大震災後…被災地石巻市へ③
お墓をあとにしたオイラ達は
親戚のもとへ向かった
ただ、どこに居るかわからない状態だったが
役所の人間なのでひとまず役所へ
親切丁寧にそこの役所のひとが教えてくれた
地図までもらってそのひとが居る所へ向かう
やはりそこへ行くのも険しい道のり
小さい橋を渡る
しかし、その橋もガードレールなんかは無く
落ちたらOUT状態
やっとの思いでたどり着くも不在だったが
しばらく待ってみる
10分程度でそのひとに会えた
感動の対面
忙しい仕事の最中に時間を作ってくれた事に感謝
まず、無事で何より
震災の日、たまたま別の地方へ出張だったらしく
難を逃れたらしい
しかし、よかった等とは言えない
その人は奥さん、息子さんを亡くして
奥さんと一緒だったであろうおばあちゃんは今だ行方不明
数日前に…見つかった奥さん
ずっと探してた、僕らも被災者名簿を見て必死で名前を探した
でも見つからない
新聞にその奥さんの名前が掲載されていたのは
ほんの数日前
Zマザー…おばちゃんパワー炸裂で
聞きづらいことをどんどん聞いていく(爆)
良いのか悪いのか…
でも、おじさんは話してくれた
奥さんは僕らが田舎に行く度に
おいしいコーヒーを入れてくれた
とてもおいしい、至福の時間を与えてくれる
ブレイクタイムを味わえた
数日前ようやく遺体が見つかった
でも瓦礫の間に挟まっていて
顔も体もとても綺麗な状態だったという
それが「良かった」…と
良かった?!…また俺も自問自答するが
良かったと思うしかない
おばあちゃんはまだ、見つからない
ひょっとして巨大な津波
そして、その後強烈な引き潮で
海まで持っていかれちゃったのかも…と言っていた
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ここからあまり良い表現ではない文章が出てくるかと
思われます。ご了承ください
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
息子さんは今だ行方不明
…でも
本当は今は鑑定中との事
震災後遺体捜索作業は自衛隊の人らが
懸命に昼夜問わず、その足で探してくれていた
ただ、あまりにも津波が海から
モノを運び破壊し瓦礫を運んできた
なのである一定のところで打ち切られ
今度は重機による瓦礫撤去作業兼遺体捜索活動
その時、運よく?!発見できたらしいのだが
ショベルカーにより、顔の半分が無くなってしまっていた状態
だったらしい
もっと慎重にやってくれれば…なんて
そんな事は言えない
ショベルカーで瓦礫をどけなければ
見つからなかった。
でも、それでも遺体が見つかってよかったんだ
もう本当に切なくて悲しくて悔しいけど
この集落に震災時に居て助かった人は
本当に奇跡だということ
亡骸でも…もう一度きちんと会える事が
幸せだという事
息子さん、顔の半分が亡くなっちゃってたけど
身につけていたものや服装などで
ほぼ、間違いなくおじさんの息子さんのようだ
でも、「多分…」で済まされる話じゃないので
今鑑定中だということ
息子さんは18歳
グーグルの安否情報確認サイトにも
皆が探していると書き込みが多数あった
その日は教習所に行っていて
教習終わり、家に帰宅していたらしい
…寄り道でもしていてくれれば…。
イトコの子がブログを書いていて
そこにはこう綴ってあった
『お前はいとこでもあり
親友でもあったな!
お前は悔いるばかりだろうけど.
俺はオマエとの思い出に悔いわないよ!
毎日楽しがったおんっ!!
俺らグループのリーダー格が
いねぐなってさ
俺らどうするっけや~
早過ぎるべ..
んでもオマエの事
心配してや人数えキレないほどいだど!!!
愛されてんな!
俺.オマエの事思えば
どんなことでも乗り越えられそうだよ
俺お前の分まで
がんばっからな
次会う時は
笑って会おーぜ』
イトコの子も若いのに…前向いている
暗く落ち込んでもおかしくないのに
世の中には義援金詐欺とかクソみたいな奴もぎょーさん
おるのに…なんで、こんないい子が逝かないかんかな…。
おじさんも…自分だけが生き残って
さぞかし辛いだろう
でも役所の人だから自分の仕事が
被災者の助けになる事がイコールなんで
弱音を吐いてる暇なんてないらしい
心が痛む
だが、俺が泣いても仕方ねー
涙はこらえる
何か必要なもの…ありますか?
東京で調達して送りますよ!
そういうと
被災者の方は皆こう答える
…特に必要なものと言っても
数え切れない…全部だから。
遠慮もあるし現実でもあるだろう。
せっかく会えたので記念撮影して
その場をあとにする
長居も出来ないしね
続く
親戚のもとへ向かった
ただ、どこに居るかわからない状態だったが
役所の人間なのでひとまず役所へ
親切丁寧にそこの役所のひとが教えてくれた
地図までもらってそのひとが居る所へ向かう
やはりそこへ行くのも険しい道のり
小さい橋を渡る
しかし、その橋もガードレールなんかは無く
落ちたらOUT状態
やっとの思いでたどり着くも不在だったが
しばらく待ってみる
10分程度でそのひとに会えた
感動の対面
忙しい仕事の最中に時間を作ってくれた事に感謝
まず、無事で何より
震災の日、たまたま別の地方へ出張だったらしく
難を逃れたらしい
しかし、よかった等とは言えない
その人は奥さん、息子さんを亡くして
奥さんと一緒だったであろうおばあちゃんは今だ行方不明
数日前に…見つかった奥さん
ずっと探してた、僕らも被災者名簿を見て必死で名前を探した
でも見つからない
新聞にその奥さんの名前が掲載されていたのは
ほんの数日前
Zマザー…おばちゃんパワー炸裂で
聞きづらいことをどんどん聞いていく(爆)
良いのか悪いのか…
でも、おじさんは話してくれた
奥さんは僕らが田舎に行く度に
おいしいコーヒーを入れてくれた
とてもおいしい、至福の時間を与えてくれる
ブレイクタイムを味わえた
数日前ようやく遺体が見つかった
でも瓦礫の間に挟まっていて
顔も体もとても綺麗な状態だったという
それが「良かった」…と
良かった?!…また俺も自問自答するが
良かったと思うしかない
おばあちゃんはまだ、見つからない
ひょっとして巨大な津波
そして、その後強烈な引き潮で
海まで持っていかれちゃったのかも…と言っていた
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ここからあまり良い表現ではない文章が出てくるかと
思われます。ご了承ください
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
息子さんは今だ行方不明
…でも
本当は今は鑑定中との事
震災後遺体捜索作業は自衛隊の人らが
懸命に昼夜問わず、その足で探してくれていた
ただ、あまりにも津波が海から
モノを運び破壊し瓦礫を運んできた
なのである一定のところで打ち切られ
今度は重機による瓦礫撤去作業兼遺体捜索活動
その時、運よく?!発見できたらしいのだが
ショベルカーにより、顔の半分が無くなってしまっていた状態
だったらしい
もっと慎重にやってくれれば…なんて
そんな事は言えない
ショベルカーで瓦礫をどけなければ
見つからなかった。
でも、それでも遺体が見つかってよかったんだ
もう本当に切なくて悲しくて悔しいけど
この集落に震災時に居て助かった人は
本当に奇跡だということ
亡骸でも…もう一度きちんと会える事が
幸せだという事
息子さん、顔の半分が亡くなっちゃってたけど
身につけていたものや服装などで
ほぼ、間違いなくおじさんの息子さんのようだ
でも、「多分…」で済まされる話じゃないので
今鑑定中だということ
息子さんは18歳
グーグルの安否情報確認サイトにも
皆が探していると書き込みが多数あった
その日は教習所に行っていて
教習終わり、家に帰宅していたらしい
…寄り道でもしていてくれれば…。
イトコの子がブログを書いていて
そこにはこう綴ってあった
『お前はいとこでもあり
親友でもあったな!
お前は悔いるばかりだろうけど.
俺はオマエとの思い出に悔いわないよ!
毎日楽しがったおんっ!!
俺らグループのリーダー格が
いねぐなってさ
俺らどうするっけや~
早過ぎるべ..
んでもオマエの事
心配してや人数えキレないほどいだど!!!
愛されてんな!
俺.オマエの事思えば
どんなことでも乗り越えられそうだよ
俺お前の分まで
がんばっからな
次会う時は
笑って会おーぜ』
イトコの子も若いのに…前向いている
暗く落ち込んでもおかしくないのに
世の中には義援金詐欺とかクソみたいな奴もぎょーさん
おるのに…なんで、こんないい子が逝かないかんかな…。
おじさんも…自分だけが生き残って
さぞかし辛いだろう
でも役所の人だから自分の仕事が
被災者の助けになる事がイコールなんで
弱音を吐いてる暇なんてないらしい
心が痛む
だが、俺が泣いても仕方ねー
涙はこらえる
何か必要なもの…ありますか?
東京で調達して送りますよ!
そういうと
被災者の方は皆こう答える
…特に必要なものと言っても
数え切れない…全部だから。
遠慮もあるし現実でもあるだろう。
せっかく会えたので記念撮影して
その場をあとにする
長居も出来ないしね
続く