京都と花と文学と -2ページ目

京都と花と文学と

京都洛北賀茂川周辺で撮影した四季折々の花の写真を,それぞれ花にまつわる文学や音楽、映画などの話を交えながら紹介します。

2017-11-24日午後4時ころ撮影 : 使用カメラ:シグマDP3

 

**************************************

 

先週の金曜日(11月24日)、ニューヨークに住んでいたころからの友人で、写真家の後藤善臣さんが、久しぶりに京都に来られたので、

琵琶湖の奥の方をドライブし、湖畔の枯れすすきや黄葉などを撮影してきました。

 

最初に訪れたのは、湖西の高島市マキノのメタセコイヤの並木道で、本格的黄葉はまだもう少し先といった感じでしたが、

500本のメタセコイヤの巨木が2,4キロにわたって連なる景観は見事でした。

 

そのあと、途中車を何度か止めて湖畔の枯れすすきを撮影、20年ほど前、「朝日グラフ」というグラビア雑誌に「日本縦断墓紀行」という連載を2年近く続けた折に、一度訪れたことのある、『伊勢物語』で知られる在五の中将、在原業平の墓のある在原という集落を訪れ、地元で採れるソバ粉を使って作ったというソバを20年ぶりにすすり、午後は余呉湖を回って、午後の4時ころ、長浜の鶏足寺という、変わった名のお寺に着き、日が暮れるまで紅葉を撮影してきました。

 

**************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年11月20日/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

**************************************

 

植物園にバラの花の撮影に行き、入園しようとしたときに、女性の声で「あら!、虹が!」という声がしたので、

振り返って空を見上げたら、東の空に虹がかかっていました。雲が虹の橋立てのほとんどを蔽っていて、

右側の足もとしか見えていなかったのですが、晩秋のこの時期の虹は珍しい気がしたので、カメラに収めてきました。

 

京都は、夕日がほとんど出ない代わりに、虹が比較的よく出る所なのですが、虹が出ていることに

気づくのは、大体が車を円転しているときで、あわてて車を路傍に止めて、カメラをバッグから撮りだして、

いざ、撮影というときには、もう消えているということがほとんど。

 

今回、初めてまともに撮れた感じで、満足満足です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-15/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

 

************************************

 

西賀茂の神光院の境内に咲く山茶花の花の画像を見ていただきます。

 

山茶花は、俳句をたしなむ私の母が好きだった花で、毎年、この時期から

散歩に出る折に、家の近所に咲くこの花を見ては、俳句に詠んでいました。

 

母が常々言っていたように、花は全て白がよく、山茶花も白に淡くピンの縁取りが入った

花が、見た目にもよく、カメラに撮っても清楚な感じが出ていいものです。

 

アジサイもそうですが、枝もたわわにと言った感じで、ピンク系の色合いの

花がたくさん咲いてるのは、みだりがましく、うるさく、はしたない感じがして、いいものではありません。

 

というわけで、今回は、白と淡いピンク系の色合いの山茶花の花を、一輪だけ撮った画像を見ていただきます。

 

いずれもシグマのDP3 Quattro で撮影したものです。

 

 

************************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-10、西賀茂神光院にて撮影/使用カメラ:シグマDP3  Quattro

 

*************************************

 

京都洛北の山間のすそ野に建つ寺々の楓の紅葉は、例年ですと11月の15日前後から色づき始め、

末から12月の初旬にかけてピークを迎えるのですが、今年は、9月、10月と雨が多く降り、気温の下がるのが

早かったせいか、いつもより2週間くらい色づくのが早く、鷹が峰の吟松寺や西賀茂の神光院などの楓は、

すでに、6、7分色づて来ています。

 

去年の11月は、慶應義塾大学で「永井荷風と慶應義塾」の講演があったり、その前後に、現在、集英社の

ウエブ・マガジンで連載中の「慶應義塾大学文学科教授・永井荷風」の資料集めや取材の仕事のため、しばらく

東京に滞在していたこともあり、京都洛北の紅葉の撮影があまりできなかったので、今年は早めに出動と、

11月に入ってから、結構早めに、吟松寺とか将山リゾート、神光院、西芳寺、小谷の墓地などに足を運び、

秋の深まりとともに、彩を赤く染めていく楓の葉を撮影しています。

 

というわけで、今回は、神光院の楓の紅葉を見ていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-10-20/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

**************************************************

 

酔芙蓉の花は、9月の初めころから咲き始め、11月の初めくらいまで、

結構長く咲き続け、目を楽しませてくれます。

 

この花の魅力は二つ。一つは、あの独特のシュークリームのようなフンワリとした花の姿で、

もう一つは、朝は純白、お昼近くにはほろ酔い加減のあわいピンク色、

そして夕方には「酩酊」といった感じのピンク色にと、色合いを変えていくことです。

 

今年も、9月の初めから、10月の末までずっと撮り続け、相当数の画像がたまっているのですが、

まだ一度もアップしてないので、少し時期が遅れた感じですが、見ていただきたく思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-8午前11時ころ/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

 

鷹が峰の光悦寺は紅葉の名所として知られ、毎年この時期になると観光客が押しかけてきて、

とてもゆっくり紅葉を鑑賞する気持ちになれないのですが、光悦寺の前の道をさらに西に進み、

車で降りるのが怖いような急な坂を下りると、紙屋川の渓谷の東側を、南北に細い山道が

延びています。

 

その道を左に、ということは南に金閣寺に向かって、途中、京都随一の知られざる紅葉の名所

吟松寺を右に見てしばらく進むと、左手に、「将山リゾート」という名のリゾート・プレイスが出てきます。

 

神屋川の渓谷美を生かして造成された自然光の中に西洋風のホテルや結婚式用の白亜のチャペル、懐石料理屋、

ボーリング場、水泳プールなどのリゾート施設が広がっています。

 

このボーリング場の左手前、白いチャペルを見晴らす形で、眼下に紙屋川を見下ろす西洋風のテラスが広がり、

ボーリング場に接してガラス窓を大きくとったカフェがあります。

 

このカフェの屋外テーブルに座り、コーヒーを飲みながら、四季折々の樹木の葉や鉢植えの花々の色合いの

変化を愛でていると、ヨーロッパ、それもスイスあたりの山間のリゾート・ホテルにいるような気がして、

私にとっては無上の幸福の時の流れに心身を浸すことのできる場となっています。

 

さて、今年は楓や銀杏、桜の木などの紅葉が例年よりかなり早い感じなので、紙屋川渓谷の紅葉もそろそろかと

思い、昨日のお昼前、このカフェのテラスの上から撮った紅葉の、まさに目にも彩なる裾模様を見ていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-10-23/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

 

10月の末、台風が去っていった朝、府立植物園にバラの花の写真を撮りに行ったら、

バラ園の手前に、ポールからポールに張り渡された細い鉄線に朝顔が絡まって、

もつれあうように、色鮮やかに咲いていました。

 

その花がどれも、台風の大風と大雨にもみくちゃにされ、しおれ切った様子で

頭を垂れ、それでも妙に生々しい色合いで、妍を競いあっていました。

 

朝顔の花は、きれいに咲いているときは、写真に撮っても面白くないのですが、

こんな風にしおれ、崩れてくると、妙に生めいて、「衰残のエロティシズム」とでも言うべき

者が出てきて、目を惹きつけられます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-11-6/使用カメラ:シグマDP3 Quattro

 

************************************

 

私の家から車で10分ほど西に走ったところの西賀茂の山間のすそ野に、

上賀茂神社系の神官とその家族の墓が多く建つ墓地が広がっています。

 

小谷墓地と呼ばれるその墓地の手前と、少し奥に入ったところに二つ、

小さな古池があります。

 

その奥の方の古池のかたわらに大きな柿の木が、枝葉を池を覆うようにして茂らせていて、

毎年、秋のこの時期、美しく黄葉した葉が、池の表面を覆いつくすように散り敷き、

それは美しい錦のような模様を描いて、目を楽しませてくれます。

 

ただ、昨日、もうそろそろと足を運んだところ、まだ黄葉がそれ程進んでなく、池の表に散り敷く落ち葉も

まばらで、残念ながらそれほど見栄えがしていませんでした。

 

ですが、池の端の隅に、きれいに黄葉した落ち葉が何とも言えずに趣のある風情で、

3枚、4枚と浮かんでいたので、それを撮影してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-10-23/午前9時ころ/使用カメラ : シグマ DP3  Quattro

 

*************************************

 

台風一過、大原に咲くコスモスのシリーズ「美は敗残にあり」の(3)として、細い茎の上に

一つだけ、雨に濡れて咲き残ったコスモスの花の画像を見ていただきます。

 

夜を徹して激しい雨、風と戦い、かろうじて生き残ったコスモの雨に濡れ、やつれ切ったかんばせに、それでも宿る「敗残の美」とでも呼ぶべき凛然とした美しさを愛でてあげてください。

 

ところで、今回見ていただいているコスモスの画像を、私がニューヨークに住んでいたころからの友人で、プロのカメラマンのGさんに送ったところ、「コスモスの写真、 シャワーに濡れて薄着がぴったりと肌に引っ付いた女性のようななまめかしさがあるのですが、、、」というコメントが返ってきました。

 

それに対して、私の方から送り返したのが、以下のようなメールです

 

 この間、大原で撮影した「美は敗残にあり」のコスモスの画像について、「シャワーに濡れて薄着がぴったりと肌に引っ付いた女性のようななまめかしさがあるのですが、、、」というコメント、エロス大好きの貴兄らしいというか、小生もエロス大好きでは、人に引けを取らない人間ですが、そこまでは頭の中になかった。

 

 あの日、雨に濡れながらコスモスを撮影し、家に帰って、パソコンに画像を取り込み、一つひとつの画像を編集し、最終的に作品に仕上げていくまで、そして出来上がった作品から特に美しく仕上がった画像を20ほど選び、貴兄に送り、それに対して「コスモスの写真、シャワーに濡れて薄着がぴったりと肌に引っ付いた女性のようななまめかしさがあるのですが、、、」というコメントが返ってくるまで、小生は、小生のなかでエロスへの情動が発動していたことに全く気付いていませんでした。

 

 ただしかし、考えてみれば、「美は敗残にあり」の「美」には、当然エロスも入っているわけで、台風の余韻が残るあの日の朝、雨に濡れながら、コスモスの花を撮影する小生の中の奥深い深層で、ほとんど無意識のレベルで、エロスへの欲情が発動していたということなのでしょう。

 

 貴兄からそう指摘されてみて、初めて小生は、自分の内部の奥深いところで、あれらの大風、大雨との戦いを戦い抜いて生き残ったコスモスの敗残というか、老残の姿に「欲情」し、エロスを発動させていたことに気づきました。

 

 あれらの台風に痛めつけられ花弁が透けたようになったコスモスに、濡れた女性の「薄衣」をイメージし、さらにもう一歩突っ込んで、正に敗残というか、老残というか、衰えやつれたコスモスの花に欲情する小生の内部で、ひそかに発動していたエロスを読み取った貴兄は、さすがに写真のプロですね


ところで、小生は、一か月ほど前の9月29日に、75歳の誕生日を迎えました。それでも、花に「欲情」する自分がいることを、貴兄に指摘され、驚き、かつ嬉しく思った次第です。

 

そうなのです、ここではっきり告白しておくと、私は、花に「欲情」しながら花の写真を撮っているのです。いえ、花だけではありません、文学批評や映画批評を書いているときも、私は常に書く対象に「欲情」しながら書いてきたし、今も書いている。花を撮ることであれ、永井荷風や夏目漱石、森鷗外の文学について、あるいは小津安二郎の映画や小津映画における原節子や笠智衆について書くことであれ、私の行為や思考の対象となるものに対して、「欲情」しなくなったとき、私の人生は終わったことになる……そう思っています。

その意味で、私は、花の写真を撮ることであれ、本を読み、文章を書くことであれ、対象(私の外側にある世界)に「欲情」している自分を確認するために、つまりは人間として「生きている」ことを感知し、自覚するために花を撮り、文章を書いていることになります。

Gさんのコメントは、そのことを改めて気づかせてくれました

 

***************************************
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017-10-23/午前9時頃/シグマDP3 Quattroで撮影

 

*************************************

 

10月23日朝、台風が去って行ったあと、それでも雨降る中、雨に濡れて咲くコスモスの画像の(2)を

見ていただきます。

 

今回は、前回よりコスモスからさらに離れて撮った画像です。

 

*************************************