2005-06-22

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説

その15
(前回までの話は、こちら

ツアーは終わった。長いようで短かった十日間。
それでも僕の人生の中で、こんなに濃い十日間はなかったんじゃないだろうか。
ツアーで出会った仲間は、まるでもう何年も昔から知っていた人たちのように感じられるし、自然が作り出した芸術作品は人が作り出すそれよりもはるかに素晴らしかった。
わずか十日前に出会った仲間と、泣きながら別れるなんて想像もしていなかった。そんな素晴らしい時間を与えてくれた稲田にこの時ばかりは感謝していた。
学生時代、僕はいったい何をしていたんだろう? あれほど時間を持て余していたというのに、何一つこういう経験はしたことがない。いや、この旅に出なければ、一生こんな体験をすることはなかったんじゃないだろうか?
普通に就職してしまっていたら、毎日ネクタイを締めて、満員電車に揺られて、眉間にシワを寄せて、たまに居酒屋で愚痴をこぼしながら、ため息交じりの日々を送っていたのかもしれない。
想像しただけでゾッとした。僕が求めていた世界はそこにはない。僕はもっともっと刺激に満ちた日々を求めているし、旅に出て以来、自分自身を見つめる癖がついた。
いま自分はどこにいるのか? 何をしたいのか? どうありたいのか? そして、どこを目指しているのか?
日々そうした問いかけの中に、コレと言った正解などないということも、わかってきた。いる場所、したいこと、なりたい自分、目指すポイントは日々変わって当然だし、今は未来へ繋がる一つの点でしかありえないのだ。
今という時間をどう生きるかで、未来の自分が変わるのだ。
もっともっと、考えて、動いて、悩んで、苦しんで、楽しんで、笑って。人生において一番無駄なのは、きっと同じ日が繰り返されることなのだろう。昨日と同じ一日。それこそが無駄であり、ある意味、悪だ。

リリーは一足先にブラジルへ帰国した。数ヵ月後にまた会おうと僕たちと約束して。
僕と稲田はその先の行程を考えていた。そしてその場には、マユもいた。マユもこの旅で人生が大きく変わった人間の一人だ。いや一番大きく変わったのが彼女かもしれない。
ツアーの初日、あれほど小動物のようにおどおどしていたマユが、十日間の旅を終えてまたこのラスベガスの地に着いた時には、同一人物とは思えないくらい、堂々としていて、誰とも気後れすることなく話が出来て、わからないことは「わからない」と表現できるようになっていた。
日本人特有の周りを見て同調する、自らをあまり主張せず周囲の風景に同化する、そうった面が今のマユにはすっかりなくなっていた。しっかり二本の足で立って歩く立派な女性へと変身していた。
そのマユが僕たちに尋ねてきたのだ。二人はこの先、どういう旅の行程なのか、と。
とりあえず、ここからまたバスに乗って、ニューオリンズに行くと告げた。その間、おそらく二回くらい小さな街で過ごすかもしれないが、二週間後にはニューオリンズに着いているだろうと稲田は言った。
マユはいったん帰国して、それから僕らのこの旅に着いていきたいと言ってきた。旅をすることでいろんな体験が出来ることを知ってしまった彼女は、ぜひとも僕らの旅に同行させて欲しいと言うのだ。
僕も稲田も、それは無茶だ、とか、女の子だから危ない、とか、いろいろ説得を試みたが、彼女は頑として聞かず、結局、二週間後にニューオリンズで、ということで落ち着いたのだった。
「しかし、マユも変わったよな」ホテルのカフェで、冷めてしまったコーヒーを啜りながら言った。
「人って十日でこんなに変わるんだな」僕も最初に出会った時のマユを思い出して言った。
「あたしだってびっくりしてる。なんて言ったらいいかな、まるでさなぎから蝶に変身したような、そんな気分かな」パンケーキを食べながら、マユは答えた。
「そう言えば、隆志、彼女にメールしたか? ホテルに着いたらこの感動を伝えるんだって、鼻息荒く言ってたじゃないか」
「いや、これからメールしようかと思ってるんだけど」
僕はちらりとマユを見ながら、言った。マユは聞いてないふりをして、パンケーキを口に運んでいた。
実はあのツアーの最後の夜以来、僕とマユは深い関係になっていた。深くて、微妙な関係。お互いがお互いを求め合う関係。将来、彼氏彼女になり得る可能性を含んだ関係。
でも僕には長年付き合っている彼女、真奈美がいた。今は遠く日本とアメリカで離れ離れになってしまっているけど、それでもやはりお互い一番信頼できるし、素直な自分を出せる相手だ。
それはきっと真奈美も同じことだろう。真奈美は僕を全面的に頼りにしてくれていたし、ものぐさな僕に比べ、とてもまめにメールをくれていた。毎日一通、まるでメルマガみたいに一日の出来事をダイジェストで送ってきてくれていた。
マユとは微妙な関係だけど、今のマユを見る限り、一時的な関係で終わりそうな気配だった。
「じゃ、ちょっと俺、メールしてくるから。先に部屋に戻ってて」僕は稲田にそう言って、席を立とうとした。
「ねぇ、隆志。明日の朝、空港まで見送りに来てくれる?」それまで黙っていたマユが、潤んだ目で僕の目を見つめながら言った。
「あぁ、何時だっけ?」
「朝6時過ぎにここを出るけど」
「6時か。早いな。いいよ、一緒に行ってあげるよ」
「ありがとう。じゃ、お願いね」そう言って、マユはちょっと微笑んだ。

ここのホテルにはインターネットが自由に使えるブースが設けられている。十分で一ドル。ネットを使いたいと入口で告げると、席を指定された。僕はメールを立ち上げて、チェックした。
真奈美からのメールは、やはり一日一回のペースで来ていた。4月18日までは。それ以来、真奈美からのメールは来ていない。僕はちょっと不安になった。
どうしたんだろう? 風邪でも引いたのかな? 仕事が忙しくて、疲れてメールできなくなっちゃったのかな? いろんな言い訳が頭を渦巻く。
まさか、最悪の事態が僕の頭を駆け巡った。……男?
一人でいると真奈美はすぐに不安になる子だった。誰かがそばにいないと、それこそツアー初日のマユじゃないけど、デリケートなガラスみたいにすぐに割れてしまいそうな感情の持ち主だった。
ものすごい不安に駆られた。今すぐに帰国したいくらいの不安。
とりあえずメールしてみよう、そう思って僕は真奈美にメールを書いた。
『真奈美、元気でやってるか? 最近メールないけど、仕事が忙しいのかな? それとも生活の急激な変化で体調崩しちゃったのかな? 僕はグランド・サークルを巡るツアーから戻ってきて……』
綴ったメールを送信した。無事、明るい返事が返ってくることを祈った。

翌朝、マユを空港に見送る前に、メールをチェックした。しかし、真奈美からの返信はなかった。
「おはよう」大きなスーツケースを手に、マユがやってきた。
「朝早いのに、先に来ててくれたのね。嬉しいな」
「うん」僕は真奈美のことが頭にちらついて、言葉少なくなっていた。
「夕べはちゃんと眠れた?」
「うん、大丈夫。寝る前にちょっとだけカジノでスロットやりながら、お酒飲んでたから、すぐに眠たくなっちゃって寝ちゃったの」
「ま、飛行機の中でも眠れるしな」
「そうだね」
「空港までどうするの?」
「タクシー呼んでもらう」
マユはフロントでタクシーを呼んでもらっていた。すっかり英語に慣れたのか、外国人を相手にすることに慣れたのか、スムーズに事は運んだ。
十分後、ホテルの前にタクシーは着き、そのまま僕とマユは空港へ向かった。
まだ出発便が少ないせいか、朝の空港はまだ閑散としていた。
荷物をチェックインして、僕らは朝食を取るために空いたばかりのカフェへと向かった。
「ねぇ隆志、ひとつ聞いてもいい?」
「何?」
「あたしって、隆志にとってどういう存在?」
「どういうって……」言葉に詰まった。
「単なるツアーメイト? それとももっと近い存在?」
「単なるツアーメイトじゃないと思うけど」僕は敢えて『近い存在』という言葉を避けた。
「嫌い?」
「嫌いなわけないじゃん」
「じゃ、キスして」マユの目は怒ったように真剣な眼差しで僕を見つめていた。瞳の中に僕が見えるかのようだった。
僕はマユに顔を近づけると、その小さな唇にキスした。頭の中には真奈美がいた。
「なんか、気持ちがこもってない」
マユはそういうといったん離した唇を、逆に僕に押し付けてきた。熱がこもっていた。真奈美が頭から、消えた。
「これが今のあたしの気持ち」
マユは何事もなかったかのように、皿に盛られたフルーツを食べ始めた。
僕は目の前のコーヒーを一口啜った。何も味がしなかった。


その16に続く…。
(written by yass

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この連載は真奈美側に視点を変えたSIDE-Bもあります。
SIDE-Bはこちら
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2005-06-08

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説

その14
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月23日
人と人との出会いって偶然なんかじゃない。きっと出会うべくして出会ってるんだ。わずか十日前まではまったく見ず知らずの他人だった。でも今はもう何年も付き合ってる仲間みたいだ。このツアーは一生忘れられない。最高だ!】


ツアーも残すところあとわずかになった。
グランド・キャニオン以来、国境を越えた結束が出来上がっていた。あの長くつらい道を歩き切った「仲間」という意識がメンバーの心に芽生えたのだ。


特に身体の小さいマユの勇気にはみんな感動していた。そしてマユ自身も、積極的にみんなの輪に入り、拙い英語と、身振り手振りでコミュニケーションを取っていた。
ツアー直前の、英語ができずに、おどおどして消極的になっていたマユの姿は、もうどこにもいなかった。

モニュメント・バレー、キャニオン・ランズ、アーチーズ、ブライス・キャニオンと大自然を満喫した僕たちは、このツアー最後の地、ザイオンにいた。
大自然に抱かれていると、初めはまったくの他人だったツアーメイトとの繋がりさえも、偶然の出会いなんかじゃないと思わされる。

どうあがいても抵抗できるはずのない、その存在の強大さを僕らに突きつける。それゆえに、国境を越えて人と人は手を取り合って協力していかなくてはいけないんだという想いを、生きる希望と勇気を、一人じゃないんだという安心感を与えてくれるのだ。


どっぷりと日が暮れたザイオンは静寂に包まれ、どこか畏怖の念さえ感じる、そんな場所だった。
ザイオン―その名からして「聖なる土地」を意味している。あの映画、マトリックスでも人類の最後の聖地としてザイオンという地価都市が出てきていたのを思い出す。

夕食も終え、リラックスムードだ。ツアー最後の夜ともなると、みんなどこか寂しそうに、終わって欲しくない夢のような時間を、名残惜しんでいるようだ。

僕と稲田、リリーとマユはキャンプファイアーの火を囲みながら、ただじっと火を見つめ、ビールを飲んでいた。

「なんか、ものすごく濃い十日間だったな」ぽつりと稲田が呟いた。
「ほんとに。初めはどうなるかとドキドキしてたけど、なんかあっという間だったね」マユが言った。
僕はただじっと火を見つめていた。日本においてきた真奈美のこと、そして、たった十日前に出会ったばかりなのに、ずっと昔から知っているような錯覚に陥っているマユのことが頭の中で渦巻いていたのだ。
「ラスベガスに戻った後、二人はどうするの?」リリーが僕と稲田に尋ねた。
「南へ、ニューオリンズへ下ろうかと思ってる。そしてそこからマイアミに渡って、ブラジルに飛ぶよ」僕は今初めて稲田の口からブラジルへ飛ぶという考えを聞いた。
「あのさ隆志、俺たちの旅の終点だけど……」言いかけたところで僕が稲田の言葉を遮った。
「知ってるよ」
「えっ?」
「だから、知ってるよ。最後にブラジルに行こうとしていることも、そこで俺と二人で農園で働こうとしていることも」
「何で知ってるんだ?」稲田は驚いた表情で僕に尋ねた。
「真奈美のメール。稲田、お前真奈美にメール送ったろ? 成田出る直前に」
「そっか。それで真奈美ちゃんからのメールで知ったんだな。どうしてもっと早く聞いたってこと知らせてくれなかったんだよ」
「きっと……きっとその時が来たら稲田の口から聞くだろうって思ってたからね」
「で、どうなんだよ、お前としては?」
「まだ俺の心は旅の途中で、最終地点のことまで考えられないんだ。一日一日を楽しんで、知らないことを知って、これから出会うであろういろんな人たちと交流を深めて、そこから自分なりに見えてくる答えがあるんじゃないかと思ってるんだ。だから、今はまだわからない」
「そっか」

また沈黙と静寂に包まれた。

「いいなぁ、旅って。何にも決まってない旅。運命に任せて、動き回ってる中で来たものを受け入れる。人生そのものが旅ってよく言うけど、その言葉を地で行ってるって素敵だな」沈黙を打ち破ったのはマユだった。
「あたしね、今回一人で旅するってすごく不安で、怖かったんだ。でも今は怖くない。あぁ、やっぱり飛び出してきてよかったんだって、素直に思ってる。こうしていい仲間にも会えたしね」
マユの表情がものすごくいい顔になっていた。人ってわずか十日でこんなに変わるんだって思うくらい表情に変化があった。
「あたしはブラジルに帰って、二人が来るのを待ってるね。そしていつか、マユも遊びに来てよ、ブラジルまで」
「うん、絶対に行くね。必ず」


午前1時を過ぎると、火の周りには僕とマユの二人しかいなくなった。あたりは日中の暑さからは想像できないくらい気温が下がっている。
コーヒーで身体を温めながら、僕とマユは火を見つめていた。

「あの二人、同じテントで寝ちゃったのかな?」僕が言った。
「付き合ってるんだから、最後の日くらい一緒にいさせてあげようよ」マユが言う。
「でもそしたらマユは俺と同じテントだぜ」
「別にかまわないわよ」
マユの視線がコーヒーカップから僕の顔に移った。
「ねぇ、少し歩かない?」
「歩くって?」
「その辺を散歩するの。川が流れてるあたり」

そう言うとマユは僕の手を取って、立ち上がった。

静寂の中を足音だけが響き、次第に川に流れる水の音が足音を消していった。

「満月」マユが空を見上げた。
「ほんとだ」山の影のはるか上に、まんまるの月が青白く光っていた。満天の星空もその周りだけ星は見えなかった。
「抱いて」
「えっ?」
「寒いよ。抱きしめて」
「でも……」
「ねぇ、隆志。あたしのこと、嫌い? 足手纏いになって、いろいろ迷惑ばっかりかける女は嫌?」
「足手纏いだなんて、そんなこと……」

そういうとマユは僕に抱きついてきた。ふわりとマユの髪が僕の頬を撫でた。いい香りがした。僕はマユの小さな身体に腕を回した。

月に照らされた二人の影が一つに重なった。


その15に続く…。
(written by yass

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2005-05-25

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
050525

その13
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月18日
言葉を超えた固い絆。それがこのツアーの醍醐味だ。言葉も、文化も、宗教も、風習も、何もかもが違う。でも感動する心は世界共通。笑顔も、涙も、世界共通なのだ。】

あたりはまだ暗闇に包まれている。焚き火を取り囲むように立てられたテントの中では人が動く気配がする。懐中電灯のほの明るい光だけがちらちらと揺れている。
テントの中から眠そうな目をこすり、寒そうに身を縮めながら焚き火の周りに人が集まってくる。
グランド・キャニオンのトレッキングは、行きは谷底に向けて下っていく。帰りは逆に谷底からの登りになる。体力が消耗しないよう、ペース配分が大事なのだ。
ブライトエンジェルトレイルを歩いてプラトーポイントを目指す。予定では往復12時間。体力をできるだけ消耗しないようにゆっくり下れば、それ以上の時間がかかりそうだ。
体力にあまり自信がないというマユはちょっと不安そうだが、僕が「おはよう」と周囲に響かないよう小声で声を掛けると、「おはよう」とにっこり笑顔で応えてくれた。体調はいい様子だ。
「心配しなくて大丈夫だよ。ちゃんと最後までついていってあげるから」
「うん。ありがとう」マユは湯気が上る熱いコーヒーを両手で支えて、身体を温めながら言った。
「午後は直射日光を浴びて暑くなるから、なるべく体力を消耗しないように自分のペースで歩きなよ」
「そうね。わかった。稲田くんとリリーは?」
「あいつらは割と体力ありそうだから、案外早いペースで下りて行っちゃうんじゃないかな。他の人たちも、日本人と違って体力ありそうだから、さくさく歩いちゃうかもね」
「あたしたちがグループの最後かな?」
「そうなるかも知れないな。大丈夫、気にしないで。大事なのは着いて行くことじゃなくて、自分のペースを守ることだから」
マユはこくんと頷いた。

まだ暗い中を静かに谷底目指して歩き始める。ザッザッという足音だけが、耳に響く。背負ったリュックには2リットルもの水が入っている。重い。
時折聞こえる鳥の声と、風の声が静寂のグランド・キャニオンに響き渡る。
下り始めて30分もすると、案の定、僕とユリはグループ最後の人たちとなった。でもペースは順調、マユも立ち止まることなく歩いている。
「もうすぐ夜明けだね」
「もうそんな時間?」
「そろそろだと思うけど」
東の空を眺めてみる。うっすらと稜線が浮かび上がっている。もう数十分もすれば太陽が顔を出す。
「今日もお天気みたいだね。雲がほとんどない」
「そっか。じゃ暑くなるね。早く下りないと」
「ダメだよ。気持ちだけ先走っちゃ。帰りのほうがはるかに辛いんだからさ」
足音が今までのペースと同じように刻まれている。「大丈夫」僕は再度声に出して言った。自分自身に言い聞かせるように言ったつもりだったが、「うん」とマユも答えてくれた。
突然ぱぁっと明るくなった。太陽が顔を出したのだ。照らされる谷の複雑な地形は、夕陽よりも陰影を色濃く描き出しながら、神々しくオレンジ色に光っている。
空から神様が降りてくるかのような見事な朝陽だ。
それはこの世のものとは思えないほど幻想的で美しく、静寂の闇夜を切り裂き、平等に、平和に、いきとしいけるすべてのものに光のシャワーを浴びせかけている。
「すごくきれいね」
「昨日の夕陽も見事だったけど、朝陽もたまらないな。生きてて良かったって思うよ」
マユを見ると、胸の前でささやかに手を合わせていた。僕も同じように手を合わせた。何事もなく無事に今日一日が終わりますように、と願いを込めて。

休憩地点まで辿り着くと、稲田とリリーが待っていてくれた。
「どうだよ、調子は?」稲田が笑顔で聞いてくる。
「うん、悪くない。今のところ順調だよ。リリーはどう?」
「ブラジルで毎日肉体労働で鍛えてるから、これくらいたいしたことないわ」
強気な発言だ。
「マユは?無理しないでいいからな」稲田がマユを気遣って言った。
「隆志がついていてくれるから大丈夫。安心して歩いてる」そういうと稲田が「最後になってマユにおんぶにだっこじゃカッコ悪いから、隆志も頑張れよ」と茶化した。
「稲田もね。東京じゃこんなに歩いたことないからな。リリーに迷惑かけないようにな」と言い返したやった。
「まだまだ冗談言える元気があるから、みんな大丈夫だね」マユが笑顔で楽しそうに笑った。みんなもそれにつられて大笑いした。誰もがいい顔をしていた。
「じゃ、俺たち先に行くから」稲田とリリーはプラトーポイント目指して歩き始めた。

歩き始めてまだ四分の一の距離だ。しかしリュックの中の水はもうすぐ1リットルを飲み干してしまいそうだ。この分だとプラトーポイントに着く前に飲み干してしまいそうだ。
10分後、僕らもまた歩き始めた。少し休んだせいか、マユの表情も明るく、柔らかくなっていた。
大丈夫、自分に言い聞かせながらマユは独り言を呟きながら歩く。その隣にいる僕もその言葉に勇気付けられながら歩いていた。
こうして二人で一つの目標に向かって進んでいると、それまでにはなかった信頼の絆が強くなってくるのがわかる。
それはどこか恋心にも似ている。次第次第に二人の会話は自分のことを語り始める。
旅を出る前のこと、旅で出会った人たちのこと、このツアーに参加して思ったこと、両親のこと、恋愛のこと、さまざまなことが脳裏を去来する。
いつしか二人は出会って間もない二人ではなくなる。ずっと前から相手を知っていたかのような錯覚に陥る。そして二人で築き上げた「同じ体験」という絆が二人の心を強く結びつけるのだ。
インディアン・ガーデンに辿り着く頃、日差しはだいぶ高くなり、ところどころ直射日光を浴びるようになっていた。マユの体力もかなり消費しているようだ。
ちょっと長い休憩を取ろうと、僕はマユに言った。僕自身も水がなくなり、給水しなくてはならない。着ていたTシャツも汗でびっしょりと濡れていたので、着替えることにした。
「あとどれくらいかしら」マユが聞く。
「あとはもう平坦な道を進むだけだから、そんなにきつくはないよ。ただこの日差しがダイレクトに当たるから、それがちょっと辛いかも」
僕は俯いているマユの顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 引き返す?」
マユは俯いたまま首を横に振った。
「大丈夫。行けるから。もうちょっと休ませて」
マユが顔を上げて、いきましょう、と行ったのはそれから20分後だった。

直射日光が照りつける。もうあと少しでプラトーポイントに到着する。先に行ったメンバーはとっくに着いているはずだ。おそらく一番早いメンバーは少なくとも一時間近くは先に着いているだろう。どこかで出会うかなと思っていたが、まだ誰ともすれ違っていない。僕ら二人の到着を待っているのだろうか?
プラトーポイントが見えた。そしてメンバーの姿も見えた。みんな両手を振っている。待っていてくれたのだ。
「みんな待ってる。さぁ行こう」
マユを見ると目に涙が溜まっている。ただ頷くしかできない。声にならないのだ。
よくやった、おめでとう、みんなに見守られながら到着するとマユは声を上げて泣いていた。嬉し泣きだ。感動の涙。
マユはみんなに抱きしめられていた。見ていたリリーももらい泣きしていた。アメリカ人のアンも、オーストラリアのカップル、キャッシーとボブも涙をぬぐっていた。
言葉が違うメンバー同士が今輪になって僕とマユを祝福してくれている。言葉を超えた固い繋がりがそこにはあった。
「あと10分待ってこなかったら引き返したものと判断して戻ろうって言ってたんだよ」稲田が言った。
一時間前に着いていた最年少のベックとマルコが一番乗りだった。戻ろうとする彼らをリリーが引き止めたのだ。
「リリーが絶対に来るから、みんなで待ってようって、みんなに言ってくれたんだ」ベックが言った。
「待っててよかったよ。君たちの勇気には感動したよ。ありがとう」マルコが僕に手を差し伸べた。僕は迷うことなくその手を握り返した。固い握手だった。
眼下にはエメラルド・グリーンのコロラド川が悠然と流れている。太陽も僕らを精一杯祝福してくれるかのように光り輝いていた。
僕は天に向かって両手を突き上げ、全身に太陽の光りを浴びた。達成感で一杯だった。
「隆志、ありがとう」そう言うとマユは僕に抱きついてきた。僕もマユを抱きしめた。僕にもマユの感動が伝わり、目に溜まった涙をこぼさないように上を向くのが精一杯だった。

その14に続く…。
(written by yass

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2005-05-11

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
050511


その12
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月16日
自分がものすごくちっぽけな存在に思えてくる。こうして大自然を目の前にして、静かに目を閉じる。大きく深呼吸。ふぅーっ。身体中にエネルギーがみなぎってくる気がする。
自然ってスゴイ。何千年、何万年もかけてこうして出来上がったみごとな芸術作品。人の心を揺さぶるには充分すぎるほどの圧倒感だ。それでいてちょっとほっとするやさしさもある。
こんな大自然がそこらじゅうにあるアメリカってやっぱりスケールが違う。】

「なんだよ、この大きさは……」稲田はそういうと言葉を失った。僕は言葉どころか、さっきからため息しか出ない。谷底まで1マイル、1.6キロだ。
グランド・キャニオン。写真では見たことがあるこの景色も、実際に目の前に広がるととんでもない大きさだ。恐怖心すら覚える。風の音がまるで地球そのものの声みたいに聞こえてくる。
「うわっ、すごい……」
僕らを追ってやってきたリリーとマユも目の前の景色に目を奪われていた。
「なんだか、あたし自分がすごく小さな存在に思えてきちゃう」マユが言う。
「俺もさ。いや、この景色を見たら誰もが思うんじゃないかな。なんかつまらないことくよくよ考えてることがすごくバカらしく思えてくる」
「いまあたしたちがこうしている間でも、きっとどこかで争いが起こってると思う。ちょっとした考え方の違いだとか、文化や宗教の違いで、正しいとか間違ってるとか言って。それってすごく空しいことに思うんだ、最近。テレビをつければ暗いニュースばっかりで、見ているだけで心がすさんでくる映像ばかり」
「うん」
「このツアーだって世界中から見ず知らずの人たちが集まってくるわけじゃない? 価値観の違う世界の人たちがさ。でもこうして旅をするうちに打ち解けて、みんな同じ人間なんだってことがわかる。こういうすごい景色見て、感動して、自然の偉大さを感じて、人間なんてすごく小さい存在なんだってことがイヤでもわかって。世界の国と国が争うことなんてすごくバカみたいに思えてきちゃうんだけどな、あたし」
「そうだよな」
いつの間にか、ツアーリーダーのジョンをはじめ、みんなが一列になってこの景色を眺めている。みんなが景色に目を奪われ、ため息をつき、歓声を上げる。
ドイツから来たマルコとベックはまだ学生だ。二人はこのツアーでは一番若く21歳。一方、スイスから来たロジャーは38歳、最年長だ。ドイツに五年住んでいたというロジャーはドイツ語も堪能で、この三人はいつも一緒に行動している。若かろうと、年をとっていようと、まったく年齢差を感じさせない。旅をして感動する心、楽しむ心にまったく差はない。みんな同じなのだ。
「明日はここを下まで降りるんでしょ?」マユが尋ねる。
「そうだね。明日は日が出る前にここを降りていくんだ。下からの眺めはどんな感じなんだろう? 今からワクワクするよ」
「そうね。でも、あたしちょっと不安なんだ。体力的に。みんなのペースについていけるかどうか……」
「自分のペースで歩けばいいよ。俺がついていてあげるから。無理にオーバーペースで歩くと、帰りが登りだから体力持たなくなるからね。降りる時には少し緩めのペースの方がいいと思うよ」
「うん。だけどみんなに迷惑かけないかな?」
「そんなことないって。みんなそれぞれ自分のペースで旅してるんだし、この旅はそれぞれ自分のものなんだから。誰かに気を使ってちゃ思う存分楽しめないよ」
「そうよね。わかった。自分のペースで歩いてみる。隆志くん、本当に一緒に歩いてくれる?」
「もちろん」
そういうとちょっと不安そうだったマユの顔に笑顔が戻った。彼女の笑顔はとてもきれいで、見ているこっちが心和む素敵な笑顔だ。
「稲田とリリーは?」
「さっきお土産屋さんを覗いてたわよ。あの二人、遠距離恋愛だったんでしょ? すごいわね、あたしも昔遠距離だったけど、結局自然消滅しちゃたんだ。距離が遠いと心も遠くなっちゃうのよね」
彼女の言葉で、ふと真奈美のことを思い出した。忘れていたわけではないが、ラスベガスへ移動して以来ずっとメールしてない。真奈美は何してるだろうか? 彼女は僕がいなくてやっぱり寂しい毎日なんだろうか? ふと彼女のことを思うと、不安がよぎった。
「隆志くんは彼女は?」
「彼女? 東京にいるよ。彼女をおいて稲田と二人で日本を飛び出しちゃったからね」
「そうなんだ。彼女はいくつ?」目をきらきらさせて、興味津々で聞いてくる。
「同い年だよ。ずっとクラスもサークルも一緒で、いつの間にか二人で一緒にいるのが自然な関係になって、それで付き合い始めたんだ」
「じゃ、今年社会人一年目?」
「そうだね。旅行会社に勤めてる」
「女の子は環境が変化する時って、すごく精神的に不安定になるからね。一緒にいてあげないと彼女どこか行っちゃうかもしれないよ」マユは言った。
「そんな大胆なことできる子じゃないから、大丈夫だよ」
「そうかなぁ。でもいいなぁ、そんなに信用されてて。あたしもそんな心の広い素敵な彼が欲しいな」
「今は彼氏、いないの?」
「この半年ずっと一人。あ、でも遠距離で会ってない期間があったから、半年以上だね。何か今までの自分を変えるきっかけが欲しくて、このツアーに申し込んだんだ。これをきっかけに新しい自分を見つけたかったし、もしかしたら素敵な人とめぐり合えるかもしれないと思ってね」
「そっか。自分探しの旅なんだね。あ、自分だけじゃないか。誰か素敵な人がいたらその人もついでに探しちゃおうということだもんね」
「あたしって欲張りかな?」
「そんなことないんじゃない。とにかく飛び出してみたその勇気がすごく素敵だし」
「嬉しいな、そういってくれると」
「ところで、誰か素敵な人はいたの?」
「それは内緒。あたしのど渇いちゃった。何か飲み物かってくるね」
マユが飲み物を買ってもどってくると、そろそろサンセットだと稲田が教えてくれた。僕たち四人はサンセットポイントまで巡回バスで移動した。もうすぐグランド・キャニオンが夕陽に染まる瞬間がやってくる。
さっきお土産屋で買った絵葉書はグランド・キャニオンのサンセットの風景だ。今から僕たちが見る風景を真奈美にも見せたい、そう思って買った葉書だ。
サンセット・ポイントにはツアーメイトが全員揃っていた。それだけじゃない、とにかくサンセットを見る人でその場はごった返していた。
西に沈んでいく夕陽がオレンジ色に染めていた。その風景は絵葉書のそれとまったく同じ景色だ。いや、目で見ている今の景色の方が数倍美しい。風の音、空気の香り、そこに集う人のざわめき、そういったすべてのものがこの数分間のサンセットを彩っている。
「すごくきれい」
「すごいや」
リリーと稲田が、放心状態で言葉を吐く。
隣に立っているマユを見た。彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。夕陽が反射してオレンジ色の涙になっている。
「どうしたの?」
「すごく、すごく、きれいで、ちょっと胸がキュンとなって……なんだかわからないけど、涙が出てくる」そういいながら、表情は笑顔だ。
僕らは太陽が沈んでしまうまで、ずっと目が釘付けになっていた。

日が暮れると周囲を暗闇が包んだ。これからキャンプ地までまたバスで移動だ。
日が暮れると一気に気温が下がるこの場所で、今夜はテントを張って生活する。僕にとっては初めてのアウトドア体験だ。火を囲んでのキャンプファイアー。語られる一つ一つの言葉、シーンが後になって懐かしい風景となって思い出される。二度とはやってこないそんな一瞬一瞬の時間を大事に胸にしまいこみながら、この旅はまだまだ続く。
グランド・キャニオンのトレッキングは思ったよりも過酷で、いろんなドラマが待ち受けていた。

その13に続く…。
(written by yass

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2005-04-13

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説

その11
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月13日
思いがけない形で旅の資金が増えた。それも大量に。派手な使い方だけは控えておこう。稲田にも内緒だし。
旅はまだまだ続く。いつなんどきどこでお金が必要に迫られるかわからない。緊急時の備えとして持っておこう。そんな緊急事態が発生しないことを望むけど。】

朝早く稲田に起こされた。正直、ほとんど眠っていない。昨日の夢のような出来事ですごく興奮してなかなか寝付けなかったのだ。
「早いな、いま何時だよ」
「もうすぐ6時半になるぞ。コーヒーでも飲みにいこうぜ」
稲田は妙に張り切っている。いつもと違う。
「早いなぁ。どうしたんだよ、今日は妙にテンション高いな」
「そうかな? いつもと一緒だよ」
そう言うものの明らかにいつもとは違うテンションだ。言葉だけクールにしたってこれだけ長い付き合いになれば相手の感情の起伏はわかるようになるものだ。
「ところで、どこ行くんだっけ?」僕は昨日はっきりと聞くことができなかった今日からの予定を稲田に問いただした。
「グランド・サークルのツアーだよ。雄大なアメリカの国立公園を巡るツアー」いつになく爽やかな笑顔を振りまきながら稲田は答えた。
「ツアーって、日帰りじゃないの?」
「違うよ。えっと10日間かな。とりあえずコーヒー飲みにいこうぜ。説明するからさ」いつもは落ち着いている稲田が今日はものすごくせっかちだ。いったいどうしたというのだろう?
「わかったよ。とりあえず軽くシャワー浴びるから10分待ってくれ」そういうと僕は寝ぼけ眼のまま布団から出て、まだ眠り足りないと悲鳴をあげている身体にムチをうってシャワーを浴びた。

カジノを通り過ぎたところにこのホテルのレストランがある。カジノは24時間眠らずにやっている。ルーレットの隣を通り過ぎた時、また昨日の出来事が甦ってきた。あれは夢じゃなかったんだなと、一夜明けた今日になって改めて興奮してきた。
「そういえば、昨日隆志はギャンブルやったの?」何も知らずに稲田が尋ねる。
「うん、ちょっとだけね」僕は気配を悟られないように言葉少なく答えた。
「何やったの? スロット?」
「いや、ルーレット」
「どうだった? 負けたんだろ、どうせ」敢えてそれには答えなかった。稲田も僕の勝ち負けに興味がないのか、それ以上尋ねてはこなかった。
レストランに入ると、朝早いのに多くの宿泊客で混んでいた。朝からでっかいステーキを食べている人もいる。朝からステーキとは、さすがアメリカ人は違うと思ってみたが、夜通しカジノに入り浸っていて昨日と今日の境目がない人なんだと思い直し、納得してしまった。
入口近くのテーブル席に落ち着くとウェイトレスにコーヒーを注文した。バカでかいマグカップになみなみと注がれた薄いコーヒーがすぐにやってきた。1ドル75セント。日本のドトール並みの安さ。でも量はおそらく3倍。
「で、グランド・サークルってどこ行くんだよ」
「ネバダ、アリゾナ、ユタに広がる大自然を巡るんだ。グランドキャニオンやモニュメント・バレーは知ってるよな? あまりにも有名だからね」
稲田はポケットからツアー行程表を取り出して、説明してくれた。どうやら10日間に渡り、世界各国から訪れる見ず知らずの人たちと大自然の中でキャンプしながらの共同生活ツアーらしい。グランド・キャニオンを皮切りに、モニュメント・バレー、キャニオン・ランズ、アーチーズ、ブライス・キャニオン、ザイオンと巡ってまたここに戻ってくるということだ。
「いつこんなツアーを予約したんだよ?」
「ロスにいる時にメールがあったんだ……」稲田は今まで見せたことのない恥ずかしげな表情で語り始めた。
「実は、俺も彼女がいるんだ。今はブラジルに住んでる。彼女は日系人の娘で、俺の幼なじみだった子なんだ。彼女からメールがあって、どうせアメリカにいるんだったら一緒にこのツアーに参加しないかって誘われたんだ。隆志のことは話してある。だから彼女はお前のことは知ってる。年は俺たちよりも二つ下で、今はブラジルのコーヒー農園で働いているんだ。休みを取って今回ここに来て、俺たちと一緒にツアーに参加することになってる」
「つまり、その、彼女が僕らの分も予約してくれたってこと?」
「ま、そういうこと」
知らなかった。稲田にそんな彼女がいたなんて。そのことだけでも驚きなのに、その彼女はブラジル在住で、しかも今回一緒にツアーに出るなんて、昨日のルーレットで大勝したくらい驚きだった。昨日から考えられない出来事が続いている。
「で、その彼女と会うのは久しぶりなの?」
「えっと、1年半ぶりかな?前回彼女が日本に来たときが最後だから」
「あぁ、それでか」僕はようやく稲田のテンションがいつもより高いことに納得した。
「何がだよ」
「クールなお前がいつもと違ってやたらとハイテンションだから何があったのかと思ってたからさ」
「俺はいつもと一緒だよ」
「全然違うよ」
「そうかな……」
稲田はそれ以上しゃべらなかった。ただ黙々と冷めたコーヒーを飲んでいた。
「で、集合時間って何時?」
「7時半。お、もうそろそろ時間だよ。部屋に戻って荷物持ってこなくちゃ」
もうすぐ稲田の彼女とご対面だ。ちょっと僕も緊張する。なにしろ初対面だからな。いったいどんな子なのか興味津々。

ロビーにはツアー参加者らしい一団が集まっていた。海外の人たちはみんな挨拶をして言葉を交わしていた。そんな中、隅のほうにちょこんとおとなしく日本人の女の子が一人いた。
「はじめまして。君もこのツアーの参加者?」僕が声を掛けると、パッと彼女の表情が明るくなった。
「はい。あぁ、よかった。あたしほとんど英語ダメで、どうしようかと思ってたんです。なんだかホッとしました。あたしは、マユミっていいます。マユって呼んでください」笑顔の素敵な明るい子だった。
「僕はタカシ。よろしく」握手を求めると彼女の細くて白い手が、日に焼けて黒くなった僕の手を握り返してきた。
「あと彼も僕の友達で稲田って言うんだけど、旅仲間なんだ」稲田は色の浅黒い健康的で、大きくてきれいな目をした女の子を連れてやってきた。
「稲田です、よろしく。そして彼女が、えっと、リリー。日本名がユリ」稲田はマユミと握手し、僕はリリーと握手した。
「リリーは稲田の彼女なんだ」僕がマユミに言うと、稲田は珍しく顔を赤くした。照れる稲田を見るのが初めてだった僕は思わず声を上げて笑ってしまった。
ツアーメイトは全部で12人。ドイツ、アメリカ、ブラジル、カナダ、スイス、オーストラリア、そして日本。国際色豊かなツアーメイトだ。ツアーリーダーはジョンという背の高い、ブルース・ウィルスに似た男だった。
ラスベガスの日差しが徐々に強くなってくる。照りつける太陽の下、一つのバンに乗り込み最初の目的地、グランドキャニオンに向けて出発した。
忘れられない旅になりそうなそんな予感がした。

その12に続く…。
(written by yass

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2005-03-23

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
その10
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月12日
日本人は僕と稲田の2人だけ。アメリカの道はものすごく広い。しかも街の中心部以外はほとんど信号というものがないのだ。
目の前を通り過ぎる景色は、映画のワンシーンのような風景だった。広い道をひた走る。だだっ広い荒野が続いている。
視界をさえぎるような建物など何もない。地球に吸い込まれるように道は続く。
日が暮れると何も見えない。真っ暗だ。しかし突然それは現れた。遠くに輝く街の明かり。そこだけ火をともしたように明るく輝いていた。
ラスベガスの街。24時間眠らない街。天使と悪魔が同居する街。
この街で僕はいったい何を感じるのか?期待と不安で胸が膨らむ。これが感動と希望への道へと続いていることを祈るばかりだ。】

5時間半ほどバスに揺られた。高かったカルフォルニアの日差しも今ではすっかり地平線の下に沈み、代わりに人工的なギラギラとしたネオンが街を明るく照らしている。
世界最大のカジノの街、ラスベガスだ。世界中から一攫千金を夢見て観光客が集まる。まさに天国と地獄、ネオンサインの脳天気な光の洪水の裏ではさまざまな人間模様が繰り広げられている。
僕ら2人はハードロックホテルのワンブロック裏手、メインストリートのストリップから歩いて15分ほど離れた『キー・ラーゴ』という1948年に公開されたハンフリー・ボガード主演の映画と同じタイトルのホテルに泊まった。
もちろんカジノもプールも付いている、ちゃんとしたホテル。しかし一泊50ドル以下とかなりラスベガスの中では安い宿。いくら一攫千金の街だからと言えども、キチッと節約できるところは節約しないと後々後悔する。
ロスを出る前は、「たまにはパァッと」なんて消費者金融のCMのように言っていた稲田だったが、やっぱりこの辺の管理は几帳面だ。さすがA型。
しかしこんなことを稲田に言うと、「血液型を気にするのなんて日本人だけだよ」と一蹴される。しかしそれでも僕は血液型による性格の違いを密かに信じている。占い好きのO型なのだ。

「カジノ、行く?」僕は稲田に聞いた。
「いや、今日はやめとく。バスに揺られて疲れたから、もう寝ることにするよ」そう言うと、稲田はバッグの中からTシャツと短パンを取り出し、そそくさと着替えてベッドの中に潜ってしまった。
背中を向けた稲田が向こうの壁に向かって話しかける。
「明後日からグランド・サークルを巡るツアーに出かけるから、そのつもりでな」壁から反射した声に僕は驚いた。
「え? ツアー? 何だよ、それ? いつ予約したんだ? それはそうと、グランド・サークルってどこだよ?」自分でもビックリするような素っ頓狂な声で布団を被って丸くなっている稲田の背中に向かって話しかけた。
「えーっと、とにかく予約したんだ。迎えのバンがここのホテルに来るし、そのツアーの宿泊者は全員明後日の朝にここのロビーに集まるから」
何だか訳がわからない。とにかく眠いし、説明するのが面倒くさいと言ってそれ以上尋ねても稲田のいびきだけが空しく響くばかりだった。

僕は稲田のいびきから逃れるように部屋を出た。1Fのカジノに向かった。フロアの大部分を占めるスロットマシンには目もくれずにまっすぐにルーレットに向かう。スロットマシンは見てるだけで目が回るのだ。
100ドル分をチップに交換した。やっぱり無難に赤と黒のゾーンにチップを置く。過去に出た目が縦に長細い電光掲示板に映し出されている。
それをじっくりと眺めながら、僕はチップを黒に置いた。ずっと6回連続で赤だ。そろそろ黒の番だろう。
ルーレットの溝に沿ってボールが転がる。勢いがなくなってくると盤面の傾斜を滑り落ちる。いくつかの番号に弾かれながら白いボールは一つのポケットに収まった。
黒の31番だ。やった!賭けた額の2倍のチップが戻される。僕は3回連続で黒に賭け、いずれも勝った。手元には今までの倍の200ドル分のチップが置かれていた。
味を占めた僕は今度はちょっと欲張って、7~12までの6つの数字に賭けた。勝てば6倍になる。
またボールが転がり始めた。入ったスポットは「1」。負けた。置いたチップが回収される。もうあんな無茶な賭けはしないようにしようと思っても一度手元にあったチップを取り戻そうと人の本能は必死になる。
もうここからは本能と理性の戦いだ。僕はその後、2回本能のまま賭け続けて、2回とも負けた。負けるとその分を取り返そうと躍起になる。こうして人はギャンブルに嵌っていく。時既に遅し。すっかりルーレットの魔力に負けていた。
手元にあった200ドル近いチップは元の資金、100ドルに近くなってきていた。理性を失った僕はあまりにも無謀と言える賭けに出た。
もともとなくなってもいいと思ったお金だ。この際、大きく賭けてやれ。頭の中で本能に犯された悪魔が囁いた。
100ドル近いチップを半分に分け、それぞれインスピレーションで浮かんだ数字、4と12の上に置いた。当たれば36倍だ。既に理性は壊滅的に崩壊していた。

回転するルーレットの周りを運命の白いボールはゆっくりとしたスピードで回り始める。白いボールが次第に勢いを失い、2回弾かれ、数字の書いてあるスロットに落ちた。
落ちた場所は…「12」。その運命の白いボールはまさに私がチップを置いたその場所に落ちたのだ。一瞬、我が目を疑った。見間違えじゃないかと思った。でもしっかりとその白いボールは「12」のポケットに入っている。
ディーラーが笑顔で抱えきれないほどの大量のチップを僕の前に置いた。ざっと見積もっても、50ドル分の36倍、1800ドル分以上のチップが目の前に差し出された。
周りの人たちから「Congratulation!」と祝福の言葉をたくさんもらった。しかし、正直ボーッとしていてよく覚えていない。奇跡の大逆転劇だ。ラスベガスの女神が僕に微笑んだ瞬間だった。
私はその後、5回ほど遊び2勝3敗。10ドルをチップとしてディーラーに渡し、すべてのチップを換金した。手元には全部で1920ドル。
稲田の眠っている間に僕は大金を手にしたのだ。

眠らない街、ラスベガス。一攫千金が夢ではない街。僕は気持ちが高揚し、全然眠れなかった。むしろこんな大金を持ち歩くことに不安を覚える始末だった。とことん臆病者のO型である。
大自然の神秘に触れる前に、僕自身の運命の神秘が先に訪れた。僕がチップを置いたその数字は日本にいる真奈美の誕生日の日付だったのだ。そしてそれはまさに今日の日付だった。

その11に続く…。
(written by yass

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2005-03-09

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
その9
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【4月10日
自分の中で何かが芽生えてきている。それが何なのか、あまりにも混沌とした感情でよくわからないけど、なんか身体の中から湧き出るようなそんな感情だ。
マークの一言一言が今の自分には刺激になっている。「心の動力」、つまり心から何かをしたいという思い、感情だ。
『感じたままを素直に、ありのままに感じよう。きっとそれが心の動力につながるんだから』マークが教えてくれた一つの教訓だ。ありがとう、マーク。】

稲田とは2時間後にバスのチケット売り場で待ち合わせということにしてネットカフェに向かった。
あれほど毎日のようにパソコンに向かっていたのに、旅に出て以来、初めてパソコンに向かっている。不思議なもので旅に出ると日常生活が変化する。ネット中毒と言っても過言ではないくらい長い時間モニターとにらめっこしていた自分が今では嘘みたいに思えてくる。人間環境によってかなり変わるものだと痛感させられた。
久しぶりのメールチェック。なんと121件ものメールが来ていた。旅のことを聞いてくる友達からのメールがほとんどだ。後は就職先での出来事を書いてくれて状況報告してくれている友達もいる。みんなそれぞれに自分の道を歩いているのだ。
ジャンクメールはまず削除。真奈美からのメールを優先的に見る。3月17日のメールが初めのものだ。17日? 成田を出発した日だ。空港で会ってたのに何か言い忘れたことでもあったのかなと思ってメールを開いた。

「今頃飛行機の中だと思うけど、どうしても知らせたいことがあったのでメールしてます。
実は成田で隆志と別れてからすぐに稲田君からメールをもらいました。
彼は最終的にブラジルにいくつもりのようです。隆志は知らされているのかどうかわからないけど。
以下、彼からのメールです。

『実は僕にはブラジルに住む祖父がいます。
いわゆる日系ブラジル人です。
僕が日本で就活しなかった理由はここにあります。
実は僕は日本に帰るつもりはありません。
祖父の農場を手伝ってブラジルに移住する予定でいます。
僕にとってこの旅の終点はブラジルです。
隆志にはまだこのことを話してません。
そしてもし隆志さえ良ければ旅だけじゃなく一緒に農場をやってみないかと誘ってみるつもりでいます。
勝手なことばかり言ってごめんなさい。
真奈美ちゃんには「寝耳に水」でしょうね。
最終的には隆志が決めることです。
隆志の人生なんだから。
そして真奈美ちゃんにも彼が決めた人生を応援して欲しいと思ってます。
by イナダ』

私はこれを読んでびっくりしました。同時にすごく不安になりました。隆志が帰ってこなかったらどうしようってそのことばかり考えて。
隆志はちゃんと帰ってくるんだよね?
稲田君とブラジルに移住するなんて言わないよね?
これを読んだらメールください。不安です。心配です。

隆志のこと、大好きです。」

固まった。目がモニターに釘付けになってしまった。日系ブラジル人の祖父? 農場? 日本に帰るつもりはない? 稲田からは何も聞かされていなかった。これが本当だとしたら、僕はどうしようか? 稲田に直接聞いてみた方がいいだろう、そう思いネットカフェを出た。
約束の時間までにはまだ30分もある。バス乗り場のそばにあるカフェでコーヒーを飲みながらこれからの旅のことを考えた。最終的にはブラジルへ行くつもりらしい。もし俺がブラジル行きを拒んだら、稲田は何ていうだろう? ブラジルの農場、僕はそこへ行きたいのだろうか? 稲田を手伝って農場で働くことが嫌なんだろうか?
そんな想いがぐるぐると、止まることのない回転木馬のように頭の中を駆けずり回る。旅をして、いろんな人間に出会い、その人たちの人生観みたいなものを聞く。それを見つけに旅に出ている人たちもいる。そして僕もこうして旅を続けるうちにマークのような人と出会い、彼の生き様を聞き、頭じゃなく心で感じることで何か違う感情が生まれている。
「僕は、稲田と一緒に、ブラジルの農場で働きたいのか?」声に出して自分に問いかける。「わからない」それが今出せる正確な答えだ。正直いってイエスでもノーでもない。きっと以前の僕だったら即座にノーと答えていたと思う。しかし、この数日間で今までの固定観念がとても小さく、つまらないものに思えてきている。
人生においてこれが正解なんていう答えはきっと、ない、のだ。得だとか損だとか、楽だとか辛いとか、そんなことじゃなくて、もっと心の底が震えるような感覚で何かを選び取りたい、そう思うようになってきている。楽しい方を選ぶ。今の自分にはその基準が一番合っているような気がするのだ。それが今いえる一番確かなことなのだ。

隆志は席を立った。真奈美にメールを返信するために再びネットカフェへと向かう。

「元気でやってるかい? 会社はどう? 楽しい? 真奈美のことだから相変わらず優等生で働いているんだと思うけど。
僕と稲田は毎日毎日がこんなに充実しているのかというくらいに楽しい日々を送ってるよ。時間の経つのがあっという間だ。
バックパッカーって世界中にこんなにいるんだと初めは驚いたけど、気がつくと自分もその一人なんだと思って、なんだか笑っちゃいます。
そしてバックパッカーである彼らは実にさまざまな体験をしていて、話を聞くだけで楽しく、ためにもなるし、怖くもなることもあるけど、なんか前向きな気持ちにさせられるんだ。不思議だけど。
正直、今までの価値基準がもろくも崩れ去りました(笑)。
就職できなくて悩んでいたり、そのせいで真奈美に当たってしまったり、そんな自分がすごく小さい人間に思えてきて恥ずかしく思ってます。
今更ながら真奈美には謝らなくちゃいけません。ごめんね、自分のことしか考えられなくて。
いずれにしてもこれからは「楽しい」ということ、心が喜びで震えることを選んでやっていこうと思ってる。きっとそれが一番なんだと思うようになったからね。

そうそう、真奈美がくれたメール読みました。稲田のこと。
正直、稲田はまだ僕にそのことを知らせてくれてません。きっと彼なりに気を使ってるんだと思う。
彼と旅をして一つわかったことがあるんだ。ああ見えて彼はものすごく人に気を配るし、先を考えながら行動しているんだなぁってことです。
今まで見えなかった彼の良さが、この旅で一緒に行動するうちに見えてきたんだ。
そして僕は僕なりに、彼におんぶにだっこじゃなくて、自分で考えて行動しようと思うようになったし。
ブラジルの農場で働く話は、今はまだわかりません。それが正直な意見。
これからきっともっともっと素晴らしい体験をすると思います。刺激的な出来事がたくさん待っていると思うんだ。
そういうものに触れることで日々成長している気がする。だから今はまだ答えは出したくないんだ。
いずれにしても真奈美を日本に一人置いてきちゃってるわけだから、真奈美のことを考えずに結論は出さないよ。
真奈美が僕のことを好きなように、もちろん僕だって真奈美のことが好きだからね。
だから、その時が来たら、ちゃんと真奈美に相談する。それまでこの話はペンディングね。

P.S.
真奈美にもらった日記もつけてます。ありがとう。
真奈美も身体には気をつけて、あんまり無理しないで、毎日を楽しく過ごしてね。僕も真奈美に負けないよう頑張るよ。」

送信をクリックして、真奈美へ送る。何万キロも離れた場所なのに、メールは一瞬にして相手に届く。まるでドラえもんの『どこでもドア』みたいに便利だ。
グレイハウンドバスの乗り場へ向かう。稲田の姿が見えた。彼にブラジルの件を聞いてみたいと思ったが、やめた。きっとその時が来れば彼は必ず僕に話してくれるに違いない。それまで待とう。
「次はどこを目指す?」僕が稲田に尋ねると、稲田はマップを見せてくれた。いくつか印がつけてある。行く場所の候補地だろう。
「どこがいいかなぁと思ってさ、悩んでるんだよ。いきなりマークがすすめてくれたニューオリンズ行くのも飛びすぎだしなぁ」
「とりあえずアメリカなんだから、アメリカらしい雄大な自然でも見ようよ」
「よし、じゃ次はここに行こう」
「え?そこって24時間ギラギラしてて、大自然なんかないんじゃない?砂漠のど真ん中だし」
「バカだな、ここが大自然への入口なんだよ」
そう言うと稲田は二人分のチケットをさっさと買ってしまった。
「安宿とかあるのかなぁ?」
「いいじゃん。ちょっとぐらい高くたって。たまにはパァっとね」
「気前いいなぁ。大丈夫かよ?もしかしたら一攫千金もあるかも知れないしね」
乗り込んで15分もしないうちにバスは走り出した。24時間眠らない、世界的に有名なギャンブルの街から、大自然を巡る旅が始まる。
窓の外を眺めてみる。まだまだ日差しは高い。カルフォルニアの太陽が惜しげもなく光を降り注ぐ。
このバスが目的地に到着する頃には、今度は色鮮やかなネオンサインと派手な街並が僕らを迎えてくれるだろう。

その10に続く…。
(written by yass

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2005-02-23

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
その8
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【3月30日
今まであらかじめ決められた人生を歩んできた。それは自分で決めた道ではないという意味でだ。マークは僕に教えてくれた。
誰かが敷いてくれた安定したレールの上を歩くよりも、自分で選んだ険しくて危ういレールの方がはるかに充実しているってことを。
アメリカに来てわずか二週間、違う価値観が僕の中にでき始めているのがわかる。ものすごくドキドキした毎日だ。】

ディープな夜だった。
順風満帆、平穏無事なマークの人生を一変させたのは、教え子の自殺が原因だったらしい。
もともと成績はすごく優秀だったが、躁鬱が激しい生徒だったという。時々幻覚が見えたり、幻聴が聞こえたりしていたようだ。結局原因は“ドラッグ”だった。学校の彼のロッカーから注射器が発見され、麻薬中毒だったことが判明したようだ。担任であったマークは監督不行き届きの責任を問われ、また彼の親ともそのことで争うようになり裁判となり、結果、彼は家も家族も失ったらしい。
客観的に眺めればマーク一人の責任ではない。彼の親だって同等の責任はあるはずだ。しかし、今の時代、子供の教育を学校に委ね、家庭では過保護にわが子をかわいがる放任主義的な子供が増えているという。日本と一緒だ。一昔前は家も学校も教育の場だった。家では当然親が、学校では先生が親代わりとなって、悪いことをすれば殴られることもあった。
時代は変わり、学校で教師が殴ると、それは「暴力」とか「体罰」とかという言葉で責任を問われる。かといって家でしっかり教育しているかといえばそうではなく甘やかしてばかり。結果、子供は道を失い、倫理観を失い、心を失う。最悪の場合がマークのような死という形で結果が現れる。マークも被害者だ。老後の生活を楽しみにしていたマークに突然襲った悲劇だった。
親の背中を見ながら他の可能性も模索することなく教師の道を選んだ。そのレールはどこまでも続き、無事終着駅を迎えるはずだった。しかし結局マークの人生は終点を見ずして脱線した。すべてを失ったマークはその時初めて気がついたという。自分には何もないということを。
自分の生きる希望とか夢とか、可能性とか、楽しいこととか、そういうあらゆる生きるために必要な「心の動力」を持ってないことに、事件の後気がついたという。マークはそれから旅に出た。残りの人生を決して無駄にしたくないと決心し、自らの足で「心の動力」を探す旅に出たのだと彼は言った。生きている実感をこの肌で感じるために旅に出たのだと。

旅のスタイルはさまざまだ。旅に出かける理由もさまざまだ。
隆志は思った。「自分にとって、マークの言う『心の動力』って何だろう?」と。それがつまりこの旅のテーマである気がした。行き着く先はまだ見えない。しかし彼が思ったのはとにかく子供のようにピュアな好奇心を持とうということだった。既成概念にとらわれることなく、心の真ん中で感じたものを素直に感じようということだ。
その後も稲田と一緒に旅は続いた。マークの話を聞いた翌日、僕と稲田は宿を出た。どちらから言い出したわけじゃなく、ただ二人の気持ちが一致したのだ。「次に進もう」と。
まだここに残るというジャックとトニーにメールアドレスを聞き、旅の無事を祈り、ハグし部屋を出た。食堂でコーヒーを飲んでいたマークにも次に進むことを告げた。
「行き先は決めているのか?」というマークに、「まだ決めてない」と伝えると、彼はバッグから一枚の紙切れを僕らに渡してくれた。
「もし良かったらここに行ってみて」そう言って渡された紙には、ニューオリンズの宿の住所が書かれている。
「ここは?」
「俺は今回東海岸のほうからずっと南を旅してここまで来たんだ。ニューオリンズのその宿にジョンというオーナーがいる。彼はもう80を越えた爺さんだけど、一度彼と話をしてみることをオススメするよ。こんなに人生を謳歌して楽しんでいる爺さんの話は、きっと二人の人生にも参考になると思うよ。実際、この爺さんの話を聞いて、50を過ぎた俺もまだまだやれるって自信がついたからな」そういうとマークは楽しそうな声で笑った。眼鏡越しにみるマークの目は子供のようにキラキラして優しかった。
「ありがとう。じゃ、いつになるかわからないけど行ってみるよ。……マーク、メールアドレス教えて欲しいんだけど」
「メールか、俺はあんまりチェックしないからいつ返事が書けるかわからんぞ」
「ニューオリンズでジョンの話を聞いたら、その時の想いをメールするからさ」
「そうか。じゃその紙をもう一度貸してくれ」
マークはニューオリンズの宿の住所が書かれたその紙の裏側にメールアドレスを記した。
「じゃ、気をつけてな。いい旅を」
「マークもね」

宿を出ると僕らはグレイハウンドバスに乗るためにバス乗り場に向かった。
相変わらずロサンゼルスの太陽は誰にでも平等に降り注ぎ、軽い海からの風が火照った人の肌を撫でる。慣れ親しんだビーチも、毎朝通ったショッピングセンターも、ここを去ろうとする僕の目にはもう既に昔見た懐かしい風景となっていた。どうやら心はもう、次へ進んでいるようだ。
途中、ネットカフェに立ち寄り、僕も稲田もメールをチェックすることにした。
そしてそのメールで僕は稲田の真実を知り、新たな問題に直面することになる。

その9に続く…。
(written by yass

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2005-02-09

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
その7
(前回までの話は、こちら

~旅の日記~
【3月29日
人はなぜ旅をするのだろう? 旅にいったい何を求めるのだろう?
どこに向かっているのだろう? 旅の終わりに見えるモノって何?
僕にとってこの旅の目的は? 全然見えてこない。ただ時間だけが過ぎてゆく。】

ロスに着いて3日が過ぎた。ジャックとトニーに連れられてやってきた宿はベニス・ビーチが目の前に広がっている。一泊15ドルそこそこ。稲田はもちろん、ジャックとトニーも同じ部屋だ。
部屋はすべてオーシャンビュー。部屋の窓を全開にする。眺めは最高だ。まさにテレビで見たようなカルフォルニアの姿がそこにあった。
上半身裸でCDを聞きながらローラーブレードで走る男、ビキニ姿であるく女たち、波に乗るサーファー、路上のパフォーマー……。毎日が刺激的で楽しいことばかりだ。

就職活動で慣れないスーツを着て、慣れないネクタイを締め、慣れない靴を履き、慣れない言葉遣いで面接する。猫を被り、面接官の質問にはマニュアル通りの答えを返す。借りてきた笑顔を貼り付けてその場を繕う。あの頃の自分を思うと、そんな偽者の自分に吐き気がした。
そんな日々から比べればここは天国だ。籠の中の鳥が外の世界に解き放たれたような開放感に満ちている。
しかし僕の心は不安定だった。
夜眠ろうとして目を閉じる。そうすると目に見えない巨大で真っ黒な不安の塊が、海の潮が満ちてくるように、だんだんと僕の気持ちを侵食してくる。
今までとはまったく違う環境に置かれているんだ。目に映る景色も違えば、使われている言葉も、お金も違う。今まで培ってきた価値観、尺度がどんどん崩れていく。そんな不安に襲われる。こんなに自分の足元が不安定な感じがするのは初めてだった。

いったい、僕は、ここで、何をすればいいのか?

さっきからそんなことを自問自答している。自ら動かなければ何も変わらない。だけど何を、どうしていいのか、さっぱりわからないのだ。
バックパッカーの宿はすべてが自分次第。自分で料理を作り、自分で洗濯し、自分で遊びを探し出す。何もしなくてもいいし、一日忙しく動き回ってもいい。とにかくすべてが「自由」なのだ。
生まれて初めて「自由」の本当の意味を悟った。「自由」の怖さを知った。
自由、それはつまり、選択だ。何をどう選択しても自由、そしてその結果を受け入れるのはもちろん自分でしかない。すべてが自己の責任ということなのだ。
僕はまったく動けなかった。それはつまり今まで誰かを頼って生きてきたということだ。誰かの意思をまるで自分の意思だと勘違いして生きてきたのだ。
いったい自分はここで何をしたいのか、何ができるのか、を考えさせられていた。したいことと、できることは違う。しかし今の僕はその「したい」という欲望すら見えてこない。
じゃ、何ができるのか?今までぬるま湯のような大学生活で得たもの。…………。何かあっただろうか?
生活するということに関して僕はあまりにも無知である。そのことが大学生活で得た答えだった。

僕は就職ができなかったのか?いや、違う。自分で就職しないという選択をしたんだ。ただ普通に就職して、毎日毎日、満員電車に揺られて眉間にしわを寄せながら疲れた顔で通勤する。夢や希望という言葉が何だったのかということさえ思い出せなくなってしまう、そんな毎日を過ごすのが嫌だったのだ。
もちろんそんな人生にだってトピックス的に「いいこと」はある。結婚して、子供が生まれて、会社で頑張って偉そうな肩書きができて。ささやかな喜び。
でもそんな生活の果てにあるものは何なんだろう?それは自分が本当に求めるものなのか?正直言って、今の僕にはわからない。ただ漠然と本能的に拒否している自分がいる。
だからこそこうして違う道を歩きたかった。そんなレールの上を走るような人生じゃなくて、もっと心の底からワクワクドキドキするような、そんな人生を選びたかったのだ。
でもワクワクドキドキするような人生って何だろう?ただ漠然と夢を見るように抱いていたイメージがあるだけだ。それはまるで水の中で目を開けて世界を見るようにぼんやりとしたものでしかない。
そのぼんやりとしたイメージをはっきりとクリアにするためにこの旅に出たのだ。自分がやりたいこと、自分ができることをちゃんとこの手でつかむためにこの旅に出てきたのだ。
僕は気ばかりが先走り、焦っていた。

僕と稲田とジャックとトニーは、同じ部屋で過ごしているということもあって夜は必ず一緒に食事するようになっていた。昼間はみんな思い思いの行動をして、あんまり出会うこともないが、夜だけは酒を飲みながら話をし、交流を深めるようになったのだ。
そして4日目の夜、新しく同じ部屋にもう一人、新しくルームメイトが入ってきた。マークという名のそのドイツ人は、55歳を過ぎた初老の男だった。頭にはところどころ白いものが混じり、口の周りには無精ひげが生えていた。
僕らは彼も交えて食事をすることになった。ちょっとしたウェルカム・パーティーだ。僕は買ってきたバドワイザーを彼に勧めた。彼は「ありがとう」と礼をいいながら受け取り、プルトップを開けた。
みんな思い思いに彼に質問を投げかける。彼も嫌な顔一つせず、年の差も感じさせず、話をしていた。
彼はつい半年前まで教師をしていたという。お金もそこそこ貯まり、子供たちはみんな成人し、家を出てそれぞれに暮らしている。後は夫婦二人の幸せな時間が過ごせるはずだ。それなのに彼は突然教師の職を辞し、奥さんを一人残し、バックパッカーとして放浪の旅に出たのだ。
いったい彼の人生に何が起きたのか?みんなの視線は彼に集中していた。
「あんたは何で旅をしているんだい?」マークがバドワイザーを一口飲み、僕に尋ねた。
「何でかな?自分でもわからないんだ」マークの後ろの大きな彼の影を見ながら答える。
「きみはどこに行こうとしてるんだい?」また一口飲みながら彼が聞く。彼の声は僕ではない見えない誰かに話しかけるように穏やかだ。
「それもまだわからないんだ」そう答えると、マークは何度か頷いた。
「まぁ、いいさ。そう人生急ぐもんじゃない。いつか見つかるよ。本気で探しさえすればね」まるで自分の子供を諭すかのように静かな声だ。
「俺の親父も兄貴も教師だったんだ。生まれた時から教師になるって思って大きくなった。そうすることが当たり前だと思ってたからね。レールの上を走る列車みたいなもんだ。簡単なもんさ」そういうとまた一口、バドワイザーで喉を潤した。
「でもレールの上を走る列車だって脱線するんだ。それは突然やってくるんだ。にわか雨のようにね」僕はじっと彼の目を見つめ、次の言葉を待った。
彼は手にしていたバドワイザーの缶を強く握り締めた。缶はその力ですこしへこみ、形が変わった。
彼は急に視線を上げた。彼の目が僕を通り抜け中空に浮かんだ何かを見つめていた。柔らかい月明かりだけが薄暗い部屋の中を青白く照らしていた。

その8に続く…。
(written by yass

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この連載は真奈美側に視点を変えたSIDE-Bもあります。
SIDE-Bはこちら
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2005-01-26

『翼を広げて』 SIDE-A

テーマ:連載小説
その6
(前回までの話は、こちら

いつの間にか眠っていた。
夢すら見なかった。いや、見たのかもしれない。でもすっかり忘れている。
もうすぐロスに着くらしい。
聞き取れないくらい早口の英語で機内アナウンスが流れる。
「天候は晴れで、気温摂氏20度だって」隣で稲田が呟いた。
「お前、聞き取れたの?今の早口の英語」僕はびっくりした表情で稲田を覗き込んだ。
「あぁ」稲田は事も無げに言う。
「すげーな」
「そうかな?これでも一応英語だけは四年間ずっとAだったんだけど」
「……」
返す言葉が見つからなかった。いつもギリギリで単位取ってた俺にとってはこの早口の英語は辛い。
「とりあえず、稲田といれば安心ってことか」
「俺だってそんなに実践があるわけじゃないからな。期待しないでくれよ」
30分後、飛行機は無事ロサンゼルス国際空港に着陸した。

見渡すと外国人ばかりだ。しかもみんな英語を話している。当たり前だけど。
そんな当たり前のことがすごく新鮮に見える。目に映るものすべてが刺激的なのだ。
でも、ちょっと怖い。見知らぬ国の見知らぬ場所で、思ってもいなかった生活が始まろうとしている。
期待も大きい。でもそれ以上に今は不安で押しつぶされそうだ。
「あんまりおどおどした態度取るなよ。ナメられるからさ」稲田が俺に忠告した。
「だってみんなでっかい外国人ばっかりだし、英語でみんな話してるんだぜ」
「何言ってんだ、お前。当たり前じゃないかよ。ここはアメリカなんだからさ。大丈夫?ビビッてない?」
「あ、あぁ……多分、大丈夫」俺の目はさっきから泳ぎっぱなし。視点が定まらない。
「大丈夫だって。何とかなるよ。みんな同じ人間なんだからさ。別に宇宙人じゃないんだから」
稲田は俺を勇気付けるものの、俺にとってはみんな宇宙人に見える。
「とにかく、お前についていくよ。ところでどこ泊まるの?」
「まだ決めてない。これから探すんだ」
「決めてないって?どういうこと?」
「決めてないんだって、だから。バックパッカーが多く集まるベニスビーチにとりあえず行ってみようぜ」
俺は不安で仕方なかった。旅の最初からこんな出だしで大丈夫なんだろうか?捕まったりしないだろうか?
まさか殺されるなんてことないよな?いやまてよ、よく映画で見るぞ。こうやっているうちに無理やり拳銃を突きつけられて……
「何してるんだよ、いくぞ」
いろいろと頭の中で妄想していると、稲田が現実に引き戻した。
「なんとかなるって。大丈夫」
いったい稲田のこの自信はどこからくるんだろうか?不思議でたまらない。

稲田はすたすたと空港を出た。市内を走るバスで移動するという。
「あのさ、タクシーに乗った方が早いんじゃない?」
「タクシー?金かかってしょうがないよ。限られた金しかないんだからさ、バスでいいんだよ。それにバスの方が景色ゆっくり見られるし、現地の生活がわかるから」
俺の提案はあっさり却下された。
「でもバスってどのバス乗るんだ?」
「ちょっと聞いてくるから、ここで待っててくれ」
稲田はそう言って姿を消すと、十分後、背中にバックパックを背負った2人の男を引き連れて戻ってきた。
「いいところ教えてもらったよ。この人もそこに今から行くんだって。ベニスビーチにある宿らしいんだけど、これから俺たちも行くからどうだって誘われたんだ。そうそう、彼らの名前はジャックとトニー。ヒゲの方がジャック」
ジャックとトニーは俺に向かって手を差し伸べた。
「Nice to meet you. How are you?」
握手。友好のしるし。
「ハ、ハ、ハーイ!OK、アイム・OK」
「Good!」
屈託のない満面の笑顔。イノセンスな雰囲気。
「でも大丈夫なのかよ。こんなヤツらに着いて行って」
でもやっぱり不安が先立つ。
「大丈夫だって。むしろ幸先いい出足じゃないか。こうやっていきなり旅仲間が増えたんだし」
急な展開に俺はかなり焦っていた。今までの人生でこんなにドキドキしてるのは初めてだ。大丈夫なんだろうか?
「It costs only 75cents to the hostel.」
「Oh,really?」
「Yeah.」
「75セントしかかからないってよ。あとは彼らについていけば大丈夫。ついてるなぁ」
稲田は俺とは違ってかなり上機嫌だ。俺は一人、孤独を感じ始めていた。稲田との精神的距離感もあった。もちろん見知らぬ国でも不安は言うまでもない。
バスに乗り込んだ。荷物を足元に下ろす。まさに肩の荷が下りてホッとした。
「まぁ、なるようになるか」
独り言のように俺が呟いた。
「そういうこと」
稲田はどこにも不安なんかないような笑顔で応えてくれた。

こうして旅の1日目が始まった。

その7に続く…。
(written by yass

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この連載は真奈美側に視点を変えたSIDE-Bもあります。
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