変動3 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして


翌晩、点けっぱなしのPCからポップ音がした。
「夕食終わった?」
「うん、今日は鮭とポテトサラダ、キャベツの浅漬け」
「良いねぇ~俺は今夜ラーメンライス
明日は中華そうめんにしようかと、簡単だからお勧めです!」
もう少し栄養のあるものを食べて欲しかった。

「冷やし中華とは違うの?」
「味は冷やし中華のゴマ味だね!麺つゆと、ごま油、 砂糖に 酢、すりゴマ これさえあれば簡単に出来る」
「お母様が作ってくださるの?」
「俺だよ、俺が夕食当番、趣味が料理だから」
「わぉ!それはモテる男の第一条件だ!」
「お袋よりいい道具持ってるよ、和包丁は三条燕のと、京都の包丁」
「関じゃないのかっ」
「関は最近ステンレスになってきたんだよね
 古いお店で売れ残り買うんだよ、昭和レトロの包丁は素材が良いから切れるんだ」
「私はステンレスの万能包丁だけど」
「震災前まで釣りしてたから和包丁が必要なの」
そこから延々釣りの自慢話が始まった。釣り好きが高じて船の免許も取ったのだという。

たかしのことが頭を掠めた。今年の初めから私たちはすれ違ってばかりいた。釣りに連れて行ってと頼んだが、どうしても私達の予定はタイミングが合わなかった。たかしの雑用は日曜日を中心に入っていたし、私の用事は殆ど土曜日だった。年月の経過とともに何かしっくりと落ち着きすぎてしまったきらいもある。お互いの心が離れたわけではないと、今の今まで思っていた。
その隙を突いて徹という単なるエネルギーの固まりだった人が顔を持ち、過去を持ち、次第に立体になって私の前に生き生きと描き出される。私何やっているんだろう。
たかしが控えめな笑みとともにぼそっとつぶやく言葉の百倍のスピードと量で私を圧倒していた。

「徹ちゃん、海流の関係で千葉産のカツオなら大丈夫だよね」
「俺も喰ってる。500キロ沖合いで操業してるからOK」
「もう反対側の海に行かないと釣り出来なくなっちゃったね」
「うん、もう日本海に行かないと食べられない」
食べられない魚を釣っても意味がない。同様に彼は福島で野菜を作り続けている人々まで攻撃していた。生まれたところの人々を攻撃しなければならないなんてどんなに辛いだろう。なぜこんなことになってしまったのだろう。

話は中華そうめんの作り方に戻り、なぜか麺類の話になった。
「蕎麦は…江戸っ子ですからこだわります」
「俺も蕎麦は相当うるさいから話さない」
「たぶん蕎麦の話をするとけんかになると思う」
「じゃパスタにしよう、俺はどんなイタリアンでも作れます!」
「そ、それは結婚して欲しくなるぞ!」
一瞬言い過ぎたかと思った。

「ギャハハハ
 いいなぁ、そうなったら毎日Hするぞ、寝かさないぞ」
「バカ」

いくつも病気を抱えた身体からは信じられないぐらいのエネルギーが放射していた。私はその虹色の光に魅せられ、引き付けられた。昔私もこんなだった。光り輝いて眩しかった。結婚して欲しいはもちろん言い過ぎだったが、確実に魅了されていた。

「ねぇ、福島があんなことになって今どういう気持ち?」
こんな残酷な質問が出来るのは、彼が本当のところを見極める強さを持っていたからで、他の人にはこんなことは聞けない。

「なくなり行く福島を待つだけって気持ちだよ、復興は無い」
絶望に寄り添いたかった。