たかしに過去を隠すことがある。これから何をしようか相談している時
「たかしはビリヤードやるの?」
と、目に付いたビリヤード場を見て何気なく聞いた。
「やったこと無い、doorはやるの?」
「うん、わりと好き」
「いつ覚えたの?」
背中に冷たい氷が刺さる。ビリヤードは男のにおいのするスポーツだ。私は四つ玉から和也に教えてもらった。なんだかそれを言ってはいけない様な気がした。
「日吉にビリヤード場があったでしょ」
「知らない」
「そこで覚えた」
大嘘付きの私。こんな風にしれっと嘘をつく。そして拙かったなと思うと同時にもうビリヤードは出来ないなと少し残念に思う。
失われた年月の中にだって私の人生がある。喜びだって楽しみだって。
そんな風に隠すのは車の話になった時のこと。小さく写るたかしが自慢げに車窓から顔を覗かせていた。
「若~い。これっていくつくらいの時?」
「30くらいかな」
だとしたらこの写真を撮ったのは当時の奥さんなんだろう。写真に映っていない人、語られない人が私と同じたかしを見ていた。
写真は残酷だ。
そんなことにいまさら傷ついているわけでも拘っているわけでもなくて。
それでもふと考えてしまう。
それらを全部ふわっと包み込んで抱きしめてあげよう。
執着することなく、無理に押し込めずそのままに。