書がやってきましたビックリマーク 

 

 

オムツ代の請求が1万5千円きて

「えはてなマーク4日で、そんなに使ったのはてなマーク

って、一瞬ビビった、私です。


えぇえぇ、まとめて購入したので

その金額だったようですよ。

毎月、こんなにはかかりません。

って言われて、ちょっと一安心。


いや、マジで一瞬、ビビったしびっくり



てことで、12月に入りました。


まだ、買ってなかった

モコモコ靴下を買って

届けようと思いつつ

いつの何時頃行った方がいいのか

分からなくて、

まだ、届けられてなかった今朝

ホームから連絡があって

ラジカセと何か、母が聴いてた

音楽のCDとかがあると嬉しいです。

と言われたのでね、届けてきましたよお願い


どうしても、傾眠が強いようで

ご飯を食べた後は、そのまま部屋へ。

っていうパターンが多いらしく

居室で、過ごす時間が多いみたいでね

その時間に、音楽を流したいとのこと。


母に「演歌聴きたいですかはてなマーク

って聞いてくれたみたい。

もうね、ほとんど意思の疎通は出来ないの。

それでも、うん。って頷けるから

聞いて貰えるって、本当にありがたい。


だって、そんなに聞かなくても

誰も困んないだもん。


でも、確かに、母は

家にいる時は、必ず演歌聴いてたし

台所で家事をやってる時は

NHKのラジオ第1放送を聴いてたし

ずっと、音楽か話し声の中で

過ごしてたから、音があった方が

安心するよねーニコニコ


とも思う。

だからこそ、こうやって

ひとつひとつ聞いてくれるのは

家族にとっても、とてもありがたいのだ。


で、家を探したら

母が使ってたラジカセが

埃をかぶってたけど、まだあったので

とりあえず、それと

60分テープに、演歌がダビングしてあるのを

何本か持って行きました。

これは、カラオケ教室用で
1曲しか入ってないやつ。
これが、50本くらいあった。。。

流石にね、10分で終わるのを
大量に持ち込んでも
介護士さんの時間奪っちゃうからね
なるべく、長い時間のを持って行く。


近々、ラジカセは、こんなのを

新しく買ってあげようかなはてなマーク


と思って、施設の人に聞いたら

このくらい古いやつの方が

本人は、喜ばれますからー。

と仰って頂いてね。


まぁでも、持ち手を動かすと

「ぎぎいーーー。」

とか言うからね、そのうち

新しいの買って、届けることにします。



それと、前回忘れてた

浴用タオルを10枚。


それを必死に持ってったら

モコモコ靴下忘れたよビックリマーク


あんなに、真剣に選んだのに

もーマジで、普通に忘れてたしあせる

ほんと、一つ頭に入ると

一つ抜けるよねーはてなマーク


てことで、また近々

かあしゃんのとこに行くことになるな。

差し入れも大歓迎だって言ってたので

あんぱん、持ってってあげよーっと。



希望していたグループホームに

母、入社しましたビックリマーク 

 

 先日、老人保健施設に

見学に行った日

なんと、もともと希望していた

グループホームに

空きが出たことを教えて貰いました。


そして、その足で

そのグループホームに行きまして

あれよあれよという間に

退院の日取りと、入所が決定しました。


あんだけ、私の電話できない問題で

長期入院になってて

看護師さんからのプレッシャーも

すごかったのに

動いたら、なんか怒涛のように

環境の変化が襲って来たガーン


ということで、昨日

母は退院して、

グループホームに引っ越しました。

田んぼとクリークに囲まれた
のどかな場所です。

退院する時に
一瞬、母の顔を見ましたが
いつもより穏やかそうな気がしました。

そしたら、施設長さんも
「車に乗ってる時に
とっても機嫌が良さそうでしたよー。」
と仰ってたので
きっと、母は、外に出て
車に乗ってることを
感覚で分かってたんじゃないかなぁ。
って思います。

ドライブ好きだったしねー。


そんなこんなで昨日は
・布団3点セット
・口腔ケア用品
・防水シーツ
・ボディケアクリーム
などなどを買い込みまして
荷物を搬入。

ここに、洋服とかタオルとかもかなはてなマーク

あとは
・加湿器
・衣装ケース
・ベットサイドテーブル(の代わりになるもの)
・残りのタオルやら服やら
を持ち込むことになってます。


入院と違って
色んな物品が必要だけど
それだけ手厚い介護をして頂けるとこなので
自転車を漕ぎ出す時のように
最初の数日は
色々とバタバタ動き回ります。

明日は、調剤薬局さんが
毎月、お薬を届けられるように
契約しに行ってきます。

ここは、指定のお医者さんが
往診してくださるそうなので
足がパンパンに浮腫んでる母の足も
少しは改善するといいな。とも思います。

認知症発症して、11年。

最初に、母と過ごせるのは
10年くらいかなぁ。
と思ってた年数より
1年多くなりました。

コロナで面会は、難しいけど
少しでも母の日常が
健やかな時間になりますように。


 

 

 


病院に入院して

1年が経ってしまいました汗

 

 

3ヶ月くらい前から

希望のグループホームが

なかなか空かないので

他の施設に移って待機する。

という提案を受けていてね

その施設に、電話して

見学に行く予定だったんだけど

その電話番号と担当の人の名前を

メモった紙が、行方不明になり

なかなか電話をかけられず、数ヶ月。


ようやく、先日
電話をかけることができました。

いや、ただ単に
電話番号検索して
ここの病院からの紹介で
見学したいんですけど。
って言うだけやったんやけどね
なんて言うか、色々と考え込んでしまって
なんて電話したらいいのか
わからなくなっちゃってねー。

こういう状態のこと
なんか名前ついてるかなはてなマーク

ほんと、こうやって
事務とか連絡事項とかを
先延ばしにしてしまう癖。
どうにかしないとなぁ。
と思ったりもするけど
夫氏にサポートしてもらうのが
1番なんだろうなぁ。って思います。

 

 

 

母の認知症が発覚してから

ずっと、主たる介護者は私だった。

弟も一緒に住んでた時期も

弟は、何もしてなかったなぁ。

(あ、防犯カメラつけてくれたり

そう言うことは、お願いしたらしてくれてたびっくり

そういう状態がずっと続いてて

何をするにも、私だけって言う状態に

なんだか、ムカついてた。

 

「2人のお母さんなのに、

なんで私ばっかり色んなことやんなきゃいけないのはてなマーク

って。

でもね、この前突然

「あぁ、こういう現実を見るのが

怖かったんだなぁ。」

って思った。

 

母の面会をした時に

母が車椅子に乗ってて

ほとんど何の感情も動いてない姿を見て

めちゃくちゃ悲しかったんだけど

それと同時にね、弟が母の介護に

全くノータッチなことに、

突然、納得したんだよね〜。

 

きっと弟は、母のこんな姿を見たくない。

現実を受け止めたくないんだなぁって。

 

私も、弟と同じように

母がグループホームに入所している時に

面会に行けなくなったことがあった。

 

面会に行かないといけないって思っても

そこで、母の認知症が進んでしまっているのを

見るのも怖かったし

帰る時に、その場所に母を残していくのが

その時の、残されていく時の母の表情を見るのが

そう言うのが、全部怖くて行けなかった汗

 

その時の私も、弟も怖かったんだよね。

自分の手を使わずに、

誰かに託している状態だとか

母が段々といろんなことを出来なくなったり

忘れてしまったりしていく姿を

直視したくなかったんだなぁって。

 

そりゃ、私だって、

そんなの直視したくないけど

きっと、私は、そう言う現実を見ることで

そのあとに、何が生まれるかを知ってるから

いや、その先にあるものを見たいと思っているから

痛くても、怖くても

やっぱり見ようと思ってしまうのかもしれない。

 

 

弟は、父が死んだ時も

同じだったかもはてなマーク

 

父の最後の湯浴みをしてる時

私は母と一緒に

父の湯浴みの手伝いをしたけど

弟は自分の部屋から一切出てこなかった。

 

あの時は、

「最後なのになんではてなマーク

って思ったし

「長男なのに、出てこないって何なん!!

って思ったけど

弟の向き合い方は

こういう向き合い方なのかもなぁ。

 

私は痛くても、辛くても

なるべく、それを見てみたい。し

直接自分が体験したい。と思ってる。

 

弟は、そうじゃない。

 

ってだけのことだったのかもなぁ。

 

それでも、口も手もお金も出さないのは

ある意味、ありがたかったのかもなぁ。

手もお金も出さないけど

口は出す。なんてことはなかったから

私の好きなように、私が思うように

介護出来たのは、幸せだったのかもしれないっす。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに母に会った。

 

 

コロナの関係で

面会が禁止になっていたけど

昨日、洗濯物を取りに行ったら

面会が大丈夫になっていたので

多分、4ヶ月ぶりくらいに母に会った。

 

前回会ったのは

病院に一緒に行った時

6月だったけど、たった4ヶ月で

こんなにも変わってしまうのかと

すごくショックだった。

 

今の母は、車椅子に乗ってて

意識がどこかに飛んで行ってる。

 

6月は、まだこうやって

椅子に座っていたし

母としての人格は、奥に眠ってたけど

母としての意識みたいなものは

まだ、ここにあった。

けど、母としての意識も

ちょっと奥の方に行ってしまっていた。

なんていうか、ただそこにあるのは

母の体って感じ。

 

悲しかったなぁ。

こうなるのが、怖くて嫌で

なるべく漢方薬だけでいきたかったし

薬を飲むと、こうなっていくのを見なきゃいけないのも

知ってたけど

これ以上、母の不穏が激しくなると

きっと母も辛いだろうな。と思って

薬を使う選択をしたけれど

実際に、この姿を見ると

やっぱり、悲しい。

 

思わず、車椅子に座ってる母に

何度も何度も「大好きだよ」って言った。

何度も何度も、足を撫でて

腕をさすりながら、何度も呟いた。

 

母が母じゃなくなったとしても

孫のことを認識出来なくなっても

私にとっては、めちゃくちゃうざくて

めんどくさくて、私の決めたことに

いちいち反対してくる、大好きな母には変わりない。

 

ただ生活しているだけで

それを感じる場面に遭遇するんだ。

バイトしてたら

母と同い年とか、母よりも年上の人達が

お孫さん連れて、買い物している姿を見て

「どーして、うちの母は

こうやって孫と買い物が出来なかったんだろう。

どうして、こんなに早く認知症になってしまったんだろう。」

って思うこともあるし

孫が生まれたから、娘の手伝いに行ってくる。

って話を聞いた時は

「あぁ、もう母は

孫の世話も私も世話も出来ないんだなぁ。」

って悲しくなってくる。

 

だって、私が小さい時にイメージしていたのは

私の子どもと母が遊んでる姿だったし

私の子どもが成人式を迎える時も

私と一緒に、それをお祝いしてくれる姿だったし

そういうのが、全部出来ないのは悲しい。

 

もっと早く結婚してれば良かったはてなマーク

もっと早く子どもを産んでれば良かったはてなマーク

 

そんな風に考えないこともないけど

それでも、今の夫氏じゃないと

母とここまで一緒に暮らすことは

出来なかったと思う。

 

私が納得いくまで

自宅で介護させてくれたのは

もうね、夫氏の協力がなかったら無理だったもん。

 

だから、これが最善で最良だったのは

心のどこかでは、ちゃんとわかってる。

それでも、この後悔というか、悲しさは

絶対に、出てきちゃう。

 

まだまだ、私は、母と一緒にいたかったし

まだまだ、母に甘えたかったし

まだまだ、母にうるさく言われて、それに反発してたかった。

 

私は、きっといつまでも

大好きで大嫌いな母と一緒にいたかったんだなぁ。

って思う。

 

母と思い出話が出来なくなっても

母とどこかに出かけることが出来なくなっても

私の中に、母から貰ったものがしっかりと

根付いているのは、わかる。

 

どんどん母の物言いに似てきているのも

子ども達に話しかけているときに感じる。

子ども達と笑いあってる時に感じる。

私の中に、しっかりと母がいるのが分かる。

 

私は、ちゃ〜んと母の子どもなんだ。

後悔とか悲しさとか

それでもよくやったはずとか

きっと、こんな気持ちを全部抱えたまま

私達は生きていくんだと思う。

 

綺麗さっぱり、何の迷いもない。

なんて人生は、どこにもないんだ。

それでも、私達は

毎日、自分の中にある愛を感じて

周りにある愛を感じて

混沌としたまま、生きていくんだと思う。