香港ドール20 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

目の前にいるしんさんは時々ため息をつく。何か心配事でもあるのだろうかと不安になる…。
彼がどういうつもりで私を囲ったのか、未だに掴めていなかった。

初めは自分の身の安全がかかっていたからそれを考えるのは当然だったけれど、ここまで気になるのはやはり恋だと言えた。
私は自分を買ったしんさんの孤独を思う。普通に香港の女の人と恋愛が出来ないしんさんの孤独を思う。


しんさんはなぜ私を「ドール」と呼ぶのか、そこに彼が予定した私の役割が描かれているように思う。
自己主張しない人形として置物のように飾っておきたかったのかもしれない。

人格など認めないセックスだけの対象にしておきたかったのかもしれない。

だけど彼の頭の中で予定していた人形は、やっぱり人間で言葉が通じなくても、目が見えなくても反応し、暴れたのだ。


人は自分だけのノートを持っていてそこに自分だけのストーリーを書いていく。

しんさんにはしんさんのストーリーがあって私はそれを読みたいと思う。そのノートが楽しさや嬉しさで一杯になれば良いと願う。

何もすることがなかったとき、私のノートはずっと真っ白だった。

しんさんのノートに綺麗な色が付き物語が書かれるとき、私のノートにも色が付いて物語が書き加えられるのだ。


薄紙を剥がすように日一日と目が見えるようになってきた。

初めはぼんやりと光を感じるだけだったが、光はより強く、おぼろげながら輪郭を持ち始めた。

しんさんは少しづつ私に広東語を教え始めていた。目が見え始めたことを私は黙っていたが、しんさんはなんとなく気が付いている様子だった。
私は買ってきてもらったペールグリーンの毛糸でしんさんのセーターを編み始めた。しんさん用だというのはしんさんには内緒だ。

目が疲れないように目を瞑って相変わらずの市松で編む。それに飽きると外の音を聞き、ハーモニカを吹き、モーツアルトを聞いた。穏やかでやわらかな毎日がゆっくりと過ぎていく。もう私は不安に怯えることもなく、いつの間にか慣れてしまったこの暮らしを確かなものに感じていた。と同時にもう少し進めてみたい。


「んこい(ねぇ)しんさん
私あなたの部屋に住んじゃ駄目?
しんさんの部屋で私に何かできることがあるかもしれないし
そうしたらきっと楽しいよ
編み物が出来るんだもの、きっと他のことだって出来るよ」
沈黙。
久しぶりの沈黙が少し悲しい。
「そうじゃなかったら日本に帰りたい
だってここにいたら私にはしんさんしかいなくて、なのにちょっとよそよそしくてそれはやっぱり悲しい」
拙い英語と広東語を交えて一生懸命話した内容をしんさんはどう受け止めるのだろうか。