変動4 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

「お帰り、久しぶり。どうしてた?」
金曜日から沿岸部へボランティアに行っていた徹が、中通りのPCの前に戻った。それまで殆ど毎日話していたから、寂しさが募っていた。
あの強烈なエネルギーに常に触れて居たかった。日曜日に彼に中毒していることに気が付いて私は混乱した。彼が読むはずのないスカイプにメッセージを重ねては消した。
完全に妄想のように取り付かれている。
こんなことは現実の彼を見ていないからで、リアルな関係ならおそらく起こらないことだ。携帯メールの一通、声が聞きたければ電話でもいい。



私がたかしを愛しているのは、現実のことだった。特に慌てて逢う必要もなく、忙しいお互いを思いやっていた。
前回のデートで郊外へ出かけた後、デイユースのホテルの一室で私はぐっすりと眠りこけた。思っていたより身体は限界で、眼を覚ますとたかしは苦笑いをしていた。
「あ、寝ちゃった、ごめん」
「doorは疲れているんだよ」
たかしは週末の誘いのメールも寄越さなくなった。それは私に負担をかけない配慮でもあったけど、女心としては少し寂しい。確かに震災以来、私の睡眠時間は異常に長くなり家の中のことは最低限、予定のない休日はひたすら寝ていた。


「今日で4ヶ月だけど、何も復興されてない
 瓦礫が撤去されただけで、何も先に進まないね」
「徹ちゃんは引っ越さないの?」
「総理も原発収束には数十年かかると話した通り、先は見えないね。俺は41だから、ここで楽しんで生きるよ
 義援金も何も保証が無いけど、避難先も無いし。
 3月には疎開先探したけど、行政は動かないからね。
 県知事が県民見捨てたようなもんだから、あの県知事にならなかったらここまで大きい被害にはならなかった。原発プルサーマル計画推進派の県知事で、再稼動させた矢先の大地震だから。福島県は終わったと言っても過言では無い」
「東京で見ていても、そう思う」

「内部被爆した県内の子供は、早ければ来年には症状が出始まるらしいよ。今の原発、何処まで本当の事を話してるかわからないからね。正直に話すとパニックが起きるから隠したって、先日国会で話したでしょ。放射能濃度の数値も、風通しの良いとこでの数値だし、友達の会社で買ったガイガーカウンターの数値と全く違うからね。
郡山市内の子供が7700人疎開したんだよ。産婦人科も混んでるよ」
「それってやっぱり」
「妊娠しても産んだら危ないでしょ。だから堕胎だよね。水素爆発したあの日に県民の大半は被爆したんだと思うよ」

言葉が出てこなかった。こんな酷い事故はどこか遠い国で起こることで、日本では起こらないと思い込んでいた。いくらこれは現実なのだと言い聞かせても東京で暮らしている限り、現実感は生まれなかった。

「doorちゃん、可愛いな。本当の名前教えて」
話がポンポン飛ぶ彼は突然そんなことを言い始めた。
「や、それはやめよう。悪いけど、私ちょっと徹ちゃんのこと好きになりかけてる。本名で呼ばれたら、現実との境界線がなくなってしまう」
「別に境界線とか意味ないじゃん、ほんとの名前を呼びたいだけだって。苗字まで言わなくて良いんだからさ」

境界線とはなんなのか言っている私もよくわからなかった。私は今の自分の現実に満足していた。本名で呼ばれたら、これ以上徹を好きになったら、たかしとの関係がおかしくなってしまうような気がして渋った。
しかし何度も押し問答があって、私はついに名乗った。
「だけど、今までどおりに呼んでほしい。頼むから」
「よくわからんな
 2面性持つ女性になるぞぉ」
「私は2面どころじゃないんだ」
口の中で2.3回私の本名を転がして、それでも彼は今までどおりに私を呼んでくれた。
名前は単なる象徴で、もう垣根は殆どないに等しかった。
ひと月以上逢ってないたかしと、スカイプで毎日話してる徹はどちらが私にとってのリアルなのだろう。