京都と花と文学と -4ページ目

京都と花と文学と

京都洛北賀茂川周辺で撮影した四季折々の花の写真を,それぞれ花にまつわる文学や音楽、映画などの話を交えながら紹介します。

War is over

 

    War Is Over 

      If You Wont It

 

                By John & Yoko

 

    

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         ジョン&ヨーコ
          https://www.youtube.com/watch?v=Xbdyg51MVbg
 
         ジョン&ヨーコ(オフィシャル・ビデオ映像付)
          https://www.youtube.com/watch?v=S84RLgnz7Rs
 
         Atlas Rhoads
          https://www.youtube.com/watch?v=ytqJAplPNhs
          *アメリカのヴァージニア州リンチバーグを拠点に活動する
            若手のロック・グループ。モノクロの映像ですが、大変ハートのこもった
            クールでありながら、内に熱いものを秘めた素晴らしい演奏です。
 
         三大テノール/パヴァロッティ+ホセ・カレーラス+ドミンゴ
                     https://www.youtube.com/watch?v=42D7KblwqLA                  
                  
「ジョンとヨーコ ハッピー・クリスマス」の画像検索結果
 
その他、それぞれ個性的な演奏

 

School of Rock Kids Mexico

 
A.L.L. Friends Band
 
Happy Xmas (War Is Over) - Cover
 
* 中国人ボーカリストが、ギターを弾きながら、少年・少女合唱団をバックに歌っていますが、
  ハートのこもったなかなかいい演奏です。
 
Sarah McLachlan
 
The Idols
 
The Voice Kids
 
 Kailey Swanson  
 
Melissa Etheridge

 

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今年も残すところ一週間となってしまいました。

 

私にとって、この一年間は、自分の存在を支え、思考や行動の支えとなってくれていた大きな共同性……具体的に言えば、戦後日本を支えてきた民主主義と憲法第9条によって裏付けられた平和主義の担い手であった国民が、民主主義と平和主義を根底から覆そうとする安倍政権と自民党と対峙し、批判・抵抗する意欲をほとんど失ってしまい、連帯し共に戦おうという共同性が失われてしまったことで、孤立と危機感と絶望感に苛まれる一年でありました。

 

12年前の1月26日、自衛隊のイラク派兵に反対し、「ガンジーの会」という市民の平和組織を立ち上げ、1日24時間の断食による「ハンスト・リレー」をスタートさせ、ほぼ5年間、毎週3回の24時間ハンストを続け、体重が20キロ以上減って、ガリガリに痩せてフラフラになってしまった時も、私を支えてくれたのは、国民の、そして市民の大半が、憲法第9条に違反する自衛隊のイラク派兵に反対し、私たちの運動を理解し、精神のレベルで支援してくれているという思いと確信があったからでした。

 

そして、それから5年後の2009年1月26日、「ハンスト・リレー」の5周年に当たる日に、自衛隊のイラクからの完全撤退を見届け、終結宣言を行い、さらにその後も、毎月9日を「9条の日」と定め、24時間断食による「ハンスト・イン」を7年近く続けてこられたのも 、国民の大半は、9条を書き換え、あるいは廃棄し、日本をいつでも、どこでも戦争ができる国に改変し、そのうえで国民に対して国家の権利を優先させようとする自民党の「改憲草案」の成立を、ごり押ししてくる安倍首相とその内閣、及び自民党に対して、批判的であるという思いがあったからでした。

 

さらにまた、そうした国民の声を反映し、政府与党の立憲主義を無視してまでして、憲法改悪を急ごうとする姿勢を批判する新聞メディアの存在も、私たちの運動を支える力の源泉となってくれていました。

 

ところが、この一年来、アベノミックスの破たんがどれほど既成事実化しようが、安倍政権がどれほど横暴に立憲主義を踏みにじって、憲法に違反する法案を国会で強行採決しようが

どれほど露骨に新聞やテレビなど報道 デイアに対する監視・管理体制を強化しようが、

閣僚が不祥事やスキャンダルを起こそうが、国民は常に50%以上の支持率を安倍内閣に与え続け、最近ではその数字は60%近くにまで上昇しようとしています。

 

これまで、国民世論は、政府与党の失政や不祥事、スキャンダルに対しては、世論調査で支持率を下げるという形で、批判・抵抗の意志を表明し、それが時の政権の横暴を阻止し、必要であれば総理大臣や内閣の退陣、ひいては政権交代をも可能にさせてきたのですが、この一年間で、日本国民は、権力を批判する意志も勇気も放棄してしまったようにすら見えます。

 

このように、国民全体が委縮し、権力に対して批判、抗議し、立ち上がり、共に戦う勇気も意思も放棄してしまったように見える今の日本の絶望的、かつ「閉塞的」な時代状況にあって、

自分は何をよりどころに、何をすればいいのか、それが見えなくなってしまった……それが、この一年間、私を苛み、苦しめ、不安におとしめてきたゆえんだと言えます。

 

ただそれでも、この一年間、苦しみ、不安と戦う中で見えてきたことは、曲がりなりにも文章を書くことを仕事として、74歳になる現在まで生きてきた人間として、出来ることは限られている。であれば、自分の生涯の仕事として選んだ道で、自分のできること、具体的には、人間の精神に営みの根底に関わる文学について、批評・評論を書くことに全力を注ぐべきだろうということでした。

 

具体的には、今、私が置かれている状況より、さらに一層過酷に国家権力と軍部がすべての権力を宰領していた戦前の、超国家主義的、軍国主義的時代状況にあって、日記(具体的には『断腸亭日乗』)や発表される当てのない小説の中で、徹底的に国家権力や軍部の悪と対峙し、批判・弾劾し続けたきた、日本近代文学史上ただ一人と言ってもいい「闘う文学者」、永井荷風の文学が持つ、今日的意味を明らかにしていくことしかないということ……。

 

そのための第一弾として、来年秋、集英社から刊行予定の「慶應義塾大学文学部教授・永井荷風-知られざるもう一つの顔」の原稿執筆に、来年は全力を傾けようと思っています。

 

ところで、日本国民との共同性は失われてしまったものの、原稿書きに疲れた時など、私を癒し、「書くこと」と戦う勇気を与えてくれるものが二つあります。一つは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコやボブ・ディランなど、平和と愛の尊さを謳ったミュージシャンの音楽であり、もう一つは、「平和憲法」の根本精神の表象としての「花」を美しく撮影することです。

 

というわけで、昨晩遅く、仕事を終え、寝る前のひと時、Youtubede、ジョンとヨーコの

「Happy Christmas-War Is Over If You Want It」の動画を見ていたら、少なく見積もっても50本以上、様々なミュージシャンがこの曲をカヴァー演奏した映像がアップされていました。それで、それらの中から、演奏がそれぞれ個性的で、ハートがこもっていて、いいなと思った映像を、いくつかアップしておきますので、聞いてみてください。

 

これらの中で、私の一押しは、ジョンとヨーコの二つの映像は言うまでもないとして、3番目にアップしたアメリカのロック・グループ、アトラス・ローズ(Atlas Rhoads)とパヴァロッティとホセ・カレーラスとドミンゴの「三大テノール」です。

 

特に、アトラス・ローズは、今回、Youtubedeで、いい演奏を選ぶためあれこれ50以上の映像を見て、聞いて確かめる中で、初めて知ったアメリカのヴァージニア州リンチバーグをベースに活躍する若手ロック・グループで、演奏技術が高いだけでなく、ルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグランドを思わせる、クールで抑制のきいたヴぁ―カルと楽器演奏の内側に熱いものを秘めた演奏に圧倒されました。

 

私とっては、40年前ニューヨークで発見したルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグランドと、ティム・バックレイ以来、久しぶりの宝物の発見で、興奮しています。

 

是非、聞いてみてください!

 

「ジョンとヨーコ ハッピー・クリスマス」の画像検索結果

 

 

 

        花は我が世界にして

 

                  草花は我が命なり              

 

 

                                       正岡子規
 

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ここにアップされている画像は、フレームの関係で右端が5センチほどカットされていす。 オリジナルの画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。〈 印をクリックすると次の画面に進むことができます。


ギャラリーに入ると、キャプションが消えて、読むことができません。画像にキャプションが付いているものは、キャプションを読んだうえで、ギャラリーに入り画像を鑑賞してください。

 

なお、本ブログとは別にもう一つFC2の

 

          「子規 折々の草花写真帖」  

      http://donta71.blog.fc2.com/
 

というブログでも花の写真を紹介しています。

 

本ブログと内容的に同じものと違うものとがありますが、ギャラリーの背景が白いフレームになってるので、画像が一層クリアーで見やすく、画像のサイズも大きいので、オリジナルの画像により近い画像でお楽しみになれます。ぜひのぞいてみてください!

 

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慶應義塾三田キャンパス丘の上の紅葉に続いて、大きな金色の鳥の姿をして、

晩秋の午後の日差しを一杯に浴びて、光輝く銀杏の黄葉を見ていただきます。

与謝野晶子の「金色の小さき鳥の形して銀杏散るなり夕日の岡に」に擬して一首。

 

 

   金色の大きな鳳(とり)の姿して銀杏輝く三田丘の上(え)に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくというか、ずいぶんとご無沙汰しております。

 

もう半年以上、更新を怠ってしまい、申し訳なく思っています。

理由は、昨年の秋以来、単行本化が決まっている三つのテーマで、原稿を懸命になって書き進めていたところ、今年の8月、『慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風』という本が、集英社の新書版で来年の秋に出版されることが、急きょ決まり、その準備と取材に忙殺されていたためです。

 

ご存知の方もおられるかもしれませんが、永井荷風は、1910(明治43)年の2月、慶応義塾大学部文学科の教授に就任し、同文学科の機関誌と言ってもいい文芸雑誌「三田文学」を創刊し、その責任編集に当たります。

 

荷風の就任期間は、1916(対象5)年2月まで、6年間と短かったものの、その教え子から佐藤春夫や水上瀧太郎、久保田万太郎、堀口大学など特異な文学者が輩出し、早稲田大学文学部とその機関誌「早稲田文学」を中心に展開させ、日本の近代文学の主流となっていた自然主義文学に対抗する形で、反自然主義的文学空間を確立していくことになります。

 

新書では、これまで反社会的好色文学とか前近代的な都市遊歩文学といったカテゴリーでくくられてきたこれまでの荷風像に対して、荷風が社会の内側でも、優れた実績を残した文学者であったことに光を当て、文学者永井荷風、あるいは荷風文学の全体像を明らかにしたく考えています。

 

ところで、この本の出版の話を、かねてから懇意にしている、慶應義塾大学文学部教授の巽孝之氏にしたところ、自分もちょうど、文部省から助成金を受けて、「モダニズム文学と慶応義塾」というテーマの研究プロジェクトを立ち上げたところなので、「永井荷風と慶応義塾」というテーマで講演してほしい旨、頼まれ、先月23日に上京して、約2時間半、関連する画像を映しながら、話をしてきました。

 

その折、三田の丘の上のキャンパス内で、「燃え上がる火の鳥」のように真っ赤に発色した紅葉を撮影してきたので、その画像を見ていただきたく思います。

 

三田のキャンパスには、公孫樹の大木は何本も立っているのですが、楓の樹はきわめて少なく、キャンパスの中心に位置する塾監局の前に、3、4本立っているだけです。

 

ただそれでも、楓は、折からの晩秋の太陽の光を受けて、それは見事に真っ赤に燃え盛っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、23日の午後4時半から行われた講演会では、間に5分の休憩をはさんで、第一部と第ニ部に分け、第一部では、大正期、及び昭和初期にかけて、慶應義塾大学の文学部とその機関誌「三田文学」を舞台に展開されることとなる、モダニズム文学の源泉として重要な役割を果たした、慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風という文学者のモダニストして貫かれた文学人生を、関連する画像を映し出しながら振り返りました。

 

908年の7月、欧米遊学を終えて日本に帰国し、立て続けに発表されることになる、いわゆる「新帰朝小説の」シリーズの白眉と言っていい、『狐』という短編小説を読めばわかる通り、屋敷内に潜む狐を鉄砲やつるはしで殺してしまう荷風の父親(永井久一郎)は、封建的家父長の典型のように書かれていて、荷風はその前近代的な父親に徹底的に反抗する形で成長し、文学者として生きる道を見出していくことになります。

ですが、その父親が、実は、漢学や漢詩といった旧時代の知的、文学的素養を身に着ける一方で、明治維新以降、尾張名古屋から東京に出てきて、大学南校と慶応義塾で英学を学び、アメリカに留学し、ラトガーズやプリンストンといった東部の大学に留学した経験を持つ、進歩的で開明的な青年でもあった。そして、日本帰国後は、文部省や内務省に出仕し、東京都の上下水道の改良に取り組んだり、日本で最初の女医・荻野吟子を助けて医師の国家試験を受けさせたり、国会図書館の前身たる東京書籍館(旧湯島聖堂の書庫)所蔵の図書の書籍表に英語で「The pen mighter than the sword(ペンは剣より強し)」と英語で印刷させるなど、明治日本の文明開化に率先して取り組んだ有能官吏であり、退職後は日本郵船の上海支店長や横浜支店長など、近代的な郵船会社の経営者として敏腕を振るったビジネスマンでもありました。

また、母の恆は、幕末の儒者で漢詩人としても名の通った鷲津毅堂の娘で、歌舞伎や琴など日本の古典的芸能の洗礼を受けながら、キリスト教に入信し、受洗しているというモダンな女性であり、協会の牧師から西洋料理のレシピを教えてもらい、ビーフステークやハンバーグを自ら調理し、夫や荷風に食べさせていました。

このように、幼い時から文明開化、あるいはモダニズムという新時代明治日本の共同性を受け入れた西洋風の家庭環境の中で育ったことが、荷風がのちにモダニストして成長していくうえで、重要な要因となったことは、これまでの荷風論ではほとんど触れられてこなかったところです。

さて、このようにモダンな家庭環境に育った荷風でしたが、父親が押し付けてくる、モダニズムの悪の側面、すなわち西洋の学問を学び、優秀な成績を収めて一高から東京帝国大学を卒業し、エリート官僚として世に立ってほしいという、半ば強制的な要求に対して、表向きは一高の入学試験を受けるものの、数学の成績が極端に悪いせいで失敗、代わりに東京外国語学校の清語科(中国語科)に身を置くことで、聞き入れた風を装いながら、裏では徹底的に反抗し、尺八や落語、歌舞伎など江戸伝来の大衆的な古典芸能の世界に身を落とそうとします。


ところが、そうした荷風の反抗的生き方に、ほとほと手を焼いた父親の久一郎は、まさに逆転の発想で、「実学を学ばせる」という理由で、1903年の秋に荷風をアメリカに遊学させるという「子殺し」を断行することになります。

このようにモダニズムと反モダニズム(伝統的復古主義)、すなわち新時代明治の知的共同性と旧時代江戸の趣味的共同性の世界を、反復的、かつ循環的に往還し、クロスオーバーすることを繰り返していくことで、文学者永井荷風の骨太のモダニズムが形成されていった事実をしっかりと見据えること…それが、荷風文学の本質を深う理解するうえで不可欠なことだと言っていいでしょう。

結局、六年近い、アメリカとフランスでの生活を通して、モーパッサンの文学とワーグナーとドビュッシーの音楽、とりわけ「牧神の午後への前奏曲」と出会うことで、自らの文学の根本主題を「性」と「性」を通して獲得される身体と精神の自由、すなわち個我の存在に対して国家が圧倒的に優越する近代日本の、「前近代的」政治的、社会的、文化的制度の下にあって、いかにして「男」と「女」の「性的対関係性」において、「性的結合を通して人間が心身の自由を獲得していくか……ただその一点に、自らの文学的根本主題を見据えて、永井荷風は、日本近代文学史上稀有なる真正の「モダニスト」として、「性」を通して、国家の悪を徹底的に言語のレベルで批判し、死ぬまで闘い抜いていくことになります。

23日の講演会では、前半の第一部では、こうのようにギリシャ神話に出て来る半人半獣の、「性欲」のシンボルとしての「パン=牧神」に自らの存在を擬すことで、銀座のカフェやダンスホール、さらには浅草のレビュー劇場や玉の井の私娼窟など、「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれた昭和初期の時代の性的風俗施設の最前線,ということは最も低い世界に、ニンフを求めて水辺に出てくるパンのように出撃し、肉体を売ることで低く生きる女性たちと「性的対関係性」を結ぶことで、かろうじて心身の自由を確認し、確保せざるをえなかった荷風の哀しい文学的生の実態を明らかにしました。

そして第二部では、日本の近代文学において、常にモダニズムの最先端を歩き通した永井荷風が、慶応文学部と「三田文学」のモダニズムの展開に及ぼした影響という視点から、荷風の教え子でもあった、久保田万太郎や水上瀧太郎、佐藤春夫、堀口大学らの文学から、直接教えは受けてないものの、永井荷風というモダニスト文学者への感応や憧憬から慶應文学部に入学し、「三田文学」に作品を発表することで、小説家や詩人として立つ契機を掴んでいった小島 政二郎や青柳瑞穂、邦枝完二、金子光晴 、奥野信太郎、さらには戦後の安岡章太郎や遠藤周作、江藤淳等戦後の小説家や評論家まで、「三田文学」の系譜に入る文学者の、それぞれの荷風文学への感応と影響関係について、話を進めました。


永井荷風というと、「性」を金で買って恥じるとことがなく、女性を「性欲」処理の道具として見立てた、旧時代の男性中心社会を象徴する前近代的文学者であり、「日和下駄」を穿き、雨傘を杖の阿代わりに曳き、すみだ川下流の東京の下町に残る江戸の名残を探し求めて歩いた、時代に背を向けた前近代的世捨て人……といったイメージで受け止められ、反時代的な生活スタイルを死ぬまで貫いた、ガンコでへそ曲がりの老人文学として語られ、論じられることが多いわけですが、そうした捉え方は、文学者永井荷風のごく一部しかとらえたことにならず、荷風文学の本質を読み解くことにはつながらない。

永井荷風は、日本近代文学史上、まれにみる骨太のモダニストして文学的生涯を貫き、あれらの「性」と「水」を主題にした小説を書き抜き、空前絶後の抵抗の文学として、膨大な日記を書き残した、本物の文学者でした。

今回の講演では、そうした永井荷風の、これまで見落とされてきたモダニストとしての本性と、大学教授という社会的に公認された記号的役割において、荷風が成し遂げた社会的功績に光を当てる初めての試みであったと、ひそかに自負しております。

夏目漱石の門下からは、寺田寅彦や小宮豊隆、森田草平、高浜虚子、芥川龍之介、内田百閒、和辻哲郎など傑出した文学者が輩出しました。同じように、荷風の門下からは、久保田万太郎や水上瀧太郎、佐藤春夫、堀口大学、小島政二郎、青柳瑞穂、奥野信太郎など、漱石門下生とは文学的方向性や資質・個性においてかなり違うものの、日本の近代文学の展開、特にモダニズムの展開において、重要な足跡を残した文学者が輩出しました。

しかも、荷風の影響は、直接その謦咳に接してはいないものの、「性」の小説文学における谷崎潤一郎や吉行淳之介、ひいては国家や社会に対する徹底した反骨性における水上瀧太郎や金子光晴、安岡章太郎、フランス象徴詩の翻訳における堀口大学や青柳瑞穂、江戸下町趣味における久保田万太郎などなどにも及んでおり、その系譜は戦後文学にまで連綿と連なっています。

その意味で、教育者・永井荷風は、夏目漱石以上に、日本の近代文学に寄与する所の大きかった文学者であったと言えるでしょう。

永井荷風は、国家が強大な軍事力と警察権をバックにして、国民に対する優越性を極限まで拡大させ、日本全体が戦争へ、戦争へと駆り立てられていったあの、戦前の時代に置いて、『断腸亭日乗」という空前絶後の日記において、国家や軍部を徹底的に批判、攻撃した抵抗の文学者でもありました。

安倍政権と自民党がなりふり構わず、憲法を書き直し、国家の個人に対する優越性を求めさせようとしている今こそ、永井荷風の「性」を拠点とした抵抗の文学は、読みなおされなければなりません。


最後に、今回の講演で話したことの内容は、来年1月から集英社のウェブ・マガジン「ウェブ・コラム」で始まる連載「慶應義塾大学部文学科教授・永井荷風」で、さらに詳しく記述し、来年の11月の末頃、新書版として刊行されることになります







    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規




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西賀茂神光院の楓は、毎年11月末からの紅葉のシーズンは、ほとんど毎日のように足を運び、憑かれたように撮影してきたのですが、春の4月の末から5月の初めにかけて、溢れるように京都の街を彩る新緑の楓の葉には、ほとんどカメラを向けてきませんでした。


理由は、あの燃え立つような緑の色彩が、どうしても綺麗に写し撮れないから。カメラのレンズとパソコンのモニターを通しtて再現された緑の色合いに、明るく清潔な透明感が欠け、どぎつ過ぎてしまうのですね。


それで毎年、この時期、気にはなりながら、スルーしてきたのですが、今年初めて、本気で狙ってみました。今年入ってから、暗い画像ばかり続いていたので、何か明るい画像が欲しいという気持ちが働いたせいかもしれません。


毎朝、犬の散歩がてらに、大徳寺とか神光院、鷹が峰西麓の吟松寺や讃州寺に足を運び、撮影してきたわけですが、最初は満足できる画像が撮れなかったものの、何度か試行錯誤を繰り返した結果、ようやく満足の行く画像が撮れるようになったので、2回に分けて見ていただきます。


最初に見ていただくのは、神光院の楓の若葉の画像です。


全ての画像は、シグマのDP2xで撮ったものです。


噴き上げてくるような、あるいは氾濫するような新緑の若葉の、けざやかな色彩の美しさをお楽しみいただき、そのうえで若葉を通して発現してくる自然のエネルギーと霊気のようなものを感じ取っていただければ幸いです。



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    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規




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4月5日の午前中に撮影した、京都市内、木屋町通りに沿って流れる高瀬川の両岸に咲く、桜の画像を見ていただきます。


カメラは、一緒に撮りに行ったカメラマンの後藤善臣さんから借りた、シグマのDP3メリルを使って撮りました。




都会の歓楽街に咲く桜ということで、折からお昼前の逆光を受けて、モノクロトーンで、黒と白の光の対比が織りなす、クリスタルな
花のイメージを狙って撮ったものです。



これまでは違った桜の花の「美」として、そしてまた「陰翳礼讃」のバリエーションの一つとして、味わってもらえれば幸いです。














































































    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規




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ニューヨーク時代からの友人で、カメラマンの後藤善臣さんが京都に来ていたため、7日から昨日の夕方まで、車で京都洛北の桜の名所(と言っても、人のあんまり行かない、私にとってだけの名所ですが)を回り、雨に濡れる桜や今を盛りと白く、盛り上がるように咲く桜を撮影してきました。

その成果を順次、アップしていきますので、楽しんでください。

最初に見ていただくのは、7日の午前中、強く雨が降り、風が吹く中、傘を差しながら撮った、大原を流れる高野川の堤防に咲く桜です。

春のこの時期には珍しく、「春の嵐」といった感じで、雨が強く降り、風が吹く中、風に傘を飛ばされそうになり、びしょびしょに濡れながらの撮影で、カメラを片手に持ってシャッターを押すため、どうしても腕が震えてしまいます。

それで、画像がブレているのでないかと心配したのですが、さすがに名器シグマのDP2xだけのことはあり、どの画像も見事にピントが合い、シャープで、かつ陰影のある雨中の桜の画像が撮れたと思います。

タイトルの「春風春雨 花を愁殺す』というのは、中国の女性革命家で、1907年7月15日早朝、浙江省の紹興市内軒亭口の刑死場で、清国政府当局の手で斬首、処刑された秋瑾女史の辞世の句から取ったもので、武田泰淳の同女史の悲運の生涯を描いた小説「秋風秋雨 人を愁殺す」をもじったものです。

ちなみに、中国の小説家魯迅に『薬』という短編小説があります。肺結核に苦しむ息子を助けようと、銃殺処刑された革命家の生き胆の血を吸わせて作った饅頭を食べさせるものの、薬効なく死なせてしまう。その息子が埋められた墓に、孫に死なれたお婆ちゃんが、お参り行くと、もう一人お婆さんがやってきて、別の墓に額ずいて涙を流す。それを見て、お婆ちゃんが慰め、「さあ、帰ろう」と立ち上がり、墓の方を見ると、その墓に花が咲いている。

人の肝の血で作った饅頭を食べると肺病が直るという迷信を痛烈に批判し、あわせて理不尽にも処刑されてしまった年若い女性革命家の墓に花を捧げたこの短編を、魯迅は、処刑された秋瑾女史を追悼するために書いたとされ、墓に埋められていたのは、秋瑾女史だとされています。

ところで、紹興市内にある秋瑾女史の墓に詣でて、涙を注いだ日本人女性が一人いたことは、ほとんど知られていません。その女性とは、夏目漱石の『草枕』に出て来るヒロイン「那美」さんのモデルとされる、前田卓です。

前田卓は、漱石が、熊本の第五高等学校の教師をしていた頃、熊本県の小天温泉を訪れた際に泊まった温泉宿の主、前田案山子の長女で、何とも妖艶で、魅力的な女性として『草枕』に登場します。

ですが、漱石がロンドン留学を経て、東京に戻り、処女小説『我輩な猫である』を「ホトトギス」に発表し、一躍文明を挙げ、『草枕』を書いた頃には、前田卓は東京に出てきており、中国人留学生のための互助組織「民報社」で、留学生の世話を見ていたため、「民報おばさん」と慕われていました。

おそらく、前田卓は、その関係で秋瑾と知り合い、彼女が、当時としては珍しい女子留学生であったことで、秋瑾に目をかけ、可愛がったのではないでしょうか。その秋瑾が、危険な革命戦士だということで、処刑されてしまったことを知り、卓は、いても立ってもいられない気持ちに駆られて、遠路、浙江省紹興市内の墓を訪れ、花を捧げたということなのでしょう。

魯迅の『薬』については、近く発行される「京都漱石の会」の会誌に、「正岡子規の『人肝丸』と魯迅の『人血饅頭』』と題して、詳しく記述してありますので、興味ある方は、そちらを参照してください。

さて、この日の午後、「京都漱石の会」代表の丹治伊津子さんから、大徳寺玉林院で開かれたお茶会に招かれていたので、撮影を途中で打ち切り、大原からずぶぬれのまま玉林院に駆けつけ、美しく和服で装った京女に交じって、お抹茶を頂いてきました。

そのお礼に、「風流を愛でる夷(えびす)の笠に花」という句を付けて、今回皆様に見ていただく画像を送ったところ、以下のようなコメントが返ってきました。

  桜の写真と云えば華麗な風景が第一に浮かぶのですが拝見して
  「ああ、やはり!」と。あの暗さとその奥にこめられた命の開花に驚嘆
  のでした」





















































    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規




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ここにアップされている画像は、フレームの関係で右端が5センチほどカットされていす。 オリジナルの画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。〈 印をクリックすると次の画面に進むことができます。


ギャラリーに入ると、キャプションが消えて、読むことができません。画像にキャプションが付いているものは、キャプションを読んだうえで、ギャラリーに入り画像を鑑賞してください。


なお、本ブログとは別にもう一つFC2の



      「子規 折々の草花写真帖」  

      http://donta71.blog.fc2.com/


というブログでも花の写真を紹介しています。


本ブログと内容的に同じものと違うものとがありますが、ギャラリーの背景が白いフレームになってるので、画像が一層クリアーで見やすく、画像のサイズも大きいので、オリジナルの画像により近い画像でお楽しみになれます。ぜひのぞいてみてください!



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実家筋に当たる豊前市の従妹の家に、ワイフとワンちゃん連れで、一か月余り滞在し、10日ほど前に京都に戻ってきました。


行きも帰りも、柳井市の友人の家に一泊させてもらい、二日がかりで15時間くらいかけて、山陽道をひたすらドライブしたわけですが、さすがに70歳を越えると長時間ドライブは疲れますね。30代のころ、ワイフを助手席に乗せて、ニューヨークからアメリカ南部のニューオリンズやフロリダのキー・ウェストなどへ、2週間くらいかけてドライブ旅行に出かけた時は、一日平均15時間くらいドライブしても、ちっともこたえなかったのですが、今は違います。京都に帰り着くと、3、4日は寝てばかりです。


しかしそれにしても、高速を時速100キロ近いスピードでドライブすのは怖いですね。東広島の八本松トンネルでの追突事故で、煙が濛々とトンネルから出ている画像を見てぞっとしました。このトンネルは、行きも帰りも、私の運転で潜ったトンネルだったからで、自分たち自身が事故に巻き込まれていた可能性は、かなりの確率であったわけですからね。


さて、豊前滞在中に撮った写真としては、豊前市の隣の椎田という港町の綱敷き天満宮の梅の花の画像を前回見ていただいたわけですが、今回は、同じ椎田を流れる城井川(きいがわ)の川岸に立って撮った夕暮れの画像を見ていただきます。


椎田という町は、社会主義者の境利彦の出身地であり、私の母親の実家があったところでもあります。城井川は、この町の浜宮という海岸で豊前海に注ぎ込む川で、この川のほとりに私の父方のおじ一家が住んでいて、今から60年以上も昔、私が小学校の5年生の夏休みに、一家で里帰りして、母の実家とこのおじさんの家にひと夏滞在して過ごしたことがあります。


遊び好きで、「遊んでばかりいないで、勉強しなくちゃだめだぞ」と、父から叱られると、「僕は。遊ぶのがお仕事なんだ~」と、言い返して、遊んでいたというほど遊び好きだった私と弟は、お祖父ちゃんとお婆ちゃんだけしかいない、母の実家が面白くないので、ほとんど毎日、城井川の土手下にあった、おじさんの家で川遊びをして、ひと夏過ごしたそうです。


毎日、朝から夕方まで、この川で泳ぎ、魚取りをし、夜は蛍狩りやガチャガチャ狩り・・・文字通り夢中になって遊んだ川で、私にとって人生で一番楽しく、光り輝いていた夏でありました。

しかし、その黄金の川も、60年の歳月を隔てて、かっての面影はすっかり失われ、河原は枯れ葦で覆われ、流は緩慢で、魚の気配もなく、コンクリートの橋や堤防の上には自動車が走り・・・対岸の西教寺の瓦ぶきの屋根以外、周囲の景観はすっかり変り果てていました。故郷とは、失われたものとその大きさと重さに向かい合う場なのか…と、うたた感慨にふけった次第です。

ところで、豊前滞在中に、リコーのCX03と並んで、私の主力カメラであるシグマのDP2xがとうとうダメになってしまいました。フォーカスが、オートでも手動でも合わなくなってしまったのです。相当のショット数撮ったので、壊れたというより、使いつぶしたといった方が正確かもしれません。というわけで、今回見ていただく画像は、シグマのカメラで撮った最後の画像ということになります。

命が尽き果てる前、最後の死力を振り絞って、夕闇に沈んでいこうとする我が故郷に流れる川の、あたかも死相をたたえたような暗い表情を写し撮ってくれた、そう思いと、いじらしいというか、よく頑張ってくれたという気持ちでいっぱいです。






















































































    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規



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二週間ほど前から、ワイフとワンちゃん連れで、北九州福岡県豊前市の、実家に当たる従姉の家に来ています。



日差しの明るさや気温の暖かさなどで、京都より半歩先に春に近づいている感じがしますが、それでも雪が降った日があったり、夜の冷え込みはまだまだ冬を思わせ、春が来た!と実感できるのは、二、三週間先といった感じです。



そんなわけで、従姉の家の周辺を散歩しても、春めいた花は、水仙くらいで、ほとんど目に入ってきませんが、それでも梅の花が3部程度開いていて、冬枯れの風景に彩りを添えています



そんなわけで、今回は、豊前市の隣の築上町の椎田という港町の浜宮という瀬戸内海に面した浜辺の松林の中に建つ、綱引き天満宮の梅の花を見ていただきます。


画像は、一週間ほど前、雨の降る日の朝、撮影したものですが、梅の花は晴れた日に撮影するより、雨の降る日に撮影した方が、風情があっていいものです。


ちなみに、天満宮は、菅原道真が大宰府に配流された時、船がここに流れ着き、綱で船を浜辺に引き寄せ、道真公が初めて九州の土を踏んだところとされおり、それにちなんで『綱引き天満宮」と名付けられたとか。境内の社殿の周辺には、梅の木が1,000本以上植えられています。

雨に濡れて咲く豊前の梅の花に、春の兆しを感じ取ってもらえれば、幸いです。



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    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規




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毎週2回くらい、カメラを首にかけ、大徳寺の境内を犬を連れて散歩しています。


京都の多くの寺や神社が、犬を「畜生」と蔑視し、散歩をさせることを禁止しているなか、この寺は、世界国宝でありながら、犬の散歩を許している数少ない寺で、仏の慈悲が動物にも及んでいることを教えてくれているようで、ありがたいお寺さんと思っております。


ただ、高桐院とか大仙院など、それぞれの塔頭が、犬の連れ込みを禁止しているのは、そこが修行の場であり、観光客の静かな参拝・参観を妨げるため、やむを得ないことではあろうとも思います。


ところで、禅宗の寺は、どこもそうですが、境内を入ると、白い砂や石畳に赤松、それと淡い茶褐色や白の土塀・・・と、極めてシンプルでモノトーンの世界が広がっています。そのため、カメラを持って境内を散歩しても、撮影の対象となうものがなかなか見つからないので、、京都で生活するようになって10年以上になりますが、大徳寺にはほとんど足を向けないで来てしまいました。


それが、2年半ほど前から、ワンちゃんを飼いだして、境内を散歩するようになってから、モノトーンのドライな世界に、四季折々、何気なく見ていては気づかない、小さな、微妙な、それでいて奥深い「美」の世界が潜んでいることに気付くようになり、一昨年の秋の終り頃から、境内の塔頭の土塀越しに枝を伸ばしている楓の紅葉を、初めて意識的に狙って撮影するようになりました。


今年、初雪が降った日も、朝の7時頃から、降る雪の中、寒さで体を震わせながら、2時間ほど撮影。その成果は、前回、及び前々回、本ブログに紹介しました。


まだ一年を通して撮影した訳ではないので、まだまだ隠された「美」の世界はたくさんあるはず。というわけで、今年は、大徳寺にターゲットを絞って、カメラを通して、モノトーンの世界に潜む美の発見に努めて行きたく思っています。


というわけで、今回は、高桐院や大仙院などの塔頭の土塀に、柔らかな冬の日差しを受けて映る松の葉や枝の影を見てもらいます。


ちなみに、本ブログにアップされた画像は、引いた全景写真はシグマのDP2xで、接写、あるいはズームでアップした画像は、リコーのCX1、CX2、さらにCX-3で撮影したものです。



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    花は我が世界にして


                  草花は我が命なり              



                                       正岡子規




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ここにアップされている画像は、フレームの関係で右端が5センチほどカットされていす。 オリジナルの画像で見るためには、画面をクリックし、ギャラリーに入って、拡大した画像で見てください。〈 印をクリックすると次の画面に進むことができます。 


ギャラリーに入ると、キャプションが消えて、読むことができません。画像にキャプションが付いているものは、キャプションを読んだうえで、ギャラリーに入り画像を鑑賞してください。


なお、本ブログとは別にもう一つFC2の



      「子規 折々の草花写真帖」  

      http://donta71.blog.fc2.com/


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一週間ほど前、京都に初雪が降った日の朝、7時頃、降る雪の中、大徳寺境内の龍翔寺脇の道を、傘をさして遠ざかっていく女の人の後ろ姿を、3、4秒の間隔で撮影した画像を見ていただきます。


この南北に走る道は、大徳寺の北の裏手にある今宮神社周辺の住宅地に住む人々が、高桐院の前を抜け、北小路に出て、バスで出勤するために使う道で、朝の7時頃から8時過ぎにかけて、歩く人が増えてきます。


といっても、ポツリポツリといった程度で、歩き去っていく人の後ろ姿をカメラに撮って見ると、何か人生の路を黙々と、前に向かって歩んでいく人間の宿命のようなものが写し取られているようで、それぞれの人がこれから先歩んでいく人生の物語のようなものまで見えてきて、興趣が付きません。


歩み去っていく人の後ろ姿の面白さに気付いたのは、去年の秋、大徳寺境内に紅葉を撮影に来た折に、

同じ龍翔院の脇道に塀越しに枝を伸ばしている楓の紅葉を撮影していた時、私の脇を、白い作務衣風の法衣を着た、下駄ばきの尼僧が通り抜け、高桐院の方に去っていくのを、連続撮影し、その画像をパソコンのモニターで見た時でした。


その画像を、何人かの友人に送ったところ、「能の舞台の上での演技と踊りが終わり、橋掛かりを渡って消えて行く能役者を見るようで、物語性があって大変面白い」というコメントをもらったの契機となり、大徳寺を訪れると、必ず龍翔院の脇道にしばらく経って、私の脇を抜けて遠ざかっていく人の後ろ姿を撮影しています。


今回、見ていただくのは、雪の降る朝、傘をさして遠ざかっていく女の人の後ろ姿の画像です。


連続して撮った写真を並べてみると、『一人息子』や『東京物語』など、小津映画の冒頭シーンを思い出しますね。




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