京都と花と文学と -3ページ目

京都と花と文学と

京都洛北賀茂川周辺で撮影した四季折々の花の写真を,それぞれ花にまつわる文学や音楽、映画などの話を交えながら紹介します。

 

 

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夏が去り、秋が来て、秋も深まり、紅葉の次節を迎えようとしている京都から、久しぶりの更新です。

 

この間、数は少ないものの、毎日必ず何人かの人が、このギャラリーを見に来ていただいており、感謝に堪えません。

 

さて、今回から、ブログのタイトルを「一日一花-京都洛北花暦」に変え、毎日一回、季節の花のベスト・ショットを一つか二つ見ていただくことにします。

 

これまでは、季節を代表する花の画像で、ベストと思われるものを10~12、3枚、多い時で月に4~5回、少ない時で1~2回のペースで更新してきましたが、それだとどうしても、重い感じになって、つい更新がおっくうになってきて、間が長く開いてしまうことになってしまっていたのですが、今回からは、もう少しフットワークを軽くし、日めくりカレンダーのように、一日一花、Today's  Chatchということで、その日撮りたての花の画像を見てもらおうという趣向です。

 

どこまで続けられるかわかりませんが、このやり方だと、そんなに時間がかからず、更新が容易なので、続けられるのではないかと思っています。

 

というわけで、今日は、少し前の画像になりますが、衆議院選挙が行われた先月22日の翌朝、雨降る大原で撮ってきたコスモスの画像を、「美は敗残にあり」というタイトルで見ていただきます。

 

あの日は、前日の夕方ごろから、京都は台風圏に入り、一晩中、猛烈な雨が降り、大地を揺るがし、樹木をなぎ倒す強風に襲われました。それでも、翌朝になると、風は収まったのですが、雨はまだ激しく降り続いていました。

 

それでも、台風とかで大風が吹いたり、大雨が降った後は、コスモスの花が美しく撮れることが分かっていたので、車で大原まで飛ばし、雨傘を指しながら、風と雨に翻弄され、疲れ、消耗しきったという感じのコスモスの花を撮影してきました。

 

すでに10月の末近く、コスモスのシーズンは終わりを告げ、小ぶりの花が、それもまばらに咲いているだけなのですが、雨に打たれ、風に吹きまくられ、コスモス畑は無残・狼藉を極め、かろうじて咲き残っているコスモスの花は、どれも痛々しく傷つき、正に戦いに敗れた敗残兵のように、悄然として雨に打たれていました。ですが、その姿には、まぎれもなく「敗者の美」のようなものが宿っていて、心打たれました。

そんなコスモスの画像を何回かに分けてアップしたく思いますので、窶れはてたコスモスの立ち姿や表情に「敗残の美学」といったものを感じ取っていただければ幸いです。

 

ちなみに、 どの画像も、カメラはシグマのDP3 Quatttroで撮影したものです

 

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      花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                           正岡子規

 

 

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ここにアップされている画像は、オリジナルの画像サイズよりは、相当程度縮小されているため、細部の再現や色合いなどに不十分な点があります。

 

よりオリジナルなイメージに近い画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。ギャラリーに入った状態で、〈  〉印をクリックすると次の画面に進んだり、前野画面に戻ったりすうることができます。 


ギャラリーに入ると、キャプションが消えて、読むことができません。画像にキャプションが付いているものは、キャプションを読んだうえで、ギャラリーに入り画像を鑑賞してください。

 

なお、本ブログとは別にもう一つFC2の

 

      「子規 折々の草花写真帖」  

      http://donta71.blog.fc2.com/
 

というブログでも花の写真を紹介しています。

 

本ブログと内容的に同じものと違うものとがありますが、ギャラリーの背景が白いフレームになってるので、画像が一層クリアーで見やすく、画像のサイズも大きいので、オリジナルの画像により近い画像でお楽しみになれます。ぜひのぞいてみてください!

 

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暑い日が続いておりますが、皆様お元気ですか。

ここ京都では、お盆の前から気温が幾分下がり、夏の峠は越えたかなという感じがしていたのですが、このところ暑さがぶり返し、連日、日中は36度を越える暑い日が続いています。

さて、暑さ疲れというわけではないのですが、本業の方に追われていて、画像の更新ができない状態が続いていて、申し訳ありません。

昨日、現在朝日新聞のウェブ・マガジン「RONZA(論座)」に連載中の「追悼原節子」の20回目の原稿を完成、編集部に送信して、少し時間ができたので、久しぶりに更新したく思います。

 

なおまた、集英社の「ウェブ新書」で連載中の「慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風」の方も、

第6章まで書き進んでいて、荷風が1910(明治43)年4月、慶応義塾の文学科教授に招聘された経緯について書き進めているところなので、興味のある方は読んでみてください。

 

さて、前から買いたいと思っていた、シグマのDP3 Quatroを遂に買ってしまいました。

 

御存じのことと思いますが、このカメラは、横長の独特のデザインのカメラで、総画素数が3,300万、

有効画素数が2,900万で、F値が2.0、焦点距離が77センチの単焦点カメラで、現在使っているDP2xより、花や木の葉がよりアップした感じで、しかも驚くほど、精密に撮れます。
 
     
         
     

 

特に驚嘆させられたのは、真っ赤や真っ白の花で、花弁の数が多く、襞や奥行の深い花(たとえばバラとか今咲いている百日紅など)を撮影すると、これまで使ってきたリコー、キャノン、オリンパス、パナソニック、富士フィルムなど、どのメーカーのカメラで撮っても、赤一色、白一色につぶれてしまい、花が平面的イメージでしか撮れなかったのが、このカメラで撮ると、ものの見事に陰翳や襞の深さ、色合いの微妙な変化が再現され、花が浮き立って撮れること。

 

つまり、本来2次平面の写真画像を、3次元の立体画像に解放した画期的カメラということになります。

 
さらに加えて、背景のボケの美しさと空の描写のリアルさも、特筆もの。シャープで精緻でありながら、花本来の優しと気品をものの見事に表現してくれるので、撮った画像を編集して、出来上がった画像を見ては、「ワオ!」と、感嘆の声を上げています。
 
撮れた画像の美しさだけでなく、カメラのボディのスタイルも斬新、シャープ、かつ気品があって、気にいってます。別売のフードを取り付けると、高級な一眼レフに見え、久しぶりに、一眼レフを手にして撮影している気分を味わっています。
 
実際にカメラを手に持ってみると、思っていた以上に重いのですが、いかにも本物のカメラを持ったという充実感がして、にぎり心地も手のひらにぴったり収まって、文句なしですね。
 
実は、このブログ、画像を入れるフレームが小さすぎて、少し距離を取って、シグマのカメラで撮った桜や梅、楓の紅葉の画像や風景画像は、本来の画像の持ち味が全然再現できないので、そろそろ閉鎖しようかと思っていたのですが、新しいカメラを手に入れ、一層素晴らしい画像が撮れるようになったので、もうしばらく続けたく思っています。
 
ただ、遠景写真は、このブログのフレームではオリジナルの写真が持つ、シャープさや凄みが伝わらないのでやめにして、四季折々の花のアップした画像を中心に紹介していきたく思います。
 
今回、最初に見ていただくのは、8月のお盆過ぎ、36度の炎天下の中、府立植物園で撮影した花々の画像です。
 
鮮やかな色調とシャープな細部の描写、そして3次元的イメージによって再現される花々の、気品にあふれた美しさを味わってください。

 

 
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      花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                           正岡子規
 

 

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ここにアップされている画像は、フレームの関係で右端が5センチほどカットされていす。 オリジナルの画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。〈 印をクリックすると次の画面に進むことができます。 


ギャラリーに入ると、キャプションが消えて、読むことができません。画像にキャプションが付いているものは、キャプションを読んだうえで、ギャラリーに入り画像を鑑賞してください。

 

なお、本ブログとは別にもう一つFC2の

 

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      http://donta71.blog.fc2.com/
 

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芥子(ポピー)の花は、これまでにナガミヒナゲシとアイルランド・ポピーを紹介してきましたが、見た目にも、写真にとっても、鮮やかに美しいという点では、虞美人草(ポピー)花が、ナンバーワンだと思います。

この花が、見た目にも、写真に撮って見た目にも、美しく見えるのは、花弁が和紙のように薄く、透明感があることと、基本的には4弁で、咲き姿がシンプルで、清楚であり、しかも、色合いが、赤、ピンク、オレンジ、薄紫、白と変化に富み、水彩絵の具のように、清楚な透明感があるからだと思います。

確かに、地中海のシチリア島から渡来したナガミヒナゲシは、写真に撮ると千変万化、素晴らしく美しく、妖艶に変身して見せてくれます。しかし、道端に咲いている姿は、見た目にはどうということのない花です。ですが、カメラの中での変身度では、この花はナンバーワンだと言っていいと思います。

一方、植物園とかで、よく大量に咲かせているアイルランド・ポピーは、花柄が大きく、派手で、見た目にはこの花が一番綺麗に見えますが、写真に撮ってみると、色合いが派手で、どぎつ過ぎて、花本来の美の範疇には届かない。ですが、色々撮影の仕方を工夫し、パソコン上で編集を加え、花が本来持つ毒々しさを逆に強調し、前面に押し出すようにすると、なんとも言えない、ボードレールの詩集のタイトル「悪の華」のイメージそのものの、毒々しく、頽廃的で、魔性的な姿に変身し、そこにもう一つの背徳的な美の世界を開き見せてくれます。

アイルランド・ポピーの花は、又いずれ、ここで見てもらうこととして、今回は、よく晴れた初夏の太陽の光の下で、清楚にして、けざやかに咲く虞美人草の花の美しさを味わっていただきたく思います。

 

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       花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                     正岡子規
 

 

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ここにアップされている画像は、フレームの関係で右端が5センチほどカットされていす。 オリジナルの画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。〈 印をクリックすると次の画面に進むことができます。 


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4月の半ばあたりから6月にかけて、道路の脇や畑の畔、農家の庭先などに、細く伸びた茎の先に、諷つり合わないほど大きく、可憐なオレンジ色の花を咲かせるナガミヒナゲシは、見た目にはどうということのない野草の花と言った感じですが、不思議な魅力を持っていて、もう10年位前から、毎年この時期、家の周辺でカメラに収めて来ましたが、いつも新しい発見があって、一向に飽きません。

 

この花の魅力の第一は、カメラのレンズの中で信じられないほど大胆、かつ妖艶に変死して見せてくれること。花弁の数が少なく、透けた和紙のように薄く、形ががシンプルなせいで、その時々の咲き加減や光の加減、背景の明暗等々、様々な要因が重なって、この花の変身のドラマが可能にされているということなのでしょう。

しかも、つぼみが開きかえた時から、平たく開き切った時、風に揺られて一枚一枚散り落ちていく風情、最後に、すべて散り切って、細く伸びた茎の天辺にヒットすだけ残る、「蟻さんの展望台」と私が呼んでいる、なんとも奇妙でユーモラスな形の種……と、花の生涯の一つひとつのステージで、見どころを用意してくれる・・・・・・それが、この花の魅力の源泉なのだろうと思います。

 

さらにもう一つ、この花が持つ不思議な習性は、同じ土地に花を咲かっせるのを嫌うせいか、今年、ここの畑の隅に咲いていたからと言って、来年、そこに花を咲かせる保証はないということ。つまり、地中海のシチリア港から貨物船で運ばれる貨物に付着した種が横浜とか神戸、長崎の港で日本に上陸し、貨物トラックに乗って、日本各地に運ばれ、花を咲かせてきたのも、この花が持つ、故郷から離れて遠くへ、遠くへ行こうとする「遠心」志向によるものではないかということです。

 

一昨年のこの時期、賀茂川の土手下の畑の脇に、この花の白い花が咲いていて、それはえも言われぬ優美な姿を見せてくれていたのですが、昨年、今年と楽しみにしていたのに、まったく姿を見せてくれていません。その意味で、一度出会っても、また出会えるという保証のない、不思議な幻の花でもあるのです。

 

さて、今年の春は、全体的に花数が少なく、何となく寂しげに咲いている感じですが、西賀茂の小谷の墓地の脇、勇気を浴びて、さながらオレンジの衣装をまとい、スペインの舞姫のように、け座やカニ、そして優美に群舞する姿が、綺麗に撮れたのでいくつかご覧になって頂きます。

 

カメラは、いずれもシグマのDP2の単焦点カメラです。

 

お楽しみください。

 

 

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       花は我が世界にして

 

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                     正岡子規
 

 

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ここにアップされている画像は、フレームの関係で右端が5センチほどカットされていす。 オリジナルの画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。〈 印をクリックすると次の画面に進むことができます。 


ギャラリーに入ると、キャプションが消えて、読むことができません。画像にキャプションが付いているものは、キャプションを読んだうえで、ギャラリーに入り画像を鑑賞してください。

 

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今年の4月は雨天や曇天続きだったせいで、晴れた日の桜がほとんど撮れませんでした。

それでも5月の連休が近づいてきて、お天気がようやく回復し、周囲の山々の新緑が、燃え上がるように緑の光を氾濫させるようになりました。

 

4月の末、連休前の空がすっきりと青く澄み渡った日のお昼前、大原で新緑に燃える山々を撮影してきましたので、その画像を見ていただきます。

 

今回紹介する大原の緑色が氾濫する山々の画像をご覧になって、「これが、京都の山?」と、驚かれる方も少なくないと思います。なぜなら、日本画であれ、洋画であれ、あるいは写真であれ、明治以降に描かれたり、写されたした京都の山の画像のほとんどは、暗く、深い緑色の北山杉で覆われていて、それが京都の山のイメージとして、一般に定着しているからなのですね。

 

しかし、京都の山々も、元々は春になる萌黄色の若葉で、夏になると明るい緑で、そして秋になると、黄色や赤の紅葉へと彩りを変えていく、落葉樹の葉で覆われていたのです。

 

つまり、童謡の「紅葉」の歌詞に、

 

  秋の夕日に照る山もみじ
  濃いも薄いも数ある中に
  松をいろどる楓(かえで)や蔦(つた)は
  山のふもとの裾模樣(すそもよう)

 

とあるように、京都洛北の山々は、かつては、楓や桜、ケヤキ、ブナ、楡など、秋になると黄色やオレンジ、赤に変色する楓や桜、ケヤキ、蔦、ニレ、ブナなどの落葉樹で覆われ、山々の麓は「裾模様」を描いていました。

 

ところが、戦後、住宅建材、特に近代数寄屋建築用の建材として、北山杉の需要が急速に高まった結果、京都北部の山々に北山杉の植林が進んだ結果、山々の景観は一変。暗く、ダーク・グリーンの色合いで覆われ尽くし、かってのように種類の違う落葉樹の葉の色合いの違いによる、正に色彩の交響曲とでもいうべき、絢爛豪華な紅葉の景観や四季折々の色合いの変化が、楽しめなくなってしまったのです。

 

ところが、今回、私が撮影した大原の山は、北山杉がほとんど植樹されておらず、落葉樹で覆われているため、実に多彩な緑の色合いの変化が楽しめ、まさに「緑の交響曲」と言った、絢爛たる景観が展開されていました。

 

ちなみに、今回撮影した場所は、柴漬けなどで有名な土井漬物店の駐車場の向こう側に広がる紫蘇畑で、高野川の向こう側の山々を、シグマのDP2xで撮影しました。

 

陽気が、4月の末になってようやく暖かくなり、空が綺麗に晴れるようななったせいでしょうか、柴漬けを買いに来た人で、駐車場も店の中もにぎわっていましたが、山々の新緑の景観に目をやる人は一人もいなく、緑はただいたずらに氾濫するといった感じでした。

 

 

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       花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                     正岡子規
 

 

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明日から5月だというのに、まだ暖房を入れて仕事をしています。

 
兎に角、今年の京都の春の天気は異常続きで、3月の末から寒い日が続き、そのせいで桜の花は例年より
1週間くらい遅れて開花、花が咲き出したなと思ったら、今度は、連日雨続きで、空がカラリと晴れて、
花見を楽しめた日は一日もなかった感じです。
 
ただ、よく晴れた日に満開の桜を撮影しても、どんなにきれいに撮れても、写真としては面白みというか、風情のある写真が撮れません。むしろ、雨がかなり激しく降り、風が吹いているような日に撮った桜の方が、深みがあり、風情のある画像が撮れる。その意味で、桜の花が満開の時に、雨が降ってくれるのは、私としては大歓迎なのですが。
 
というわけで、今年の春は、観光ポスターや写真雑誌や新聞のフォト・コンテストによく入選しているような、よく晴れた日に撮ったドンピシャの満開の画像は一枚も撮れず、もっぱら雨に濡れる桜、それも枝垂れ桜に狙い絞って撮影したような次第です。
 
というわけで雨に濡れる桜の画像から、中京区七本松の日蓮宗の本山、立本寺の本堂前、春雨に濡れる枝垂れ桜の画像をいくつか見ていただきます。
 
 
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        花は我が世界にして

 

                   草花は我が命なり              

 

                        正岡子規
 

 

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今年は、桜の開花が例年よりかなり遅いようで、賀茂川堤防の染井吉野の桜並木も、一向蕾が開く気配がないので、府立植物園の桜園はどうだろうかと、昨日(3月30日)、自転車で行ってみたところ、ここも、ところどころ早咲きの桜が咲いているだけで、つぼみがようやく少し膨らみかけたと言った感じで、本格的開花は、あと10日くらい先のことになりそうです。

 

ただ、そのかわり、梅林の花が今が全開といった感じで咲き残っていたので、梅に切り替えて、地面にしゃがみ込むようにして、ロー・アングルで撮っていたら、向こうの方で、真っ白なものがフワリフワリ、妖精のように動くのが見えるので、何だろうと思って、近づいてみたら、純白のウェディング・ドレスを着た花嫁さんが、写真を撮りに来ていて、カメラマンが色々ポーズに注文を付けて撮っていたのでした。

 

春まだ早いこの時期、両肩をむき出しにして、透き通るような純白のウェディング・ドレスで身を包んだ花嫁さんは、見ていてちょっと痛々しいような感じでしたが、花嫁さんと梅林という取り合わせが、そう滅多にあることではないでの、後ろの方からこっそり撮らせてもらいました。

 

花嫁に幸あれ!

 

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       花は我が世界にして

 

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                     正岡子規
 

 

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昨年11月末から、集英社のウェブ・マガジンで連載予定の「慶應義塾大学文学部教授・永井荷風-知られざるもう一つの顔」の原稿作成のため、関連資料の読み込みに没頭し、年末・年始の休暇も返上で、第一回目の原稿「はじめに」の作成に取り組み、連休明けにようやく25枚の原稿を完成させ、そのあとすぐに2回目の原稿「第一章:福沢諭吉―慶応モダニズムの泉源」の作成に取り掛かり、三日前に35枚の原稿が完成、集英社の担当編集者に送信しようやく一息つけるようになりました。

一回目の原稿「はじめに」は、今月17日にアップされているので、以下のYRLをコピー&ペイストして、アクセスしてください。

 
 http://shinsho.shueisha.co.jp/column/nagaikafu/001/

 

ちなみに、2回目の「第一章:福沢諭吉―慶応モダニズムの泉源」は、明日(2月1日)の夜、アップされる予定です。

 

さて、ご存知の方もおられることかと思いますが、国家の権力が個人の主権を圧倒的に凌駕し、国民は天皇の赤子と位置付けられ、国民は、軍の命令、ということは天皇の命令一つで、銃弾飛び交う戦場に駆り出され、天皇のために闘い、死ぬことが義務付けられていた時代にあって、永井荷風は、断固として個人の存在の尊厳性を死守し、『断腸亭日乗』という密室的書記空間にあって、徹底的に政府や軍部と対峙し、その横暴を批判し、指弾し通したほとんどただ一人の文学者でした。

昨年が夏目漱石没後100周年であり、今年が生誕150周年ということで、全国各地で、漱石フィーバーと言っていいほど、漱石文学に関連したイベントが頻繁に開かれ、新聞やテレビなどのメディアも漱石文学をフューチャーした番組や記事をこれでもか、これでもかとばかり垂れ流し続けており、「もういい加減にしてくれ!」、「漱石だけが日本の文学者じゃないんだよ!」と憎まれ口も叩きたくなるような、およそ非文学的な異常事態が続いていて、正直に言ってうんざりさせられています。

 

こうした中で、安倍内閣と自民党が、憲法を書き換えて、個人に対する国家の絶対的優越性を憲法によって認めさせようとしている状況を見るにつけ、私は、永井荷風の文学は、今こそ読み返されなければならない文学であると考えています。

しかし、永井荷風の文学は、今、ほとんど読まれていないし、読まれていても都市遊歩文学としてのエッセイとか大正・昭和期の風俗史、あるいは荷風という一風変わった、t私生活者の生活記録としての『断腸亭日乗』くらいのもので、『濹東綺譚』を唯一の例外として、荷風文学の神髄。あるいは真骨頂と言っていい、昭和初期に連続して書かれた「性」を主題とした『つゆのあとさき』、『日かげの女』、『踊子』、『問わずがたり』、『浮沈』、『裸体』といった小説はほとんど読まれていない。それだけでなく、それらの小説を読んで荷風文学の本質を論ずる評論、批評の類もほとんど出てこない。

そうした意味で、私は、夏目漱石は、日本の近代文学者の中で、最も過大に評価され過ぎてきた文学者であり、永井荷風は最も過小にしか評価されてこなかった文学者であると考えています。なぜ、荷風は、読まれないのか、なぜ荷風は過小にしか評価されないのか?


理由は、荷風が、時代とか社会に背を向けた、一種の隠遁文学者であり、かつ稀代の好色文学者であると、誤解されてきたから。しかし、『断腸亭日乗』を読めば分かる通り、荷風ほど社会に関心を注ぎ、政治の在り方に警鐘を鳴らし、政治家の腐敗や軍部の専断横行を批判した文学者はいなかった。
そしてまた、昭和5年に書かれながら、原稿の所在が分からなくなり、戦後しばらくして、ある
古本市で、原稿の写真版が発見され、ようやく活字化されたという、数奇な運命を持つ短編で、「性」の小説家永井荷風の「性的人間宣言」の書といってもいい『夢』に始まり、『つゆのあとさき』、『日かげの女』、『濹東綺譚』、『踊子』、『問わずがたり』、『浮沈』、『裸体』とつながる一連の「性」を主題とした小説を読めば明らかなとおり、永井荷風は、フランスのエロスの哲学者バタイユが言うような意味において、男と女の性的対関係性によって、国家や戦争と対峙し、戦ったほとんどただ一人の文学者であると言っていい。

 

そうした意味でも、永井荷風は言葉によって「闘う」文学者であった。永井荷風の文学を、「世捨て人」の好色文学としてではなく、「性」によって国家と「闘った人」の文学として、今こそ読みなおさなければならない理由がそこにあると思います。

そのためには、荷風を巡る反社会的、反時代的好色文学者という偏見をまず是正する必要がある。今回、私が、「慶應義塾大学文学部教授・永井荷風-知られざるもう一つの顔」というタイトルの新書を、今年の11月の末に集英社から刊行するために連載を始めたのも、永井荷風の世間一般の荷風に対する偏見、あるいは間違ったイメージを是正し、国家や戦争、社会と批判的に向き合った、ほとんどただ一人の近代文学者であると言っていい荷風の真面目を回復する
必要があると思ったからであります。

 

さてそれでは、永井荷風は、慶應義塾大学教授として、6年間、三田のキャンパスでフランス文学や文学理論を教えることで、日本近代文学の展開に対して何を残したのか、詳しくは次回に。

 

さて、写真の方ですが、前回見ていただいた全国女子駅伝の写真を撮影した後、雪の降る中、車を広沢の池まで走らせ、池の西側に広がる嵯峨野の雪景色を撮影してきたので、今年最初の雪の写真として見ていただきたく思います。


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       花は我が世界にして

 

                  草花は我が命なり              

 

             正岡子規
 

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一年中で一番寒い時節が続いていますが、みな様、お変わりなくお過ごしのことと思います。

 

京都は、昨日の朝から雪が降り出し、昼間は降ったりやんだりしていたのが、

夜になって本格的に降りだし、今朝起きて外を見たら、20センチくらい積もっていました。
 
雪は、今日も夕方まで降ったりやんだりしていましたが、夜になっておさまったようです。
 
というわけで、お昼過ぎに、嵯峨野の広沢の池に雪見に行こうと、ワイフとワンちゃんを乗せて、車を西に向かって走らせ、北大路から西大路にさしかかったところで、通行規制に会い、車を止めさせられてしまいました。
 
何だろうと思って、規制に立っている警察官に聞いてみたら、全国女子駅伝の選手がまもなく接近してくるからとのこと。
 
仕方なく、近所のドラッグ・ストアーの駐車場に車を止め、沿道に立って待つことしばし。やがて降りしきる雪の中、赤いシャツにブルーのパンツの選手が近づいてきました。隣に立っていたおじさんに聞いてみると、京都の選手だとのこと。

 

目の前を走りすぎる選手一人ひとりに、「がんばれ!」と声援を送っていたら、手にしていたカメラを構えて撮ること忘れてしまい、上位10人くらいは撮り損ねてしまいました

 

それでも、15位くらいから最後の選手まで、降りしきる雪の中、顔を紅潮させ、「ハッ、ハッ!」と白い息を吐き、健気に走る選手の勇姿をカメラに収めることができました。

 

ちなみに、最後の画像は、先頭集団の 選手が通過する3、4分前、あわてて交差点を横断する人たちの姿です。

 

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        花は我が世界にして

 

                  草花は我が命なり              

 

             正岡子規
 

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明けましておめでとうございます。

新しい年のスタートを寿ぐ気持ちを込めて、平野神社の境内に咲く

「元旦桜」の画像を見ていただきます。

 

どれも、今朝10時ころ行って撮ってきたものです。

 

ちなみに、この桜、毎年秋の10月から咲き始めるため、「十月桜」と呼ばれていますが、

今日は、一年の初めの元旦であることにちなみ、「元旦桜」と名付けてみました。

 

 

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