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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

マイルスが1954年に放った超名盤のご登場。

1954年というのはアートブレイキーの「バードランドの夜」も録音された年という事で、一般に言われている通りにハードバップが始動した年と思ってもよいだろう。マイルスの自叙伝を読んでも、これまでの麻薬地獄から脱出して思いきり自分達の音楽が出来た素晴らしいセッションだったと、何度も何度も熱く語っている。

その「ウォーキン」セッションはJJジョンソン、ラッキートンプソン、ホレスシルバーらと組んだ2曲。ちょうどLP片面分にあたる。文字通り歩くテンポでありながら、それまでのビバップとは全く違うクールなグルーヴを引き出したタイトル曲と、従来のバップ曲をより熱く燃え上がらせた「ブルーンブギ」。特に熱い中で巧みに「ジャンピンザブルース」のリフを重ねてグイグイとひっぱる後者の興奮はジャズの歴史に永遠に残る白熱度を示している。

しかし、そんな歴史的に認められたセッションのたった2曲が、両方とも何てことのないブルーズであるのが面白い。ひょっとして2曲ともキーはFではないか。このルーズさは今ではまず考えられない事だろう。当時、素晴らしい演奏を世に問う事と同じ様なタイプのセッションを発売するのは別問題だったのだろう。またブルーズに対する認識も今とは違っていたという事かも知れない。

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ホレスパーランは大好きなピアニストの一人だ。当時のジャズプレイヤーのほとんどがそうであった様に、この男も一聴すれば判るという超個性の持ち主。彼の場合誰もが考えもつかない個性的なフレーズを、個性的な奏法で、何ともいえない黒いムードを表現するのが特徴で、正直一度はまってしまえばなかなか抜け出せないノリをもった、正にマニア泣かせのプレイヤーといえるでしょう。

61年にブルーノートから発表された本作を聴いてみてほしい。

ブッカー アーヴィン、グラント グリーンといった同じ匂いがするメンバーを引き連れて、それはもう黒くてダークネスな世界に連れて行ってくれる事うけあい。ブルーズ好きのあなたには自信を持ってお勧めいたします。

といっても61年のアメリカ本国で、一体このレコードがどんな層に、どのくらい売れたのかは全く想像もつかないのは事実。恐らくほとんど売れなかったのではないか。

今現在でこのようなブルージーなアルバムを作るのは、恐らく一部の黒人音楽愛好家をターゲットにした懐古趣味的なものとして発売されるでしょう。しかしこのアルバムなんか今聴いても当時の彼らの生活の音、魂の音そのままだ。

この温度差に50年の時代の変化を感じてしまいます。

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あつい。

何を隠そううちにはクーラーがないのだ。早くクーラーのある店に行って涼みたい。そして「ゲッツ/ジルベルト」を聴きたい。

カフェミュージックがもてはやされる昨今、猫もしゃくしもボサノバ。ひと昔のスタンダード同様言葉だけが一人歩きな感もみうけられます。

僕はボサノバがあまり好きではない。

むしろ嫌いだ。

でもやはりこのアルバムは例外だ。

かっこいいから。

みんなこの雰囲気を目指してボサるんやね。でも何かが抜けてるから、ただ炭酸の抜けたソーダ水みたいになってる。さらにそれを真似てほんまに匂いも音もない屁みたいなボサも出てきてる。

その何かって何やろ?

ポルトガル語で言うBOSSA NOVA。英語で言えばNEW WAVE。フランス後で言えばNOUVELLE VAGUE。

多分その意味の中にヒントがあるんやないか。ポワーンと聴こえるけど、実は大変な意気込みが必要とされる音楽。

本作はそれが最も理想な形で表された奇跡の1枚だったのではないか。知らんけど。

なんせ暑い。

こんな日は早く店に行ってコルコバドに向いた窓を開けよう。なんて素敵なのでしょう。

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以前このコーナーで紹介したジジ グライスやブッカー アーヴィンのアルバムで、元気はつらつのトランペットをぶっ放していた男がリチャード ウィリアムズだ。

ハードバップの世界ではリー モーガンやフレディー ハバードなんかが今でも圧倒的に人気があるのだが、このウィリアムズは音のでかさではまず誰にも負けていない。更にその音で(本人は心外だろうが)突撃ラッパと形容される通り、全くもってわかりやすいフレーズで押し通してくれるという、僕の大好きなタイプの痛快さんである。

そんなウィリアムズのリーダーアルバムはたった1枚。それがキャンディドといういかにも通好みなレーベルから発表された本作だ。

しかしこれ、レーベル、サイドマン含めすべてが地味なのが災いしたのか、本人のプレイに他の参加作から期待される痛快さを感じるまでには至っていない。そういう点で僕に言わせれば、残念ながら平凡なハードバップ作の1枚に加えてもしかたがない出来なのだが…。

ただ嬉しい事に両面1曲づつ収録されたバラード「アイリメンバークリフォード」と「オーバーザレインボー」が、かえってウィリアムズらしい輝きが出ていて非常に聴き応えがある。正直、本作はこれだけで評価されてもいいのではないか、と思う。

僕はスタンダードのバラード演奏というのはどれも通りいっぺんで、余程のプレイヤーのものでないと好きになれないのだけど、そういう意味で考えると、やはりウィリアムズは僕にとっては余程の男だったという事になる。

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とかく黒けりゃ勝ちみたいな傾向にあった60年代のジャズオルガン界に一石を投じたのがラリーヤング氏といわれております。

ウディショウ、ジョーヘン、そしてエルヴインという同世代の新進気鋭らを集めた本作が代表作とされていますが、全員の若さほとばしる颯爽とした、それでもって自分達こそがこの世界の最先端だという自信に満ちたプレイを聴くと、それも頷けるというもの。

ついでにブルーノート名物、RVGのやたら抜けきった録音も毎度の事ながら痛快さに一役かっております。しかも当店のは残念ながら行方氏の東芝盤ですが、それでも良く聴こえるので、本物はそうとうなものでしょう。キング版だったらどんなに良かったのでしょう、憧れます。

主役がオルガンプレイヤーであっても本作でくり広げられている演奏というのは、ビバップ~ハードバップ~モードジャズといった伝統にのっとったものであるのは間違いないところ。ちょっと前に紹介したドン パターソンのレコード同様、ギターがいない所に甘さが排除されたのがその要素を増した原因でしょう。

そのためだろうか、当時からこのラリーについて「オルガンのコルトレーン」なる呼び方が定着している様だ。まあメンバーにエルヴィンがいるし、恐らくコルトレーンの後を追っかけていたジョーヘンもいるし、そういう例えは区分けとして便利なんでそうなったのだろうけど、ラリーも他のレコードではコテコテなものもある訳でして、固定概念で一人のプレイヤーを見てしまいそうなので、僕はあまり感心は出来ないのでありますが。

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何はともあれ、メンバーの顔ぶれを眺めてほしい。ベテラン、老人、サラリーマン、ヤンキー、イスラーム、女、オタク、紳士、日本人、一般人、奇人、変人、他。もちろんみんな想像だけれど、このバラエティーさはいくら人種のるつぼと言われるニューヨークでも半端ないのではなかろうか。そして全員が果てしなくいい顔をしている。その右端に構える主役は何と堂々とした風格なのだろうか。

クリフォード ジョーダンの夢のビッグバンドはここに完成したのだ。時は1991年。ニューヨークはコンドンズに長期レギュラー出演を果たしたのがこのバンドなのだ。

そのサウンドはまさに主役の特徴を100%以上反映されたもの。自由奔放でダウン トゥ アース。もちろん緻密なアレンジをほどこしてはいるものの、そんなものを感じさせない豪快さが前へ前へと出ている。主役以下全員が完全に一つになって繰り広げるビッグバンドの理想的サウンドとクリフ ジョーダンの音世界が完全にマッチして、それはもう究極のジャズ的快感が得られる事、絶対。

そして、その中心にあるのがメンバー全員のクリフ ジョーダンへの信頼なのだろう。確かこの地点でジョーダンが癌に侵されていたのは発覚していたはずなのだが、ここでは本人も含めそんな心配事は微塵も感じさせない。こんなビッグバンドを作り得た男はジャズの歴史の中でもクリフ ジョーダン以外には存在しないと断言したいと思う。

そのビッグバンドがブルーノート東京に出演したのが、92年の末(だったと思う)。僕と同級生はさっそく新幹線に飛び乗ったのは言うまでもない。宿を取る金はなく、コンサート終了後は新宿あたりでちびちび飲みながら始発を待つという貧乏旅だが、全く苦にならない。クリフ ジョーダンが、このサウンド、この素敵な連中と一緒に僕達の前に現れるのだ。喜び以外は感じないというもの。

現場について意気揚々と入場を待つ僕達の前に車椅子に乗った男が現れた。がりがりで目が飛び出しそうで、もう自分では車椅子も動かせず付き人に押してもらっている。僕は失礼ながら何かぞっとしてしまい、一歩引いてしまったのだ。

いよいよ開演時間が来た。ステージにぞろぞろとメンバーが集まる。CDジャケットと違いみんなお揃いのブレザーを着ている。それでもあんまりCDを愛するあまり全員の顔を覚えていたので、何か初めて会った様な気がしない。

しかしそこにクリフ ジョーダンの姿はなかった。もう癌の件を知っていたので、それが原因だとはすぐにわかった。

バンドは副リーダーであるトランペットのディジー リースが指揮を取っていた。この男にしても充分伝説である。そしてバンドサウンドはCDそのもの、いやそれ以上のものも多々見受けられた。その日はメンバーの一人が誕生日らしくて、誰かがソロでハッピーバースデイを吹き大いに楽しんでいるのがこちらに伝わってくる。人種的に全く揃っていない集団が、これほど一つになれるものだろうか。この日は結局メンバー全員の熱演に次ぐ熱演で盛り上がりは最高潮に達した。

でもジョーダンはいない。その淋しさはメンバーの中にもあったのだろう。何かみんな楽しんでいるのは間違いはないが、それは最後の晩餐を噛み締めている風でもあった。それでもクリフ ジョーダンの日本の夢はここに彼を慕う素晴らしいメンバーによって叶えられた。

帰りにゴールデン街でこの日の興奮について同級生と話した。最初はジョーダンの不在については何か口には出しにくかったものの、そうはいかず結局話した。そしてその際、会場に入る前に会った車椅子の男がジョーダンその人だと彼が話した。僕は気づかなかったけど、彼は服装でわかったらしい。でもその変わり様に言葉が出なかったという。

その4ヶ月後の1993年3月27日、クリフ ジョーダンはこの世を去った。こんな事ってあるのだろうか?僕より前にジョーダンの魅力をわかって、あの日ジョーダンを認識した同級生の親父さんと全く同じ日に亡くなったのだ。運命を感じてしまう。

結局クリフジョーダンのビッグバンドは少なくとも僕らにとってはジャズの歴史上最高の遺産として記憶と共に残った。しかしクリフ ジョーダンにはもう会えない。会って尊敬の言葉もかけられないし、お礼も言えない。

去年訪れたニューヨークでは今だにクリフ ジョーダンの曲を特集したプログラムが催され、まだ20歳そこそこの青年が「ベア キャット」を演奏していた。その他にもジャズシーンのあちこちでジョーダンの名前を発見出来た。※

そこで僕が考えるに、無くなったのは彼の肉体だけであり、彼の魂は今でも生きている。高い山の頂きから僕らを見守っているのだ。あの優しい目で我々ジャズを愛する人間が間違った道を進まないか、じっと見つめているに違いない。

僕には夢がある。それはいつか僕の店Doodlin'に、老若男女問わずクリフ ジョーダンの愛を授かった者達が集い、彼の偉業について語り、後世に伝える役割を担う事。ジョーダンを愛していればそれは自然とやってくると信じている。僕らはジョーダンズ チルドレンなのだから。

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※この時の旅行記はこちら
クリフ ジョーダンが生涯に渡り何度となく録音した自作曲「ハイエスト マウンテン」は、曲そのものに生命力が溢れているといった素晴らしい楽曲であるが、その初録音となったのが、僕の調べた限りではこのアトランチックから1965年に発表された「プレイズ レッドベリー」。

これはタイトルからも判る通り、フォーク黎明期の黒人シンガーソングライターであるレッドベリーの楽曲をクリフ ジョーダンがジャズに編曲したというもの。主な参加メンバーはジュリアン プリースター、シダー ウォルトン、リチャード デイヴィス、アル ヒース。これに聞き慣れない名前のトランペッターとシンガーにバンジョーも加わるという大作だ。

そして先に言ってしまえば、これこそがクリフ ジョーダンの全ての要素が凝縮された最高傑作である。自由奔放にして地を這う様なジョーダンの強烈なるブローに、当時最高の実力を持った気鋭達が見事なサポートを示していく。しかもあくまでもダウン トゥ アースに、あくまでもスピリチュアルに。
代表曲「グッドナイト アイリーン」「もし私がハンマーを持っていたら」など、どれもが親しみやすいメロディーを持っていながら、見事な完成度に達しているものばかりだ。
1965年というのは、公民権運動などの嵐が吹き荒れていた時代。そんなまっただ中にこの様な黒人としてのアイデンティティを全面に押し出した作品を作る。これはジョーダンにとって、少なくともこれまでの、所謂ジャズ作品とは全く違う性格を持った作品であるのは間違いない。副題に「これこそが私のルーツである」と記されているのも、何かしらのジョーダンからのメッセージであるのだろう。

そんな作品中、唯一のジョーダンの自作曲として収録されているのが「ハイエスト マウンテン」。
ここで思い出すのがマーチン ルーサー キング牧師の暗殺される前の最後の演説からの言葉「私はもう既に恐れているものはない。何故なら私はもう既に高い山の頂きから約束の地を拝み見たからです」というもの。この「高い山の頂き」と「ハイエスト マウンテン」に何か関係があるのかは今のところ不明だ。しかもキングの暗殺は1968年。この録音より3年後になる。
しかしジョーダンはその後も何度となく繰り返しこの曲を録音して行く。そして現在では数多いジョーダンの楽曲の中でも代表作に挙げられている。恐らくジョーダンはこの曲に何かしらの意味を込めて大事に大事に演奏を重ねて行ったのではないかと思う。

そしてその最初となる、本作での「ハイエスト マウンテン」は、3管という重圧なアンサンブルを得て、まるでビッグバンドの様な響きを轟かせている。ジョーダンはこの時、もう既にこの曲をもっと壮大に、もっと雄大に展開させてみたいと考えていたのではないかと考える。

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この男を意識した最初は何だったろうか?そこから物語は始まる。

最初は大好きなホレス シルバーやリー モーガンのアルバムに参加していた。そして覚えたてのブルーノートにもいくつかのリーダーアルバムがあった。本当にそのくらいであって、その頃はシカゴ出身の1テナー吹きくらいの認識しかなかったのが本音だ。

そのうち、レコードコレクター仲間の同級生が、男にはまり出した。でも何でこんな男にこれほどはまるのかは僕には理解は出来なかった。

変化したのは、もう忘れたが何かの記事を読んでからだった。その記事によると、男は当時のニューヨークのジャズ界では本当の意味での重鎮であり、全てのニューヨークに来た若いミュージシャンの世話をしている。NYのミュージシャンで男の世話になっていない者は皆無である。との事だった。

その途端に僕の男に対する評価は一変した。これまで何となく聴いていた男の演奏が、実はとんでもない境地で吹いているものばかりであって、それは我々がこれまでうのみにしていたジャズ評論の理屈ではとうてい理解出来ない、ある種の悟りにまで到着しているものばかりである。限りなくダウン トゥ アースでありソウルフルな音楽。そしてそれらを支えてるすべての要素が、男の優しさから生まれている。これらを理解するのにそれほどの時間はかからなかった。

そして男が男として最高の仕事をしていたのが、我々がモダンジャズの最盛期と教えられている、50~60年代ではなく、むしろジャズの不遇時代といわれている70年代であったと気づくのも、時間の問題だった。男はこの時代にジャズ、いやそんな枠にただ収まるものではない、ジャンルを超越した本当の人間が奏でる音楽を死守したのではないだろうか。

そんな頃に読んだスイングジャーナルで目に入ったのが、癌に犯された男を励ます会がニューヨークで行われたという小さい記事。確かウィントン マルサリスが音頭をとっていた気がする。この記事が今手元に無いのが本当に惜しまれるのだけど、記事にはその会に出席した主な人達の名前を列記していた。そしてそれは、とにかく僕の知っている限り当時のジャズミュージシャンで健在であった全ての人達であったのははっきり覚えている。男の伝説が本当であったのはこれで実証されたのだ。

日本では全く話題にならなかったが、男が死んだ後にニューヨークのレコーディングに一斉にある変化が起こった。無数のプレイヤーが新しくリリースした作品に、ある一言をクレジットしたのだ。

THIS IS DEDICATE TO CRIFFORD JORDAN

コレクターの方は1993年3月以降のニューヨーク録音のCDをひっぱり出してよく見てください。絶対に一つは発見出来ますよ。

確かにこの様な事実があったにも関わらず、まったく気づくそぶりもみせなかったのが当時のSJ誌やJL誌だった。こいつらはメーカーのCDを売るためなら、どんな事実も曲げてしまうのに、こういった本当の歴史の真実に関わる事には全くふれようともしない。金にならないからだろう。正直、この頃に少しでも記事にしてくれたら、少しでも男はうかばれたろうに。

しかし、男の事を思うと絶対にこんなつまらない事を恨んではいけないのだ。なぜなら男は人を恨む様な事を僕らには教えなかったから。これは音楽を聴けばわかる。だから僕はこの件について恨みつらみはこれ以上ここで話題にはしないでおこう。

男は去った。しかし男は生前にある詩を書いている。

「ハイエスト マウンテン」と題されたこの詩に、男は何を託したのだろう。これをひもとくこと。これこそが残された我々全ての音楽を愛する者に与えられた使命ではないだろうか?

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かつてDoodlin’の近所、元町駅東口を北に出てすぐの雑居ビルの2階に「トンボ」というジャズ喫茶があった。

僕は基本的にジャズは酔って騒いで聴く音楽以外の何者でもないと思っているし、所謂昔ながらのジャズ喫茶なんて、ただ間違ったジャズの認識を植え付ける閉鎖的な場でしかないと考えていたので、正直あまり好きではなかった。

ただし、その「トンボ」だけはいつでも閑散としていたうえ、常に店のおっさんがウトウトと居眠りしているという退廃的なムードが面白くて、地元の同級生と時々からかいに行っていたのだ。

ところが、そこに夜になるといつも物凄いガラの悪い、図体も、態度も、声もでかいという標準語の893のおっさんが出入りしていた。
そしてその893、どうやら大人しくて冴えない店主と旧知の仲らしくて、いつも大声で「おいこらトンボ!」と怒鳴りつけているは、当時流行りのトレンディーといわれた、いかにもな気取った客には酔って絡むはで、それはもうやりたい放題。ほんっっっっまにうっといしい893であったのだ。いつも勘定を払うと「すんませんねえ…」という店主の声を思い出す。

ただその893、何故か僕らには無害で、それはそれで幸いだったのだけど、ある日「君達はレスターヤングを知ってるよね、レスターヤングを聴かないとダメだぞ」と100%強引にレスター ヤングを聴かされた事がある。

当時まだ僕らは若くて、レスター ヤングみたいな古いジャズなんてダサい以外の何者でもないと考えていたけど、怖いのでそうも言えず、ずるずるとレコードを終わりまで聴いたものだ。

あれから25年。「トンボ」は震災により、とうに店をたたんだ。店主も893も今はどうしてるのかは誰も知らない。そして、この僕らも四十の半ばをすぎた。いつの間に?と思うが、月日のたつのは本当にはやい。

ところが、不思議なもので今になって堂々とレスターヤングが好きだと言える様になった。

レスターのサックスには美学がある。ソフトとか繊細なプレイがどうのこうのとよく言われてはいるが、僕はその美学に何か説明出来ない心地良さと、それに反比例した不良性を感じるのだ。この矛盾さにこそ今の時代には絶対に出現しない超天才な個性を感じるし、これこそが何人もたどり着けなかった境地そのものであると。そう、レスター ヤングを聴かんとダメなのだ。

今考えれば893の言う通りだった。

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この一見どうみても人が良さそうなうえ冴えない、お茶の水博士にそっくりなおっさんこそ、誰あろう60年代のブルーノートにおいて数々の名盤で暴れまくったアルトサックス、フルート奏者のジェームズ スポールディングその人。ちょっとでもBNのレコードを聴き込んだ事のある方なら聞きおぼえのある名前ではないでしょうか。

1937年インディアナポリス生まれ。BNなどで名コンビとうたわれたフレディー ハバードと同郷、同世代であります。

博士の演奏は恐らくエリック ドルフィーやオーネット コールマンなどの当時の最先端のアルト奏者に影響をうけたもので、背中に虫が入った様なトリッキーでエキサイティングを絵に描いた様なそのプレイは、面白いほど寛ぎとは全く無縁なスタイル。そのかわり最初からエンジン全開、迷いっ気なしの豪快な吹きっぷりにかけては、これっぽっちも半端なところは無く、その意味での面白さで、実は隠れファンが僕を含めて日本だけでも5人はいるかと思われます(うち一人は同級生)。

紹介するのは1988年に発表された単独のリーダーアルバム。ミューズという地味だがいかにも通好みのレーベルからというのがまた彼らしい。8曲中6曲をモンクの曲で占めているうえ半分はフルート演奏だが、レーベルは違えアルトの演奏は短いながらもBN時代の博士らしさはそのまんま。ウォレス ルーニー、マルグリュー ミラーなど当時の若手実力派もかすんで聴こえるくらいの熱演、激演に終始しており、流石にかつてハバード、ショーター、ジョーヘン、ジョーチェン、ハービー、ロン、トニーらと互角にやりあった強者だと実感できる瞬間が随所に感じられるというもの。

とりあえず、この名前だけでも覚えててね。

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