霞が浦・牛久沼・手賀沼 三大池沼走破の旅 | みいちゃんといっしょ

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みいちゃん と みいちゃんのパパの日記

 秋の行楽シーズンで各地が込み合う前(不況でそんな事態は訪れないかも)に、 霞が浦・牛久沼・手賀沼 三大池沼走破の旅の出かけました。
 この辺は、ほとんど行き尽くした、といってもいいくらいなのですが、他の立ち寄り先の関係で漏れたところを行き尽くす旅行となりました。
 まずは、圏央道を走って稲敷IC から20分くらいの、美浦村にある陸平貝塚(おかだいら)へ。
 「美浦(みほ)村文化財センター」で事前学習。、陸平貝塚をはじめ村内から出土した考古資料の展示室と、体験講座や住民ボランティア活動などの拠点となっているそうです。


 陸平貝塚は、明治12年(1879)に日本人の手による最初の発掘調査がおこなわれた、日本屈指の規模を誇る縄文時代の貝塚遺跡。


 当時は霞ヶ浦に浮かぶ島で、面積約30,000㎡の台地を取り囲む斜面に残された8ヶ所の貝塚群は、縄文時代早期(約7,000年前)から後期(約3,500年前)のもの。



 加曾利貝塚と違って、屋外の貝塚断面展示はありませんでした(地面の上に貝殻は見られる)が、何か清々しい風が吹いていて、古代の息吹が感じられました。



 お昼となったので、恒例のお蕎麦屋さんへ。常陸秋そばの「味わいそば 大名」さんばかりでは芸がないので、新規開拓の阿見町の「手打ち蕎麦処 梶の葉」さんへ。

 メニューが分かりにくいとの口コミがありましたが、確かに写真がないとイメージが湧かないものばかり(あと、女将さんの愛想がないというのもそのとおりでしたが、蕎麦を打っている息子さん(?)はその分、輪をかけて愛想がよかったですよ)。

 いま分かったのですが、ラインマーカーの青が冷たい蕎麦、赤が温かいもの、黄色が温かいうどんなんですね。


迷った末に
特製たぬきランチ (980円)

けんちん蕎麦(850円)

 蕎麦の腰がさすが手打ちという感じのそばでした。せっかくだから普通のもり蕎麦で蕎麦の香りを味わいたかった感じです。

 

 さて、まだまだ時間があるので、ここまで来て見ない訳にはいかないと、霞ケ浦が一望できるという「大須賀津(おおすがつ)農村公園」へ。

 さすが干拓地の畑で、まわりはどこまでも平らな農地が広がります。


 碑が建ててあって、由来が書いてあるみたいなんですけど、薄い色の石に彫ってある字の色も薄くて読むのが困難。苦労してななめ読みしたところ、どうも、たびたびの水害に困っていた農民が共同して堤防や用水パイプラインなど耕地整備をしたとのことらしい。

 展望台にのぼると、素晴らしい眺めでした。


 左は土浦のビル群から、正面には遠く筑波山、振り向けば牛久大仏が望めたかもしれません。天気も良く、朝の寒さも和らいで、最高の気分でした。



 次は、前回予定には入れてあったけれど、時間の関係で寄れなかった、女化(おなばけ)神社へお参りします。


 延々と鳥居の参道が続きます。


 永正6年(1509年)に京都にある伏見稲荷大社を詣でた地元の人が女化の地に稲荷信仰を伝えたのが、女化神社のルーツとされているそうです。


Grok さんに、女化の由来を要約してもらいました。

女化原稲荷の由来(超要約)

 昔、馴馬が原(後の女化原)で、夕暮れに美しい女が現れ「嫁ぎ先の姑が怖くて逃げてきた、一人では危ないから馴馬村まで送ってほしい」と泣きながら頼む。旅人が送ると、実はその女は狐で、何度も同じことを繰り返したため「人を化かす原」→女化原と呼ばれるようになった。その後、土浦帰りの農夫・忠七がこの原で傷ついた狐を助けると、その夜、美しい旅姿の女が訪ねてきて一夜の宿を借り、ついに夫婦となり8年間連れ添い、お鶴・亀吉・竹松の3人の子をもうけた。しかしある日、子供の前で狐の正体がバレてしまい、女(狐)は泣く泣く逃げ去り、末子・竹松の帯に短歌を結びつけて消えた。歌:「みどり児の母はと問はば 女化の原に泣々伏すと答へよ」のちに竹松の子孫が関東に戻り、西森次郎義長(下総守)となり、智謀すぐれ「関東の孔明」と呼ばれた。義長は先祖(狐の妻)のことを思い、女化原に稲荷明神を勧請した。今もその子孫(栗山村の覚兵衛家)が初午の祭りを司っているという。(『常久肝膽夢物語』所収)

 


立派な社で、何やら古びた献額が飾られています。



 次は、これも前回朝の散歩で寄ってはいましたが、じっくりと見学できなかった牛久沼のかっぱの小径を歩いてみます。

 「牛久市観光アヤメ園」に駐車します。ここから前回眺めた三日月橋の欄干に佇む河童が見えます。寂しそうだし、牛久沼の方は見ていないんですよね。


 こちらはアヤメ園の入り口にいる河童。近くで見ると迫力あります。でも、何にか寂しそうです。


 犬と戯れる子どもの河童もいます。


 さて、かっぱの小径ですが、案内では、「観光アヤメ園の先から、約1kmにわたって散策路が整備されています。」となっていますが、案内板がいい加減で、どういう風に歩いて行けばいいのか、どこがかっぱの小径なのか(畑の畦道なのかかっぱの小径なのか判別できない)さっぱりわかりませんでした。

 今、Google Map で見てみたら、延々と他人所有の畑の畦道のようなところを歩いた先から、木道が整備されているみたい(それも100mぐらいみたい)ですね。この手前までは歩いて行ったのですが、諦めて戻ってしまいました。

 まあ、牛久沼の夕日は眺められたのでよしとしましょう。



 ということで、本日の日程は終了。ドラッグストアで酒とつまみをゲットしてホテルに向かいます。

 ホテルは前回と同じ「牛久シティホテルアネックス」(写真も前回の使いまわしです)


 そして、前回定休日で使えなかったすぐ近くの「旬彩や」で夕食にしたんですが、前回使えなくて幸運だったくらいの内容の悪さでした(刺身(900円)、焼き鳥~硬い割りに生焼け(870円)、納豆チーズオムレツ~何か変な味 (660円)生ビールと頼んでもいないお通し~食いちぎれない牛モツの煮込み(300円)を注文)。

 おまけに、刺身を1人前注文したのに、なんと4人前も持ってきてしまって(2人で四人前も食べるかちゅうの!!それなら大皿頼むわ)、かつ、マグロの色が悪い、かつマグロのほかはイカもサーモンも薄いペラ1枚のみ。そんなもの4人前もお金出して食べられる訳もなく、3人前は戻してもらいました。

 やっぱり、もう外食でまともに食べられるものを望むのは諦めなければならない世の中になってしまったのでしょう。

 ということで、今日はこれでお開きです。

 

明日に続く