今年も「除夜の鐘」を行います

 

例年通り、除夜の鐘を行います。

 

洞林寺の場合、午前0時の時報と共に、住職が最初の一声を鳴らします。住職が三声撞いて、お並びの方に交代致します。

 

鐘を撞くのは、一人一声ずつにお願いしております。

鐘を撞く前に、手を合わせ、鐘に向かって合掌礼拝してから、撞くようにしてください。

除夜の鐘は午前1時までとさせていただきます。

 

本堂を参拝された方には、洞林寺御本尊の御真影を差し上げます。本堂前の賽銭箱の左側に置いてあります。お一人様一枚ずつお持ちください。

名刺サイズの三つ折りのカードです。中に、『十句観音経』の経文と解説があります。

 

通常の御朱印の対応は出来かねます。その代わりというわけではありませんが、書置きの御朱印を用意しました。カラー多色刷りで切絵になっています。限定15枚です。

今晩は風が強いようなので、「書置きの御朱印」は本堂前には置きません。希望される方は本堂前にある鈴を鳴らして、寺の者をお呼びください。

 

 干支の絵馬もございます。

 

 

 

 

 

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39年振りの「秋葉の火祭り」訪問記 その1

  12月15日 静岡県袋井市 可睡斎

 

1、前置き 

 昭和61年12月、駒澤大学大学院の先輩である渡部正英老師(当時、駒大の非常勤講師だったと思います)に御導き頂き、いわゆる「秋葉の火祭り」に初めて行きました。この時、12月15日に可睡斎の火祭り、16日に本宮秋葉神社と秋葉寺の火祭りを参拝させていただいた。また、清水市西久保にある秋葉山峰本院にも参拝した。

 以前にも、ブログにも書いたことがあったが、私の生まれ育った岩手県千厩町の大光寺では鎮守として秋葉三尺坊権現を祀っています。どんな権現様なのか、私も全く知らなかったし、住職である父に聞いても「火伏の神様だ。」という程度の説明だった。駒澤大学の大学院に入った時、秋葉三尺坊権現について調べてみたいと思ったが、全く五里霧中の状態であった。

 

 せっかくの火祭りに行くので、かっての私の教え子のKAZZ(家庭教師をしたことがあったので)に同行ならびにビデオ撮影をお願いした。彼は学生時代、大学の勉強をしないで映像関係の活動に費やしていたので、一応ビデオ撮影のプロであった。そして、その当時は、小さなカクテルバーのオーナー兼バーテンダーであった。店を休んでつきあってくれた。KAZZに祭典の進行と儀礼の流れを撮影してもらい、後日VHSビデオに編集してもらった。思い付きで依頼したビデオ撮影であったが、それが後日可睡斎・本宮秋葉神社・秋葉寺に行き、当事者に話を聞く上で非常に役立った。たった1回しか火祭りを見ていないにもかかわらず、何度何度も火祭りに来ている人と同等以上の情報量を取り込んだ上での聞き取りすることが、出来た。

 

2、可睡斎の火祭り (前編)

前置きが長くなってしまったが、今回の訪問のことに入ろう。

 

 12月15日、仙台駅9:12発の「はやぶさ」に乗り、東京へ。仙台到着が15分遅れたので、東京駅での「ひかり」への乗換えが危ぶまれた。東京駅到着前に出口に立ち、急ぎ足で東海道新幹線ホームへ向かう。エスカレーターを上りホームに着いたら、出発のアナウンスは響いていたが、幸い「ひかり」のドアは空いていたのでギリギリで乗車できた。浜松駅に着き、南口の食堂で浜松餃子の定食を食べ、レンタカー会社に向かう。12月中旬だがジャンパーを着てると、暑い。レンタカーを借り、袋井市に向かう。

 可睡斎に到着し、総受付でチェックインの手続き。今まで御朱印は頼んだことがなかったが、11月に伊勢神宮で御朱印帖を購入し、訪問した社寺で御朱印をお願いしたので、可睡斎の御朱印をいただく。

 

 役僧の方に部屋まで案内していただく。部屋まではちょっと遠いが、一人で個室はありがたい。前日に購入したばかりのOSMOアクションカメラの操作方法をマニュアルでお勉強。新しい電気機器を使いこなせない年寄りになってしまったことを痛感する。マニュアルを読むのも、正直苦痛だ。よくわからん。

 

 午後3時前、法衣に着替え、三尺坊御真殿に行く。祭典御祈祷が始まる。

 般若心経は普通だが、消災妙吉祥陀羅尼と金光王最勝妙経は独特の読み方をする。大般若転読文もちょっと独特。

 

 御真殿から三尺坊権現を神輿に乗せ、奥の院不動堂に向かい、不動堂で諷経。

 

 神輿と書いたが、予想した神輿は神輿蔵に置いたまま。二人で運べる小さな龕のような木箱に三尺坊権現をお移しし、輦台に乗せて奥の院まで移動した。受付で神輿のことを聞いたら、役寮さんが「神輿の担ぎ手が居なくなったので、大きな神輿から小さな神輿に変更せざるを得なくなった。」そうです。39年前に来たときは、講中の人数も多く、神輿が大きいから、本堂で御祈祷を行い本堂から神輿が出発したと思う。時の流れの中で、変化しているようです。

 奥の院から下る途中、采川斎主老師にちょっと挨拶し、ブラジルの弟子のことでちょっと相談。更に、1月に特安する弟子のことを宜しくとお願いする。可睡斎にとって一年の中でも非常に大事な行事の日に、斎主老師と一緒に話をする時間をいただけて、ありがたかった。

 

 午後5時、夕食のアナウンスがあり、斎堂へ行く。席は決まっており、名札が置いてあった。精進料理だが、御神酒もついていた。

 

 

 

 

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取材を受けました

 

 取材と言っても、新聞やテレビではなく、全国曹洞宗青年会の広報誌『SOUSEI』の取材です。

 

 全国の曹洞宗寺院14000箇寺に配布してますから、かなりの発行部数です。

 

 お盆が終わったころ、全国曹洞宗青年会の広報委員会副委員長の信行一宏師から取材依頼の電話が有り、少々驚きました。私なんか取材したって、面白い記事にはならないよ。と固辞したけど、細々とこのブログを続け、記事を書いていることについて取材したいということなので、お受けしました。

 

 信行師によれば、『伝える言葉、残す想い』という特集記事のための取材との事でした。10月に洞林寺まで来られ、住職の学歴職歴、研究活動、洞林寺の会報、会報の記事を載せているブログについて取材を受けました。

 約2時間近くのインタビューでしたから、文字に起こすとかなりの分量だったようです。広報誌の紙幅の関係で全部を掲載できず、編集委員の方も苦労されたようです。

 

 広報誌の限られた紙幅の中で、「住職の下手な法話を洞林寺婦人会の方々が辛抱強く聞いて下さった。毎月の婦人会でお話しする原稿作りが会報の原稿の基礎となってきた。」「会報は毎号発行するには、原稿を書いてくれる方が居て、続いてきた。」「広報幹事の護持会役員の方々が、集まった原稿の校閲に加えて、原稿や写真の提供に努めて下さった。」という大事な部分は掲載してくれました。洞林寺護持会会報『錦柳』の発行にご協力くださった皆様に感謝し、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。

 

全国の曹洞宗寺院には既に配布済みですので、何人かの方から「記事、読みました。」「載ってました。」とお声がけいただきました。

 全国曹洞宗青年会のホームページにアクセスすれば、「SOUSEI」のバックナンバーを読むことは出来ます。下記のURLのアクセスしてみてください。

 

 

但し、現時点で私が取材を受けた最新号は掲載されていません。近日中にはupされると思います。

 

 

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新寺の菅谷不動尊祭典

 

 

 洞林寺に祀る菅谷不動尊の祭典が9月27日28日に8日に開催されました。町内の小学生幼稚園児の人数も祭典委員の人数も昔に比べると、かなり減少しました。祭典委員は少人数ですが、町内会役員や親父の会やジュニアリーダー等の協力をいただいて、神輿巡行と縁日やビンゴゲーム大会を無事行うことが出来ました。

 

 

熱中症対策と言うことで、令和6年から9月の第四土日の開催となりました。当日は好天に恵まれ、熱中症の心配も無く、安堵しました。盆踊りも無くなり、学区民運動会も無くなり、高齢者も子供も一緒に楽しめる町内行事は菅谷不動尊祭典だけになってしまいました。昭和二十七年から続いている祭典、今後も大事にしていきたいと思います。

 

 

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秋彼岸法要の後に洞林寺終活講座を開催しました

洞林寺終活講座 令和八年

住み慣れた地域で安心して暮らすために

~高齢者福祉の現状・介護保険制度~

 

 9月23日⑪時からの秋彼岸先祖回向法要に続き、洞林寺終活講座を開催しました。講師を燕沢地域包括支援センターのケアマネージャー荒井裕江先生にお願いし、介護保険を有効に活用する方法についてお話して頂きました。一語一語丁寧に、熱い語り口で私たちに介護保険制度を説明してくださいました。

 

 終活講座を開催するにあたって、荒井先生と事前の打ち合わせを行い、当日の講座の資料作成を荒井先生が約束してくださいました。後日、資料の原案をメールでお送りいただき、それを私が読みやすいサイズの冊子に編集する作業を行いました。40分間の終活講座ですので、詳細な資料を用意することが出来ませんが、皆様を相談窓口につなぐ助けとなるよう荒井先生の御協力いただき、資料作成に努めてました。荒井先生とは何度もメールでやり取りをして修正して、当日配布する冊子の形になりました。荒井先生にはただただ感謝しかありません。

 

介護保険制度は、一般人にはわかりにくい部分があります。知りたい時には、仙台市の場合は各区役所の介護保険課か最寄りの地域包括支援センターに行きましょう。区役所まで行くのが不便であっても、地域包括支援センターは仙台市内には五十三箇所設置されてます。徒歩圏内にある場合も多いと思います。

  皆様は六十歳から介護保険料を納付していると思います。介護サービスを受けられる状態なのに、制度のことをよく知らないため利用されていない方も案外多いのだそうです。安全な老後を過ごすため、有効に活用しましょう。

 

 先日、或る檀家さんに御歳暮の御礼の電話をした際、お母様が脳梗塞で倒れ左半身不随となり病院でリハビリ中との事ですが、「秋彼岸法要に参加した際に頂いた終活講座資料で包括支援センターの存在を知り、近所に有ったので相談に行って来ました。」と御礼をいただきました。

 

 

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伝道標語  令和7年 秋彼岸会

 

 

 

苦も楽に転じるが

栄華も長くはない

諸行は無常なり

嘆くな 驕(おご)るな

 

苦境にあっても、苦境を抜け出す道はある。

自分を取り巻く状況は刻々と変化する。

逆風が順風に変わる時も来る。

だから、嘆くことはない。

 

上手くいっている。成功した。

と思っていても、脆くも崩れ落ちる時もある。

油断は禁物。驕(おご)ってはならない。

 

諸行無常という言葉を

しっかり受け止め、

しっかり味わいたいものです。

 

 

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火ほどありがたいものはない、

   火ほど恐ろしいものはない

 

1,        静岡県に秋葉権現を訪ねて

 

 私の実家である一関市の大光寺では鎮守として秋葉三尺坊権現をお祀りしてます。秋葉権現のことを調査研究しようと思い、学生時代何度も静岡県に通いました。秋葉権現を祀るお寺や神社、秋葉講の講元さんから話を聞かせていただき、多くのことを学ばせていただきました。

 

 

 秋葉総本殿可睡斎は平成七年に秋葉三尺坊権現の御開帳を計画していました。御開帳に合わせて秋葉信仰研究を集大成する本の発行も計画しており、専門家と言う立場からの協力を、私に依頼されました。御開帳に間に合うよう本は完成し、御開帳の記念式典には来賓として招待されました。あいにく、式典の日が日曜日であり既に檀家さんの御法事を数件受けていたので、欠席せざるを得ませんでした。可睡斎からは御開帳を盛上げるためのイベントの相談も受け、私のアドバイスを反映したイベントを行うという報を受け、其の開催日に可睡斎を拝登させていただきました。

 

 学生時代のように時間をかけて研究調査を行うのは、残念ながら難しい。せめて秋葉権現を祀る寺社を訪ね、かって多くの御教示をいただいたことの御礼を伝えるとともに、秋葉信仰の現在を当事者である御住職や宮司さんから伺いたいと思ってました。意を決し、六月に静岡県の秋葉権現を祀る寺社を巡ってきました。

六月九日、袋井市にある可睡斎を訪ねました。可睡斎は徳川家との縁も深く、それ故江戸時代東海四箇国の大僧禄でした。可睡斎住職から本山の禅師様になられた方々も居て、曹洞宗を代表する名刹です。現在の御住職采川道昭老師は曹洞宗国際布教南米別院の総監をお勤めされた方です。ローランジャ仏心寺の記念法要でもいろいろとお世話になりましたし、洞林寺としても南米総監部に幾許

(いくばく)か協力して参りました。

 そういう御縁もあって、来訪の意を告げると、気さくにスケジュールを調整して下さいました。当日、十一時頃可睡斎に到着し、秋葉総本殿で御祈祷していただき、昼食後采川老師を拝問させていただきました。ブラジルのことで話がはずんでしまい、秋葉権現のことをじっくり伺う余裕が無くなってしまいました。十二月の火祭りには久々に参加させていただくことをお願いしてきました。

 

2,      久々の遠州秋葉山

 

 全国に秋葉権現を祀り「秋葉山」と称する場所は多数あります。でも、一番の中心は浜松市天竜区春野にある秋葉山です。其の秋葉山には曹洞宗の秋葉寺と神道の本宮秋葉神社があります。明治の神仏分離により、お寺と神社に分離させられ、少々複雑な歴史を重ねてきました。

 学生時代には。浜松駅から秋葉山口までバスで行き、本宮秋葉神社下社の脇から登山道に歩いて行きました。今の私の足ではとても歩けません。

 秋葉寺

(しゅうようじ)山主藍谷博文師には、秋葉山里坊千光寺でお会いしました。次に、本宮秋葉神社に行き、権宮司の河村忠伸氏と歓談。其々、お寺と神社の責任ある立場の方々と秋葉信仰の歴史と祭りと秋葉講について語り合いました。

 

 かって私が調査研究のために伺った際、お寺や神社で有力な秋葉講をご紹介いただき、講元さんのもとに行き話を伺わせていただきました。しかし、現在は当時のような人数はいなくなり活動も停滞気味であるとのこと。 時の流れは残酷と言うべきか、諸行無常と言うべきか、寂しさを感じました。

 

 神仏分離で両者が分断され、明治政府の宗教政策によって歪められ、百五十年近くの歴史を重ねてきました。過去を変えることは出来ませんが、お寺と神社が協力し合い、地域社会を盛り上げていこう、という機運があるとのこと。それを聞いて嬉しく思いました。秋葉山がこれからも多くの人々の信仰を集め、霊場として威光を発揮されます事をただただ願うばかりです。

 

 

3,        火伏

(ひぶせ)の神を祀るとは

 

 火は調理・暖房・照明等の手段として、人々の暮らしに恩恵を与えてくれてきました。しかし、その使い方を誤ると、火事をおこし日常を一変させるほどの災いをも引き起こす恐ろしいものです。このように相反する面を持ちます。そして、火に対する「しきたり」や「感謝の祈り」と共に、災いが起きないようにとの火防祈願がおこなわれてきました。

 

「火ほど有難いものはない、

    火ほど恐ろしいものはない」

 

 これは可睡斎の拝観のチラシに書かれていた言葉です。(現在発行のパンフレット類には、無いかもしれません。)火は文明の象徴であり、科学や技術の象徴です。時には、戦火と言う言葉のように戦争の象徴ともなります。正しくコントロール出来れば、これほど便利で有難いものはないです。しかし、使い方を誤ればこれほど恐ろしいものはない。

東日本大震災の揺れと津波、そして東京電力の地震対策の怠りから、福島第一原子力発電所は大規模な破損が発生し、原子炉から核燃料が流出し多量の放射能が飛散しました。ロシアのウクライナ侵攻による戦争、イスラエルのガザ地区の戦闘、更にそれがイランにも拡大しようとしてます。科学も、技術も、武器も、きちんとコントロール出来なければ、非常に危険なものです。しかし、現実は実に情けない状況です。

 

「神仏に祈りを捧げ安全を祈願する」ことは、決して古臭いものではありません。むしろ、今の時代こそ「神仏に安全を祈願すること」がより重要になっていると思います。人類は愚かな戦争を何度も繰り返してます。「火ほど有難いものはない、火ほど恐ろしいものはない」、この言葉の意味を繰り返し心に刻みましょう。我々人間の心は弱く、移ろいやすいものです。だからこそ、「どうか、お守りください。」と日々しっかり神仏に祈りましょう。

 

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東海の名刹 可睡斎を訪ねて

 

 令和7年6月9日、静岡県袋井市にある曹洞宗でも有数の名刹と呼ばれる万松山可睡斎を訪ねました。

 

 大学院の時、修士論文のテーマを秋葉信仰とし、何度か御教示を頂きに伺いました。其の当時の可睡斎の御住職鈴木泰山老師は曹洞宗教団史の先駆的研究者として禅宗史や仏教史の研究者に名の知られた方でした。宗門の碩学とお話しできたことは良い思い出です。可睡斎、秋葉寺、本宮秋葉神社、熱田圓通寺、そしてそれぞれの秋葉講の講元さんや信者さん、色々な方々からご教授を頂きました。それでなんとか修士論文を書くことが出来ました。後に、民衆宗教史叢書『秋葉信仰』の編集執筆に参画させていただいたり、『日本の神仏の事典』で「可睡斎」「秋葉寺」の執筆を担当する御縁を頂いたりということもありました。

 

今回の訪問のことは、洞林寺護持会会報『錦柳』令和7年お盆号にも、秋葉信仰のことを中心に書きました。会報に書かなかったことをすこし書きとどめておきたい。

 

 仙台から東京駅に行き、東海道新幹線で掛川駅へ。NHKの大河ドラマで徳川家康、豊臣秀吉、織田信長、武田信玄の生涯を描くとき、この地はよく登場する。寺院や神社の御朱印に倣って、国土交通省がダム印というのをやっているということを聞いたことがある。今回、掛川駅で降りたら、観光案内所に「御城印」なるものがあった。戦国史マニアの方は相当数いるでしょうから、そういう方々にとっては良い記念なのかもしれない。

 

 

 掛川駅近くでレンタカーを借り、袋井市へ。袋井は東海道53次の宿場の一つであり、何と東海道の中間地点でもある。お江戸日本橋から数えても27番目、京の三条大橋から数えても27番目の宿場である。

 

 30年振りの可睡斎訪問です。駐車場に車を停め、石段を登り、本堂の正面に。風鈴祭りというイベントをやっており、境内各所から風鈴の音が聞こえる。

 

受付に行き、秋葉総本殿での御祈祷を申込む。今からなら、11時30分からの御祈祷は可能とのことなので、申込む。隣接する百合園で「百合祭り」を開催しているので、「限定 〇〇食 百合御膳」というポスターが貼ってあったので、百合御膳を予約。御祈祷終了後に、百合御膳で昼食を取ることにした。

 

 「御祈祷の時間まで、こちらの部屋でお待ちください。」と控室に案内される。御祈祷開始まで20分以上あるので、本堂を覗いてみた。ちょうど雲水(修行僧)の方々が読経していた。15人ぐらいは居る。今、本山も地方僧堂も雲水が少なくて困っているところは多いが、可睡斎は結構大勢いるようだ。よく見ると、日本人より外国人の雲水の方が多い。スペイン語圏の方が多いように感じた。外国人の方が多いので、御経の発音も独特の方も多いようで、最初何のお経を唱えているのかわからなかった。よく聞くと「仏頂尊勝陀羅尼」だった。日中諷経だったのかな。

 

 一旦、控室に戻ると、スピーカーから法螺貝の音が聞こえてきた。係の僧侶が呼びに来て、三尺坊本殿へ向かう。結構、階段を登る。最後は長い階段だなあと思いきや、エスカレーターで30段分ぐらいの高さを登る。三尺坊本殿に入り、何と采川堂長老師から挨拶を受ける。御祈祷の導師は役寮の方が勤めるのだろうと思っていたら、堂長老師直々の御祈祷であった。

 

 

 御祈祷が終わり、昼食会場である斎堂に行き「ゆり御膳」を戴く。食べ応えもあり、品数も多く、味も良かった。

 

食事を終え、レンタカーに荷物を取りに行き、法衣に着替え搭袈裟。係の方の案内で、方丈の間に行き、采川老師に拝問。

ブラジルのこと、秋葉信仰のこと、可睡斎の歴住様のこと等いろいろ語り尽くしていると、スピーカーから法螺貝の音が聞こえてきた。采川老師は「ちょっと中座させていただきます。すぐ戻ってきますので、ちょっと待っててください。」と言って出ていかれた。御付きの雲水さん(アルゼンチン人の尼僧さん)が何度もお茶を入れてくれた。

 采川老師が法衣をきたまま戻って来られた。法螺貝の音は「御祈祷の依頼が有ったので、三尺坊本殿に集合。」という合図であるとのことでした。話は尽きないが後の予定もあったので、12月の火祭りに拝宿させていただくことをお願いして、可睡斎をあとにした。

 

 

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死の悲嘆を乗り越える道

        

 

1、    グリーフケアって知ってますか?

 

 グリーフとは死別の悲嘆の事ことを言います。大切な人との別れは辛いものですが、その喪失を受け入れて、生きていく過程には、精神的、肉体的苦痛や、環境変化などに適応していく必要があります。グリーフケアとは、さまざまな「喪失」を体験し、グリーフを抱えた方々に、心を寄せて、寄り添い、ありのままに受け入れて、その方々が立ち直り、自立し、成長し、そして希望を持つことができるように支援することです。

 

 先日、仙台グリーフケア研究会代表の滑川明男先生の「グリーフケアに向き合うこと」という講演を聞く機会が有りました。

            講義される滑川先生

 

グリーフケアという言葉を聞いてもピンとこない方も多いかもしれません。でも、グリーヅケアなんて言葉を知らない方でも。実はちゃんととグリーフケアを経験しているんです。皆様は、葬儀、そして葬儀から四十九日までの中陰供養を経験していると思います。実は、葬儀、中陰供養を行うことが、立派なグリーフケアなんです。

 滑川先生の講演は、私にはちょっと難解な部分も有りましたが、非常に示唆に富んだものでした。

 

特に考えさせられたのは、遺族への励ましや慰めの言葉には絶対の正解は無く、注意が必要だということです。

 

このデータは、グリーフケア研究所の高木慶子教授の講演資料のようです。

 

このデータにある言葉を御遺族に掛けた方も多いと思います。これらの言葉が間違っているという訳ではありません。励ましの言葉となったり、慰めの言葉となったりする場合も多い筈です。しかし、一方で、これらの言葉で傷つく人が居ることを知っておくことは必要です。それだけグリーフケアの道は険しく、研究研鑽すべきことは多いということです。

 

 

2,中陰供養の力とはたらき

 

 葬儀から回忌供養のすべてがグリーフケアとしての機能を有してますが、紙幅の関係上「中陰供養」を中心に述べさせていただきます。

 

 中陰とは中有(ちゅうう)とも言い、仏教学的には「人が死んでから次の生を受けるまでの中間期における存在。」のことを意味する言葉です。中陰の期間は一般には四十九日間と考えられており、四十九日までにはすべての生物が転生し、新たな命を得ると考えられています。

 

 チベット仏教の死者供養を説いた『チベット 死者の書』という経典が有ります。この経典は、死に逝く病人に対して僧侶が読経するだけでなく、「死後も死者の魂が迷いの世界に再び輪廻しないよう、四十九 日間にわたってお経を唱えることで死者が輪廻から解脱する道を指し示す」という内容になっています。

 

日本でも「中陰供養は故人を仏界へ送る大切な供養である」と位置付けられてきました。七本塔婆と言って七日目ごとに遺族は故人の供養を行い、お墓に塔婆を立てます。そういう段階を踏んで四十九日目には満中陰の法事を行い、故人を来世に見送ってきました。故人・遺族の住居と墓所と菩提寺が近接しているのが当たり前だった時代には、七本塔婆に象徴されるような形で丁寧に中陰供養が勤められてきました。

  初七日から四十九日までの七本塔婆

 

 ですから、滑川先生の講演でグリーフケアの重要性を拝聴しても、「七日目ごとに塔婆を立てて故人をお参りしている人は、大丈夫だ。」と思って聞いていました。伝統的な中陰供養にはそれだけの力があるのです。中陰供養は立派なグリーフケアです。

農村部では「おたいや」という形で中陰供養が行われてきました。毎週七日目の前の晩に葬家に家族・親族・隣り組が集まり、住職が中陰棚で読経し法話をし、その後みんなで食事を戴きながら、故人の思い出を語り合い、其の場に集った其々の今を語り合う。菩提寺住職、家族・親族そしてご近所の力に助けられて、悲嘆(グリーフ)を乗り越えてきたのです。

 

3、時代による変化にどう対応するか?

 

 時代の流れの中で、我々の生活は変化してきました。変化は無視できません。経済成長と社会構造の変化の中で、地方から大都市圏への人口流入が続きました。地方出身者が大都市圏で生活し葬儀を行った場合、納骨を四十九日や百箇日に行わざるを得ないのです。葬儀直後に納骨しても、毎週の墓は不可能な場合も多い。夫婦共稼ぎが一般的になった現代において、「おたいや」の風習を続けることも困難になってきました。残念ながら、親族の人間関係も、地域の人間関係も永遠に昔のままとはいきません。

 

 それ故、今の時代ではカウンセラーなどの心理職、心療内科などの専門医が必要な場合もあるかもしれません。でも、葬儀、初七日、四十九日、百箇日の供養を心込めて勤めるという基本を忘れてはなりません。疎かにしてはなりません。

 

 遠方からの親戚や会葬者が後日の中陰供養に参列するのが難しいことを考慮して便宜を図り、従来から葬儀直後に中陰法要を予修法要として勤めてきました。その場合、後日菩提寺で遺族が本当の四十九日法要百ヶ日法要を行なうのが通例でした。近年「繰上げ法要」と言い換えて手抜きすることを正当化する風潮が見られます。「繰上げ法要を行ったから、すべて終わった。」という思い違いをしている遺族も多い昨今です。「繰上げ法要」という間違った簡略化では、大事のものを見失ってしまいます。中陰供養の意義がきちんと継承されないのは、大いに問題です。

              

 伝統的な中陰供養を従来通りに出来ないことは、止むを得ないことです。御遺族も看病・介護・葬儀で疲れてます。、御遺族の体調等への配慮も必要です。簡略化は止むを得ないですが、安易な手抜きに陥らないような注意は必要です。

 

 故人への供養は故人の為であると共に、自分自身の為でもあります。そして、大事な家庭教育の場でもあります。亡き人の人生を振り返り、故人を労い、故人と自分の繋がりを思い起こす。そういう大切な場です。「命とは何か?」「自分の命はどこから来たのか?」という大切なことを学び考える場です。そして、大切な方を喪った悲嘆や苦痛を乗り越ええるための「尊い修行」なのです。

          (洞林寺護持会会報 令和7年春彼岸号の記事を加筆改訂したものです。)

 

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