【再掲】前しか向かねえ | DORON'S BLOG

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日々おもうこと。

1994年2月14日。
この日は僕にとって
今でも忘れられない日になっている。

当時、
僕は都内の百貨店に勤めていた。
奇しくもこの日はバレンタイン。

従業員の数だけは多いので、
どろんでも義理チョコがもらえる
楽しみな日のひとつだった。
チョコなら売り場に売る程あるし。
…って、売ってたけど。

その日もチョコがもらえる事を
期待して会社に向かい
車を走らせていた。

どろんの自宅は『ほぼ県境』の為、
会社までの道のりは遠い。
区でいうと3つくらい離れていた。
毎日一時間半くらいの通勤時間。

因みにどろんは極度の方向音痴。
″道なりにまっすぐ。″と
言われても目的地には着かない。
当時はカーナビもそんなには
普及していなかったし。

そんなどろんの
ドライビングコンセプトは
『とりあえず幹線道路を行く。』
(友人曰く″四角くしか走れてねw″)

この日は何時にも増して
激しい渋滞。
30分程走っても住んでいる区を
出られない状況だった。

″今日は二時間コースだな。″

車が進む先には
環状道路との交差点がある。
そこへ右左折する車が列を成す為、
曜日や交通状況によっては
クリープ現象(※エンジンのかかった
AT車がアクセルを踏まないのに
車が進んでしまう現象。)でのみ、
車が進んでいる感じ。
交差点を過ぎるまでは車が流れないのだ。

そして。

僕の車が間もなく、その交差点に
差し掛かろうとした時にそれは起こった。

″ドーン″
後方からの凄い衝撃を感じた。
直後″ガッシャーン…パラパラ″と
フロントガラスが割れ、
大きな音と共にダンプカーの
荷台の下に潜り込んで車は止まった。
(ダンプカーは直後に現場から消えた。)
人生で体験した事のない衝撃。

″???″

僕は訳が解らないまま、
茫然となり
『今、自分の身に何が起きたか』を
思い出そうとするが
衝撃があった事だけで
何が起こったのかが解らない。

ひとつだけ確かなのは

『自分の過失ではない。』
僕の後方に居た車による
追突だった。

割れたフロントガラスは
飴細工の如く幾つもの
幾何学的な線を描き、
そこに在るはずの
車の天井はなく青空が見えた。

何よりも有り難かったのは
周囲の人達による善意の救護が
始まった事。
(…まあ、逆に
『事故ってんじゃねーよ、バーカ!』
と走り去る車の姿もあったけど。)

″こっちの人、意識ないよー!″
僕にぶつかった車のドライバーは
意識を失い腰椎骨折の重症。

僕は幸い
フロントガラスの破片が
顔全体に飛んできた事で
顔に小さな無数の傷を
作ったくらいだった。

『大丈夫?出られますか?』
一人の男性が声を掛けてくれた。

自分の足が不自由で
動けない事を伝えると
周囲の人と数人がかりで
天井の無い車の運転席から
僕を引き上げ、車椅子まで
引き出して事故現場近くの
救護に協力してくれた方の
勤めるオフィスビルへと
運んでくれた。

ビルに入る直前、
自分の車の状態を見ようと
振り返った。

そこにあったのは
さっきまでの
自動車ではなく
″直角三角形″となった
『黒い鉄屑』だった。

事故に遭った事を家族に
携帯電話で報告。

『これ、使ってください。』と
オフィスの女性社員が
タオルを渡してくれた。

顔の血を拭いていると
救急車とレスキュー隊が到着し
僕は救急車で自宅近くの病院に
搬送された。

幸い、顔の細かい切り傷以外に
外傷が無かった為、
病院に駆け付けた家族と帰宅。

すぐさまシャワーに入った。
鏡で自分の顔をみると細かい無数の傷。

そして鼻腔内に違和感。
鼻をかむ度に出てくるガラスの破片。

口腔内からもジャリジャリと
ガラス片が出てきた。

次の日 、僕は管轄の警察署にいた。
事情聴取と事故の概要の説明の為だ。

″あなたの後方の車の運転手が
運転中に居眠りをした為、
あなたの車に衝突。その衝撃で
加害者とあなたを含む計五台の事故。″
というのが事故の概要だった。

続いて事情聴取。
″あなた(どろん)は、
ほぼ車が止まった状態で追突された。
間違いないですね?″

『はい、渋滞していたので
車は遅い速度では進んでいましたが、
ほぼ止まっていた状態でした。』

″あなたにケガを負わせた
ドライバーに対してですが、
法に基づいた処罰を求めますか?″

もちろんだ。
加害者のせいで僕は交通手段を失った。

『はい、求めます。そして車を
弁償して頂きたい。』と要求を伝えた。

すると、警察官は難しい顔をした。
″加害者を調べたところ、
任意保険には未加入でした。

この場合、自動車の弁償は
難しいでしょう。″との事だった。

勿論、自賠責保険に加入しています。
が、自賠責で請求出来るのは、
事故で負ったケガの治療費のみなんです。』

納得が行くはずがないが、
警察で異議を唱えても意味がない。

″えー、後ですねぇ…。″

帰ろうとした僕を呼び止める様に
警察官が加害者について語った。

″加害者は重症で入院中ですが、
その親族の住まいが
あなた(どろん)の自宅近くにあります。

加害者の親族が謝罪したいと
話していますがどうしますか?″

任意保険に入らずに、居眠り運転で
事故を起こし、自分から車を奪った。

『是非、お越し頂ける様にお伝えください。』
そう言うと僕は警察署を後にした。

帰宅後間もなく親族らしい人が
自宅を訪れた。

僕はとても応対出来る精神状態では
なかったので家族が応対した。

加害者は近くに家を借りていて
経済力がなかった。

『これで許して下さい。』と

″お見舞い″ と書かれた袋を
いくつか置いていった。
(恐らく加害者がもらった物を
そのまま持ってきた。)
…車を買うには程遠い金額だった。

事故から数日、会社は休み
労災扱いで自宅療養。
(義理チョコももらえず。)

数日後、事故に遭ったのに
こちらの負担で買った新車が届く。
これで職場に復帰する事が出来る。

『全て元通り』。

多少の(多少じゃなかったけど!
がるるるる。)負担はあったが
なんとか事故前と同じ生活は
出来る様になった。

ただひとつを除いては。

というのも
事故に遭った日から
夜は眠れるのだが、
眠っていると突然、

″ドーン″という衝撃と
″ガッシャーン…パラパラ″
というフロントガラスの音、
それに畳み掛けるダンプカーの
下に潜り込む、事故の時に
味わったそのままの衝撃で
毎晩、真夜中に目が醒める。

『事故によるPTSD』。

あの時と同じ感覚が
毎晩フラッシュバックするのは
気持ちの良いものではなかった。

薬を服用する治療も選択出来たが
『時間が解決してくれる。』と
自分に言い聞かせ事故前の生活へ戻った。
それから何ヵ月も
フラッシュバックは続く。

それから約一年。

事故のフラッシュバックではない
夢を見た。その時に初めて
『僕はもう大丈夫。』と
思える事が出来た。

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AKB48のメンバーに対しての
殺人未遂事件。

一番願うのは被害に遭った
メンバーとスタッフの一日も早い回復。

他のスタッフやメンバー達は
彼女達の支えになってあげて欲しい。

今後、握手会が再開されるのか
未だ不明だが運営は荷物検査を
行わなかった等の
これまでの安全対策を
猛省して二度とこの様な事件が
起こらない対策を実施する事。

演者とスタッフ、
そしてファンが再び笑顔で
楽しい時間を共有出来る様に。

そう
『前しか向かねえ』。