いのちは、つながっている

 

                                                                                    洞林寺住職

 

1、共命鳥(ぐみょうちょう)の話

共命鳥(ぐみょうちょう)は、極楽浄土に住む美しい鳥で、『阿弥陀経』というお経の中に登場します。

 

「ぐみょう」とは「命をともにする」という意味です。この鳥は、体は一つ、頭が二つあり、それぞれ別の意識を持ちながら、一つの命を生きる不思議な存在です。

 

共命鳥の一つの体には、カルダとウバカルダという二つの頭がついており、それぞれ独立した意識を持っていました。一頭が目覚めている時、もう一頭は眠っています。

共命鳥のカルダとウバカルダ

   ある時、カルダは眠っているウバカルダに黙って、たまたま摩頭迦(まずか)という果樹の花を見つけて食べました。非常に良い香りと功徳を持つ摩頭迦の花を食べることは、二頭にとって利益があると考えたからです。しかし、ウバカルダは目を覚ました後、カルダが黙って摩頭迦を食べたことに対し腹を立て、憎悪の念を抱きました。

 

    さらにある時、ウバカルダは毒の花を見つけました。

 

共命鳥ウバカルダのイラスト

「この毒を食べれば、カルダを苦しめることができる」と考え、眠っているカルダに黙って自ら毒の花を食べてしまいました。その結果、カルダにも毒が回り、苦しみ始めました。

 

そして、死の間際、カルダはウバカルダにこう語ります。

 

共命鳥カルダのイラスト

「私は良かれと思って摩頭迦を食べた。だが、あなたは怒りにかられて毒の花を口にした。その結果、私たちはともに命を落とした。怒りや憎しみに利は無く、それは自らを、そして他者をも破滅させるのだ。」

 

カルダの話を聞いているうちに、ウバカルダも毒に苦しみ、自分が行ったことの愚かさを悟りながら、息を引き取りました。

 

 

2、 共命鳥が教えてくれること

 

この共命鳥の逸話には多くの教えが込められています。

 

①良かれと思ってしたことでも、必ずしも正しく受け止められるとは限らない。誤解されたり、悪く受け止められたりすることも多い。

 

②怒りや憎悪から発した行動は、他者を害するだけでなく、結局自分にも返ってくる。

 

そして、何よりも学ぶべきは、

 

③すべての生き物は、様々な繋がりの中で生きている、ということです。

 

    今、連日クマの出没と被害のニュースが報じられています。クマに限らず、鹿や猪による農作物への被害も甚大です。しかし、初めから「害獣」が存在していた訳ではありません。人間が自分の都合で決めたことです。「害虫」「害獣」と呼ばれる生き物だって、私たち人間と繋がっています。

 

熊出没注意!危険!

    安全な生活を送るためには「害獣駆除」は止むを得ないでしょう。しかし、「害虫害獣をすべて駆除する」ことが正しいかどうかは、十分に検討する必要があります。なぜなら、一面的な害獣駆除は、生態系破壊をもたらし、却って人間の生活を脅かすことにも繋がりかねないからです。共命鳥のウバカルダのように「自分さえよければ」という考えや、自己中心的な怒りは、自分自身をも苦しめ、自分の身を亡ぼすのです。

 

 

3、仏教の目指すもの

 お釈迦様の教えのもっとも大切な教えの一つが、「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」です。すべての人の幸せを目指すことです。

 

「あそこの土地が手に入れば我々の暮らしは困らないぞ。我々の平和で幸せな生活のために、あの場所を侵略しよう。」

 

こう考える人が、世界の各所にいます。現に戦争が起きています。

 

「我が民族は優れている。他の民族はそれに従わせるべきだ。」

そうして他の民族を追い出したり、攻撃したりする。そこから、紛争が起き、戦争に拡大してます。

 

「他者の命や財産を奪って、幸せになる」なんてありえません。領土や経済的な繁栄を得ても、それが報復やテロの種を蒔くことになっていては、本当の幸せは得られません。民族が違っても、国家が違っても、同じ地球に生きる人間同士、命は繋がっています。

 

内山興正老師の本にこんな寓話があります。

或る禅僧が裏庭に出てみると、カボチャたちが言い争っていました。

「お前がそこにいると俺に日が当たらないから、どいてくれ。」

「そういうあんたこそ邪魔だよ。」

「お前ら、うるさいぞ。」と、

言い合いがだんだん激しくなるのを見かねた禅僧は、

「ともかく一度、静かに座れ」と一喝し、坐禅をさせました。

 

坐禅して落ち着きを取り戻したカボチャたちに、禅僧は言いました。

「自分の頭に手をやってみろ。」

カボチャたちが手を当てると、頭のてっぺんにはヘタがあり、そこからつるが伸びています。そう、言い争っていたカボチャは、みんなつながって生きていたのでした。

カボチャのつると葉のイラスト

禅僧に諭され、カボチャたちは一つのつるに繋がっていたことに気がついた、というお話です。カボチャたちは気が付きましたが、人間はいつになったら気が付くのでしょうか?

 私たちは、この大宇宙の中で命をいただいて生きています。すべての命は繋がっているのです。そのことに気付けば、愚かな戦争の繰り返しは無くなるはずです。現実の戦争を直ちに解消するのは難しいですが、命のつながりには気付いてもらいたいものです。「一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」を願い、すべての生きとし生けるものと共存共栄できる道を目指しましょう。

 

             洞林寺護持会会報『錦柳』令和8年新年号

 

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伝道標語 令和8年新年

 

 

ウクライナ、イスラエルのガザ地区、

そして新年早々ベネズエラとイラン。

人はどうして争うのだろう。

 

政治学、経済学、地理学、地政学。

そういう分野からの言及も多々あると思います。

 

仏教学的に言えば、DNAの中に貪瞋痴の三毒があるからなのだろう。

争いの中に平和も幸福も安らぎも有る筈無い。

しかし、そのことの虚しさに気付かないままの人も多いようだ。

だからこそ、虚しさに気付き、

狭い料簡を取っ払っていかねばならない。

 

いがみ合う

  世界から

拝みあう

  世界へ

 

人種も、宗教も、文化も乗り越えて

 すべての人々を尊重し助け合う。

そういう世界になって欲しい。

 

とは言え、現実は甘くない。

甘くないけど、理想を高く掲げて、

一歩一歩歩んでいきましょう。

 

この伝道標語。

残念ながら、私のオリジナルではありません。

社団法人仏教伝道協会の標語大賞の入選作です。

多くの人々の心に留めていただきたい標語だと思います。

 

 

 

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今年も「除夜の鐘」を行います

 

例年通り、除夜の鐘を行います。

 

洞林寺の場合、午前0時の時報と共に、住職が最初の一声を鳴らします。住職が三声撞いて、お並びの方に交代致します。

 

鐘を撞くのは、一人一声ずつにお願いしております。

鐘を撞く前に、手を合わせ、鐘に向かって合掌礼拝してから、撞くようにしてください。

除夜の鐘は午前1時までとさせていただきます。

 

本堂を参拝された方には、洞林寺御本尊の御真影を差し上げます。本堂前の賽銭箱の左側に置いてあります。お一人様一枚ずつお持ちください。

名刺サイズの三つ折りのカードです。中に、『十句観音経』の経文と解説があります。

 

通常の御朱印の対応は出来かねます。その代わりというわけではありませんが、書置きの御朱印を用意しました。カラー多色刷りで切絵になっています。限定15枚です。

今晩は風が強いようなので、「書置きの御朱印」は本堂前には置きません。希望される方は本堂前にある鈴を鳴らして、寺の者をお呼びください。

 

 干支の絵馬もございます。

 

 

 

 

 

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39年振りの「秋葉の火祭り」訪問記 その1

  12月15日 静岡県袋井市 可睡斎

 

1、前置き 

 昭和61年12月、駒澤大学大学院の先輩である渡部正英老師(当時、駒大の非常勤講師だったと思います)に御導き頂き、いわゆる「秋葉の火祭り」に初めて行きました。この時、12月15日に可睡斎の火祭り、16日に本宮秋葉神社と秋葉寺の火祭りを参拝させていただいた。また、清水市西久保にある秋葉山峰本院にも参拝した。

 以前にも、ブログにも書いたことがあったが、私の生まれ育った岩手県千厩町の大光寺では鎮守として秋葉三尺坊権現を祀っています。どんな権現様なのか、私も全く知らなかったし、住職である父に聞いても「火伏の神様だ。」という程度の説明だった。駒澤大学の大学院に入った時、秋葉三尺坊権現について調べてみたいと思ったが、全く五里霧中の状態であった。

 

 せっかくの火祭りに行くので、かっての私の教え子のKAZZ(家庭教師をしたことがあったので)に同行ならびにビデオ撮影をお願いした。彼は学生時代、大学の勉強をしないで映像関係の活動に費やしていたので、一応ビデオ撮影のプロであった。そして、その当時は、小さなカクテルバーのオーナー兼バーテンダーであった。店を休んでつきあってくれた。KAZZに祭典の進行と儀礼の流れを撮影してもらい、後日VHSビデオに編集してもらった。思い付きで依頼したビデオ撮影であったが、それが後日可睡斎・本宮秋葉神社・秋葉寺に行き、当事者に話を聞く上で非常に役立った。たった1回しか火祭りを見ていないにもかかわらず、何度何度も火祭りに来ている人と同等以上の情報量を取り込んだ上での聞き取りすることが、出来た。

 

2、可睡斎の火祭り (前編)

前置きが長くなってしまったが、今回の訪問のことに入ろう。

 

 12月15日、仙台駅9:12発の「はやぶさ」に乗り、東京へ。仙台到着が15分遅れたので、東京駅での「ひかり」への乗換えが危ぶまれた。東京駅到着前に出口に立ち、急ぎ足で東海道新幹線ホームへ向かう。エスカレーターを上りホームに着いたら、出発のアナウンスは響いていたが、幸い「ひかり」のドアは空いていたのでギリギリで乗車できた。浜松駅に着き、南口の食堂で浜松餃子の定食を食べ、レンタカー会社に向かう。12月中旬だがジャンパーを着てると、暑い。レンタカーを借り、袋井市に向かう。

 可睡斎に到着し、総受付でチェックインの手続き。今まで御朱印は頼んだことがなかったが、11月に伊勢神宮で御朱印帖を購入し、訪問した社寺で御朱印をお願いしたので、可睡斎の御朱印をいただく。

 

 役僧の方に部屋まで案内していただく。部屋まではちょっと遠いが、一人で個室はありがたい。前日に購入したばかりのOSMOアクションカメラの操作方法をマニュアルでお勉強。新しい電気機器を使いこなせない年寄りになってしまったことを痛感する。マニュアルを読むのも、正直苦痛だ。よくわからん。

 

 午後3時前、法衣に着替え、三尺坊御真殿に行く。祭典御祈祷が始まる。

 般若心経は普通だが、消災妙吉祥陀羅尼と金光王最勝妙経は独特の読み方をする。大般若転読文もちょっと独特。

 

 御真殿から三尺坊権現を神輿に乗せ、奥の院不動堂に向かい、不動堂で諷経。

 

 神輿と書いたが、予想した神輿は神輿蔵に置いたまま。二人で運べる小さな龕のような木箱に三尺坊権現をお移しし、輦台に乗せて奥の院まで移動した。受付で神輿のことを聞いたら、役寮さんが「神輿の担ぎ手が居なくなったので、大きな神輿から小さな神輿に変更せざるを得なくなった。」そうです。39年前に来たときは、講中の人数も多く、神輿が大きいから、本堂で御祈祷を行い本堂から神輿が出発したと思う。時の流れの中で、変化しているようです。

 奥の院から下る途中、采川斎主老師にちょっと挨拶し、ブラジルの弟子のことでちょっと相談。更に、1月に特安する弟子のことを宜しくとお願いする。可睡斎にとって一年の中でも非常に大事な行事の日に、斎主老師と一緒に話をする時間をいただけて、ありがたかった。

 

 午後5時、夕食のアナウンスがあり、斎堂へ行く。席は決まっており、名札が置いてあった。精進料理だが、御神酒もついていた。

 

 

 

 

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取材を受けました

 

 取材と言っても、新聞やテレビではなく、全国曹洞宗青年会の広報誌『SOUSEI』の取材です。

 

 全国の曹洞宗寺院14000箇寺に配布してますから、かなりの発行部数です。

 

 お盆が終わったころ、全国曹洞宗青年会の広報委員会副委員長の信行一宏師から取材依頼の電話が有り、少々驚きました。私なんか取材したって、面白い記事にはならないよ。と固辞したけど、細々とこのブログを続け、記事を書いていることについて取材したいということなので、お受けしました。

 

 信行師によれば、『伝える言葉、残す想い』という特集記事のための取材との事でした。10月に洞林寺まで来られ、住職の学歴職歴、研究活動、洞林寺の会報、会報の記事を載せているブログについて取材を受けました。

 約2時間近くのインタビューでしたから、文字に起こすとかなりの分量だったようです。広報誌の紙幅の関係で全部を掲載できず、編集委員の方も苦労されたようです。

 

 広報誌の限られた紙幅の中で、「住職の下手な法話を洞林寺婦人会の方々が辛抱強く聞いて下さった。毎月の婦人会でお話しする原稿作りが会報の原稿の基礎となってきた。」「会報は毎号発行するには、原稿を書いてくれる方が居て、続いてきた。」「広報幹事の護持会役員の方々が、集まった原稿の校閲に加えて、原稿や写真の提供に努めて下さった。」という大事な部分は掲載してくれました。洞林寺護持会会報『錦柳』の発行にご協力くださった皆様に感謝し、あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。

 

全国の曹洞宗寺院には既に配布済みですので、何人かの方から「記事、読みました。」「載ってました。」とお声がけいただきました。

 全国曹洞宗青年会のホームページにアクセスすれば、「SOUSEI」のバックナンバーを読むことは出来ます。下記のURLのアクセスしてみてください。

 

 

但し、現時点で私が取材を受けた最新号は掲載されていません。近日中にはupされると思います。

 

編集委員会の副委員長さんから連絡が有り、全国曹洞宗青年会のホームページに公開されたそうです。

 

 

 

 

 

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新寺の菅谷不動尊祭典

 

 

 洞林寺に祀る菅谷不動尊の祭典が9月27日28日に8日に開催されました。町内の小学生幼稚園児の人数も祭典委員の人数も昔に比べると、かなり減少しました。祭典委員は少人数ですが、町内会役員や親父の会やジュニアリーダー等の協力をいただいて、神輿巡行と縁日やビンゴゲーム大会を無事行うことが出来ました。

 

 

熱中症対策と言うことで、令和6年から9月の第四土日の開催となりました。当日は好天に恵まれ、熱中症の心配も無く、安堵しました。盆踊りも無くなり、学区民運動会も無くなり、高齢者も子供も一緒に楽しめる町内行事は菅谷不動尊祭典だけになってしまいました。昭和二十七年から続いている祭典、今後も大事にしていきたいと思います。

 

 

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秋彼岸法要の後に洞林寺終活講座を開催しました

洞林寺終活講座 令和八年

住み慣れた地域で安心して暮らすために

~高齢者福祉の現状・介護保険制度~

 

 9月23日⑪時からの秋彼岸先祖回向法要に続き、洞林寺終活講座を開催しました。講師を燕沢地域包括支援センターのケアマネージャー荒井裕江先生にお願いし、介護保険を有効に活用する方法についてお話して頂きました。一語一語丁寧に、熱い語り口で私たちに介護保険制度を説明してくださいました。

 

 終活講座を開催するにあたって、荒井先生と事前の打ち合わせを行い、当日の講座の資料作成を荒井先生が約束してくださいました。後日、資料の原案をメールでお送りいただき、それを私が読みやすいサイズの冊子に編集する作業を行いました。40分間の終活講座ですので、詳細な資料を用意することが出来ませんが、皆様を相談窓口につなぐ助けとなるよう荒井先生の御協力いただき、資料作成に努めてました。荒井先生とは何度もメールでやり取りをして修正して、当日配布する冊子の形になりました。荒井先生にはただただ感謝しかありません。

 

介護保険制度は、一般人にはわかりにくい部分があります。知りたい時には、仙台市の場合は各区役所の介護保険課か最寄りの地域包括支援センターに行きましょう。区役所まで行くのが不便であっても、地域包括支援センターは仙台市内には五十三箇所設置されてます。徒歩圏内にある場合も多いと思います。

  皆様は六十歳から介護保険料を納付していると思います。介護サービスを受けられる状態なのに、制度のことをよく知らないため利用されていない方も案外多いのだそうです。安全な老後を過ごすため、有効に活用しましょう。

 

 先日、或る檀家さんに御歳暮の御礼の電話をした際、お母様が脳梗塞で倒れ左半身不随となり病院でリハビリ中との事ですが、「秋彼岸法要に参加した際に頂いた終活講座資料で包括支援センターの存在を知り、近所に有ったので相談に行って来ました。」と御礼をいただきました。

 

 

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伝道標語  令和7年 秋彼岸会

 

 

 

苦も楽に転じるが

栄華も長くはない

諸行は無常なり

嘆くな 驕(おご)るな

 

苦境にあっても、苦境を抜け出す道はある。

自分を取り巻く状況は刻々と変化する。

逆風が順風に変わる時も来る。

だから、嘆くことはない。

 

上手くいっている。成功した。

と思っていても、脆くも崩れ落ちる時もある。

油断は禁物。驕(おご)ってはならない。

 

諸行無常という言葉を

しっかり受け止め、

しっかり味わいたいものです。

 

 

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火ほどありがたいものはない、

   火ほど恐ろしいものはない

 

1,        静岡県に秋葉権現を訪ねて

 

 私の実家である一関市の大光寺では鎮守として秋葉三尺坊権現をお祀りしてます。秋葉権現のことを調査研究しようと思い、学生時代何度も静岡県に通いました。秋葉権現を祀るお寺や神社、秋葉講の講元さんから話を聞かせていただき、多くのことを学ばせていただきました。

 

 

 秋葉総本殿可睡斎は平成七年に秋葉三尺坊権現の御開帳を計画していました。御開帳に合わせて秋葉信仰研究を集大成する本の発行も計画しており、専門家と言う立場からの協力を、私に依頼されました。御開帳に間に合うよう本は完成し、御開帳の記念式典には来賓として招待されました。あいにく、式典の日が日曜日であり既に檀家さんの御法事を数件受けていたので、欠席せざるを得ませんでした。可睡斎からは御開帳を盛上げるためのイベントの相談も受け、私のアドバイスを反映したイベントを行うという報を受け、其の開催日に可睡斎を拝登させていただきました。

 

 学生時代のように時間をかけて研究調査を行うのは、残念ながら難しい。せめて秋葉権現を祀る寺社を訪ね、かって多くの御教示をいただいたことの御礼を伝えるとともに、秋葉信仰の現在を当事者である御住職や宮司さんから伺いたいと思ってました。意を決し、六月に静岡県の秋葉権現を祀る寺社を巡ってきました。

六月九日、袋井市にある可睡斎を訪ねました。可睡斎は徳川家との縁も深く、それ故江戸時代東海四箇国の大僧禄でした。可睡斎住職から本山の禅師様になられた方々も居て、曹洞宗を代表する名刹です。現在の御住職采川道昭老師は曹洞宗国際布教南米別院の総監をお勤めされた方です。ローランジャ仏心寺の記念法要でもいろいろとお世話になりましたし、洞林寺としても南米総監部に幾許

(いくばく)か協力して参りました。

 そういう御縁もあって、来訪の意を告げると、気さくにスケジュールを調整して下さいました。当日、十一時頃可睡斎に到着し、秋葉総本殿で御祈祷していただき、昼食後采川老師を拝問させていただきました。ブラジルのことで話がはずんでしまい、秋葉権現のことをじっくり伺う余裕が無くなってしまいました。十二月の火祭りには久々に参加させていただくことをお願いしてきました。

 

2,      久々の遠州秋葉山

 

 全国に秋葉権現を祀り「秋葉山」と称する場所は多数あります。でも、一番の中心は浜松市天竜区春野にある秋葉山です。其の秋葉山には曹洞宗の秋葉寺と神道の本宮秋葉神社があります。明治の神仏分離により、お寺と神社に分離させられ、少々複雑な歴史を重ねてきました。

 学生時代には。浜松駅から秋葉山口までバスで行き、本宮秋葉神社下社の脇から登山道に歩いて行きました。今の私の足ではとても歩けません。

 秋葉寺

(しゅうようじ)山主藍谷博文師には、秋葉山里坊千光寺でお会いしました。次に、本宮秋葉神社に行き、権宮司の河村忠伸氏と歓談。其々、お寺と神社の責任ある立場の方々と秋葉信仰の歴史と祭りと秋葉講について語り合いました。

 

 かって私が調査研究のために伺った際、お寺や神社で有力な秋葉講をご紹介いただき、講元さんのもとに行き話を伺わせていただきました。しかし、現在は当時のような人数はいなくなり活動も停滞気味であるとのこと。 時の流れは残酷と言うべきか、諸行無常と言うべきか、寂しさを感じました。

 

 神仏分離で両者が分断され、明治政府の宗教政策によって歪められ、百五十年近くの歴史を重ねてきました。過去を変えることは出来ませんが、お寺と神社が協力し合い、地域社会を盛り上げていこう、という機運があるとのこと。それを聞いて嬉しく思いました。秋葉山がこれからも多くの人々の信仰を集め、霊場として威光を発揮されます事をただただ願うばかりです。

 

 

3,        火伏

(ひぶせ)の神を祀るとは

 

 火は調理・暖房・照明等の手段として、人々の暮らしに恩恵を与えてくれてきました。しかし、その使い方を誤ると、火事をおこし日常を一変させるほどの災いをも引き起こす恐ろしいものです。このように相反する面を持ちます。そして、火に対する「しきたり」や「感謝の祈り」と共に、災いが起きないようにとの火防祈願がおこなわれてきました。

 

「火ほど有難いものはない、

    火ほど恐ろしいものはない」

 

 これは可睡斎の拝観のチラシに書かれていた言葉です。(現在発行のパンフレット類には、無いかもしれません。)火は文明の象徴であり、科学や技術の象徴です。時には、戦火と言う言葉のように戦争の象徴ともなります。正しくコントロール出来れば、これほど便利で有難いものはないです。しかし、使い方を誤ればこれほど恐ろしいものはない。

東日本大震災の揺れと津波、そして東京電力の地震対策の怠りから、福島第一原子力発電所は大規模な破損が発生し、原子炉から核燃料が流出し多量の放射能が飛散しました。ロシアのウクライナ侵攻による戦争、イスラエルのガザ地区の戦闘、更にそれがイランにも拡大しようとしてます。科学も、技術も、武器も、きちんとコントロール出来なければ、非常に危険なものです。しかし、現実は実に情けない状況です。

 

「神仏に祈りを捧げ安全を祈願する」ことは、決して古臭いものではありません。むしろ、今の時代こそ「神仏に安全を祈願すること」がより重要になっていると思います。人類は愚かな戦争を何度も繰り返してます。「火ほど有難いものはない、火ほど恐ろしいものはない」、この言葉の意味を繰り返し心に刻みましょう。我々人間の心は弱く、移ろいやすいものです。だからこそ、「どうか、お守りください。」と日々しっかり神仏に祈りましょう。

 

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