香港ドール4 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

男はいつも私を「ドール」と呼んだ。なぜなのか分からない。名前も聞かれなかった。教えるつもりもなかった。
3日目に英語でコミュニケートしようと随分話しかけてみる。疑問文だらけの私の言葉は宙に浮いて、結局どの質問にも答えてもらえずに、それから男は沈黙を守るようになった。


5日目の夜、バスルームに行った折、私は男の股間をそっと掴んでみた。私の手が熱く脈動するものに触れると男は軽くうめいて私を胸元に引き寄せた。
私は欲情していたのだろうか、そうではないと思う。とにかく変化が欲しかった。なるようにしかならないならば、いつだって同じことではないか。
何よりも私を囲いながら手を出さない、その訳の分からなさが私を不安にさせていた。自分の中ではっきりと仕分けをしてしまえば、自分がこの顔も知らない男のセックスの玩具なのだと決めることが出来れば、何か落ち着くことが出来るような気がしていた。
日に二度の食事と入浴、闇の中で聞こえるかすかな雑音だけが私の長い一日のすべてだったのだ。


バスタブの中から手を出して彼の顔にそっと触れてみる。触っただけでは年齢は分からない。続いて胸に触ってみる。広東人には珍しくやや体毛があるようだった。
比較的張りのある皮膚の表面から察するにさほど年齢は行っていないようで、それは声からも推察できることだった。
広東語をしゃべっているから、すっかり広東人だと決めてかかっていたけれど良く考えてみればそれだって怪しい。今までいかに自分が視覚に頼って暮らしていたのかと、改めて思った。
売春宿での経験から白人ではないとは思っていた。そんなに強い体臭もない、私の身体にかすかに触れた骨格も東洋人のものだろう。


再び顔を男の胸に埋める。彼の鼓動が私の耳に響いてくる。すると男は立ち上がってバスタブの栓を抜き、シャワーで私を流し始めた。
体がまだ温まらないままタオルで拭かれる。
大人しく用意されたベビードールを身につけると私は自分からベッドに向かいその上に座った。昨日使ってそのままにしておいたドライヤーで私の髪を男の手が不器用に乾かした。
何かが変わるのだろうか。今までなされるがままにされてきた私がアクションを起こしたことで。


男の手でベッドに横たえられて私は待った。男は部屋の中を歩き回り、そこらを片付けているようすだ。
やがてパチンと電気を消す音がして男が近寄ってくる足音に耳を澄ます。
ベッドが軋んで男が私の横に座った。相変わらずの沈黙。そうっと慈しむ様に頬を撫でられる。見えない瞳を閉じてみる。
静寂の中、飛行機の轟音が何かを切り裂くように響き渡り消えていく。
無限の時が流れるような気がして私がおずおずと男のほうに向かって手を伸ばすと、そっとその手は握られて元の位置に戻された。
ベッドが揺れて男が立ち上がる。けれどまたしてもいつものように男は出て行った。


取り残されて私は再び混乱する。なんなの。あの男はなにがしたいのだろう。
ここに私を囲って、盲目の私の世話をしたいだけなのだろうか。
私は何のためにここにいるの?
もしかしたらあの酷い売春宿から私を救い出したいと思っただけなのかもしれなかった。それならあの入浴の意味が分からない。沈黙の意味も分からなかった。
変化のない暗闇と静寂の中で私の思考だけが忙しく回転する。


自分の命がこの男に左右されると気が付いたのだ。
何とかして気に入られるようにしたほうがいいのだろうか。でもどうやって。
私が男の言うなりにしていればいいの?それで事態が変わるだろうか。
売春宿の客たちは抵抗する私に喜んでいた。それで事態が変わるのだろうか。
分からない、分からない。殺されたくない、死にたくない。
でもいいや。もういい。どうせもう目も見えない。殺すのなら早く殺してほしい。


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