曹洞宗教誨師連合会創立60周年記念式典

 

 平成11年に教誨師を拝命して、25年ほど教誨師を勤めております。

 

 曹洞宗の場合、教誨師は同時に曹洞宗教誨師連合会会員ということになっております。曹洞宗教誨師連合会が発足して今年で60周年になることから、例年開催される総会・研修会が60周年記念式典という形で9月19日に東京の曹洞宗宗務庁で開催されました。

 

 当日、午前10時より宗務総長を導師に記念法要が勤められました。次いで、教化部長を導師に曹洞宗教誨師物故者供養がおこなわれました。法要終了後、記念式典が行われ、宗務総長による式辞があり、全国教誨師連盟理事長から祝辞をいただいた。

 

 昼食後、午後一時からジャーナリスト池上彰氏を講師に迎えて記念講演が行われました。

演題は「不透明な未来をこれからどう生きるか ー仏教の可能性についてー 」でした。

 

(公演中の写真撮影と録音は禁止とのことなので、池上氏の写真は有りません。)

 

 講演のタイトルが大きすぎて、講師に対して失礼かもしれませんが、正直あまり期待してませんでした。講演は「さすが」という内容でした。私の不明を恥じるばかりです。資料も原稿も一切見ないで、1時間40分世界情勢の解説と分析、そして課題と解決策を立て板に水が如く語る講演でした。ジャーナリストとして、日本各地、世界各地を取材し続けてきた実績と叡智が感じられる講演でした。「さすが!」「すごい!」というのが、正直な感想でした。

 

 講演の冒頭が、9月17日レバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」で起きたボケベル爆破事件についての解説でした。この段階から我々聴衆は池上ワールドに引き込まれたのかもしれない。イスラエルの「悪魔のような作戦」と評してましたが、イスラエルとパレスチナの対立の根は深い。双方ともに自分の正義を主張し、戦闘行為に出るから、解決の道筋を見つけることは難しい。実際に現地に赴き、多くの取材を重ねてきたジャーナリストの言葉は、重い。

 和解・解決の道は遠いが、全く希望が持てない訳では無い。池上氏はイスラエルの若者とパレスチナの若者と一緒に食事をする機会をもったことがあるそうです。料理名が異なっても、食材や調味料が同じものも多く、政治的に対立する両者であっても生活文化的に共感協調できる部分が有るように池上氏は感じたそうです。池上氏としては、この点に希望を見出しているようでした。

 あと、アメリカ大統領選についても、深く語ってました。かなり無茶苦茶な言動があっても、ドナルド・トランプが支持を集めている理由の説明は、私の取っては「目から鱗」でした。良くも悪くも、ドナルド・トランプという強烈な個性によって、二大政党の一つである共和党は変わってしまったのだそうです。大統領選の結果も気になるが、今後アメリカ合衆国がどう動いていくか注視する必要があると思います。

 

 講演の最後は、「仏教の可能性」についても言及された。但し、時間的には短く、「怨みを乗り越える」「慈悲の心」の大切さを強調した形で、講演は終わった。この部分はもう少し時間を掛けて、掘り下げて欲しかった。

 

 

 

 

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『若宮丸漂流民物語』との御縁

 

                                                                                                                                    洞林寺住職 

1、パラナ州開拓神社に祀られる人々

 平成22年(2020)十月九日十日、ブラジル連邦パラナ州ローランジャ市の洞光山佛心寺で開創五十周年記念法要が執り行なわれ、私を含め十人の参拝団で日本から参加しました。何度か記事に書いてますが、この仏心寺は洞林寺38世吉田道彦和尚が海外開教師としてブラジルに派遣され、昭和34年1月からパラナ州ローランジャ市に派遣され、昭和35年10月に洞光山仏心寺を創建しました。ブラジル連邦パラナ州最初の仏教寺院です。その仏心寺創立50周年のため、ローランジャ市に来てました。

 

 

 

 洞光山仏心寺 本堂

 

 10月9日の法要終了後、仏心寺護持会の方々が我々一行をパラナ移民センター(移民資料館)に案内してくださいました。

 

 

 資料館の隣に神社が出来てました。十年前に来た時には無かった。二〇〇三年十二月二十一日に完成し落成式が行われたとのこと。開拓先駆者を祀り、日系移住地の安泰を願い、日系移民の心の拠り所となる「場」を作ろうとして発願され建立されたのだそうです。「祭神」として開拓神社に祀られたのは日本移民導入に奔走した水野龍氏や杉村濬元公使のほか、第一回笠戸丸移民の通訳等々だそうです。日本ブラジルの移住史を多少学べば必ず出てくる名前です。

 

但し、「祭神」の一番から四番までは、聞いたことの無い名前でした。この四名こそ、日本人として初めてブラジルに上陸した若宮丸漂流民の四名でした。恥ずかしながら、当時の私は若宮丸については全く無知でした。

 

2,宮城県の海外移住の歴史を紐解くと

 宮城県の海外移住の歴史を総合的に纏めた資料や著作はありません。宮城の人で一番知名度が高い海外移住者は、新田次郎の『密航船 水安丸』の主人公及川甚三郎。そして『アラスカ物語』の主人公フランク安田。この二人だと思います。小説や映画で描かれると、知名度は高くなります。

 

 宮城のブラジル移民の歴史については、平成二十一年に刊行された『赤い大地を拓くーブラジル移住・宮城県人の一〇〇年』が最もよくまとまっています。宮城県の戦後の海外移住事業に旗振り役を務めた宮城県海外協会を前身とする宮城県国際交流協会が主導し、河北新報の現役記者とOBが編纂に取り組んだ労作です。この本の中で、移住前史1として若宮丸漂流民のことがかなり詳しく紹介されていました。

 ブラジル移民関係者が大部分の宮城県海外移住家族会ですが、全員が若宮丸のことを知っていた訳ではありません。石巻市在住の佐藤富一郎会長(当時)はさすがに若宮丸のことは御存知でした。海外移住家族会の総会の際に、当時東北大学災害科学国際研究所所長であった平川新教授にお願いして、若宮丸漂流民のブラジル上陸や世界一周についてお話いただきました。初めて世界一周を果たした日本人として、若宮丸漂流民はもっと知られて良いと思いました。

 

3,ロシアに残った漂流民は?

 帰国を希望せず帰化してロシア人となりロシアに定住する道を選択した者が数名居ました。そのうち一名、善六は通訳となり、図らずも日本の土を踏むことになりました。ゴローニン事件ではロシア側通訳「キセリョフ善六」と名乗り、ロシア側の外交団の一員として一八一三年に函館に上陸した。

 7月12日夜、NHK仙台放送局の『東北ココから』で「知られざる 石巻の“漂流民”〜船乗り「善六」からのメッセージ~」という題の番組が放送されました。若宮丸漂流民の会事務局長の大島幹雄氏と平川新先生が若宮漂流民と通訳善六について解説されていた。 

 18世紀後半からロシアは日本に軍艦を派遣し、開港通商を求めましたた。1804年レザノフ率いる軍艦ナジェージダ号が四人の若宮丸漂流民を乗せて長崎に来たのも、外交交渉の一つでした。幕府に通商を拒絶されたレザノフは蝦夷地で報復措置(?)に出ます。其の後も、同じような紛争が日露間で起こりました。双方が人質を取り、人質交換のための外交交渉を行うため、ロシア外交団は函館に入り、通訳として善六も同行していました。外交交渉の中で、生活習慣やマナーの違いから二国間のトラブルを悪化させることも多いそうです。善六は日露双方の生活習慣やマナーの違いを説明し、交渉が円滑に進むよう尽力したそうです。

 

4,洞林寺でのコンサート

 7月20日、洞林寺の会館で新講談『若宮丸放流物語』と南米音楽コンサートがラテンアメリカ文化協会主催で行われました。

主催者代表の佐藤真守さんは宮城県海外移住家族会の会員であり、長年共に海外移住者の支援や交流に努めて来られた方です。

名店「売茶翁」の菓子職人である佐藤さんは外国人留学生のために和菓子教室を開催したり、アルパ奏者ルシア塩満コンサートを定期的に開催したり、仙台在住の多くの外国人と交流のある方です。

 

 其の佐藤さんから「コンサート会場が取れないので、洞林寺さんでやらせてもらえませんか?」と頼まれました。ルシア塩満さんには家族会五十周年の時には御協力いただき、たいへんお世話になりました。若宮丸漂流民にも不思議な縁を感じてました。

会場の件は快諾し、多少のお手伝いはさせていただきました。

 

 若宮丸漂流民の会が広報の一環として以前から新講談『若宮丸漂流物語』を上演していることは、会のホームぺージを見て知っていました。いつか聞いてみたいと思っていましたが、まさか洞林寺で聞く機会を持てると思いませんでした。

当日、藤沢智子アナウンサーは開演三時間前に洞林寺に来られました。マイクチェックを終え、本番用の衣装に着替え、一時間のリハーサルをして、午後五時からの本番に臨まれました。長年培ってきたアナウンサーとしての技術も然ることながら、一つ一つの言葉を大切に語る凛とした佇まいに感服しました。

 

 若宮丸の遭難から帰郷までの十数年間のすべてを40分間で語ることは難しく、漂流民たちのシベリアでの暮らしの部分などは端折らざるを得なかったと思います。それだけ彼らの世界一周は過酷であり、壮大なものであったと思います。いつか檀家さんたちの前で口演していただきたいですね。

 

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伝道標語  令和6年 お盆

 

お盆に掲示した伝道標語でです。

現在も掲示されてます。

 

  盂蘭盆会 八月十三日~十六日

  恩に報いる

  お墓参り

  その原動力は

  貴方の真心である

 

 

 

 

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7月20日の新講談『若宮丸漂流物語』、南米音楽のコンサート

 盛況でした

 

 前の記事で告知しました新講談『若宮丸漂流物語』、南米音楽のコンサートが7月20日洞林寺にて開催されました。前日から主催者代表の佐藤さんが会場準備に来られ、約80人分の椅子を並べました。

 

 当日、準備した椅子はほぼ満席でした。

藤沢アナの語る新講談『若宮丸漂流物語』、良かったです。物語の執筆者である木村成忠さんは「若宮丸漂流民の会」の会長であり、長年漂流民の歴史を掘り起し、其の事績を伝えることに尽力されて来られました。漂流民一人一人の心情は歴史史料からはわからないと思います。でも、木村氏のように多くの史料に当たたり可能な限り所縁の地を訪れていくと、漂流民たちの顔が見えてきて漂流民たちの喜怒哀楽に共感しているのだろうなあと思いながら、ストーリーを聞いておりました。

 

若宮丸漂流民の会会長 木村成忠さん(右)

藤沢智子アナウンサー   (左)

 

 ロシアはレザノフを司令官とする軍艦ナジェージダ号を日本に派遣し、その船に日本への帰国を希望する漂流民4名を乗せました。ナジェージダ号の司令官レザノフの名前はかすかに記憶しています。高校の日本史の教科書に載ってました。(現在は、どうかわかりませんが、)高校生の時の日本史で詳しく習った記憶はないが、受験勉強のため、ラックスマン、海国兵談、レザノフ、ゴローニンなどを受験仲間と確認し合ったことがあった。鎖国政策を取り続ける徳川幕府と通商を迫るロシア。そういう構図があったことは一応理解しているが、具体的にはどういう事件や紛争があったのかまでは知らない。そう言えば、一度だけテレビで三波春夫先生が歌謡浪曲「高田屋嘉兵衛」を演じているのを見たことがあります。三波春夫先生は確かシベリア抑留を経験していたと思います。其の三波春夫先生が歌の中で、「ロシアの軍人さん」と嘉兵衛が語る場面を演じて居ました。江戸時代の日露の紛争・外交の一場面なんだろうなあと思っていました。

 

 

 7月14日のNHKテレビ仙台の「東北ココから」でロシアに帰化した漂流民善六が通訳としてロシア外交団の一員として函館の土を踏んだ、ことは前回の記事に書きました。放送時間の関係で細かい内容の説明を省いたため、番組の中では詳しくは触れませんでしたが、この時の外交交渉が高田屋嘉兵衛とゴローニンの人質交換交渉だったようです。若宮丸の漂流民たちは図らずも江戸時代の日露紛争に巻き込まれてしまったようです。若宮丸に関わる歴史を調べると、かなり外交史経済史防衛史の分野に深入りしてしまいそうですね。興味は尽きませんが、あまり深入りする余裕が無いのが残念です。

 

コンサートのことは別の機会に。

 

 

 

 

 

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若宮丸漂流民物語の異聞がテレビで放送されましたが

 

 昨日7月12日、NHK仙台放送局の『東北ココから』で「知られざる 石巻の“漂流民”〜船乗り「善六」からのメッセージ~」という題の番組が放送されました。

 

 

 NHKのアナウンサーと御当地アイドルの子が司会し、「若宮丸漂流民の会」事務局長の大島幹雄氏と東北大学名誉教授の平川新先生が解説するという形で番組は進行した。二十数分の番組の枠では、大島氏も平川先生も話足りなかったでしょう。

 

10年ほど前に宮城県海外移住家族会の総会で、平川先生にお願いして若宮丸漂流民について講演していただいたことがあります。日本に帰国できた4名の漂流民は、初めて世界一周した日本人であると同時に、初めてブラジルに上陸した日本人でした。ブラジル連邦サンタカタリーナ州のフロリアノーポリス市にはブラジル宮城県人会によって記念にモニュメントが建てられています。

 

 「 若宮丸漂流民   」 とは   

  (江戸時代1793年:寛政5年)、宮城 県石巻湊から江戸に向かって船出した千石船「若宮丸」は福島 県沖で遭難し、はるかアリューシャン列島まで流された。当 時日本との貿易を望んでいたロシア政府の意向で、彼ら乗組 員はシベリアを横断してサンクトペテルブルグへ、そこから帆 船「ナジェージダ号」に乗せられて西回りで世界一周し、1804 年(文化元年)日本に帰ってきました。若宮丸漂流民の会とは、彼ら若宮丸漂流民の数奇な運命に惹かれ関心を抱き、彼らの足跡を調査し広報に努めている会です。

 

 

詳細については、若宮丸漂流民の会のホームページをご覧ください。

 

 

昨日のNHK『東北ココから』で取り上げられた漂流民キセリョフ善六は、世界一周はしていません。善六はロシアに帰化することを選択し、ロシア正教に入信し、洗礼名キセリョフを受けてます。テレビ番組の中で語られていたように、日本語とロシア語の通訳として力を発揮しており、近世の外交史に足跡を残しています。

 

 世界一周して日本に戻ってきたのは、津太夫、儀兵衛、太十郎、左平の4名です。番組の中では全く取り上げられませんでしたが、この4名を中心に若宮丸漂流民を語るイベントが7月20日17時より有ります。洞林寺が会場になってます。

 

 

 

 

チケットのお問合せは、主催者の代表佐藤さん(090-6251-6079))まで。

 

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七ヶ浜町 鳳寿寺 本葬

 

 

 

5月31日、6月1日、七ヶ浜町の東宮山鳳寿寺で18世中興大透義博大和尚本葬が執り行われました。

 

そんなに働いたわけではないんですが、ちょっと重い役を頂いてしまったので、打合せ会には結構参加しました。「亡き師匠のために一生懸命勤めよう。」という遺弟さんの思いが伝わる葬儀だったと思います。

 

 自分の本葬がいつになるかわかりませんが、自分の弟子が慌てなくて済むよう、少しずつ準備をしておかねばと思って居ります。

 

 

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第40回全国教誨師大会が札幌でありました

 

 5月28日29日、札幌市の札幌パークホテルで、全国教誨師連盟主催の通称「全国大会」が開催されました。2年前、仙台が会場でしたが、新型ウイルス感染の恐れがあることから「参加人員をかなり制限せざるを得なくなり」、また「懇親会も乾杯のワイン以外はノンアルコールとせざるを得ない。」という異例の開催でした。

 

今回は、そういう制約の無い、従来の形で開催されました。

 

 

基調講演は、法務省矯正局長が行うのが通例なのですが、国会開催中のため局長は出張できないため、課長さんの講演となりました。数年前、仙台にある女子少年院の園長を務めていたそうです。霞が関と現場を行ったり来たりしていたようで、現場での経験を踏まえた形で最近の行刑の制度改革を講演されました。わかりやすく、現場での感覚も伝わってくる、良い講演でした。

 

 記念講演は、ノンフィクションライターの堀川恵子氏。我々教誨師には『教誨師』の著者として知られている。私も一応この本だけは読んでます。堀川氏は講演の中で、『教誨師』の前の著書である『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙 』についての話があった。死刑が確定し、既に刑が執行されているが、判決が果たして妥当であったかどうか問題提起した著書であったようです。永山則夫の事件は有名であり、私が中学高校の頃連続殺人事件としてニュースで大きく取り上げられていたから多少記憶してます。しかし詳しい動機やライフヒストリーについてはほとんど知らなかったので、目からうろこの話であった。あらためて犯罪者を捕らえ正しく裁くことの難しさと怖さを感じました。

 講演は更に『教誨師』に進みましたが、私の低下した理解力と記憶力では十分にお伝え出来そうにありません。全国大会の記事はここまでとさせていただきます。 中途半端な記述となりまして、誠に申し訳ございません。

 

 

 

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伝道標語  令和6年春彼岸

 

春彼岸に掲示した伝道標語でです。

現在も掲示されてます。

 

  

  手を合わせ

  思い浮かべた人が

  喜んでくれるよう

  今を生きよう

 

 

 

 

 

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今日の河北新報朝刊に洞林寺のイペーが載りました

 

今日の河北新報朝刊の25ページに、洞林寺境内に咲くイペーの記事が載りました。

 

 

 

新聞に紹介していただいたのは有難いことですが、肝腎のイペーの花はあと数日で全部散ってしまいそうです。

 

4年前初めて咲いた時も河北新報で記事にしていただきましたが、記事になった時点では花は二輪ぐらいしか残っておらず、記事掲載の二日後には全部散ってしました。記事を読んで花を見に来られた方が何人かおられましたが、全部散った後に来られた方が何人かおられました。

 

現在は20個ほど花が咲いてますが、ここ数日次々と花びらが散っていますので、実物を見てみたい方はなるべく早くお越しください。

 

 

 

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