香港ドール19 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

窓のほうを向くと薄っすらと明るい。そのまま反対に目をやると闇だ。
あぁ、神様、ありがとうございます。
もしかしたら視力が戻るかもしれない。もう一度見ることが出来るかもしれない。前と同じようでなくても良い。
もう少し見えれば…。

しんさんの顔が見たい。しんさんの顔が見たい。もう一度綺麗な色とりどりの光景が見たい。日本の両親の顔が見たい。

私は毛糸を入れてある紙袋の底から丸く輪にした自分用のカレンダーを取り出してみた。輪は6つ目になっていた。見えなくなってから7週間余り。期待して良いのだろうか。


落ち着いて、落ち着いて、あんまり期待しちゃ駄目。がっかりしたくない。少しでも光を感じることが出来ただけでこんなにも幸せなのだ。昼と夜の区別が付くだけでこんなに幸せなのだ。
あぁ、でも。目を開いていることの意味が蘇る。目があることの意味がある。でも、もう少しだけ見えて欲しい。せめて大まかな色の区別ぐらい付くようになって。お願いだから。


ベッドから脚を下ろしてぺたりと床に足が着く。ひんやりとした床が素足に気持ちよかった。今何時なのだろう。
初めの正時が訪れるまで私には時間が分からない。最近は少し早起きになっていていつもガチャンとトレイが届くのを待っていた。7時くらいかしら…
窓の近くに移動して外の音を聴く。以前、外の世界は私と切り離されていた。そこは私が戻ることの出来ない生き生きとした世界だと思っていた。物売りの声、おばさんたちの笑いさざめく声。走り来ては去っていく子供たちの歓声。まるでテレビを見ているように私はそれをいつも遠くに聞いていた。
扉は閉まっておらず、光を感じるようになった今、そこは私がいても良い世界に変化したのだ。


やがていつもと変わりなく食事がトレイに乗ってドアの下から差し入れられる。きょうは粥。そのほかにはミカンと揚げパンが載っていた。やっぱり一人で食べるのは詰まらない。だけどしんさんだって忙しいのだろう。
人間の欲なんて尽きることがない。売春宿に居たときは、あそこ以外の場所ならどこでも良かった。ここに来て何もすることがなかった時は、何でも良いから何か起こって欲しいと思った。だんだんしんさんと話せるようになってきて、目も見えるようになってきて、もっと見たいと思ってしまう。もっとしんさんと話して、もっと目が見えて欲しいと思ってしまう。カーディガンが出来上がったら私は外に出て行くのだろうか。

雲が太陽を遮るように、心配になった。しんさんは目の見えるようになった私をどうするのだろう。目が見えるようになった私をしんさんはどう思うのだろう。
日本にも帰りたい。でもここでしんさんと暮らすのも楽しそうだった。しんさんに必要なのは目の見えない私なのだろうか。それとも私の目が見えるようになったことを、あの人は素直に喜んでくれるのだろうか。