Doodlin' Records -15ページ目

Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

世間一般的にスイング期の3大テナーサックス奏者はコールマン ホーキンス、ベン ウェブスター、そしてレスター ヤングと言われている。この時代には他にレオン チュー ベリーやバド ジョンソンなんかもいて、通の中には異議を訴える方もいらっしゃるでしょうが、ここはあくまでも一般的という事でお許しを。

この3人、50年代はもっぱらヴァーブよりアルバムを発表していて、それぞれ素晴らしいカルテット編成の作品を残しているのだが、そのうちコールマンとベンのものは既にこのコーナーで紹介は終わっている。

その前にこの3人について、あのオスカー ピーターソンがあるインタビューで語った話が僕は忘れられない。
それによると、オスカーはヴァーヴ時代にスタジオやJATPなどでこの3人と何度も共演しているが、その経験を通して様々な事を学ぶに至った。しかし同時にとうてい彼らのレベルには自分が及ばないのを悟る。彼らこそがクリエイティブと呼ばれるにふさわしい人達だ、とのこと。
あのオスカーでさえもが自分はまだクリエイティブと呼ばれる資格はないと語った件は、ちょうどクリエイティブという言葉が単に流行として横行し、猫もシャクシも本来の意味を考えずに自らをそう語り出した時期だったので特別に考えさせられた。

僕は安易にこういう言葉を使う傾向が嫌いだ。しかしオスカーの話を考えるまでもなく、確かにこの3人に対してはその通りだと言う事が出来る。その中でも特にレスター ヤングの研ぎすまされた感性は、その言葉でさえももの足りないという境地にたどりついたものだろう。

名ピアニストであるテディ ウィルソンを迎えた本作は、言うまでもなくジャズ史に残る名盤として今も愛されている。晩年のレスターは心が不安定であり、演奏に覇気が感じられなくなる場面も多かったらしいが、ここではテディの絶品なる好サポートを得て奇跡的に最盛期を思わせる颯爽たる演奏をくり広げた。しかしこの話でさえ現在のファンの間では常識として知られている様だ。
したがって今さらこの名演を僕がとやかく語っても大して新しい見解が出てくる訳ではない。僕が本作に対して持った思いは誰もが一回聴いたおりに感じるそれと全く同じだ。聴けばわかるという事でもある。

ただレスターの数多い魅力の中でも、彼の歩んだ道のりや後進に多大な影響を与えた独自のフレージングなどを差し置いて、僕は特別に彼の音色にすっかり魅了されてしまう。先日Doodlin'でいつものように本作を流していたら、聴いていたある若者が言った。「レスター ヤングの音を聴いたらサックスが木管楽器やていうのがよく解りますね」何と言う名言であろうか。レスターの音はまるで木と木がこすれ合った様な繊細で大らかで、心地良さに満ちている。まるで木で出来たサックスを吹いているみたいに。

レスターの出す音色はレスターの人生そのものであり、それが真の芸術となり得た。芸術という言葉を使うのに抵抗を感じる僕でもお手上げだ。ジャズから世界遺産に相応しいものを一つ選べと問われれば、僕はレスターの音色だと答えたい。

$Doodlin' Records
60年代のリーモーガンのアルバムは、それこそバラエティーショーかと思うくらい、毎度まいど色々な曲調のナンバーが並んでいて実に楽しい。
思い出すだけでもボサノバあり、ポップスあり、日本の歌あり、そして誰もが真似出来なかった様な軽快なカリプソありと、まるで何も考えずに気に入ったものをかたっぱしから取り入れているといった感じ。天真爛漫な姿が目に見える様だ。

さて65年に録音された本作。発売されたのはだいぶ後になってからの様だし、ブルーノートにしてはあまり芸のないジャケットにして、それほど話題になる事がなかったアルバムなのだが、僕の大好きなするウエインショーターとハロルドメイバーンという2大スターがサイドメンとして大活躍してくれているというのもあって、僕にとっては特に大好きな1枚である。

そしてここに収録されているのも、自身があみだしたジャズロック調に、もうひとつの当時の流行りであったモード調、所謂スタンダードナンバーと実に鮮やか。特にブルースの「スピードボール」における、タイトル通りの爽快感は必聴。鮮やかなナンバーを鮮やかなプレイヤー達が演奏するのだから、そりゃ鮮やかだわな。嬉しい事に最近はその「スピードボール」をきっかけに再評価もされていると聞くが、この内容からすればそれも当然といった所か。

しかし特筆すべきは、それらが全てリーにしかなし得ない、リー独特の美学で料理されている事。例えば本アルバムのタイトル曲における後ろテーマ後に再び踊り出てくるリー。もうカッコ良すぎて撃ちたいくらいだ。
リー自身は何もジャズ界に革新的なものをもたらそうと常には考えていた訳ではなかったのではないかと思う。にも関わらずリーのアルバムだけはどんなカテゴリー分けも必要がないと感じてしまうくらいリー独特のものがある。そこが正に天才たるゆえんではないか。そしてこの楽しさこそがリーが天才のうえ天性のエンターテイナーで大スターだったから醸し出されたものであろう。

$Doodlin' Records
本日のDoodlin'はBLUENOTE MONDAY

ウェイン ショーターの大特集です。丸一日ブルーノートのショーターのみでお送りします。
ご期待ください。


$Doodlin' Records
神戸で活躍するベテランのジャズDJ、松田光司君がDoodlin!に遊びに来てくれた時に色々とDJやクラブシーンの話を聞かせてもらった。僕はレコードコレクター系のジャズオタにして、あまりそちらの方面には詳しくないものの、それらは判らんなりにもなかなか興味深い内容であった。しかしその内で一番驚いたのは、すべてのジャズDJが一番に聴くべきレコードとして、彼がこのウェイン ショーターの「ナイト ドリーマー」をあげていた事だ。
これはクラブDJ=踊れる曲を発掘して流す人という安易な位置づけでしか見てなかった僕にはことさら意外な意見である。しかしそれほどこの作品にはジャンルやカテゴリーを超越した魅力が詰まっているという証しなのだろう。そしてその意味では僕と全く同意見にして、全くもって嬉しい限りなのであります。

とにかくウェイン ショーターの「ナイト ドリーマー」のカッコ良さを文章で表現するのは難しい。何の言葉をもってしても物足りない表現に終わってしまうからだ。本当にもっと国語を勉強しておくべきだったと心底思う。

ウェインがヴィージェイ レーベルから初リーダーアルバムを発表したのがジャズメッセンジャーズに入団した1959年頃のはず。しかしそこでは結局3枚しか制作はされていない。ブルーノートでの初リーダーアルバムである「ナイト ドリーマー」は64年の録音であるから、結果的には約5年近い間に3枚しか発表されなかった事になる。ウェインの実力からすると少なすぎる感は否めない。
この理由は恐らくその間のジャズ メッセンジャーズでの活動が忙しすぎたからではないかと思う。またメッセンジャーズでは音楽監督をまかされていたので、アート ブレーキーというスーパードラマーの元、思い存分自分の音楽を試行錯誤しながら楽しめたらしいので、あまり自分のリーダーアルバムまで気が回らなかったのかも知れない。そうだとすると今考えると呑気な話ではある。

それだけにメッセンジャーズを離れる直前にブルーノートに吹き込んだ本作は、正に満を待して発表とあいなった感がことさら強い。ウェインがここで選んだメンバーはメッセンジャーズでの良き相棒であるリー モーガン。リズムセクションには当時コルトレーンと共にジャズの歴史を塗り替え続けていたマッコイ タイナーとエルビン ジョーンズ。それにうまいこと両方と繋がっていたレジー ワークマン。
これまでメッセンジャーズでやってきた事をリーと、そして意識するコルトレーンの音楽を自分流に表現する事をマッコイ、エルヴィンと。おまけにこの後深くはまっていく黒魔術の世界も早くも取り入れて、これは正に1964年のウェイン ショーターのショーケースと呼ぶに相応しい、半端ではない聴き応えに満ちあふれた傑作といえるだろう。

そしてその世界は発表から50年近い年月がたっているにもかかわらず、今なお斬新であり続けている。「ブラックナイル」を聴いてほしい。たまらなくスマートに流れるメロディーにまるで麻薬の様に引きつけられるハーモニー。軽快さと重厚さが見事に調和するこのナンバーだけでもノックアウトをくらいそうだ。これは魔法としか考えられない。

そこで魔法だけに言葉に表せないと理由付けしとこう。

そんなウェイン ショーターをフィーチャーするDoodlin'のBLUENOTE MONDAYは明日月曜日に開催。まか不思議な魔法にはまりにおこし下さい。

$Doodlin' Records
ついこないだ元町リズムボックスで千円ちょいで購入したばかりの超驚き版。いてもたってもおられず早くもご紹介といたします。。
「ハッピーリュニオン」と題されたデュークエリントンの未発表セッションでありまして、どうやら映画「コットンクラブ」が公開されたのを機に1985年頃に発売された1枚の様。

まずA面はジョニー ホッジス、ジミー ハミルトン、クラーク テリーら所謂エリントニアンと共に吹き込まれた中編成のコンボ演奏。アンサンブルを重視しながらも各人の個性を生かしたエリントニアンらしい仕上がりで、もちろん素晴らしい。

しかし問題はB面に収められた別のセッションにある。

それはエリントン、ジミー ウッド(b)、それにサム ウッドヤード(dr)のリズム隊に、ホーンがポール ゴンザルヴェスのテナーサックスただ一人。1958年にエリントンがリーダーで、しかもカルテット編成というだけでも驚きだが、そのテナーがあのポルゴンで、しかもあの「ディミニュエンド&クレッセンド イン ブルー」を演奏してるではないか。例の当ブログ2012年1月21日に取り上げた1956年の「ニューポートのエリントン」で延々27コーラスをポルゴンが吹ききって大興奮をかっさらった、あのナンバーだ。

しかものしかも、ここでその再現を命じられたのであろうポルゴンのソロは、そのニューポートを越えてしまっているかの如く凄まじいではないか。あのわかり易くとも、独特で果てる事のない、おまけに誰もが真似不可能な吹きっぷりがスタジオで、しかも4人だけでくり広げられているのだ。因みにコーラス数を数えてみたら、何と27を越えて30に到着したではないか。しかもリーダーが興奮しちまって歓喜の声を上げ、おもけに時間オーバーで中途半端にフェードアウトしている始末。

ただ言えるのは、このレコードの発見は僕にとっては事件だ。
でもエリントンのファンにはひょっとして常識?それだと恥ずかしい限りなんやけど…。


$Doodlin' Records
薄学にして判官贔屓という言葉を知らなかった。ひらがなで書くと「ほうがんびいき」らしいが「はんかんびいき」でも良しなのだそうだ。
僕がこの言葉を知ったのは、昔僕と僕の同級生らと発行していた「月刊プリーチャー」というフリーペーパーで、相棒である伊勢伊勢守が、あるプレイヤーを表すのに使っていたからだ。同い歳なのになんでこの男はそんなに難しい言葉を知っているのだろう。

さてその判官贔屓であるが、この記事を書くにあたり一応ちょこっとだけインターネットのはてなキーワードで意味を調べてみた。それによると判官贔屓とはすなわち「弱者に対して「弱いから」と言う理由で、えこひいきしてしまうこと」らしく、一般的には現在の大河ドラマ「平清盛」にも出た(であろう)源義経に対する人々の気持ちを表した言葉なのだという。

そして、この義経とはあまり関係ないが、この同級生が判官贔屓をしてしまうプレイヤーというのが誰あろうアルトサックスのソニー レッドなのである。

ソニー レッドは本名をシルベスター レッド カイナーといって1932年にミシガン州デトロイトで生まれた。この時代のデトロイト生まれのプレイヤーといえばドナルド バード、ペッパー アダムズ、ケニー バレル、トミー フラナガン、カーティス フラーといった錚々たる天才型プレイヤーの名前ばかりが思い浮かぶ。フィラデルフィアと並ぶまさにハードバップのエリート養成都市であったといえる。

しかしソニーは全くそのエリートの仲間には入れてもらえなかった。他のプレイヤーが天才的と称されてどんどん素晴らしいギグに呼ばれアルバムを制作して行ったのに、ソニーだけはついぞそんな扱いを受けなかった。
理由はある。あまりパっとしないからだ。彼には同時代の天才型プレイヤーの多くが持つ成熟味というものが感じられない。そのうえ負けん気だけは強かったのだろう、いつもガムシャラに吹きまくるのはいいが、どうも焦っている風に聴こえてしまうのだ。同い年の天才、秀才らはジャズシーンの先を見据えつつも実に余裕のある音楽的な演奏を行っていたのに、このソニーだけはいつも「負けるもんかー!」とか「オレだってオレだって」という意識がありありと表に出てしまっている。これではまるで羨ましいと口に出してしまっている様なものではないか。もう少し冷静になれんものか。

でもそんなソニーだからこそ我々は判官贔屓の目で見てしまうのかも知れない。出来の悪い子ほどかわいいと申しましょうか。またそんなジャズシーンを変えた天才集団の様な部類にはとうてい入れない我々一般人にはソニーの気持ちが非常にわかってしまうからかも知れない。ちょうど映画「アマデウス」でモーツアルトよりサリエリに共感してしまうみたいに。

ただ、だからといってソニーが二流のプレイヤーであったのかといば、これは大間違いもはなはだしい。ソニーは同時代の他プレイヤーと同じく超がつく程の個性を持った超一流プレイヤーの一人であると断言したい。
1962年に録音された本作を聴いてみてほしい。ここではブルー ミッチェル、グラント グリーン、バリー ハリス、ジミー コブといった恐らくソニーにとっては全く気負う必要のなかったであろうメンバーを得て、時にはスインギーに、時にはキリキリと、そして時には朗々と自分の信じるジャズを楽しんでいる。そしてその楽しんだ時のソニーはどっから聴いてもニューヨーク最先端を行くジャズヒーローそのものだ。見事なブルーズを奏でる「BLUE SONNY」ストレートな表現がメロディーの素晴らしさを際立たせている名曲「BEWITCHID」などは当時のどんなアルトプレイヤーにも敵わない絶品なる味わいを醸し出しているではないか。

もしタイムマシンがあれば、今すぐにでも1962年の7月のニューヨークに行って、この録音を終えたばかりのソニーの所に行きたい。そして軽く肩をたたいて「マクリーンより良かったぜ」と言ってやりたい。喜ぶ奴の顔が目に浮かぶって、それが判官贔屓というものか。

$Doodlin' Records
ハードバップとは何ぞな?と聞かれたら「これぞな」と答えてしまいたくなる超×5一級品のハードバップアルバムである。主役はハードバップの化身にして、天才的スタイリストのハンクモブレー。

本作の魅力はとにかくメンバーに注目。完璧トランペットのアートファーマーにホレスシルバー、ダグワトキンス、そしてアートブレイキーという超重量リズムセクション。加えてブルーノートといえばあのRVGサウンド。もう今回はそれだけで多くを語る必要はないかも。とにかく非のうちどころがない、ハードでかっこいい激演がくり広げられる本作は、まったく誰にも媚びる様子などない、若さと自信にみちあふれた傑作と申し上げたい。

そして唯一の本作の問題点はその媚びない態度にあるかも知れない。

それはどういう事かといえば、ここでのモブレーの音楽的才能があまりにも突出しすぎているという事。
例えば本作は両面で計6曲が収録されているのだが、それらはすべてモブレー本人のオリジナル。いくら買っているからといって、若者にそこまでやらせるのがブルーノートらしい所だが、それらはことごとくクールでスカしているのだ。特にアップテンポのナンバーなどは選ばれた精鋭のみしか演奏不可能な域に達している。つまり本格的すぎる。ホレスやハービーなら1曲は誰でも口ずさめて、みんなでセッション出来る曲をいれるものだが、モブレーにはそれがない。まさに器用貧乏の典型的な例だ。

モブレーはどうやらそのまんま変わる事なく人生を終えてしまった様だ。
しかし今いえるのは、それだからこそファンはこの男を愛してやまないという事。全世界のモブレーファンはみな同じ意見ではないだろうか。
そんな中でも若さと才能が爆発してる本作は、僕らモブレーマニアにとってはまるで宝石のごとく光を放っているように感じる。

$Doodlin' Records
最近レコードを聴いていて、心底カッチョええ~と唸ってしまう作品の多くが1969年から1970年にかけて録られたものであるのに気付いた。そしてその中でもボブ ポーターがプロデュースしたプレステッジのアルバムが郡を抜いて素晴らしい。

プレステッジとブルーノートは同時代に活動し作品の質に共通点が多いためか、何かと比較対象とされる場合が多い。そして大概は一束なんぼの浪速の商人的商法のプレステッジより企画力を優先し、吟味して世に出していたブルーノートに軍配があがっている。まあその件に関してはこれだけブルーノートが好きな僕でありますゆえ特別に異存はない。

ただし、この69~70年の間に関しては、僕はプレステッジの方が堂々とジャズを正面から捉えたアルバムを連発していたのではないかと思う。たしかにこの時代のプレステッジの作品のほとんどが所謂コテコテと言われる真っ黒なグルーブ感で押しまくったものばかりだ。しかし、流石に本来ジャズの最先端でどストレートな作品を生み続けたこのレーベル。その全てが並々ならぬジャズ魂を感じさせる作品ばかりなのは今さら説明など必要ないだろう。すでに迷走気味なのが目立ったブルーノートに比べ、レーベルカラーに芯が通っていたのがこの時代のプレステッジだ。

それを証明出来るのが、これらの作品のほとんどに、しっかりとした4ビートの曲が1曲収められているという事実だ。それらは歌ものであったり、ジャズマンのオリジナルであったり、ブルーズであったりと様々なのだが、僕はここにこのレーベルのジャズに対する信念や意地を感じるのだ。

当時のレーベルの代表的なオルガンプレイヤーであるソニー フィリップスの「ショウ ナフ」を聴いてみよう。
ソニーは泣く子も黙る猛烈オルガンプレイヤーとして、我々コテコテファンの憧れの的となった男であるが、ここで取り上げられているのがソニー ロリンズの「オレオ」。マイルス デイヴィスをはじめ、ありとあらゆるプレイヤーが挑戦している名曲だ。このナンバーでソニーはまるで水を得た魚の如くのりまくってみせる。嬉しくてしょうがないみたいだ。

そしてこれはソニーだけの話ではない。ヒューストン パーソン、ヴァージル ジョーンズ、バーナード パーディーといったメンバー全員がジャズを演奏する喜びを発散しまくっている。4ビートであるこのナンバーが特にハッピー感覚に溢れているのは間違いない。特にギターのブーガルー ジョー ジョーンズの恐ろしくなる程ののりは興奮もの。
彼らも元々はチャーリー パーカーやソニー ロリンズやホレス シルバーに憧れて切磋琢磨をくり返していたのだろう。レーベルの信念や意地はプレイヤー達のそれでもあったのではないだろうか。

プレステッジは我々が考えている以上にジャズにこだわったレーベルだった。僕はそんなプレステッジのアルバムを本当に愛しているのである。

$Doodlin' Records
何やら怪しそうな路地裏っぽい所で、椅子にふんぞりかえっている百貫デブ。そのデブに嬉しそうに何やら手渡してるのが我らのルーさん。

ルー:これほら、前いうてたCD。これむっちゃええで。リズムキングスにあってん。焼いたら返してや。
デブ:サンキュー

最近わかった所によると、このデブはサミー デイヴィス ジュニアの付き人だったらしいが、考えたら60年代初期にCDがある訳がないので、この会話は間違ってはいるのだけれど、まあこういった日常会話が聞こえてきそうな微笑ましくも意味不明なジャケットであります。

そしてついでにいうと中身の方もファンキーでソウルフルでありながらも、どこかほのぼのとした面も感じられる、正に日常的なソウルジャズ。

オルガンはベビーフェイス ウィレット。ギターはデビュー間もないお馴染みグラントグリーン。つまり有名な(?)パットン-グリーン-ディクソンからなるブルーノートのソウルジャズリズムセクションが結成される前の録音という事になります。

ジャズオルガンのパイオニアにして世界一の男前ジミースミスの登場で、嵐がまきおこったという当時のジャズ界。そのジミーさんと劇演をくり広げたルーさんだが、ここでは違うプレイヤーを使って、より黒人の生活に密着したオルガンジャズを醸し出しております。それはまさにオルガンジャズ第2世代の幕開けにして、オルガンの音楽界への浸透を実感できるアルバムといえると同時に、いかにルーさんがそれに貢献していたかが伺い知れるアルバムと申せましょう。

ジミー スミスとの共演時とはまた違う、まったく気張らずに実にのほほーんと吹いている様に聴こえるのが、その証拠っちゃあ証拠か?
しかしノリははっきり言って凄いです。そのギャップがたまらなく嬉しいのだけれど。

$Doodlin' Records
キヤノンボール アダレイ クインテットなどでお馴染みのベース奏者、サムジョーンズのリーダーアルバム。
半分はセロを弾いておりますが、普段裏方的に引っ込んだポジションにいても強力なビートをはじき出すこの人が全面的に前に乗り出してくるのだからたまりません。セロもベースも地響きのように鳴っております。おかげでうちのボロスピーカーでかけると終始ギシギシときしみっぱなしの始末。一体生で聴いたらどんなだったのでしょうか。サム亡き後、残念ながらちょっと想像がつかないのであります。

またこのアルバムはサムが普段お世話になっていたリバーサイドからリリースされているだけに、そのレーベルを代表するスター達が総動員されているのも嬉しい。それだけレーベルでのサムの貢献度が高かったのだろう。みんなでお祝いしてるような楽しい雰囲気に包まれておりまして、そこはまずタイトルに偽りなしといったところか。

その証拠といっては何だが、ジミー ヒースが「オールメンバーズ」を、ナット アダレイが「ジ オールドカントリー」を、ボビー ティモンズが「ソータイアド」をと、みんながお気に入りの代表曲を持ち込んできている。

彼らはきっとサムと一緒にそれらをプレイしてみたかったのではないかと想像してみる訳であります。

$Doodlin' Records