稲敷・筑波へ一泊旅行(二日目) | みいちゃんといっしょ

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     昨日に続き、稲敷・筑波へ一泊旅行の二日目です。

 朝起きると、なんと、霧だか雲の中なのだか、視界は悪く風が吹き荒れています。

 
 それにもめげず、散歩に出ます。

 ホテルからロープウエイつつじヶ丘駅の駐車場を抜けると、巨大なガマガエルのオブジェや、手作り感あふれる洞窟探検アトラクションで長年親しまれてきたというガマランドの廃墟がある。

 ロダンの「考える人」を真似たものなんだそうです。


 瞬時にインチキが分かる「にぎり石」。潔い良いですよね。

 なんと、2027年に新たな観光拠点に生まれ変わるそうです。ファミレスの坂東太郎が運営に乗り出し、昭和レトロな雰囲気を生かした旧施設の設備や名物料理の提供などで、誘客を狙うのだそうです(大丈夫かな?)。
 

 さて、ホテルに戻り、温泉につかって(展望露天風呂もあるいい温泉です)からの朝飯です。

 これも、さすが老舗の京成ホテル(1959年創業)。昔の旅館の朝食の伝統を感じさせる内容でした。ご飯は茨城伝統の固めのご飯でしたが、他よりは芯が無くて良かったです。

 これで朝食付き4,650円で泊まれたのですから驚きです。


 チェックアウト(入湯税が一人150円かかる  印紙税とか 森林環境税とか 訳わからん)して、駐車場の無料券を発行してもらい出発です。
 天気が良ければロープウエイで筑波山頂へ上る(ホテルで半額券を出してくれるらしい)つもりでしたが、相変わらずのガス(雲か?)で煙っているのであきらめました。
 いろは坂のような急こう配を下り(ドライブモードではどんどんスピードが出てしまうので、マニュアルモードの3速で下りました)つくば市街へ。

 JA 筑波農産物直売所に寄ります。事前に写真で確認したより規模が小さく品数も少なくて残念でした。

 天気も少し持ち直してきたので、予定の第一目的地のつくば市 高崎自然の森(民有林を市が借り受け、「人と自然とのふれあい」を目的に地域の里山を開放している森林)へ向かいます。

 残念ながらお目当ての芝桜は植え替え中(?)で、桜の森の八重桜はすでに散ってしまっていました(早すぎないかい?)。


 ということで、消化不良気味でした農産物直売所にリベンジに向かいます。

 これも、何度か寄ったことのある「ポケットファーム どきどき つくば牛久店」

 ここは、野菜の種類も量も豊富でした。

 さて、野菜も仕入れたので、次の目的地、和田公園の観光案内版で見つけた、千葉県との県境、利根町布川の「柳田國男記念公苑」に急遽予定を変更して向かいます。

 

その前に昼食です。

龍ケ崎市佐貫町、牛久沼の畔にある「桑名屋」さんで鰻を食べます。

お昼時ですが、運よく1台だけ駐車スペースがありました。


 並(税込 2,350円)を注文。「並、並、」と連呼されてしまいましたが、年寄りにはちょうどいい量です。30分ほど待たされたかな。

 柔らかく香ばしくてとてもおいしかったです。肝吸いまでついてリーズナブルですね。



 さて、「柳田國男記念公苑」。利根町は都心の通勤圏だそうです。

 代々御殿医の家ということで、立派な門構えです。

 柳田國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋(改築後の建物で現在は会議や宿泊にも利用できる)、土蔵(資料館)で構成されており、著作物や文書等を展示している。

 千葉県検見川で医院を開業していた海老原精一(妻が旧家・小川東作の三女)が、自分の病院で代診をしていた國男の長兄・松岡鼎(まつおか かなえ)を妻の実家(当主が早死にしたため窮状を案じていた)である小川邸内の離れに住まわせ「済衆医院」を開業させた。
 経済的に自立した鼎が、弟の國男を引き取り、国男は13歳から3年間ここに住んでした。
 國男は、体が弱かったことから、鼎の方針で学校へは行かずに、裸で野山を駆けめぐり自由な暮らしをする反面、代々学者の家系であった小川家の土蔵(現・柳田國男記念公苑資料館)に納められた万巻の書物を読みあさったという。



 小川家の祠(柳田國男公苑所蔵)での神秘体験(※)、徳満寺の「間引き絵馬」に触れた時の衝撃など、布川での様々な体験が後に民俗学の道に駆り立てて行ったと言われ、それ故に利根町は「第二の故郷」と位置付けられている。


※いたずら盛りの國男少年は家人の留守を見計らい石の扉を開けて見た。ところが予想もしなかった綺麗な玉が入っていたのに驚いて、興奮のあまり気が遠くなってしまった。よく晴れた青い空を見上げたところ数十の星が見えたという。その時突然にピーッとひよどりが鳴いて通った。その拍子に身がひきしまって人心地がついたという。後年、あの時ひよどりが鳴かなかったら気が変になっていたかも知れないと、異常心理について振り返り、そうした境遇に永くいてはいけないという暗示だったのかも知れないと述べている。


少年期の柳田国男に衝撃与えた「間引絵馬」 デジタル化して後世に [茨城県]:朝日新聞
茨城県利根町教育委員会


 
 小川家の土蔵(現・柳田國男記念公苑資料館)を見学します。


 柳田國男と利根町に関することは土蔵の中にまとめられています。この土蔵は母屋とは異なり当時のまま保存されています。

 小川邸から少し離れたところに、國男少年が、そこの間引き絵馬を見て恐ろしいと思う反面、知らない風習に興味を持ったという「徳満寺」があるようですが、今回はパスして、次の目的地に向かいます。

 
 成田へ

成田市 三里塚御料牧場記念館です。

 ここにあった「宮内庁下総御料牧場」が成田空港の建設にともない、昭和44年に栃木県高根沢町に移転。成田市が御料牧場の在りし日の姿を忍び、御料牧場事務所のあった場所に建設。

 『貴賓館』の管理の方に促されて、まず『記念館』を見学しました。

 御料牧場の概要、歴史、牧畜と農耕の内容、研究、お召し機用特別調度品などを付きっきりで紹介していただきました。



 次に『貴賓館』に向かいます。


 木造萱葺きの平屋建て、外見は和風・内部洋風という明治中期の和洋折衷様式の建造物。こちらも付きっきりで案内していただきました。


 防空壕の見学を希望するには、記念館の事務室に声を掛けて案内をお願いするそうなんですが、逆に管理の方から声掛けしていただいたので、遠慮なく見学できました。

 防空壕は、貴賓館の隣接地に建築された、皇太子殿下用と伝わるもの。
 昭和16年9月に、宮内省匠寮より間組(現安藤ハザマ)に防空壕の建築を発注、太平洋戦争開戦日の12月8日に完成。
 防空壕のコンクリートは、現在の30階以上の高層ビルに使用される強度と同等の強度も持つものだそうです。 
 艦船用の扉で厳重に密閉できるようになっていて、化学兵器での攻撃も想定されていたようです。

 中は狭くて、皇太子と侍従がなんとか過ごせる感じでした。漆喰の壁、照明やコンセントは当時のもだそうです。

 管理スタッフの方が車好きのようで、コペンの装備の話をしたりしながら楽しく見学させていただきました。

 ということで、今回の旅程はすべて終了。ナビによれば成田から自宅まで1時間ちょっとで戻れるということで、そんなに近かったのかと思いながら渋滞にも合わずスムーズに家路につきました。