赤い鳥文学賞など、児童書で賞を取っている荻原規子さんの小説。
この小説自体はノンタイトルですし、現代が舞台になっているので、ちょっと異色の作品でもあります。
少女の、成長を描いているという意味では同じですが、ファンタジー色がない分、自分の世界への影響、責任、といったスペクタクル?な冒険は発生しません。
事件は起こるけれど、それの影響はあくまで個々人の内側への影をクローズアップしていて、サスペンス物として読むには物足りないし、神代の不思議も出てこない。
ある意味、車輪の下、のような、けれどあれが少年の思春期の話なのに対して、少女の物語。
受賞作が多い中で、何でこの本について書いているかというと、
読んでいて、笑っちゃうぐらい自分の学生時代に酷似していて、
感想も何もないぐらい、懐かしさと、悩みにまで至らない閉塞感と、挫折感に似た開放感と、
奇妙なバランスの中でふらふらしていたあの頃の感覚にどっぷり戻ったのが感慨深すぎて。
旧制中学の流れを汲む学校というのは、みんなこんなものなのか~!?
ともう、エピソードエピソード、似ていて、うちの学校か、と思うぐらい。
そして、そこにでてくる言葉も。
優等生から劣等生になったことで感じる解放感、
本音で話したら叩き潰される社会に出る前だからこそ、本音で話す、
そんな言葉たちの、じかに骨に響いてくるような、埋もれていた感覚。
中途半端な上澄みの中をたゆたう、俯瞰とも仰瞰ともつかない第三者感。
男子クラスはないけれど、科目選択の都合で男子ばかりのクラスに入ってしまったときの違和感。
(授業初日、担当教諭に選択科目から外すか?と呼ばれて聞かれた)
サロメの解釈論、
オスカー・ワイルド、マザー・グース、
幸福の王子と同じ作者がサロメ、ドリアン・グレイを書いたと知って、初めて作家の来歴を閲して作品を読む、ということの必要性を感じ、我が儘な大男を救う少年は「何故少年でなくてはいけなかったのか」、
そんなことをちょうど私も友人と話していた。
運動会当日、明け方に上がった雨、6時の一斉登校の時には、既に土のグランドに雑巾を当てては絞り、水溜り後に砂を撒いて砂場の砂が大きくえぐれた後だった。
そんな上級生の、先輩にに負けてはならじという気合、伝統への誇り、
入学初年に様々に感いた、今までの努力はお遊戯でしかなかったんだ、というカルチャーショック。
夏休み明けから運動会当日までは、全校昼休み返上での応援合戦練習。
部活動返上の種目練習。
昼食は3時間目後の休み時間。
そして団長は、3年の夏休みを毎日登校し、歴代団長からフォームチェック、エールの発声の指導を受け、
明けてからは団全体の士気を鼓舞し、統率をして。
拍が合った時の残響の美しさ、
最初にしておそらく最後の、泣きたくなるような真剣なバカ騒ぎ。
そんなこんなの思い出が怒涛のように押し寄せてきた、アルバムのようような本。
未分化な、何者でもなく何者でもある存在から成長していく物語。
それと同時に、あの時の空気が開けるたび立ち上ってくるような本でした。
同じような学校に通っていた人に、是非、読んでみてもらいたい本です。
あの時が蘇るから。
そして、これはある意味、私小説なのでしょう。
「君はは平易な文章が書けますね」
主人公は国語の教諭にそう文章を評され、
そして作者は私が平易で豊かな文章を書くのに挫折し、憧れただけで終わった児童文学を世に送り出し続けているのだから。


