俺、小食だから、これからたびぃがご飯残しても食べてあげられないかもしれないよ。
と言われたのは、付き合ってはじめてのデートで言われた唐突な一言だった。
上野公園の緑が眩しくて、春らしい平和で陽気な3月のことだった。
あれから、6年経つ。
今の世界では未知のウィルスとの戦いで皆んなが疲弊している。新たな脅威はこんなにも世界を巻き込んで、人々を混乱と恐怖に陥れるのだ。
恵まれたことに、戦争を経験していない私たちの世代は、一方で2011年の東日本大震災や2019年の台風15号と19号による豪雨などの自然災害を目の当たりにしてきた。
たくさんの人の尊い命が奪われ、大切な人を失ってしまった人が多くいる中で、私は心を痛めるだけで、自分に起こりうる身近な出来事として捉えることができなかった。
そして、今、私は自分の間近で約束されない明日が来る恐怖を感じている。
新型コロナウィルスが中国で猛威を奮っていることを知ったのは、年が明けて少し経った頃だった。歴史的に新たなウィルスが出現し、その度に人類は多くの犠牲を払いながら戦ってきた。誰が悪いというわけではない。この世に生まれてきた以上、実は死と隣合わせなのを忘れてはいけないと思ってきた。だけど、今回の新型コロナウィルスが発生した当初、ウィルスを発生させた地域の人々を野放しにして、拡散させて良いのだろうかと、とても怒りを覚えた。
運悪く、中国の旧正月も重なっており、民族大移動でウィルスを持った人間が世界中で影響を及ぼす危険性を感じたと同時に、自分の潜在的な差別意識に気づいた。
でも、宗教・民族・言語・文化・地域…それ以外の複雑な理由(私には説明出来ないけど)で、世界に境目が引かれてるのは事実で、それを憎悪や偏見で差別的な見方をするのではなくて、もっと有効に利用できたのではないか?と最近は強く感じている。
中国、日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア…
今は自由に世界を行き来できる。でも国の境目があるのであれば、もっと早い段階で出国・入国を止めることができなかったのか。
個人間でもそうだ。一人一人が他者との境目を意識していれば、無駄な外出や無責任な海外渡航で関係の無い人たちに迷惑をかけることは無かったのではないでしょうか。
とは言うものの、私が完璧な状態で、感染もしてないし、人にうつしてるわけではないとは言い切れません。会社は何があっても出社しなければならない業種で毎日電車に乗って勤務しています。まだ仕事ができる状態であることに感謝している一方、私だってこんな中、リスクを犯してまで働きに出たくないというのが本音です。
外出自粛が出た今、やむを得ず出社しなければならない人がたくさんいます。これ以上の感染者を出さぬよう、各自が責任を持って行動してほしいです。医療関係者や大変な中働かなくてはならない人の為に、私は出来る限りの行動を実行しなければいけないと強く感じます。
そして、1日でも早く、全ての人が健やかで安心して過ごせる日が戻ってくることを心より願っています。
あれから6年、わーさんはご飯をいっぱい食べれるようになったし、紆余曲折あって作曲家にもなった。6年前の私は、こんな今を想像できていたであろうか。
コロナパンデミック前、最後に行ったカフェ。
泰山堂(秩父)

