とうとう日本年金機構から、
「老齢年金請求手続きのご案内」が届きました。
そういう年齢でございます。(⌒-⌒; )
え?もっと若く見える?あ、プロフィール写真5年前のままだわ(笑)
男女・生まれた年により開始年齢は違いますが、この案内は誕生月の3か月前に届きます。
65歳までの間に貰える厚生年金の「特別支給」というもので、
貰える額は年金特別便に大体どのくらい貰えるか書いてあります。
私は本当にちょびっとだけです。![]()
なので、
お若い読者の皆様には、社会保険(厚生年金とか)をかけられる職場に出来るだけ長くお勤めしておいた方がいいですよー!![]()
とお伝えしたいです。
このブログ↓で「もしもあの時」と書いたように、
私にとっての「もしもあの時」は…
(抜粋)
母が58歳で倒れた時。
当時私は29歳で、「日経woman」を読みキャリアウーマンを目指して目黒の会社でバリバリ働いていました。
私の選択は、仕事を辞め実家に帰り、母の看護と父の世話、家業の酒屋をやること。
夫を東京に残し1年間実家で過ごしました。
もしもあの時正社員を辞めなかったらどうなっていただろう?
(抜粋終わり)
その時私は天中殺で、翌年東方納音。
ここで正社員(厚生年金)から離れてキャリアを中断したことは、その後の生きかたや収入に大きく影響したと、年金を貰う年齢になって実感しています。
母が倒れた当時、姉達はまだ子どもが小さく、実家に住み込みでお店の切り盛りや両親の世話をすることは難しかったので、
私は迷わず退職という選択をし、
一年後に東京に戻って来てからも母が完全に治るまでは心配なので、正社員ではなくパートで働くことを選びました。
子供を産んだのは35歳ですから、もしもその間、正社員で働いていたならば、我が家の世帯収入は年収◯◯◯万円✖️6年分は多かった上、
これから貰える厚生年金の額も相当違っただろうなと、老齢年金の請求書の記入をしながら思いました。
でも私はあの時の自分の選択を全く後悔していません。
母がしっかり療養し、元気になってくれたお陰で、私はその6年後に息子を生む時、里帰り出産が出来ましたし、母は長生きしてくれました。^ ^
母はお店をやりながら張り切って私の産前産後の世話をしてくれ、良い母乳が出るようにと、栄養満点の食事を作ってくれました。
これはお金には変えられない、尊くありがたいものです。
年金請求書が届いて、30年以上前の自分の決断や、里帰り出産に思いを馳せた一日でございました。
おしまい
『柴犬伊太郎のブログ』↓



