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Doodlin' Records

神戸元町のバー「Doodlin'」店主がチョイスするジャズレコード紹介。
勝手気ままに書かせていただきます。

以前にも話題に上ったが、ジャズオルガンがジミー スミスの独壇場だと思われていた日本に、90年代初めにどっと他のオルガンプレイヤーが紹介された件に対して、我がDoodlin'のヨシペディアことY田さんが述べた「まるで青木ヶ原の樹海をかいま見た様でした」というのは、見事に当時の状況を言い当てた名言であると思う。

さて、その樹海の住民の中でも最も親分肌で、コテコテ界に影響力が大きかったオルガンプレイヤーがジャック マクダフだ。1926年イリノイ州生まれなので、1925年ペンシルバニア州生まれのジミー スミスとは1歳だけ年下という事になる。
という事は、考えられるのは恐らく2人がオルガンプレイヤーとして出発した時期に関してはそれほどの差は無かったのではないだろうか。しかし28歳でピアノからオルガンに転向するやいなやニューヨークで話題をかっさらい、ジャズだけでなく黒人音楽全般に革命をもたらせたジミーに比べ、ジャックの方はその時期はシカゴなどの中西部において活動を拠点としていた様だ。ジャックのレコーディングデビューは知らないけれど、最初にリーダーアルバムを発表したプレステッジにおける初録音はウィリス ジャクソンの「プリーズ ミスター ジャクソン」で、1959年録音だから33歳という事になる。

しかし、それは全くといってジミーとジャックの実力の差を示す要素になる訳ではない。何故ならジミーとジャックは全く違うからだ。
1959年に録音された「ザ ハニードリッパー」を聴いてみよう。ベテランのジミー フォレストをテナーに迎え、まだ新人だったギターのグラント グリーンとドラムのベン ディクソンと共に繰り広げるアーシーでブルーズ感覚に溢れたこのノリ。実際にR&Bのヒット曲であったタイトル曲など、こういったポップ調でありながら、あくまでも黒いフィーリングで押し通す上手さは絶対にジャックの方に軍配が上がる。
中でも特筆すべきは「I WANT A LITTLE GIRL」や「Mr.LUCKY」といったミディアムなナンバーにおける見事な表現力で、確かにダイナミクスという見方をすれば破壊力で売ったジミーには敵わないものの、黒さの中に情緒と格調を匂わすその腕前はその後のどんなオルガンプレイヤーも追いつかなかった領域にまでたどり着いたものではないか。

ジャックはその後、当然の如く黒人層の人気を次々と獲得していく。そしてその音楽性を変えないままジョージ ベンソン、レッド ホロウェイらを迎えたグループにおいてその地位は不動のものになった。面白いのはあのジミー スミスでさえもブルーノートを出た後のヴァーブではジャックの音楽性に近づき、より大衆的な人気を得て行ったという事。
ついでに言うとジャケット写真のそのお姿はリーゼントスタイルに大変ダンディーなスーツを粋に着こなしている(顔は宮根誠司に似ているが)。人気獲得はそのファッションセンスにも現れているのではなかろうか。

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我らがプロフェッサー、ドナルド バードが亡くなった。この4日のことだったらしい。

僕はこれを昨夜の閉店前に何げなくチェックしたフェースブックにおいてJAMJAMの池ノ上氏の書き込みによって知るに至った。しかもその直前にブルーノートの「アット ザ ハーフノートカフェ」を聴いていたばかりなので驚いた。これもなにかの予感か。

80歳という年齢を考えるとドンの死は別に不思議ではない。なのに何故か僕の驚きと衝撃はかなり大きい。しかしこれはドンのこれまでの業績を考えると当然だと思う。僕たちジャズファンはどのくらいドンに教えをいただいたか?それを考えると深い悲しみがこみ上げて来る。

90年すぎたくらいにヒップホップのGURUと共に来日したステージ。周りの者はひやかしの眼で、どこぞのがんばる爺としか見てなかったけど、その際のドンのブラックミュージックの未来に対する揺るぎない信念は並のものではないと感じた。あの時の「フライ リトルバード」は忘れる事はないだろう。

突然の事なので今の地点ではここまで。後日改めてドンについてふれてみよう。

なおDoodlin'では11日の夜にドナルド バード追悼を催します。レーベル問わず出来る限りドンの名演を流しておくりたいと思ってます。
ニューヨークのハーレムへ初めて訪れたのはおととしの5月だったが、その際老舗といわれるレノックスラウンジにおいて1週間の差で、僕はヒューストン パーソンのステージを見逃している。レノックスラウンジは本当にプレイヤーと観客が目の前で、というより同じ部屋に入ってといった方がよさそうな環境で演奏が堪能出来たスペース。そしてその雰囲気は正にハーレム独特の居心地良さを感じたものだ。だからもしここでパーソンを目の前で聴く事が出来たらどんなに素晴らしかっただろうかと想像すれば、本当に惜しいの一言だ。

1934年、サウスカロライナ州生まれのパーソンは30歳をすぎたくらいからプレステッジに録音を始めた。有名なエッタ ジェームズとのパートナーシップはそれ以前から始まっていたらしいが、単独でジャズプレイヤーとしてのデビューは遅い方だったといっていいだろう。
しかしその分といっては変かも知れないが、パーソンはこの地点で完全に出来上がっていた。音色、フィーリング、つぼを押さえる巧みさ、その他全ての要素において同時代の他テナープレイヤーを圧倒してしまっているのだ。

紹介するアルバムはそのプレステッジから発表された68年録音のもの。別にこれが初リーダーという訳ではないが、パーソンのアルバムとしてはかなり初期のもので、しかもパーソン以外はオルガンのビリー ガードナー、ギターのジョー ジョーンズ、ドラムのフランキー ジョーンズという、非常にシンプルなワンホーンカルテット作だ。したがってこれを聴けばパーソンの実力がストレートに伝わってくる。
ここでのパーソンは優雅で華麗でありながら、思い切りノリが良く、そして尖っている。もちろん当時のプレステッジを象徴する様にソウルフルでありコテコテでもある。これだけを兼ねそろえたテナープレイヤーが当時まででなく、現在までも存在したであろうか?
ムード溢れる奏法ながらたまらない位洗練された「ネバー レット ミー ゴー」。なりふりかまわずトランス状態に陥れて踊らす「 スネークアイズ」と「ソウルダンス」。そして内省的にもエモーション溢れるソニー ロリンズの「ブルーセブン」と、こんだけの要素が1枚のアルバムに入っているという事実はにわかに信じられない。しかも天性の素質を誇るサイドメンの才能も手伝って心底聴きやすいときた。パーソンの実力にただただ脱帽するのみだ。

日本ではそれほど評価はなされていないパーソン。しかし本国ではこれまで70作を超えるアルバムを制作し、故郷のサウスカロライナ州立大学では1999年に「名誉の殿堂」入りを果たしている。それだけの評価は、本作がほぼスタート地点を押さえたものであると考えれば全く当然の話であると納得もいくはずだ。

今年で79歳のヒューストン パーソン。最近でも新譜が発表されている。これほどの歴史的人物が今も現役であるという事実には、全ジャズファンが敬意を持って誇りに思うべきなのではないかと思う。

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※レノックスラウンジは昨年ハーレムの地価高騰を受けて、惜しまれながら閉店しました。
※レノックスラウンジも出る、この時の旅行記はこちら
今ではベテランの域に達した、マイルス君ことウォレスルーニーが1987年に吹き込んだ初リーダーアルバム。ドラムにトニーウィリマムズをえて、もうどこをきっても60年代のマイルスクインテットそのもののサウンドを再現してます。

そんなマイルス君はステージでも憧れのマイルスにあやかってか、終始クールで全くニコリともしないうえ、姿勢までマイルス同様に下向き状態。で、この音楽ときたもんだから発売時はオリジナリティーの無さが指摘されたりもしてた様な記憶があります。

しかし憧れもここまで徹底すると、そのなりきりぶりが今となれば逆に微笑ましい。まあ今時誰が何をやっても必ず誰かの真似になるのだから、どうせならやりたい事おもいきりやった方がよかったという訳だ。

という意味で久々にじっくり聴いてみた本作。やはりジャズメッセンジャーズにも在籍しただけあって演奏はピカいちであるのは誰が聴いても納得できるというもの。聴きごたえは二重丸。マイルスのようにかっこよくなりたいという意気込みがひしひしと伝わってまいります。大丈夫、かっこいいよと伝えてあげたい。

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ブルーノートの恐るべき点のひとつに膨大な未発表アルバムの量というのがある。録音当時に何かしらの理由で発売が見送られたものだが、中には歴史的なメンバーの顔合わせで非のうちどころのない激演をくり広げてるものがあるのだから、やはり恐るべきである。

これもそのうちの1枚。ハードバップを代表するピアニスト、ソニークラークによる1959年のセッション。順番としては、あの名盤「クール ストラッティン」に続くリーダーアルバムになる予定のものだったが、これがまた参加メンバーが凄い。ドナルドバードとハンクモブレーのフロントに、ポールチェンバース、アートブレイキーとバードバップを代表する人気プレイヤーが集結しているのだ。
なにせ59年にこのメンツである。当然演奏は悪いわけはない。全員がありったけの情熱を持って挑んでいるのが手にとるようにわかるというもの。まさにバードバップ黄金期に代表するメンツが揃った瞬間を捉えた奇跡的な1枚とよぶに相応しい。

しかしこれはお蔵入りであったのも事実。だからあえてその理由を探してみると、ひとつ思いあたる点として、ソニーが書いたオリジナル曲と2管クインテット編成との相性で少しズレがあるかなといったところか。
というのも全6曲がソニーのオリジナルで占められているのだが、恐らく彼が自分のピアノプレイのみを主体に考えて書いたものばかりなのではないか。よって2管入りの想定でのアレンジが少し手弱い気がするのだ。テーマを2管でなぞってアドリブを廻し、またテーマで終わりといった様な。同じブルーノートのピアニストでも、グループありきで考えるホレスシルバーとの差がここにある。事実このセッションでの曲をトリオで演奏したタイム盤では何も違和感などなくすんなり入れるのだから、その可能性は高いと思う。

しかし、それだけですまさないのも流石ブルーノート、ならびにソニー クラーク。決してそんな簡単には終わらせない1曲がある。
それがラストを飾るタイトル曲「マイ コンセプション」だ。かなり遅いテンポでバラードと呼んでも差し支えはないだろう。しかし僕はこれほど切ないにもかかわらず生々しくバラードを他に知らない。決して単純なバラード表現ではないのだ。これに近いバラードは僕の知るかぎり無い。これこそがソニー クラークの持つ恐ろしいばかりの才能を知らしめる決定的名演と断言したくなる。
したがって結局はこんな名演の数々をお蔵入りさせるブルーノート恐るべしと申しあげるしかない。

そしてそして、そんなソニー クラークを特集する毎月第一月曜日のBLUENOTE MONDAYはあさっての9月4日に開催。未発表も多いソニーのこと、レアアイテムも多数集合してます。
この今だ未知なる面も多いソニーを再発見できる絶好のチャンス、ぜひDoodlin'へおこし下さい。

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テナーサックスプレイヤーのウィリス ジャクソンは元々好きくなかった。理由はやりすぎるからだ。
本当にいくらウケがいいからといっても、あんだけふざけまくられた日にゃあ、もうちっと真剣にやってもらわんと困るというものよ。

僕は自由な家系に育ったので、親父からはあまり勉強を強いられずに生きて来れたが、それでも中3のある日に「オレでももうちょっとは勉強した」と告げられた日には落ち込んだものだ。ウィリスも同じ様なもので、大体何にせよ「やりすぎ」は良くないものなのだ。

そんなウィリスに対して考え直したのが本アルバム。1980年のパリでの実況盤である。

A面に針を置いてからはじまるタイトル曲は、それはもうノリノリのうえソウルフルで、共演のオルガンプレイヤーであるリチャード グルーブ ホルムズと共に、一体「ド・コ・マ・デ・ノ・リ・マ・ク・ル・ノ・デ・ス・カ!」と問い正しくなるような、究極のグルーブ感で僕を圧倒させてくれるもの。しかしその悪ノリともいえるノリは、まさに真面目なサックスの先生が泡を吹いて倒れてしまうくらいのもので、繰り広げられるフレーズというフレーズが突拍子もなく変で過激でバカらしい。早い話が不真面目でふざけてるのだ。ノレばノルだけ無茶苦茶になっていくその様は、正に不謹慎そのもの。まあ世界中のサックスの先生を敵にまわしてるようなものである。

しかし、それを踏まえたうえで聴いてほしいのが続く「マイ ワン アンド オンリー ラブ」や「ボディー アンド ソウル」などのバラード演奏だ。
ここでのウィリスのバラードにおける表現力は並ではない。しかもすべてが違うアプローチで表現されている。そしてすべてが独創的なのだ。

ここで、これまでのジャズサックスの先生による正しいバラード奏法の教えを考えてみよう。

それによると、バラードは非常に難しいものなので、あくまでも真面目に取り組んで、言わばストイックと呼ばれるまでの心構えで取り組まないと習得出来ないと教わって来た者がほとんどなのではないか?知人が教わった先生などはバラードを上手くこなすまでアップテンポやブルーズを禁止させたあげく、たくさんロックやファンクなどの方向に転向させたくらいだ。

それに比べるとウィリスはテンポがどうのこうのよりも、自らの独創的なアイデアのみで勝負している。つまり周りにアホといわれても気にもしない、むしろそんな根性を持ち合わせた者だけが、バラードを上手く表現出来るのではないか?そう考えればマイルスもブレイキーもパーカーもブラウニーもバラード表現においては、みんな突拍子もないではないか。
ここでのウィリスのバラードの表現力を聴くと、明らかに根底にあるのは、その突拍子も無さ故から来る表現なのではないかと思う。バラードはありきたりでは面白くもないし、ありきたりなのは、ただの楽器の上達の術でしかなしえない。
そして、の結果がパリの聴衆のヤンヤヤンヤという歓声に現れているのではないか?教室で教わったバラードのやり方がここまでウケるだろうか?サックスの先生も一度これを聴いてみたらどないやろ、と言いたくなる。

もちろんウィリスがそんなしょーもない風潮に風穴を空けようなんて考えてはいなかっただろう。しかし、僕にとっては昨今の決まり通されたバラードに対する考えを根底からひっくり返してくれたのはウィリスその人だ。

そう思うと僕も勉強しなくて正解だった。

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エルモホープはあのバドパウエルとホレスシルバーのちょうど中間に位置するピアニスト。
ジャズの世界では大いに認められ、今だに人気の高い両者に挟まれ、素晴らしい実力を持っていたにもかかわらず結局は知る人ぞ知る存在で終わってしまった、正に過小評価を代表するプレイヤーといえるでしょう。

しかしそれではあまりに可哀想なので、何かエルモの作品を紹介しようと取り出したのがこの1枚。1956年にプレステッジに録音された作品で、チェンバース、フィリージョーの名コンビにドナルド バード、そしてモブレー&コルトレーンのツインテナーという当時全員が20代でありながら、マイルス クインテットやジャズメッセンジャーズに参加していた新進気鋭を使って、颯爽とした正にこれぞバードバップといったプレイが楽しめるというもの。

特にけっこう本格的にくり広げられるモブレーとコルトレーンのテナーバトルは、バトルというよりも当時最先端だったバードバップの特徴をもろにかもし出した、非常に刺激的なうえ心地よい好演。フィリージョーもバードもいつもより増して大いにはりきっているのは一聴瞭然なり。

そんなセッションに2曲を提供してまとめたのがエルモホープ。しかしよく考えればこれはレギュラーバンドではない一種のブローイングセッション。だから正直なところエルモの個人としての実力を知らしめる作品は、他のトリオ編成などのアルバムの方が適してるかも。

だけど今回は、こんな素晴らしいレコードを作ったエルモホープという男がいた事自体をぜひ覚えていてほしいという気持ちでご紹介した次第であります。

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開店1周年記念
Doodlin'の店内を大公開

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その前にこれは当店名物の看板。僕の同級生であり、Doodlin'の通りに住んでいた親友のクヌギタ マサミチによる完全手描き作品。しかも反対側は色違い。映えますでしょ?

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入口手前から奥を見たところ。コールマン ホーキンス、キャノンボール アダレイの絵もクヌギタ氏の作品。映っていないところにもまだ数点、彼の作品を展示してあります。

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その反対側から。ホーキンスの絵はこちらの方が見えますね。その上に飾ってある「ホレス シルバー & ザ ジャズメッセンジャーズ」のレコードにはホレス直筆のサインが入っています。20年以上前に大阪のセントジェームズに観に行ったおりにいただいたもの。

この様に非常に狭く窮屈な所で日々ファンキージャズとソウルジャズの普及活動にいそしんでおる訳でございます。
Doodlin' 神戸JR元町駅南側神戸プラザホテル真裏2F ぜひ足をお運びくださいませ。
ホレス パーランの人気盤といえば真っ先に思い浮かぶのが、同名のヒップホップユニットも現れたトリオ作「アス スリー」でありましょうが、こちらはそれと同じメンバーにコンガの名手レイバレットが参加した作品。

「南部にどっぷり」というタイトル通り、ただでもアーシーなパーランの本領が発揮された、我々黒人音楽ファンには正に涙ものの傑作であります。

ピアノトリオ+コンガというのは、どうやら堅物のジャズファンにはあまり評判がよろしくない様ですが、心あるファンにはこれに決定的な安堵感や郷愁といったものを感じる筈。そうサザンミュージックにはコンガなのだ。そしてパーランのピアノはそれに完璧な形で答えてくれている。一体当時のどんな層が購入してたのやら皆目見当がつかないものの、針を置いた瞬間にディープサウスの景色を思いおこさせてくれるパーランは流石である。

しかしよくよく考えてみると、パーランは南部人ではなかった筈。人名辞典で見るとアート ブレイキーと同じ北部のピッツバーグの生まれだ。そしてこれはけっこう大事な事かもしれない。
我々ジャズを生んだ人種も国も違う者が南部に憧れるのと同様に、彼ら北部人の中にもそのような心境があったのだろうか?だからこそ「南部にどっぷり」なのではなかろうか。我々は簡単に黒人だから南部音楽と捉えがちだけど、すべては一概には語れないのかもしれない。

そう思って聴くとまた違ったものに感じてくる。面白いもんである。


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めったにない事だが、お店が混雑して、しかもみんなが楽しそうに会話がはずんでいる時に最高の威力を発揮するのがファンキー ジャズだ。しかも飛び跳ねる様なアップテンポがいい。
活きのいいファンキージャズは賑やかで高揚した場の雰囲気に、正に火に油を注ぐかの様な効果をもたらす。たとえジャズを知らない人でも、見ていると表情がよりにこやかになっているのがわかるのだ。ファンキージャズほど人を幸せにする音楽はない。

ホレス シルバーは確かにファンキージャズのホームラン王だ。というより聞いた話ではファンキーという言葉自体が、元々黒人独特の体臭を見下すFunkというスラングだったのを、ホレスが逆手にとって自分の曲に「Opus De Funk」と命名したのが始まりだったとか。そういう意味ではホレスはファンキーの生みの親という見方も出来る。

そんなホレスの代表作に挙げられるのが「ブロウイン ザ ブルーズ アウェイ」。ブルー ミッチェル、ジュニア クックをフロントに迎えた所謂黄金のクインテットによる2枚目の作品で、正に飛ぶ鳥を落とす勢いの真っただ中の様子が今でも克明に蘇って来る様な傑作だ。また本作は当時では珍しく1枚のアルバムのために3回のスタジオを取って録音している。別のセッションを合わせて1枚にまとめる事は多々あったが、これは比較的珍しい。ホレスとブルーノートの意気込みは並ではなかったという現れだろう。

そんな意気込みで制作された本作だが、先に記しておくと全部が全部ファンキージャズを収録している訳ではない。後々まで繰り返し演奏されたうえ、他者にも頻繁に取り上げられる名曲「ピース」や、トリオによる「セント ヴィタス ダンス」などはホレスの先見の明が伺えるもので、今でも斬新な響きをもたらしている。
それでもA面のトップにタイトル曲を、B面には「シスター セイディ」をと、それぞれ最高のファンキー魂が炸裂するナンバーを持って来ている所で、やはり本作はファンキージャズの代表作と言っても決して間違いないのではないか。

先日「シスターセイディ」であまりにも楽しくなって何ふりかまわずにもり上がっていると、前のお客さんに笑われた。どうやらホレスのバッキングに合わせて歌っていたらしいのだ。ソロならともかくバッキングを歌えるのはホレスだけだ。
そしてそこにこそホレスの凄さと独特の特徴があるのがよく解る。

ホレスのファンキーは他のピアニストの様にファンキーな演奏も出来るといったものではない。自らの内面をさらけ出した結果がファンキーと呼ばれるものだったのがホレスだ。このバッキングのスタイルもそうやって生まれたのだろう。
自己のバンドを結成してから生涯他流試合には手を出さなかったホレス。僕は彼の存在も音楽も他者のラインに並べるものではないと思う。ホレスの音楽、ホレスという人自体がそれぞれ独立していて、ひとつのカテゴリーとして見るべきだ。

この傑作を聴いて歌うとそう感じる。

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