さて、その樹海の住民の中でも最も親分肌で、コテコテ界に影響力が大きかったオルガンプレイヤーがジャック マクダフだ。1926年イリノイ州生まれなので、1925年ペンシルバニア州生まれのジミー スミスとは1歳だけ年下という事になる。
という事は、考えられるのは恐らく2人がオルガンプレイヤーとして出発した時期に関してはそれほどの差は無かったのではないだろうか。しかし28歳でピアノからオルガンに転向するやいなやニューヨークで話題をかっさらい、ジャズだけでなく黒人音楽全般に革命をもたらせたジミーに比べ、ジャックの方はその時期はシカゴなどの中西部において活動を拠点としていた様だ。ジャックのレコーディングデビューは知らないけれど、最初にリーダーアルバムを発表したプレステッジにおける初録音はウィリス ジャクソンの「プリーズ ミスター ジャクソン」で、1959年録音だから33歳という事になる。
しかし、それは全くといってジミーとジャックの実力の差を示す要素になる訳ではない。何故ならジミーとジャックは全く違うからだ。
1959年に録音された「ザ ハニードリッパー」を聴いてみよう。ベテランのジミー フォレストをテナーに迎え、まだ新人だったギターのグラント グリーンとドラムのベン ディクソンと共に繰り広げるアーシーでブルーズ感覚に溢れたこのノリ。実際にR&Bのヒット曲であったタイトル曲など、こういったポップ調でありながら、あくまでも黒いフィーリングで押し通す上手さは絶対にジャックの方に軍配が上がる。
中でも特筆すべきは「I WANT A LITTLE GIRL」や「Mr.LUCKY」といったミディアムなナンバーにおける見事な表現力で、確かにダイナミクスという見方をすれば破壊力で売ったジミーには敵わないものの、黒さの中に情緒と格調を匂わすその腕前はその後のどんなオルガンプレイヤーも追いつかなかった領域にまでたどり着いたものではないか。
ジャックはその後、当然の如く黒人層の人気を次々と獲得していく。そしてその音楽性を変えないままジョージ ベンソン、レッド ホロウェイらを迎えたグループにおいてその地位は不動のものになった。面白いのはあのジミー スミスでさえもブルーノートを出た後のヴァーブではジャックの音楽性に近づき、より大衆的な人気を得て行ったという事。
ついでに言うとジャケット写真のそのお姿はリーゼントスタイルに大変ダンディーなスーツを粋に着こなしている(顔は宮根誠司に似ているが)。人気獲得はそのファッションセンスにも現れているのではなかろうか。










