時をかける戦地売春婦イ・ヨンスの証言 | Doronpaの独り言

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イ・ヨンスを迎え、証言を聞き、上田発言撤回謝罪を求める集会

◇ 日時    一〇月三日(火)18:30~20:30
◇ 場所    埼玉会館7B会議室(浦和駅西口 徒歩6分)
◇ 証言者   イ・ヨンス(韓国元「従軍」慰安婦)
  コーディネーター  西野瑠美子(「女たちの戦争と平和資料館」館長)
◇ 参加費  八〇〇円

上記の通り、一〇月三日(火)、埼玉県で戦地売春婦の証言集会がありました。この集会について(直前でしたが)情報が寄せられ、何とか時間をやりくりして参加することができました。元戦地売春婦李容洙(イ・ヨンス)の証言を生で聞いて参りましたので、今回の記事はその報告を掲載したいと思います。

正直なところ、こうした極左の集会が真実を知るものにとってはただの苦痛にしかならないことは百も承知でしたが、それでも
「一九四四年から三年間、台湾で日本軍に無理やり性奴隷(いわゆる従軍慰安婦)にさせられた」と証言したことで知られる、時をかける売春婦イ・ヨンスの証言がどのようなものか聞いてみたいという誘惑もあり参加することにしたのです。会場は埼玉会館の一室で、私が到着したのは18:20頃でした。会場内は当初はまばらでしたが、最終的に満席に近い50~60人くらいが参加していたと思います。まず極左団体の代表などの挨拶があり、その後イ・ヨンスが西野留美子と通訳二人を伴って登場し、早速とばかりに慰安婦芸を披露します。かなり話慣れているようで、このことからも慰安婦芸で飯を食ってきたその人生をうかがい知ることができました。

イ・ヨンスの話によれば、彼女には兄一人と弟五人がいたそうです。月の明るい夜に日本の軍人に呼び出され列車に乗ったのが売春婦としての第一歩だったとのことです。十六歳の時の出来事だそうで、現在七七歳ですから六十年も前のことをよく覚えているものだとその記憶力を賞賛したくなるほど、微に入り細に入り詳しく軍人の様子などを話していきます。
自宅があった大邱(テグ)で日本兵に無理やり汽車に連れ込まれ、慶州を通り平壌に向かったそうです。
最初の話では「窓枠のない」閉じ込めるだけの汽車に乗せられたと証言しておきながら、その直後に今度は汽車から窓を開け「お母さん、助けて」と叫ぶと軍人に気を失うほど殴られたと証言するあたりが、やはりケンチャナヨなのでしょう。一体この時、イ・ヨンスが何語(日本語? 朝鮮語?)で話していたか非常に興味深い話です。その後、大連まで連れて行かれると、今度は船で台湾の新竹という場所に運ばれたと証言しています。大連の港に11艘の大きな船が並んでおり、そのうちの1艘に他の四人の朝鮮人売春婦と一緒に乗り込んだそうです。さらにこの船には三〇〇人の日本の兵隊がおり、その日本兵たちによって陵辱されたと証言していました。まだ詳しく検証していませんがこの辺りの話に証言を突き崩せるヒントがあるように思います。

イ・ヨンスが最終的に連れられていったと証言している台湾の新竹は現在は台湾空軍の基地になっていますが、当時は日本軍特攻隊の基地で、そこでイ・ヨンスは「ヤスハラトシコ」という名前をつけられて売春婦として働いたとのことです。もちろん、日本兵によって無理やりという話がつきますが。当初、イ・ヨンスは売春を拒否していたため酷い拷問を受けたと言っています。
刀で太ももの肉をそがれ、電話線のコードをむき出しにしたものを手首に巻きつかれ電流を流され……。この辺りになると、その創造性豊かなマゾヒズム的な話に笑いを堪えるのが大変でした。よくこうした話を思いつくものだと感心するばかりです。その後、イ・ヨンスは何故か特攻隊の日本軍兵士と恋仲になったと主張し、彼のためにも自分はこうした悲惨な状況を訴えて回っている旨を発言していました。だんだん、脈絡のない証言になっていきますが、一九四六年に帰国し、釜山経由で故郷の大邱に帰ったそうです。そして、一九九二年に挺身隊問題対策協議会(挺対協)の呼びかけに応じて元戦地売春婦(いわゆる従軍慰安婦)として名乗りを上げたとのことでした。なお、イ・ヨンスは「従軍慰安婦はいないなどと言っているが、被害者である私がここにいることが何よりの証拠だ」と話しており、つまり証拠はないが自分の(二転三転する)証言が何より絶対的な証拠なのだと考えており、まわりの極左グループの面々も同様のようでした。

駆け足で二時間以上の証言をかいつまんで書いてみました。皆様も読まれて疑問に思う箇所が多々あるかと思います。こうした証言を一つずつ突き崩し、戦地売春婦問題がいかに虚構にまみれているかを世に広めていかなければなりません。この記事は証言会の際にとっていたメモを見ながら書いていますが、このメモの端にイ・ヨンスの様子を走り書きした部分があります。「感情の起伏が激しい」「キチガイ」「妄想」「興奮状態」「自己陶酔」「泣き女」……まず日本人にはいないタイプであり、典型的な朝鮮民族の気質を表しているような韓国の婆でした。しかし、どんなに愚かな朝鮮民族であっても勉強はしているようで、先述の「一九四四年から三年間性奴隷に…」という話はなく、こうした矛盾点をつかれていくたびに話のネタを軌道修正しているように思えました。
嘘に嘘を重ねているといえばそれまでですが、証言をする婆たちはこうしてより完璧な嘘を目指し、慰安婦芸に磨きをかけている事実を私たちは留意するべきでしょう。

イ・ヨンスが証言会の最後に話した内容をそのまま書き取って、今回の記事を締めさせて頂きます。このイ・ヨンスの発言を皆様はどのように感じられるでしょうか? 

「日本は本当に自分たちが悪いことをしたのを全然分かりません。北朝鮮の拉致? その問題に対していっそう何だのといっていますので、分かっていないでしょうね。朝鮮ばっかり。娘じゃないですよ、子供ですよ。何千人も連れて行かれて、性奴隷をさせて、殺して、そうなのに、その問題を早く、自分たちが解決しないで、ちゃんときちんと解決して、北朝鮮の拉致問題をね、早くね、解決するより私は言います。自分のことを知らないで、北朝鮮が拉致したと言いながら、それのために安倍晋三も言いましたよ。なぜそれを知らないですか? 一人二人じゃないし、もう一人二人だって朝鮮は、韓国はもし泥棒が入って身体だすか? 命だすか? といわれたら命だします。どこだってそうだと思いますが、特別ですね韓国はそうなんです。~(中略)~皆さんには何の罪もありません。若い人たちは隣の国だもの。一緒に手をつないで仲良くしましょう。でも、日本の政府は許されないです。私の前に謝って、私の青春を賠償しないと。」


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