香港ドール18 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

鍵は掛けられていなかった。そうするとこれは監禁ではない。では出て行きたいかというと、実はそうでもなかった。


自分自身の気持ち、それ自体に戸惑いながら私は再び編みかけのカーディガンを手に取った。もう片袖を残すばかり。広東語で数字を数えて編み続ける。こちらへ来てからの事、しんさんとの毎日を思い出していた。
ドアが開いていると私が知ったことを、しんさんに知られないようにしなくちゃ。


鍵がかかっていなかったことから私の出したしんさんの行動の不思議さを推測してみる。

しんさんは私を単に助け出そうと思ったのだろう。もしくはわたしを普通に囲うつもりだったのかもしれない。
ところが何らかの理由で一線を越えられなかった。
もしかしたら私の何かが気に入らなかったのかもしれない。だからといって目の見えない私を追い出すわけにも行かず、もしかしたらしんさんは困っているのかもしれなかった。
あるいは目が見えなくて何も出来ない私とやっぱりこの先ずっと一緒にやっていくことは出来ないと思ったのか。本当のところは分からない。


売春宿に連絡して買い戻してもらえばよさそうなものだ。
ここの家賃だって馬鹿にならないだろう。
私がここに居ることは彼に負担をかけているのだろうか。
私が出て行ったほうがあの人のため?
しんさんは優しいからそんな酷いことを言えないの?
ねぇ、しんさん私はどうしたら良いんだろうね。だって私しんさんに何もして上げられない…


翌日しんさんが夕飯を持ってやって来た。なんだか機嫌の良い様子で、「金髪のジェニー」を鼻歌で歌っている。私

は嬉しくて一緒にハミングした。その声に気がつくと、しんさんは一瞬黙り、また二人で一緒にハミングを始めた。
カーディガンの袖は、思いのほか早く編めている。目が見えないから纏めるのには時間がかかるだろうが、それでも2

日もすれば出来上がるだろう。
それだけの時間で、自分がここを出て行く決心が付くとはとても思えなかった。


テーブルを前に食事が始まる。青菜を炒めたものが美味しかった。
しんさんが青菜炒めを噛んでいる音が聞こえる。
「ホウメイァ」
しんさんが呟く。
「ホウメイァー、って、ヤミーってこと?」
「ハァ」
立派に会話が成立した。
「ホウメイァー」私も同意する。
「ホウメイァー」しんさんも繰り返す。


「ねぇ、しんさん
カーディガンもうすぐ編みあがっちゃうんだけど、また毛糸を買ってきてもらえないかしら。ニューヤーン」
私は脇に置いたカーディガンの袖をしんさんに示した。
「ハァ」
「今度はね、もうちょっとしっかりした糸で編みたいの」
あぁ、なんと伝えれば良いのだろう。情けなくてもどかしい。
「ディスヤーン イズア リトルソフト。アイウォント アナザ ヤーン。ドゥユゥ アンダスタン?」
「イェス、モウマンタイ」
「モウマンタイ?」
「モウマンタイ」


「モウマンタイ」は売春宿でよく聞いたから意味は分かっていた。ノープロブレムと同じように使う。
しんさんのセーターを編むつもりだった。願わくば、ピンク色の毛糸を買ってこないことを祈るばかりだ。もっともセーターの出来栄えには自信がなかった。目が見えて毛糸用の針を使えばそれなりに仕上げる自信はあるけれど、何もかもが手探りの今、糸の始末がきちんとできるとは思えなかった。だからしんさんが一人で部屋で着る分にはピンク色でも無問題(モウマンタイ)だろう。


そのセーターを編み終わる頃には自分の答えが出ているだろう。あるいは答えなんて出なくて、また一着、また一着と着る物が増えていくのかもしれない。それならそれでも良いではないか。
しんさんが私のことが邪魔であれば食事を持ってくるのを止めれば良いことだ。飢え死にするわけにも行かないのだから私は出て行かざるを得ないだろう。
それならそれでモウマンタイだ。



翌朝信じられないことが起こった。目が覚めるとぼんやりと明るかった。

目を閉じてまた開けてみる。何度も瞬いて確かめてみた。

開けると確かに少し明るい。


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