こんばんは
今日は、久々のお湿りでしたね。
明日は雪だとか⛄️
坂の上に住んでるので、雪が降ったら駅にも行かれないかも
なので、今のうちに食料確保しておこうかな
今日は、ひとみさんに声をかけてもらい、こちらに顔を出していました。
って、ホントは行かれないハズだったんだけどさ
でも、行けてよかった。
色んな答え合わせができて、よかった。
あゝ野麦峠が、悪いイミで脚色されていたこととか、シルクの奇跡とか、ナゼ昔の地図には桑畑の表示があったのか(そして、ナゼ消えたのか)、とか。
ところどころで感動しながら、観ることができました。
しかも、ワク楽や、中谷先生の本のおかげで、ものすごく楽しめた。
ひとみさんに声かけてもらって、よかった。
中谷先生や、なおみんさんたちにも会えてよかった。
ホントはね、京浜東北線の沿線火災で引き返そうかな、と思ったんだけど、たまたま横浜で東海道線に乗り換えた直後だったから横須賀線経由で向かえたのと、先に着いたひとみさんが店で席をとっていてくれたおかげで、スムーズに?事が運んだのでした。
あれより早い電車に乗ってたら電車に閉じ込められたままになっただろうし、あれより遅かったら、電車にすら乗れなかっただろうし。
ホント、うまく行くんだよねー
なんてことは、いいとして。
特に心に残ったのは、
作中にあった、「記憶を失った国は、未来を失った国だ」(だったかな)というコトバ。
ひと頃よりマシ?にはなってるかもだが、古いモノを蔑ろにして、新しいモノばかり持ち上げる傾向があるけどさ。
昔から、なんでも古いからといって捨てていく(新しい方がエライ、的な思考)ことにものすごく異和感を覚えていたんだよね。
着物だって、浴衣しか着られないワタシがいうのもなんだけどさ、やっぱり日本人は、着物なしには語れないんだよ。
日本人としてのアイデンティティというか、失ってはいけない大切な文化だと思う。
昔から、日本人はあるモノをfixして、文化さえも融合した独特なモノを創りだすのに長けているんだから、古臭い、と排除せず、先達に学びながらより良いモノを作ればいいんじゃないか、と思う。
ワク楽の動画にあったんだけれど、外人にとって、日本てのは脅威なんだそうな
覚えているのは、醤油の話。
初めてあのにおいを嗅いだ外人は、みんな「クサい」と戸惑うらしい。
けれど、いつの間にかあのにおい、味が生活の中に馴染んでいってしまう。
それも、存在感をアピールするワケでもないのに、自然に溶け込んでいってしまい、ないと物足りないとすら感じてしまうことに、「いつか、自分たちも日本人に淘汰されてしまうのではないか」という言い知れない恐怖心を持つらしい。
だから、ヤツらは日本人を潰そうと躍起になるんだろうね。
しかも、次の文化を担うのは日本だからね、よけいに面白くないんだろう。
でも、それは誰が決めたワケでもなく、聖なるリズムで決まってるんだから
でも、ヤツらが色々しようとしても、日本のよさをわかってくれる外人が当時からいたんだな、と知れて安心した。
あと、質疑応答で、高校生が「この先、後世に文化を伝えるのに何をすればいいか」と質問をしていたけれど、若者にも、そんな頼もしい子がいて、まだ捨てたもんじゃないかもな、と思った。
そして、それに対して中谷先生が「着物を知ることで、農業、流通、経済、商売、政治など全てが見える」と答えられたのが印象的だった。
そして、季節、色を学ぶこともできるて、豊かな人生につながる。
最後に、トップの写真だけど。
10年ほど前に、富岡製糸場跡に行ったという上司からもらったお蚕さんチョコ(笑)
今見ても、リアルすぎて怖い
ちなみに、国営だったから富岡の方が有名だけど、実際は岡谷の生産量は、その100倍だったんだって
人間の都合で交配を繰り返して蚕蛾を飛べなくしちゃったり、繭を作らせるのに都合が悪いからと、大きい種を作っちゃったり。
やっぱり人間は傲慢だなー、と思ったのでした。
人間は、自然に生かされているただのちっぽけな存在だ、ってのにね。
次元低下とともに世界も膨張してきたから、それで自分もデカい、というか全能だ、みたいな勘違いしちゃったのかね?
とにかく、もう宇宙は収縮に向かっているんだから、流れに取り残されないようにしないとね。
ていうか、隣のオヤジが騒がしくて落ち着きないうえに、水こぼされた
なんて、相変わらずムカつくことも色々ありますが、自分の中の闇も認めて、でも光の方を向いていこうと思ったのでした。
あと、寝巻きにできるシルクの長襦袢をゲットしよう。←ただの備忘録(笑)
てことで、皆さんもよい夜を。
ドラ子❤️
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