2005-06-22

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説

その15
(前回までの話は、こちら

ツアーは終わった。長いようで短かった十日間。
それでも僕の人生の中で、こんなに濃い十日間はなかったんじゃないだろうか。
ツアーで出会った仲間は、まるでもう何年も昔から知っていた人たちのように感じられるし、自然が作り出した芸術作品は人が作り出すそれよりもはるかに素晴らしかった。
わずか十日前に出会った仲間と、泣きながら別れるなんて想像もしていなかった。そんな素晴らしい時間を与えてくれた稲田にこの時ばかりは感謝していた。
学生時代、僕はいったい何をしていたんだろう? あれほど時間を持て余していたというのに、何一つこういう経験はしたことがない。いや、この旅に出なければ、一生こんな体験をすることはなかったんじゃないだろうか?
普通に就職してしまっていたら、毎日ネクタイを締めて、満員電車に揺られて、眉間にシワを寄せて、たまに居酒屋で愚痴をこぼしながら、ため息交じりの日々を送っていたのかもしれない。
想像しただけでゾッとした。僕が求めていた世界はそこにはない。僕はもっともっと刺激に満ちた日々を求めているし、旅に出て以来、自分自身を見つめる癖がついた。
いま自分はどこにいるのか? 何をしたいのか? どうありたいのか? そして、どこを目指しているのか?
日々そうした問いかけの中に、コレと言った正解などないということも、わかってきた。いる場所、したいこと、なりたい自分、目指すポイントは日々変わって当然だし、今は未来へ繋がる一つの点でしかありえないのだ。
今という時間をどう生きるかで、未来の自分が変わるのだ。
もっともっと、考えて、動いて、悩んで、苦しんで、楽しんで、笑って。人生において一番無駄なのは、きっと同じ日が繰り返されることなのだろう。昨日と同じ一日。それこそが無駄であり、ある意味、悪だ。

リリーは一足先にブラジルへ帰国した。数ヵ月後にまた会おうと僕たちと約束して。
僕と稲田はその先の行程を考えていた。そしてその場には、マユもいた。マユもこの旅で人生が大きく変わった人間の一人だ。いや一番大きく変わったのが彼女かもしれない。
ツアーの初日、あれほど小動物のようにおどおどしていたマユが、十日間の旅を終えてまたこのラスベガスの地に着いた時には、同一人物とは思えないくらい、堂々としていて、誰とも気後れすることなく話が出来て、わからないことは「わからない」と表現できるようになっていた。
日本人特有の周りを見て同調する、自らをあまり主張せず周囲の風景に同化する、そうった面が今のマユにはすっかりなくなっていた。しっかり二本の足で立って歩く立派な女性へと変身していた。
そのマユが僕たちに尋ねてきたのだ。二人はこの先、どういう旅の行程なのか、と。
とりあえず、ここからまたバスに乗って、ニューオリンズに行くと告げた。その間、おそらく二回くらい小さな街で過ごすかもしれないが、二週間後にはニューオリンズに着いているだろうと稲田は言った。
マユはいったん帰国して、それから僕らのこの旅に着いていきたいと言ってきた。旅をすることでいろんな体験が出来ることを知ってしまった彼女は、ぜひとも僕らの旅に同行させて欲しいと言うのだ。
僕も稲田も、それは無茶だ、とか、女の子だから危ない、とか、いろいろ説得を試みたが、彼女は頑として聞かず、結局、二週間後にニューオリンズで、ということで落ち着いたのだった。
「しかし、マユも変わったよな」ホテルのカフェで、冷めてしまったコーヒーを啜りながら言った。
「人って十日でこんなに変わるんだな」僕も最初に出会った時のマユを思い出して言った。
「あたしだってびっくりしてる。なんて言ったらいいかな、まるでさなぎから蝶に変身したような、そんな気分かな」パンケーキを食べながら、マユは答えた。
「そう言えば、隆志、彼女にメールしたか? ホテルに着いたらこの感動を伝えるんだって、鼻息荒く言ってたじゃないか」
「いや、これからメールしようかと思ってるんだけど」
僕はちらりとマユを見ながら、言った。マユは聞いてないふりをして、パンケーキを口に運んでいた。
実はあのツアーの最後の夜以来、僕とマユは深い関係になっていた。深くて、微妙な関係。お互いがお互いを求め合う関係。将来、彼氏彼女になり得る可能性を含んだ関係。
でも僕には長年付き合っている彼女、真奈美がいた。今は遠く日本とアメリカで離れ離れになってしまっているけど、それでもやはりお互い一番信頼できるし、素直な自分を出せる相手だ。
それはきっと真奈美も同じことだろう。真奈美は僕を全面的に頼りにしてくれていたし、ものぐさな僕に比べ、とてもまめにメールをくれていた。毎日一通、まるでメルマガみたいに一日の出来事をダイジェストで送ってきてくれていた。
マユとは微妙な関係だけど、今のマユを見る限り、一時的な関係で終わりそうな気配だった。
「じゃ、ちょっと俺、メールしてくるから。先に部屋に戻ってて」僕は稲田にそう言って、席を立とうとした。
「ねぇ、隆志。明日の朝、空港まで見送りに来てくれる?」それまで黙っていたマユが、潤んだ目で僕の目を見つめながら言った。
「あぁ、何時だっけ?」
「朝6時過ぎにここを出るけど」
「6時か。早いな。いいよ、一緒に行ってあげるよ」
「ありがとう。じゃ、お願いね」そう言って、マユはちょっと微笑んだ。

ここのホテルにはインターネットが自由に使えるブースが設けられている。十分で一ドル。ネットを使いたいと入口で告げると、席を指定された。僕はメールを立ち上げて、チェックした。
真奈美からのメールは、やはり一日一回のペースで来ていた。4月18日までは。それ以来、真奈美からのメールは来ていない。僕はちょっと不安になった。
どうしたんだろう? 風邪でも引いたのかな? 仕事が忙しくて、疲れてメールできなくなっちゃったのかな? いろんな言い訳が頭を渦巻く。
まさか、最悪の事態が僕の頭を駆け巡った。……男?
一人でいると真奈美はすぐに不安になる子だった。誰かがそばにいないと、それこそツアー初日のマユじゃないけど、デリケートなガラスみたいにすぐに割れてしまいそうな感情の持ち主だった。
ものすごい不安に駆られた。今すぐに帰国したいくらいの不安。
とりあえずメールしてみよう、そう思って僕は真奈美にメールを書いた。
『真奈美、元気でやってるか? 最近メールないけど、仕事が忙しいのかな? それとも生活の急激な変化で体調崩しちゃったのかな? 僕はグランド・サークルを巡るツアーから戻ってきて……』
綴ったメールを送信した。無事、明るい返事が返ってくることを祈った。

翌朝、マユを空港に見送る前に、メールをチェックした。しかし、真奈美からの返信はなかった。
「おはよう」大きなスーツケースを手に、マユがやってきた。
「朝早いのに、先に来ててくれたのね。嬉しいな」
「うん」僕は真奈美のことが頭にちらついて、言葉少なくなっていた。
「夕べはちゃんと眠れた?」
「うん、大丈夫。寝る前にちょっとだけカジノでスロットやりながら、お酒飲んでたから、すぐに眠たくなっちゃって寝ちゃったの」
「ま、飛行機の中でも眠れるしな」
「そうだね」
「空港までどうするの?」
「タクシー呼んでもらう」
マユはフロントでタクシーを呼んでもらっていた。すっかり英語に慣れたのか、外国人を相手にすることに慣れたのか、スムーズに事は運んだ。
十分後、ホテルの前にタクシーは着き、そのまま僕とマユは空港へ向かった。
まだ出発便が少ないせいか、朝の空港はまだ閑散としていた。
荷物をチェックインして、僕らは朝食を取るために空いたばかりのカフェへと向かった。
「ねぇ隆志、ひとつ聞いてもいい?」
「何?」
「あたしって、隆志にとってどういう存在?」
「どういうって……」言葉に詰まった。
「単なるツアーメイト? それとももっと近い存在?」
「単なるツアーメイトじゃないと思うけど」僕は敢えて『近い存在』という言葉を避けた。
「嫌い?」
「嫌いなわけないじゃん」
「じゃ、キスして」マユの目は怒ったように真剣な眼差しで僕を見つめていた。瞳の中に僕が見えるかのようだった。
僕はマユに顔を近づけると、その小さな唇にキスした。頭の中には真奈美がいた。
「なんか、気持ちがこもってない」
マユはそういうといったん離した唇を、逆に僕に押し付けてきた。熱がこもっていた。真奈美が頭から、消えた。
「これが今のあたしの気持ち」
マユは何事もなかったかのように、皿に盛られたフルーツを食べ始めた。
僕は目の前のコーヒーを一口啜った。何も味がしなかった。


その16に続く…。
(written by yass

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この連載は真奈美側に視点を変えたSIDE-Bもあります。
SIDE-Bはこちら
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