どしゅこいの大嘘吐き日記 -12ページ目

 

どんなモノも、いつかは壊れたり 使えなくなる運命にあります。

Windows10が 25年の10月14日でサポ-トされなくなると 知ってはいたのですが

バ-ジョンアップするのが なんだかダルイな・・・っと思っていました。

 

でも 時間なんてあっという間に過ぎてしまうので、

さっさとWindows11にしなければ・・・っと思って 昨日調べてみたら!

今私が使っているPCでは バ-ジョンアップが出来ない!っということに気が付きました。

つまりは新しいPCを買わないとイケナイということです。;; うぅぅぅぅううううう。;;

officeも 2013年以前のモノは 使えないみたいですよ。;;

 

いつもお世話になっている中古・修理PC屋さんに行って

昨日は(中古だけど)新しいPCを買ったのですが、

PCとモニタ-を繋ぐ変換プラグだけは 大きな電気屋さんで買ってくださいと言われたので

すぐに池袋のビッグカメラに行って買って 家に戻り PCを接続しようと思ったら!、

買ったばかりの変換プラグが どうしても繋がらないのです。(T-T)

 

私の馬鹿力で 無理やりこじ入れると 絶対に壊れる確信があったので、

PC本体と 買ったばかりの変換プラグを持って 

中古・修理のPC屋さんに戻ったんですよ。;;

そしたら お店のお兄さんに 指定された変換プラグが、違っていた様子。

 

元々 変換プラグのことが よくわからなかったので  

担当のお兄さんに 紙に買うべきモノを書いてもらって 

間違いのないように電気屋さんで確認して買ったので、

どう考えても、中古PC屋のお兄さんのミスなんですよねぇ。

でも そこを責めても 何にもならないしね。( 全然怒らない私→ 大人の対応)

 

・・・って ことで 結局 お店の中古の変換プラグを、無料でいただいてしまいました。

( 最初っから無料でくれていたら 

  わざわざ大型電気店にまで いかなくても良かったのにぃぃいいいいい)

お店のお兄さん 最後まで謝らなかったけどね・・・( ヤツは小者・・・ぼそって)。

 

何やかんやで あっちに行ったり こっちに行ったりして

 一日があっという間に 過ぎてしまいました。;;

でもとにかく こうやってPCが繋がって よかった♪良かった♪っ・・・てことで。嗚呼!

 

 

クラウンレコードのディレクタ-だった中根康旨さんから電話が入って

今度レコーディングでバックボーカルが必要だから 呼びますっと言われた。

そして赤坂見附のクラウンのスタジオで コーラスを2曲歌った。

 

これが大学入学当時の私の 音楽の仕事始めとなった。

確か女性ボーカルのラジさんも御一緒した筈なんだけど

他の仕事で御一緒したのか ちょっと記憶が曖昧です。

ムーンライダースのコーラスで御一緒したのかな?。(あるつ)

 

ラジさんは とっても素敵なお姉さんっていう感じで

新参者の私にまで コーヒーをご馳走して下さった。

大人の女性のお心遣いに 吃驚して恐縮した私。

素敵な大人の真似をして 私も大人になっていくんだなって思いました。

 

 

生まれて初めてのレコーディングで 印象に残っているのは、

ドラムの林立夫さんがとっても気さくなかたで

待ち時間に 椅子に座った状態で 「 足だけのサンバの踊り方 」を 

レクチャーしてくださったこと。

とっても洗練された大人の男性だなぁって 思いました。

 

今 昔の自分の歌を聴いてみると 超・赤面モノで

ヘッドホンの使い方とか マイクの使い方が全く判っていないので

ただ大声を出して 必死に歌っているし ピッチも悪いぜよ。

それにしても高校生の時の憧れのティンパンアレイと前田憲男さんの共演のアルバムが、

私の仕事始めになるとは・・・。

 

それにしても当時の私は、

まさか この年齢まで(65歳)音楽を続けるとは思ってもいなかった。

 


 

 

 

 

 

私の記憶違いかも知れませんが、

俳優の吉岡秀隆さんは ずっと俳優を辞めたくて辞めたくて 

しょうがなかったみたいですね。

子役からずっと仕事をされていらっしゃるし 

そういうイメージではなかったので 驚きました。

『 近いうちに辞めるんだ!』・・・っと思っている人に限って 

意外と長く俳優を 続けてしまうものらしいです。

勿論 仕事は一人では出来ないし 

色々なご縁や 思いがけない事が起こって モノは進んでいくものらしい。

 

・・・人生 振り向いたら続いていた、

或いは 途中で諦めて辞めた、

或いは 途中で辞めたけど またやっている・・・という感じですかね。

 

 

忘れもしない去年のクリスマスの日に 

素晴らしいフランスのジャズボーカルのアルバムと出会ってしまいまして、

『 うわ-!こんな音楽の世界があったんだ! 』っと 

100点満点200点のアルバムに心酔してしまいました。

 

私は 可也のハードリスナーな方だと思いますが、

その私が そう思えるアルバムと出会えるのは 

10年ぶり以上の 事だと思います。

本当に 全く予期していませんでした。

 

でも ひとたびそういう音を聴いてしまうと、

自分でもやってみたくなるのが 私のサガで御座います。

アルバムの一曲目の日本語歌詞をひとつ書いたところで、

急に冷静になりました。

もし万が一 私がアルバム全12曲の歌詞を書きあげられたとしても

許諾の申請後 先方からのOKを貰えなければ 

一歩も先には 進めない事に気が付きました。

 

慌ててアルバムを歌っているシンガーに

フェイスブック経由で その旨を伝えて

作曲者たちに 頼んで頂く事にしました。

こういうことが出来るインターネットは 本当に凄いと思います。

駄目でもOKでも 直ぐにそれが判るということは余計な時間の無駄がないから

本当に素晴らしいです。

 

大学生時代に 音楽の仕事をするようになって

当時 学生にしては破格のギャラを頂きましたが、

あまりにも高額だったので 

『 こんな事は いつまでも続くわけはない 』っと思っていた私です。

また両親からは 音楽を反対されていて

 「 お前はカブキモノだぁぁぁ~」と常に軽蔑され 非難されていたので

『 自分がやっている事(音楽の仕事)は 虚業である 』という思想が 頭の半分を支配していました。

そういう迷いがあった為に 俳優の吉岡秀隆さんみたいに

「 きっと直ぐに辞めるんだ 」っという気持ちが 常にありました。

 

誰が何と言おうと私が正しい!っと思えていたら 

私の人生は 可也変わったと思います。

フェアーチャイルドのyouさんが まだ有名ではなかった頃の話、

小さなライブスポットのコンサートに出演する時、

ご家族が観に来てくれて いつも応援の意味で1万円をくれたそうです。

そういうご家族がいると いいですよねぇ。^^

 

現在の私は 65歳です。

途中 長いブランクもありましたが、

50代で再び録音をすることになり、

そういう意味では 意外に長続きしていますよねぇ。

60代になって 大病も経験したし 

でもその後アルバム「 蓬莱 」もリリース出来たので

私がやりたい事は 遣り尽くしたかなっと思っていたのですが・・・。

 

去年の暮れに出会ってしまった凄いアルバムのせいで

またアルバムを 作ろうと思っています。

今朝 全曲の許諾がおりました。^^

 

・・・ただし いつも私のやっている事は ふとした思い付きであり 

あくまでも 気分でやっている事です。

今回は いつも以上に、計画的に どうのこうのという事でもなく

成り行き任せで あるがまま なすがパパですが、

兎に角 やれる所まで 頑張ってみようと思っています。