Doremifaのサボテン

Doremifaのサボテン

No Cactus No Life

サボテン栽培や趣味のことなどを書き留めた気ままなブログですが、よろしくお願い致します。

ご訪問ありがとうございます。

 

 九月に咲いたサボテン

秋、九月になりましたが、当分の間、真夏日が続くとの予報です。

それでも、サボテンは秋の訪れを感じて新刺を出し、花を咲かせ

始めました。ただ、この花は、春から夏に咲きそびれた花芽が膨

らんで開花したものもあります。ご紹介します。

 

紅鷹(べにたか) 

 Thelocactus  heterochromus

 

尖紅丸(せんこうまる)

 Echinocactus  moelleri

 

帝冠(ていかん)

 Obregonia  denegrii

 

  大疣タイプ

 

 輸入球

 

鳥羽玉(うばだま)

 Lophophora  williamsii

 

 ペンタゴナ

 

 テキサナ

 

 うばだま・花が小さいタイプ

 

 コエレシー

 

 新入り、紅鷹の植替え

 

 昨日、信州西沢サボテン園さんのネットを拝見していたら

 目に留まり、即注文しました。

 早速、今日、荷物が届きました。

 

 紅鷹の根

 イモ根から沢山の細い根が鉢底まで伸びていました

 

 少し深めのプラ鉢に植え替えました

 

 成長と共に太く長い刺を出しているので期待できます

 

 この双列刺、割れ刺が珍しく魅せられました

 三年先が待たれるサボテンです

 

 真夏日が続いてます。

 皆様には、お元気で 素敵な時間をお過ごしください。

                                                                                                                                                                                                        

 ご覧いただきありがとうございました。

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半分、野生化したアサガオ

 

昨日の早朝のこと。相方が「淡いブルーのアサガオが綺麗に咲いて

いるよ」と言うので、カメラを持って見に行った。

 

 

なんと可愛い花、涼しい色なのだろう。

自然にこぼれた種から何年も繰り返し咲いている逞しいアサガオです。

 

 

珍しい野鳥がやってきた

 

庭にワタ(綿)の花も咲いているので写真を撮っていると、突然、パサ

ッ、パサッと野鳥がじゃれつくような羽音がした。振り返ると、一羽

は澄み切った美しい鳴き声を残して飛び去った。もう一羽はベランダ

の柵に留まっている。

 

この鳥です。

一瞬、よく見かけるヒヨ(ヒヨドリ)だと思いました。

でも、逃げた一羽のヒヨとは違う美声が気になって、カメラでズーム

してみると、やはりヒヨドリではありません。

体の下面に斑がある、初めて見る野鳥でした。

 

早速、カメラの画像をパソコンに取り込み、それを、スマホのGoogle

カメラで撮って「この鳥の名前は?」と尋ねると、「イソヒヨドリのメス

です。イソヒヨドリは・・・」と詳しく教えてくれました。

 

イソヒヨドリの和名は、ヒヨドリに似ているトリとされたのが由来。

ただ、ヒヨドリ科ではなく、ヒタキ科で、生息地も全国の海岸や岩礁、

漁港などで、小動物を捕食して生きているようです。

よくも動物食の乏しい都会の住宅地に飛来したものです。こちらでは、

カラスの子二羽が親のお腹を突いて、食べ物を催促しているのを目撃

するほどです。

 

美声を残して飛び去った一羽はオス。

是非、もう一度、元気な姿を見せて欲しいものです。

 

今朝のアサガオ

二十輪以上、咲いていました。

夏も終わりです。最後の力を振り絞って咲いているように見えました。

 

 

猛暑日が続いています。

皆様には お元気で 素敵な時間をお過ごしください。

 

ご覧いただきありがとうございました。

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 秋咲きのサボテンが開花

 

もうすぐ、秋9月というのに猛暑日が続いています。

これほど暑いとサボテンの水遣りに躊躇します。

長い間、水遣りを控えると、球体が窄んだり、腰折れしたりしま

す。そうかといって、水遣り過多で鉢内に水が滞留すると突然死

することがあります。品種により水を欲しがっているもの、まだ

半休眠状態にあるもの、色々です。同じ品種でも実生球と輸入球、

また小苗と親苗では扱いが違ってきます。

8月の中旬を過ぎて、一部のサボテンを除き、ほぼ全体に水遣り

を2回行いました。

 

アリオカルプス属・ヒントニー

   (Ariocarpus  hintonii)

 秋咲きのサボテン。亀甲牡丹に似ているが、それより小型

 のサボテンです。比較的、近年に新しく導入されました。

 

レウクテンベルギア属・晃山

 (Leuchtenbergia  prjneipis)

  開花は7月~9月頃。一属一種。長い疣の先に紙状のびらびら

 た刺を出します。サボテンらしくない姿をしています。

 

ロフォフォラ属・銀冠玉

 (Lophophora  fricii)

  開花は春から秋まで。

  同じ属の鳥羽玉、翠冠玉も折々咲きます。

 

ギムノカリキウム属・天平丸

 (Gymnocalycium  spegazzinii) 

    春から初夏頃に開花。

   夏に稜の谷間から黒く腐ってくる病気(南米病と言われる)に

      かかることがあります。通風を図り、涼しく過ごさせるのが

   好さそうです。 

 

 

幼・小苗サボちゃん元気に夏越し

 

 実生二ヶ月の幼苗

 

 

実生一年二ヶ月の小苗 

 

 アガベ牡丹錦

  緑の細い疣に斑が見られます

 

 黄花・英冠(難物サボテン)

  秋の成長期、新しい刺を出してきました

 

 ペクチニフェラ錦

  繰り返し種蒔きして、やっと斑入りが出ました

 

 

 三年~四年生・斑入りサボテン

 

 アガベ牡丹錦

 

 三角牡丹錦

 

 帝冠錦

 

 サボちゃんたちは、暑さにへこたれることなく、元気に

 真夏を越しそうです。

 

 皆様には、お元気で 素敵な時間をおすごしください。

 

 ご覧いただきありがとうございました。

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朝食の折、相方から「ゴッホ見に行こう、そろそろ空いて

いるのでは・・」と声掛けがあり、ゴッホ展に出掛けた。

 

やはりゴッホ

大阪市天王寺の大阪市立美術館に午前11時半頃に到着。

1階のチケット売り場は、お昼前なのに葛折りの行列がで

きていた。やはりゴッホ、人気があるようだ。

 

これぞゴッホ

ゴッホが晩年に描いた絵は、だれが見てもゴッホとわかる。

あの独特の色彩、盛り上がった絵具、激しい筆使いには、

他の画家にはない魂の力強さを感じる。

それにしても、晩年の絵といってもゴッホが36~37歳のと

きだから、若くして亡くなったのは惜しい。(1853~1890)

 

 自画像 1889年2月 ゴッホ36歳 展示中   

                 ★ポストカード

 

    星月夜 1889年6月 ゴッホ36歳 ★ポストカード

 

 

展示にタイトルが付いていた。ゴッホには自分の家族は無

かったが、仲良しの弟テオが経済的にも良く助けて、画家

の仕事に打ち込めた。また、テオの死後、妻のヨーが、ゴ

ッホの作品を散逸することなく、美術館で保存・公開する

などの尽力をした。

 

ゴッホは日本の浮世絵に魅力を感じて蒐集していた。

それから約100年たった今、日本人がゴッホの絵に魅力を

抱いている。

 種まく人 1888年11月 ゴッホ35歳 展示中

                    ★ポストカード 

 

照明を落とした展示室で、約1時間半、大勢の人と夢中に

なって絵を見ていたら、足は疲れるし、お腹もすいた。

売店でポストカードを買って、天王寺駅で休憩タイム。

屋外の歩きは暑く、冷コーとワッフルが美味しかった。

 

ゴッホ展、8月31日まで開催。入場料は一般¥2,200円

です。

 

猛暑日が続いています。

皆様には、お元気で 素敵な時間をおすごしください。

 

ご覧いただきありがとうございました。

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今日も<梅雨の戻り>のような空模様になりました。

 

首相の挨拶と正田篠枝さんの歌

先日は、広島と長崎が80回目の「原爆の日」を迎えました。

石破首相は、挨拶で「被爆の実相を世界へ伝えていくことは、

私たちの責務です」と述べ、最後に、広島の歌人・正田篠枝

さんの歌

 大きな骨は先生ならむ そのそばに

 小さきあたまの骨 あつまれり

を、万感の思いをもって嚙み締めると、二度も繰り返してよ

み挨拶を終えました。

 

これまでの首相挨拶とは少し違った持ち味があり、共感でき

るものだった。

原爆投下による教師と児童・生徒の被災は悲惨なものになり

ました。8月6日当日、広島では市内6ケ所で、延焼を防ぐ

ための<建物疎開作業>があり、主に旧制中学校の1、2年生

高等女学校の生徒約8,200人が動員され、屋外での作業に取り

掛かっていました。小学生は疎開が許されていましたが、そ

れが出来ない子どもたちは学校に通いました。

 

原爆直下・旧制本川小学校の被災

爆心地から410mと、もっとも近い所にあった小学校です。

鉄筋コンクリートの3階建て校舎は頑強でしたが、外壁を残

して全焼、壊滅しました。教職員10名、児童400名が犠

牲になり、無事だった児童は1名でした。

始業前で、児童は校庭で遊んでいたと考えられていますが、

現在に至るまで彼らの最期の様子を知る人はいないとのこと

です。

               被爆前の旧制本川小学校

 

     被爆後の校舎内 

 

     現在の本川小学校 2017年8月3日に訪問

 

     被爆校舎の一部が平和資料館として残されていた 入館可       

 

奇跡的に、ただ一人生存

     居森清子さんの手記

私は朝、両親と弟に見送られ、元気いっぱいに「いってきま

ーす」と言って学校に向かいました。近所に住んでいた同い

年の青原和子さんもいっしょでした。私たちが鉄筋コンクリ

ート3階建ての校舎の1階の角にある靴脱ぎ場で上履きに履

き替えようとした瞬間、まわりが真っ暗になりました。不思

議と音も光もありませんでした。爆心地に近かったせいも知

れません。しばらくの間は何も見えませんでした。まわりが

少し明るくなってから、何が起こったのか分からないまま和

子さんといっしょに校庭に出ました。すると見渡すかぎり、

広島全体が火の海でした。ふりかえると校舎のすべての窓か

ら炎がふき出していました。

 

ふと、全身黒こげの人がふらふらと私に近づいてきました。

気味が悪いのでしりぞきながら「あんただれ?」と聞くと、

弱々しい声で「高木です」と答えます。仲良しの同級生の

高木さんでした。運動場で遊んでいて被爆したようです。私

がぼうぜんとしていると、職員室の方から女の先生二人が走

り出てきて、「早く川には入りなさい」といいます。そこで

私と和子さん、二人の先生は重症の高木さんを小舟に横たえ

本川に入りました。高木さんはそれからまもなく亡くなりま

した。

       絵・川に逃れる被災者

 

私たちは火の粉が飛んできてどんどん熱さがせまってくるの

で、頭から水を被りながら長い時間じっと水につかっていま

した。夏とは言えずっと水を被りながらつかっていると、寒

くてたまりません。川底に足が届かず、ほとんどの子が力つ

きていました。私たちはいかだにつかまり。「友達の分まで

がんばろう」と言い聞かせました。死体がすぐそばを次々と

流れていきましたが、必死だったので怖さは感じませんでし

た。午後3時過ぎ、火の手が少し収まった頃、和子さんと二

人で校庭にあがりました。そこに黒い雨がふってきました。

二人の先生と高木さんの亡骸がどうなったかはどうしても思

い出せません。

 

その後、どこかわかりませんが、和子さんといっしょに町内

で決められていた避難所にトラックで連れていかれました。

1週間程そこにいたのですが、何も食べることが出来ず、吐

いてばかりいました。熱も高かったように思います。後から

考えると、原爆の影響だったと思います。和子さんはお父さ

んが連れて帰られましたが、まもなく亡くなったと言うこと

を大人になってから知りました。和子さんは生きていると思

っていたので、それを知ったとき、とてもショックでした。

 

 爆心地から逃れ手当を受ける被災者 御幸橋附近

 

正田篠枝さんの歌

「ピカッ  ドン  一瞬の寂(じゃく) 目を開ければ

 修羅場と化して 凄惨(せいさん)のうめき」

 

「子をひとり 焔(ほのお)の中に とりのこし

 わればかり得たる命と 女泣き狂う」

 

「食べたいと 言いしトマトを 与えざりし

 児のうつしえに 母かこち泣く」

 

 

 にんげんにとって、平穏な日常は、いちばんの宝物です。

 核兵器のない、戦争のない世の中にしていきましょう。

 

 

 長くなりました。

 最後まで、ご覧いただきありがとうございました。