チーバくんの鼻先にあたる、東葛飾エリアと取手へ一泊旅行に出かけました。
縦に登っていける高速がないので、一旦外環で西進して埼玉に入り、三郷のJCT で常磐自動車道に乗って流山ICで降り、北上します。
昼食休憩で、野田市の清水公園に寄ります。
事前によく調べもしないで寄ったら、この公園は有料の「花ファンタジア」植物園とフィールドアスレチックやキャンプ場がメインの公園で、日曜日ということもあって阿鼻叫喚地獄でした。

なんとか芝生の日陰を見つけて持参のお弁当を食べることができました(この日は気温が30度を超え、光化学スモッグ注意報が出ていたようです。 懐かしい響きですが、SDGs に湯水のように税金をつぎ込んだ効果はどうしたんでしょうかね?)。
野田市の北端にある「千葉県立関宿城(せきやどじょう)博物館」に到着。

利根川と江戸川の分流点のスーパー堤防上にある、「河川とそれにかかわる産業」をテーマに河川改修や水運の歴史を紹介する博物館。
天守閣部分はかつての関宿城を古い記録に基づいて再現したもの。

野田市関宿は、近世から近代にかけて利根川水運の中継地として栄え、高瀬船や通運丸が往来して賑わっていましたが、利根川・江戸川の氾濫に本当に困っていたようで、江戸時代から大規模な河川改修が行われていた。
安政風聞集

明治43年・大正6年「洪水絵はがき」

利根川水運の主役として活躍した高瀬船の大型模型が展示されていて、近世から近現代にかけての利根川水運の推移とともに発展してきた土地柄が紹介されています。

天守閣の展望室からは、利根川を前景に遠く筑波山が望めます。

博物館を出て、関宿水閘門(せきやどすいこうもん)へ、向かいます(徒歩でしか行けず、30度越えの日差しの中を15分ほど歩きます)

明治43年の洪水を契機に、江戸川において全川にわたる高水工事(川の水位が最も高くなる「計画高水流量」を算出し、それに耐えうる堤防の整備や放水路の建設)が実施された。
関宿水閘門の建設は、江戸川流頭部における流量・水位調節を目的としたもの。

水門はディーゼルエンジンによって昇降する8門のゲートを備え、利根川と江戸川の分派量を調節する。
その横にある閘門は船舶の航行を可能にするために水位を調節する役目をもつ。合掌式の門扉4枚を備え、開閉は人力。
水閘門は昭和2年(1827)に竣工(今は開いたままになっている)。


暑さに体が慣れていないのか、体力を急速に奪われたので、時間は早いけれど、今日の宿泊地に向けて出発します。
途中、坂東市岩井にある「國王神社」に参拝しました。

天慶三年(940)平将門軍と、朝廷による将門討伐の命を帯びた藤原秀郷・平貞盛連合軍が、この地で最終決戦を迎えた。
劣勢に立たされた将門は、陣を敷いた北山へと退く途中で、流れ矢に当たって戦死。首を取られた将門の身体は馬に乗せられ、後に國王神社となるこの場所に辿り着いたという。
将門の最期から三十二年が過ぎた日、奥州・慧日寺に逃れていた、将門の三女・如蔵尼(にょぞんに)はこの場所で、傍らの林の中より怪木を見つけると、一刀三礼(のみで木をひと彫りするごとに、三度礼拝する仏教の作法)しつつ父の霊像を刻み、祠を建てて、「國王大明神」の神号を奉ったという由来です。

珍しい茅葺の神殿です。
「国王」の意味は、 将門が東国で独立的な王権・皇権を自称したことから、地元では「国王」や「国王大明神」と呼ばれた。将門を「国王」として祀る神社という位置づけ。
関東鉄道常総線の水海道駅前にある「ホテルルートイン水海道駅前」。
駅のローターリーからホテルの駐車場に直接入れるという、先日泊まった「ホテルルートイン香取佐原駅前」とそっくりのロケーションです。

これも佐原と同じで、ホテルの窓から気動車が見えます。
さて夕飯ですが、周りに食べ物屋がほとんどないので、致し方なく駅前にある居酒屋「とり専門 かみふうせん」(モンテローザの系列店)に入ります。
ところがこれが、ひどいぼったくりで、まずお通しがただのキャベツのぶった切ったやつににんにく味噌をつけたのが、有無を言わせず526円もふんだくられました。
焼き鳥もおそらく冷凍を温めただけという感じの、串に張り付いたようなちっちゃなささみ串が500円、ウーロンハイが600円と飯田橋駅前かっ!!というような都心値段でした。まあ、ガストのようなお腹を壊しそうな(実際に壊した)ものだけは出なかったのが幸いでした。
それでも、ろくなものを食べていないのに一人頭3,000円も取られたのはショック(ちゃんとした個人経営の店に入れば、もっと美味しいものがたべられたのにと)です(まあ、このごろの居酒屋は、どこもしょうがないのか....)。
ホテルに帰る時に、駅に懐かしい色の気動車が停まっていました。昭和40〜60年代の塗装を復刻したキハ2400形。







